仮面の恋

朝飛

文字の大きさ
7 / 9

6

しおりを挟む
「どうぞ、狭いですけど」
「お邪魔します……」
部屋に誘うくらいだから一人暮らしなのだろうと予想はしていたが、やはり二人きりになった途端に一気に緊張感が増した。
男の一人暮らしにしては整理されていて、汚かったら茶化してやろうかと思っていたが、何も言えなくなる。
「あ、自由に座ってください。ベッドの上でもいいですよ」
「べ、ベッドって」
「ん?そうだ、コーヒーでも飲みます?」
「あ、ああ。頼む」
先程から意識しまくっていることを自覚していたが、この調子でいちいち反応していたら身が持たない。
相手はそのつもりで部屋に誘ったわけではないのだ、平常心平常心。
コーヒーの準備をしている辻の背中につい目がいっていると、視線に気づいたのか、辻が振り向いてしっかりと目が合ってしまった。
「……っ」
慌てて逸らしたが、いつかコンビニで目が合った時のように、誤魔化しきれたはずもない。
なにしろ、ここには俺と辻の二人しかいないのだから。
「前から気になってたんですけど、怜音さんて俺のことよく見てますよね」
「!」
やっぱり、気づかれていたのだ。
もしかしたら今日会ってからも、挙動不審で意識しまくっていることも気づかれているのかもしれない。
それに思い当ると、どこかに逃げ出したい気持ちになった。
今までも恋愛の経験は人並みにあるが、この男相手だと、いつもと勝手が違う。
「辻君は、その……男と付き合ったこととか、あるのか?」
「ええ、ありますよ。最も、こういう容姿なんで、どっちかというと女が多いですけど。まあ、好きになれば性別は関係ないですね」
「そう、なんだ。少し意外だな」
甘いマスクは、いかにも女を惑わす系のもので、イメージとしては男とは経験がないように見えたのだが。
「よく言われます。ストレートに見えるから諦めていたのにって」
「よく言われる」って。……つまりそれは、男にもモテるってことか。
しかし彼が言うとまるで嫌味に感じない。
「だから怜音さん、あまり意識しまくられると、期待しちゃうんですけど」
「え?」
「はい、コーヒーどうぞ。熱いので気を付けてください」
「あ、ありがとう」
なぜかコーヒーを渡した後、辻は向かい側ではなく隣に座った。
肩が触れそうな距離だ。
距離を取ろうと壁際に移動しかけたところで、引き留めるように手を掴まれた。
「え、あの、なに……」
「怜音さん、逃げないでください。
俺、最初は、怜音さんが見てくるから気になるだけなのだと思ってました。
でも、割と顔も好みだし、気が付けば俺も目で追うようになってて。
それで、目が合えば赤くなって逸らすところとか、年上相手に失礼ですけど、可愛いなって思うようになって」
「……っ、そんなこと、初めて言われた」
「え?そうなんですか?もったいない、こんなに可愛いのに」
「……っ」
真顔で言われて、心臓が跳ねた。握られた手が、じわりと熱を帯びて、そこから全身に熱が回っていく。
可愛いと言われたからもあるが、熱っぽい瞳が真っ直ぐに向けられていて、捉えて離さないからだ。
「ほらまた、そういう顔して。誘ってるんですか?」
「ちが……っ」
否定しようとしたが、ぐいと引っ張られて腕の中に抱きしめられたため、途中で消えていく。
密着した体から、高鳴る鼓動が聞こえやしないかと思うほど、心臓の音がうるさい。
「あの雨が降った日、怜音さんに話しかけるきっかけができて嬉しかったんです。
どうにか接点を作っていけないかとか考えたりしてたので。
でも、今日会えたのは本当に偶然で、嬉しくて、柄にもなく舞い上がってしまって。
てか、俺ばっかりべらべら喋ってすみません」
「あ、いや。いいけど……」
この流れはまずいと思いつつ、遮ることも話を逸らすこともできないまま、大人しく腕の中に納まっている自分がおかしい。
「怜音さん」
ば呼れて顔を上げると、間近に辻の真剣な顔があった。
「好きです」
一際跳ねあがった鼓動が、自分の気持ちを代弁しているようで、迫ってきた辻の綺麗な顔を、熱に浮かされたような気分で見つめていた。
――キス、される。
そう思って目を閉じかけた時、元カレの顔が過った。
顔立ちが似ているわけでもないのに、辻の顔に、あいつの顔が重なって……。
気が付けば、手を突き出して辻の口元を塞いでいた。
「怜音さん?」
くぐもった声から戸惑いが感じられ、なんだか顔を見ていられずに俯く。
「……ごめん。お前の気持ちには、応えられない」
「そう、ですか……」
明らかな落胆を滲ませる辻に、申し訳ない気持ちと、それとは別の感情できりきりと胸の奥が疼く。
「……ごめん」
謝罪を繰り返す俺に、辻は努めて明るい声で返す。
「いえ、俺こそすみませんでした。光の言う通りですね、がつがつし過ぎっていうか。やっぱり迷惑でしたよね、いきなり部屋に誘うだなんて」
「いや……それは別に、気にしてない。辻くんは悪くないんだ。俺が……」
言いかけてやめる。
これ以上口にしては、ならない。
中途半端に期待を持たせて、それと同じだけ傷つけることになる。
それならいっそ、ここで完全に関係を切った方が、互いのためによくて。
