仮面の恋

朝飛

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週末、特に予定もなく手持ちぶさたになっていた俺は、ふらりと近場の喫茶店や本屋などを見て回り、暇を潰していた。
しかし何をしても楽しめず、すぐに店を出ては街中を歩き回ってを繰り返す。
それを幾度かしたところで、ふいに声をかけられた。
肩を叩かれて振り向くと、あのコンビニ店員――辻朔弥が立っていた。
そして俺の顔を確認すると、彼は甘い顔で笑った。
「ああ、やっぱりあなただった。俺、わかります?」
「……辻朔弥くん」
一瞬、驚きで言葉に詰まった後、無意識に頭の中で覚えてしまっていた名前を口にした。
口にした途端、常連とは言え週一しか顔を合わせない店員の名前を覚えていることが不自然だと思い至り、内心しまったと思ったが、彼は怪訝そうにすることはなく、嬉しそうに笑った。
「俺の名前まで、知っていてくれたんですね」
「あ、ああ。君はなんだか目立つから」
「え?」
「あ、いや。名札が偶然目について」
慌てて言い換えたが、言い訳がましく聞こえたかもしれない。
しかし一瞬きょとんとした彼は、すぐにまたあの花が咲きそうな笑顔を浮かべた。
「嬉しいです。俺も、あなたと一度話してみたくて。それで、もしかしてと思ったんですが、違ったらどうしようとか、急に声をかけて不審がられたらどうしようとか。色々考えてしまって。……でも、勇気を出して話しかけてよかった」
「……っ、そ、そうなんだ」
そうだ、普通は不審に思うのだろう。彼でなければ、きっと俺もなぜ話しかけてきたのだろうと、違和感を感じたにちがいない。
しかし、俺は不自然に早まった鼓動とか、彼の笑顔に釘付けになっていたせいで、そんな考えには至らなかった。
まるで、彼に夢中になっていて、話しかけられて舞い上がっているようだ。
――いや、そんなバカな。
慌ててあらぬ方向に考え出した思考を否定し、冷静になろうとつとめた。
「……」
「……」
奇妙な間が空き、往来の邪魔にならないように壁際に寄ったところで、ふと気になったことを聞こうと口を開く。
「あの」
「あの」
二人の声が重なり、余計に気まずくなった。
「……あ」
「す、すまない。先にどうぞ」
促すと、彼は少し躊躇した後。
「じゃあ、あの、失礼じゃなければ名前を教えてください。俺だけあなたの名前を知らないのは、なんだか悲しいので」
当然の質問だった。名乗るタイミングを逃していたとはいえ、相手の名前だけ知っていて自分の名前を教えないのは、社会人として如何なものかと自分でも思う。
「いや、申し訳ない。俺の方が礼を欠いていた。俺は月村怜音」
「れおん、さん……カッコいい名前ですね」
「……っ」
お世辞ではなく、本心から告げているとわかるだけに、思わず赤面してしまう。
それも、凶悪なまでの綺麗な笑顔だから、逸らすことも忘れて見入っていて。
「どうしました?」
「な、んでもない。ていうか、立ち話もなんだし、どこか座らないか?」
「そうですね。あ、でしたらあそこのカフェにでも行きませんか。俺の行きつけなんです」
話題を強引に変えたが、辻が深く追及せずにそれに乗ってくれてほっとした。
追及されていたら、俺は……。
いや、さっきから何度もおかしいぞ、俺。
なんなんだ、このざわついた気持ちは。
一人で悶々と考えている間に、目的の場所に着いたらしい。
まるでエスコートされるみたいに優雅な仕草で店の中に入れてもらい、窓際の席に落ち着いた。
「あの、今更聞くのもなんだが、この後予定はなかったのか?」
「特にないですよ。俺、大学生なんで。三年生なんですけど、就活もそんなに切羽詰まってないんで、大丈夫です」
「年下だとは思ってたけど、大学生か。三年てことは、二十一くらいか?」
「はい。もうすぐ二十二です。四月生まれなんで」
「てことは、四つ下か……」
「怜音さんは、二十五歳ですか?あ、下の名前で呼びたいですけど、ダメですか?」
「い、いや、ダメじゃないけど……」
その子犬みたいな目で見ないでくれと内心付け加えつつ、言いよどむ。
「やった!ありがとう怜音さん」
「っ……」
だから、その笑顔は反則だ。内心の動揺を押し殺そうと、意味もなくメニュー表や窓の外に目を向けていると。
「怜音さん、俺のことも、朔弥って呼んでください」
「え、いやそれは……」
いくらなんでも、友人のような親しい間柄でもない相手と下の名前で呼び合うのは、妙な気もするし、なんだか照れくさい気もして、なんと返そうか悩んでいると、思わぬところから助け舟がきた。
「こら、朔弥。お連れさん困っているじゃないか」
そう言ってお盆で辻の頭を叩いたのは、ここの店員のようだ。
辻みたいに華があるような美形ではないが、涼し気な風貌で、もてそうな感じである。
「いって!何すんの光(こう)」
「注文も無しに真昼間から色気出しまくって、口説きモード全開なのやめてくれないかな。いい迷惑なんだけど」
「いいじゃん別に。いい集客になって」
「口説きモード全開」の点は否定しないのかと思ったが、あえて突っ込まないでおく。
見回してみると、確かに彼の言う通り、客(特に女性)の視線がこちらに集まっていた。
窓際のせいで、通りを行く女性の視線まで集めてしまっているのにはさすがに驚いたが。
まあ、男の俺でさえドキドキしてしまうほどだからな。
「なあにが、いい集客だ。いちゃいちゃしたいなら、もっと人目がないとこ行けよ」
ぼんやりと二人のやり取りを見守っていた俺だが、さすがに否定しておかないとまずいと思い、口を挟みかける。
「いや、あの俺と辻君は別に……」
「それもそうだな。怜音さん、よかったら俺の部屋に来ませんか?」
「え!?へ、部屋?」
誤解を解こうとしたのを遮られたうえに、突拍子もない提案をされ、声が裏返ってしまった。
相変わらずキラキラした笑顔で、しかもいささか身を乗り出しており、なんだか非常に断りにくい。
そこへ、再び光という男が、辻の頭を盆の角で叩いた。
「ってぇ」
さすがに痛そうだ。
「お前、がつがつしすぎなんだよ。何いきなり部屋に誘ってんだよ」
「いいだろ、別に。これは俺と怜音さんの問題だよ。もう、光はこんなとこで油売ってないでさっさと仕事に戻りなよ」
「わかったよ。朔弥、しつこい男は嫌われるぞ?」
「余計なお世話だ」
最後までコントのようにテンポよく進んだ会話に、半ば呆気に取られていると。
光が立ち去ったところで、俺に向き直った辻が、話しかけてくる。
「さあ、怜音さん。どうします?」
「どうって?」
「俺の部屋、来ます?」
「………えっと……」
答えに窮していると、周りの視線がやたらと突き刺さるのを感じた。
気のせいではないのは、先程確認済みだ。
つまり、非常に居心地が悪いのだが、辻は慣れているのか、気にした風はない。
ただ俺の返事だけを期待して待っている。
人目が多すぎるから話しにくいとはいえ、いきなり部屋にお邪魔するなどいかがなものかと思うが、選択の余地はないというのはわかっていた。
魅力的な笑みで誘う目の前の男が悪いのだと、言い訳しつつ。
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