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「――じゃあ、俺はこれで。後は矢野さんに任せてもいいですか?」
「うん、ありがとう。助かったよ、日比谷君の親御さんも仕事抜けられないみたいだったし」
会話を聞いているうちに意識がはっきりしてきて、うっすらと目を開けると、見慣れた自室の天井が見えた。
――あれ、俺いつ帰ってきたんだっけ。
額に冷たい物が乗っていて、手をやるとそれが濡らしたタオルだとわかった。横になったまま辺りを見回すと、自室のドアが半開きになっており、そこから会話が漏れ聞こえているのだと判明する。会話は終了したのか、やがて立ち去る足音と、こちらに近づいてくる足音に別れる。
「あ、気が付いた?」
ドアをあけて入ってきたのは、矢野さんだった。スーツの上着を脱いでおり、そのせいで引き締まった体の線が見える。それから視線を引きはがしながら。矢野さんにきく。
「あの、俺は一体……」
「店の入り口付近で倒れたのは覚えてる?」
「はい、なんとなくですけど」
「倒れた場所がそこだったから、従業員の一人が気づいて駆けつけてくれて、自分が送りますって申し出てくれたんだけどさ。彼女もバイト中なわけだし、俺が日比谷君の面倒を見たいからって言ったら、申し訳なさそうにだけど了承してくれた。地図渡されたけど、走り書きでわかりにくかったから、まだ仕事中の怜音に迷惑を承知で電話して、その経由で辻君に連絡してもらって、たった今帰ってもらったところだよ」
「そう、だったんですか。すみません、ご迷惑おかけしました」
状況が把握できると、いたたまれなくなり、目を伏せつつ謝る。矢野さんは勉強机の椅子を引き、それに腰かけながら俺の方を見る。その目が、驚くほどやさしいせいで、どきりとする。
「迷惑ではないけど、心配した。いきなり目の前で倒れられたから、一瞬ぱにくったよ」
「すみません……俺、矢野さんに恥ずかしいところばかり見られてますね」
「……そういえば、そうだね。俺は君のこと助けられて嬉しいけど」
「――はは、矢野さんはほんと、口がうまい」
一瞬、心臓が跳ねたのを、笑いで誤魔化す。
「え?思ったことをそのまま言っただけだよ。誰にでも言うわけじゃないって」
「またまたあ」
普通に会話をしていて忘れかけていたが、そういえば矢野さんとは気まずい状態だったことを思い出す。昨日の話を持ち出される前に、帰ってもらった方がいいかもしれないと思うが、世話になった手前、さすがに自分から言うのは失礼な気がして、押し黙る。
「………」
「………」
しばらく気まずい沈黙が落ちた後、矢野さんが口を開いた。
「――あのさ、昨日のことだけど……」
いきなり核心に触れてこられて、ぎくりと体をこわばらせる。何か言われる前に逃げ出したくなるが、それも叶わない。多少は良くなったようだが、熱のせいで思考が鈍っているところがあるのか、なんと返すべきか分からなかった。せめて表情を悟られないように壁側に寝返りを打って逃げると、背中の方から矢野さんの声が聞こえてくる。
「あれから、色々考えてみて、俺が何か誤解を招くようなことをして、日比谷君を傷つけたのかなって思ったんだけどさ。怜音の名前が出てきたから、もしかしてとは思ったんだけど……」
「――誤解じゃないでしょう?矢野さんが、怜音さんのこと好きなのは、俺最初から分かってましたよ」
「最初から?てか、やっぱりそうか」
――ん?「やっぱり」?
「いやさ、俺も最近まではそう思い込んでたんだけどさ、あれ、恋とかそういうのじゃないわ」
「え?」
「本人がいないところで言うのもあれだけど、あいつ一時期、失恋して相当落ち込んでた時期あってさ。かなり危ない状態だったから、心配して甲斐甲斐しく世話焼いてるうちに、なんか俺の中で親心みたいなのが産まれてしまって」
「へ?親心って、え?」
思ってもみなかった単語が飛び出してきたことに驚き、ただ戸惑うばかりで馬鹿の一つ覚えのように「え」や「へ」ばかりしか出てこない。
「それで保護者的感覚で見守っているうちに、自分でも恋だと錯覚してしまうようになってさ。辻君と付き合うようになったのを知った時、嫉妬みたいな気持ちがあったけど、あれ、今思えば親が溺愛する子供を嫁……じゃないや、婿に出すような感覚だったわ。なんか最近、久々に会った弟にあいつ似てるとこあるし」
「は?」
――待て。と、いうことは。いつも俺が見ていた、怜音さんを見る時の「慈しみに満ちた優しい眼差し」って。矢野さんの言葉を借りるなら、まさかの、「親が子供を見守る目」かよ!?