「怜音さん?」
呼ばれた途端、今日の辻とのやり取りや、その他もろもろ、辻に関する記憶が蘇る。
好きになれそうだという、予感があった。
たぶん今まで付き合った誰よりも。
あの元カレだって、忘れられる可能性があったかもしれない。
けれど、そもそも辻を意識したきっかけというのが、元カレに雰囲気が似ているからで。
こんな風に、時々辻に重ねるようにして、元カレのことを思い出してしまうのは、よくない。
―――黙っていて悪かった。……お前の顔は、元カレそっくりなんだ。
そう。あの時のあいつと同じように。
「もう、帰るわ」
「え」
「邪魔したな。今日は、楽しかった」
「怜音さん」
呼びかけを無視し、じゃあと言って、手を振り、玄関から出ようと取っ手に手をかける。
辻の顔は極力見ないように心掛けていた。そうでもしないと……。
「待ってください」
今まさに扉を開けかけたところで、背後から抱き込まれた。
優しい温もりに、息が詰まる。
「ちょっ……なに」
「俺のこと何とも思ってなくて振るなら、どうしてそんなに泣きそうな顔をしているんですか」
思わぬ指摘に、目を見開くと、その拍子に頬を冷たい雫が伝った。
ぎゅっと強く目をつぶり、それをやり過ごす。
「……っ、俺は、別にそんなんじゃ……」
「教えてください。俺に何が足りないのか。それから、そんな顔をする理由を」
懇願され、心が打ち震える。
「……も、離せ」
最後の悪あがきとばかりに、身を捩って離れようともがいたが、かえって拘束が強くなった。
「嫌です、離しません。ここで離したら、怜音さんはもう俺に会ってくれないでしょう?」
―――見透かされている。
無言が肯定になり、束の間、沈黙が落ちた。
ドアの取っ手からはもう手は離れている。
「そうだよ、もう会わないつもりだ。あのコンビニにも、もう行かない。辻くんも、俺のことは忘れてほしい」
「無理です。俺は忘れません。振られて、こんなに苦しいのは初めてなんです。それだけ、怜音さんのことが――」
「やめろ。俺は、似ているから、気になっただけだ」
「え」
腕の力が緩む。
ダメだ、言うな。
頭の中で声が響くが、もう止められなかった。
「君が、最後に別れた恋人に似ているから、気になってつい、目で追ってただけだ」
「……そう、だったんですか」
「そうだ。だから、君はもう俺のことは忘れて、君自身を見てくれる人を……」
「今日、話している時ずっと、その人と俺を重ねていたんですか」
違う。
キスをされそうになった時だ。
それまでは、ちゃんと辻を見ていた。
「――そうだ」
「俺と話すと、その人のことを思い出して辛いから、振ったんですか」
それもあるけれど、それよりもお前を傷つけたくなかったからだ。
俺のような思いを、してほしくなかった。
「――そうだ」
これ以上、心無いことを口にする前に立ち去らなければと、思うのに、なかなか動き出せないでいると、突然後ろから肩を掴まれ、辻の顔が近づいて。
「……ん」
口腔をまさぐられる、乱暴で濃厚な口づけだった。
頭の中がじんと痺れて、足から力が抜けると、辻に腰を支えられた。
唇を離し、欲情と悲痛な色を滲ませた瞳で、俺を見つめながら辻は囁くように言う。
「それなら、俺がその人の代わりになります」
「だめだ、そんなことをしたら、君が辛いだろう?」
「いいえ、俺はあなたが、誰かと重ねてでも想ってくれればいいんです。それに、俺はずるい人間なんです。あなたが、俺を傷つけているという罪悪感で、ずっと俺を忘れないでいてくれればいいと、そう思っているんです。だから――」
あなただけが、悪いのではありません。
そう言って、辻はもう一度俺にキスをした。
俺はキスをされながら、自分を責めていた。
どうして俺は、辻のようなことをあいつに言ってやれなかったのかと。
あの時、自分だけが傷ついていると思い込んでいて、あいつがどんな気持ちだったかなんて、考えもしなかった。
そしていざ自分が同じような立場に置かれたことで、ようやく気が付いたとしても、今更どうにもならないのにと。
後悔や自責の念もあった。
けれどそれを超えるほど膨らんでいくのは、目の前の男への、抑えがたい恋慕であることを感じて、静かに涙を零した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

敵国の将軍×見捨てられた王子

モカ
BL
敵国の将軍×見捨てられた王子

縁結びオメガと不遇のアルファ

くま
BL
お見合い相手に必ず運命の相手が現れ破談になる柊弥生、いつしか縁結びオメガと揶揄されるようになり、山のようなお見合いを押しつけられる弥生、そんな折、中学の同級生で今は有名会社のエリート、藤宮暁アルファが泣きついてきた。何でも、この度結婚することになったオメガ女性の元婚約者の女になって欲しいと。無神経な事を言ってきた暁を一昨日来やがれと追い返すも、なんと、次のお見合い相手はそのアルファ男性だった。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

処理中です...