壁を見つめたまま絶句していると、まだまだ彼の話は続いた。
「そういえば昔、俺たち兄弟って、小さい頃はすごく仲がよくて微笑ましい兄弟って見られてて。でも成長するに従って、俺が弟を溺愛するあまりに、一部の女子が『近親相姦』だの、『禁断の兄弟愛』だの言いだしたから、弟はそれが嫌になって、早々と家を出て行ったんだよね。最近まで、すっかり忘れてたけど」
「……………」
「あ、ごめん。病人相手に喋り過ぎた。でもこれで、誤解は解けたかな?」
「………まあ、えっと、はい」
正直、矢野さんは軽々しく思わせぶりなことを言うせいか、もっと広く浅い人付き合いをしていると思っていた。しかしそれが表面的なもので、実際は少々、いやかなりヘビーな愛情を持っている人だったとは。人は見かけによらない。
「意外ですね。矢野さんて、どんどん俺の中で印象が変わります」
「わー、なんか今の話した後だと、どんな印象になったのか聞くのが怖いわー」
「はは、まあ、軽いよりはいいんじゃないですか?俺はそんな矢野さんの方が……」
「ん?そんな俺の方が、なに?」
「いや、なんでもないです」
「なにそれ、気になるんだけど。てかこっち向いてよ」
「嫌です」
「なんで」
「なんででもです」
「……ふうん。ま、いいけど」
予想外な話だったが、矢野さんのことをまた一つ知ることができて、嬉しくなったせいで本音がぽろりと出そうになった。
――そんな矢野さんの方が好きです、だなんて言えるかよ。
溺愛し過ぎたせいで実の弟に嫌がられた話を聞いても、意外だとは思うが、引いたり不快に思うことはなかった。むしろそれほど愛情が深い矢野さんは、きっと愛した人をとても大切にするだろうから、その立場になれる人が羨ましいと思う。しかし、それを正直に口にすれば、自分の気持ちが今度こそはっきりと伝わってしまうはずだ。
怜音さんのことは誤解だったにしても、自分のことをどう思っているかはまた別の話で、気持ちを伝えた先にある明るい未来というのが想像できない。
「――寝た?」
「………」
狸寝入りでもしようかと目を閉じたら、影が差す。矢野さんが覗きこんできたのかもしれない。
「ぷっ、眉間にしわ寄ってる。寝てないなこりゃ」
「………」
バレていると分かっていても、意地でも寝たふりを貫くことにした。
「肝心なこと言い忘れていたから、ちゃんと顔見て言いたかったんだけどな~。そのまま寝たふりするつもりなら、いたずらしちゃおうかな~」
「………」
なんだか、かなり矢野さんの顔が近い気がする。これ以上寝たふりをしていたらまずい気がして、目を開けると、予想以上に至近距離だった。危うく唇が触れ合いそうなほど。
「うわっ」
驚いて間抜けな声を発してしまったが、それに構ってはいられない。いつの間にかベッドに乗り上げていた矢野さんに囲い込まれており、逃げ場がないことに気づくと、更に混乱した。
「あーらら。もうちょっとだったのに」
「もうちょっとって、え?てか、なんでそんなに近いんですか」
「なんでって、キスしようと思って」
「き、キスって、え?ちょ、なんでまた顔近づけてくるんですか」
「だから、キス。いいじゃん、させてよ」
「いやだから、なんでですか。てか風邪うつりますよ」
「じゃあ風邪うつして。俺も明日休んで日比谷君と一緒にいたいし」
「はあ?だから、そういう誤解を招くようなこと――」
「誤解ってなに?」
――この人、絶対わざとだ。
急に動いて騒いだせいか、頭痛が復活してきた。病人相手に、からかうのはやめてほしい。仕返しの意味も込めて、わざと大げさに頭を押さえてうずくまったが、それがかえって良くなかった。
「――なんで、抱きしめてるんですか」
既視感のようなものを覚え、気を失った時のあれが、やはり矢野さんの腕だったのかと気が付く。
「俺が、そうしたいから。日比谷君が、好きだから」
好きだと言われた途端、かっと顔が熱くなり、早まった鼓動が気づかれないかと、気が気ではなくなる。
「……っ、またそんなこと言って。後で悪ふざけなんて言っても、ダメですからね」
「そんなこと言わないよ。本気だから」
「俺、真に受けちゃいますよ?」
「いいよ、どんどん真に受けちゃって。信じられないなら、この際はっきり言うけどさ、俺、怜音にはキスとかそういうのしたいって思ったことなかったんだよね。日比谷君には、色々したいって思うのにさ」
「い、色々って……」
「もちろんエロいことだよ」
当然と言わんばかりに、あまりにさらっと言ってしまうものだから、咄嗟に何も返せなくなる。
「日比谷君は、俺とそういうのしたいって思わないの?てか、俺のこと好き?」
「………きです」
「え、ごめんもっかい言って。てか、顔赤くない?大丈夫?」
「好きですよ、言わなくてもわかってたんじゃないですか?顔赤いのは、矢野さんのせいです。心臓に悪いので、やめてください」
「………」
返事が返って来ないことを気にして、顔を上げると、赤い顔をした矢野さんと目が合った。なんだか自分も恥ずかしくなってきて、目を逸らす。自分からはどんどんすごいことを言うくせに、言われた途端になぜ急にそういう反応をするのか。
「あの、もう俺寝ますから、離してください」
「……やだ」
「やだって、え?」
布団の上にゆっくりと押し倒されて、真上から見下ろされる。
――この体勢は。色々やばい気が。
「あの、矢野さん、俺一応これでも病に……んっ」
語尾を呼吸ごと奪われ、キスをされたと知る。ドキドキと早まる鼓動がうるさい。風邪のだるさなど、とっくにどこかへ吹き飛んでいたけれど、そう簡単に照れくささは消えてなくならない。
「あの、矢野さ……」
「よし、寝よう」
「へ?」
「添い寝するから、安心して寝ていいよ。大丈夫、寝てる日比谷君には何もしないから」
そう言いながら、矢野さんは俺の上からどくと、隣へ移動し、俺の方を向いて横たわる。顔を見ているのが恥ずかしくて、背中を向けると、後ろから抱き込まれた。緊張しつつも、その腕を心地よく感じていると、矢野さんが思い出したように呟く。
「あ。ごめん、一つ訂正。キスはするかもしれない」
「……っい、いいですよ。好きにしてください」
「あれ、いいんだ?」
「お、おやすみなさい!」
「おやすみ」
最初は眠れそうにないと思っていたが、不思議な安心感もあり、次第に深い眠りへと誘い込まれていった。
「うん、ありがとう。助かったよ、日比谷君の親御さんも仕事抜けられないみたいだったし」
会話を聞いているうちに意識がはっきりしてきて、うっすらと目を開けると、見慣れた自室の天井が見えた。
――あれ、俺いつ帰ってきたんだっけ。
額に冷たい物が乗っていて、手をやるとそれが濡らしたタオルだとわかった。横になったまま辺りを見回すと、自室のドアが半開きになっており、そこから会話が漏れ聞こえているのだと判明する。会話は終了したのか、やがて立ち去る足音と、こちらに近づいてくる足音に別れる。
「あ、気が付いた?」
ドアをあけて入ってきたのは、矢野さんだった。スーツの上着を脱いでおり、そのせいで引き締まった体の線が見える。それから視線を引きはがしながら。矢野さんにきく。
「あの、俺は一体……」
「店の入り口付近で倒れたのは覚えてる?」
「はい、なんとなくですけど」
「倒れた場所がそこだったから、従業員の一人が気づいて駆けつけてくれて、自分が送りますって申し出てくれたんだけどさ。彼女もバイト中なわけだし、俺が日比谷君の面倒を見たいからって言ったら、申し訳なさそうにだけど了承してくれた。地図渡されたけど、走り書きでわかりにくかったから、まだ仕事中の怜音に迷惑を承知で電話して、その経由で辻君に連絡してもらって、たった今帰ってもらったところだよ」
「そう、だったんですか。すみません、ご迷惑おかけしました」
状況が把握できると、いたたまれなくなり、目を伏せつつ謝る。矢野さんは勉強机の椅子を引き、それに腰かけながら俺の方を見る。その目が、驚くほどやさしいせいで、どきりとする。
「迷惑ではないけど、心配した。いきなり目の前で倒れられたから、一瞬ぱにくったよ」
「すみません……俺、矢野さんに恥ずかしいところばかり見られてますね」
「……そういえば、そうだね。俺は君のこと助けられて嬉しいけど」
「――はは、矢野さんはほんと、口がうまい」
一瞬、心臓が跳ねたのを、笑いで誤魔化す。
「え?思ったことをそのまま言っただけだよ。誰にでも言うわけじゃないって」
「またまたあ」
普通に会話をしていて忘れかけていたが、そういえば矢野さんとは気まずい状態だったことを思い出す。昨日の話を持ち出される前に、帰ってもらった方がいいかもしれないと思うが、世話になった手前、さすがに自分から言うのは失礼な気がして、押し黙る。
「………」
「………」
しばらく気まずい沈黙が落ちた後、矢野さんが口を開いた。
「――あのさ、昨日のことだけど……」
いきなり核心に触れてこられて、ぎくりと体をこわばらせる。何か言われる前に逃げ出したくなるが、それも叶わない。多少は良くなったようだが、熱のせいで思考が鈍っているところがあるのか、なんと返すべきか分からなかった。せめて表情を悟られないように壁側に寝返りを打って逃げると、背中の方から矢野さんの声が聞こえてくる。
「あれから、色々考えてみて、俺が何か誤解を招くようなことをして、日比谷君を傷つけたのかなって思ったんだけどさ。怜音の名前が出てきたから、もしかしてとは思ったんだけど……」
「――誤解じゃないでしょう?矢野さんが、怜音さんのこと好きなのは、俺最初から分かってましたよ」
「最初から?てか、やっぱりそうか」
――ん?「やっぱり」?
「いやさ、俺も最近まではそう思い込んでたんだけどさ、あれ、恋とかそういうのじゃないわ」
「え?」
「本人がいないところで言うのもあれだけど、あいつ一時期、失恋して相当落ち込んでた時期あってさ。かなり危ない状態だったから、心配して甲斐甲斐しく世話焼いてるうちに、なんか俺の中で親心みたいなのが産まれてしまって」
「へ?親心って、え?」
思ってもみなかった単語が飛び出してきたことに驚き、ただ戸惑うばかりで馬鹿の一つ覚えのように「え」や「へ」ばかりしか出てこない。
「それで保護者的感覚で見守っているうちに、自分でも恋だと錯覚してしまうようになってさ。辻君と付き合うようになったのを知った時、嫉妬みたいな気持ちがあったけど、あれ、今思えば親が溺愛する子供を嫁……じゃないや、婿に出すような感覚だったわ。なんか最近、久々に会った弟にあいつ似てるとこあるし」
「は?」
――待て。と、いうことは。いつも俺が見ていた、怜音さんを見る時の「慈しみに満ちた優しい眼差し」って。矢野さんの言葉を借りるなら、まさかの、「親が子供を見守る目」かよ!?
壁を見つめたまま絶句していると、まだまだ彼の話は続いた。
「そういえば昔、俺たち兄弟って、小さい頃はすごく仲がよくて微笑ましい兄弟って見られてて。でも成長するに従って、俺が弟を溺愛するあまりに、一部の女子が『近親相姦』だの、『禁断の兄弟愛』だの言いだしたから、弟はそれが嫌になって、早々と家を出て行ったんだよね。最近まで、すっかり忘れてたけど」
「……………」
「あ、ごめん。病人相手に喋り過ぎた。でもこれで、誤解は解けたかな?」
「………まあ、えっと、はい」
正直、矢野さんは軽々しく思わせぶりなことを言うせいか、もっと広く浅い人付き合いをしていると思っていた。しかしそれが表面的なもので、実際は少々、いやかなりヘビーな愛情を持っている人だったとは。人は見かけによらない。
「意外ですね。矢野さんて、どんどん俺の中で印象が変わります」
「わー、なんか今の話した後だと、どんな印象になったのか聞くのが怖いわー」
「はは、まあ、軽いよりはいいんじゃないですか?俺はそんな矢野さんの方が……」
「ん?そんな俺の方が、なに?」
「いや、なんでもないです」
「なにそれ、気になるんだけど。てかこっち向いてよ」
「嫌です」
「なんで」
「なんででもです」
「……ふうん。ま、いいけど」
予想外な話だったが、矢野さんのことをまた一つ知ることができて、嬉しくなったせいで本音がぽろりと出そうになった。
――そんな矢野さんの方が好きです、だなんて言えるかよ。
溺愛し過ぎたせいで実の弟に嫌がられた話を聞いても、意外だとは思うが、引いたり不快に思うことはなかった。むしろそれほど愛情が深い矢野さんは、きっと愛した人をとても大切にするだろうから、その立場になれる人が羨ましいと思う。しかし、それを正直に口にすれば、自分の気持ちが今度こそはっきりと伝わってしまうはずだ。
怜音さんのことは誤解だったにしても、自分のことをどう思っているかはまた別の話で、気持ちを伝えた先にある明るい未来というのが想像できない。
「――寝た?」
「………」
狸寝入りでもしようかと目を閉じたら、影が差す。矢野さんが覗きこんできたのかもしれない。
「ぷっ、眉間にしわ寄ってる。寝てないなこりゃ」
「………」
バレていると分かっていても、意地でも寝たふりを貫くことにした。
「肝心なこと言い忘れていたから、ちゃんと顔見て言いたかったんだけどな~。そのまま寝たふりするつもりなら、いたずらしちゃおうかな~」
「………」
なんだか、かなり矢野さんの顔が近い気がする。これ以上寝たふりをしていたらまずい気がして、目を開けると、予想以上に至近距離だった。危うく唇が触れ合いそうなほど。
「うわっ」
驚いて間抜けな声を発してしまったが、それに構ってはいられない。いつの間にかベッドに乗り上げていた矢野さんに囲い込まれており、逃げ場がないことに気づくと、更に混乱した。
「あーらら。もうちょっとだったのに」
「もうちょっとって、え?てか、なんでそんなに近いんですか」
「なんでって、キスしようと思って」
「き、キスって、え?ちょ、なんでまた顔近づけてくるんですか」
「だから、キス。いいじゃん、させてよ」
「いやだから、なんでですか。てか風邪うつりますよ」
「じゃあ風邪うつして。俺も明日休んで日比谷君と一緒にいたいし」
「はあ?だから、そういう誤解を招くようなこと――」
「誤解ってなに?」
――この人、絶対わざとだ。
急に動いて騒いだせいか、頭痛が復活してきた。病人相手に、からかうのはやめてほしい。仕返しの意味も込めて、わざと大げさに頭を押さえてうずくまったが、それがかえって良くなかった。
「――なんで、抱きしめてるんですか」
既視感のようなものを覚え、気を失った時のあれが、やはり矢野さんの腕だったのかと気が付く。
「俺が、そうしたいから。日比谷君が、好きだから」
好きだと言われた途端、かっと顔が熱くなり、早まった鼓動が気づかれないかと、気が気ではなくなる。
「……っ、またそんなこと言って。後で悪ふざけなんて言っても、ダメですからね」
「そんなこと言わないよ。本気だから」
「俺、真に受けちゃいますよ?」
「いいよ、どんどん真に受けちゃって。信じられないなら、この際はっきり言うけどさ、俺、怜音にはキスとかそういうのしたいって思ったことなかったんだよね。日比谷君には、色々したいって思うのにさ」
「い、色々って……」
「もちろんエロいことだよ」
当然と言わんばかりに、あまりにさらっと言ってしまうものだから、咄嗟に何も返せなくなる。
「日比谷君は、俺とそういうのしたいって思わないの?てか、俺のこと好き?」
「………きです」
「え、ごめんもっかい言って。てか、顔赤くない?大丈夫?」
「好きですよ、言わなくてもわかってたんじゃないですか?顔赤いのは、矢野さんのせいです。心臓に悪いので、やめてください」
「………」
返事が返って来ないことを気にして、顔を上げると、赤い顔をした矢野さんと目が合った。なんだか自分も恥ずかしくなってきて、目を逸らす。自分からはどんどんすごいことを言うくせに、言われた途端になぜ急にそういう反応をするのか。
「あの、もう俺寝ますから、離してください」
「……やだ」
「やだって、え?」
布団の上にゆっくりと押し倒されて、真上から見下ろされる。
――この体勢は。色々やばい気が。
「あの、矢野さん、俺一応これでも病に……んっ」
語尾を呼吸ごと奪われ、キスをされたと知る。ドキドキと早まる鼓動がうるさい。風邪のだるさなど、とっくにどこかへ吹き飛んでいたけれど、そう簡単に照れくささは消えてなくならない。
「あの、矢野さ……」
「よし、寝よう」
「へ?」
「添い寝するから、安心して寝ていいよ。大丈夫、寝てる日比谷君には何もしないから」
そう言いながら、矢野さんは俺の上からどくと、隣へ移動し、俺の方を向いて横たわる。顔を見ているのが恥ずかしくて、背中を向けると、後ろから抱き込まれた。緊張しつつも、その腕を心地よく感じていると、矢野さんが思い出したように呟く。
「あ。ごめん、一つ訂正。キスはするかもしれない」
「……っい、いいですよ。好きにしてください」
「あれ、いいんだ?」
「お、おやすみなさい!」
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