彼女が愛した彼は

朝飛

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 楓子が指定した店は、Homeという名の通り、店ではなく家のような造りだった。さらに地図を添付されてもすぐには分からない場所にあったため、辿り着くまで何度もメッセージのやり取りをした。
 何故こんな店を指定したのかはあえて聞くまでもない。よほど他人に聞かれたくない話なのだ。当然、どんな話を聞かされるのか興味があるのだが、同時にここでなら自分も打ち明けられると感じた。
 幼い頃に読んだ絵本に出てきそうな、どこか懐かしい感じのある木製の扉を押すと、途端にオルゴールの音色が包み込んだ。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
 人がよさそうな老婦人が奥から現れ、柔和な笑みを浮かべながら尋ねてくる。
「い、いいえ。人と約束をしていまして……」
 これが普通の店の対応なのだが、喫茶moonに慣れていたせいか、妙な心地がした。
「あちらの女性の方かしら」
 老婦人の示す方向を見やると、窓際の席に髪の短い女が座っていた。黒髪で、ショートボブの……。
 一瞬息を飲んだが、数回瞬きをして目を凝らすと、ショートボブではあるが、赤毛の女だった。
「いいえ、違うみたいです。禁煙席とか分かれていますか?」
苦笑しながら聞くと、出入り口から遠い奥の席を案内された。後で来る楓子が見つけにくいかもしれないが、外から見えるよりずっといいだろう。
 勧められた席に腰掛け、ホットコーヒーを注文して待つことにする。スマートフォンを確認すると、時刻は午前11時を回っていた。楓子からのメッセージは、もうすぐ着くという内容で止まっている。
 冷水を一口含んで飲み込むと、一瞬鉄の味がした。知らぬ間に口内を切っていたらしい。ざり、と舌で撫でると、ぴりっとした痛みが生じて顔を顰(しか)める。もう一度水を含もうとしたところで、スマートフォンが震えた。
 メッセージの発信者を見て肝が冷える。
「もう少しかかりそうだから、お昼ご飯はどこかで食べておいて」
「分かった。気を付けて」
 急いで返信を打った後、気を付けては自分にかけた言葉のようだと思ったが、すでに送信した後だった。朱海もそこまで勘繰ったりはしないはずだ。
 アプリを閉じて一息ついた時、今度は背後から声がした。
「すみません、お待たせしました」
 ラフな格好だと予測して振り返った真也は、持っていたスマートフォンを取り落そうとした。
 茶色く染まった髪は後ろできれいにまとめ上げられ、メイクも仕事中とはまるで違う仕上がりで、もはや別人だった。その上、青いワンピ―スが異様に似合っていて、不躾にも視線を何往復もしてしまう。
「あの、どこか変ですか?」
 居心地が悪そうにされて、そこでようやく視線を外した。
「い、いや。ただ、いつもと違うから驚いて」
「高藤さんとお会いするので、ちょっと張り切りました」
「え……」
 楓子の目を見ると、冗談か本気か読み取りづらい色をしていて、どう取るべきか反応に困った。
 それを感じ取ったのか、楓子はふっと笑みを浮かべた。
「冗談ですよ。私、休日と仕事中はメリハリのようなものをつけるようにしているので、いつも驚かれるんです」
「そうなんですね。意外だなあ」
 笑いながら、内心これは嘘だなと思ったが、口にすることなく水と共に飲み下した。
「お待たせいたしました。ホットコーヒーです」
 楓子が席に着いたタイミングで店員が現れ、コーヒーを真也の前に置く。追加注文について聞かれたので、日替わりランチを頼むと、楓子はいつものと答えていた。
 常連客なのかと尋ねようとしたが、楓子の視線がどこか一点に向けられているのを見て、口を閉ざす。その先に何があるのかと追いかけてみると、十字架に吊るされたキリストを描いたステンドグラスだった。
 ここはキリスト教信者の店なのかと問いかけるつもりが、全く別の言葉を口走っていた。
「木野さんは、青い鳥の話は知っていますか」
「ええ。なんとなくですけれど。青い鳥を探し回ったけど、結局近くにいたという話ですよね」
「そうです。その話です」
「それが何か?」
「いえ、妻がアプリのアイコンを時々、青い鳥にするものですから……」
 ただし、童話の青い鳥とは全く意味合いが異なる使い方をしていると、内心でそっと呟いた途端、スマートフォンが鳴った。
 朱海だ。
 タイミングを見計らったように鳴る受信音は、立て続けに繰り返されると思われたが、一回鳴いた切りで黙り込んだ。
 驚いた?あなたが悪いのよ。
 朱海が耳元で囁き、笑う。頬に息遣いさえ感じ、背筋を伝うのは汗か、朱海の指か。
「高藤さんから話されますか?」
「……」
「高藤さん?」
「あ、ああ、すみません。ぼうっとしていました」
「大丈夫ですか」
「はい」
 気持ちを鎮めるためにコーヒーを一口飲む。熱さが喉を通り抜けると、幾分気持ちが落ち着いた。
「ちょっと失礼」
 楓子に断り、メッセージを見る。
「どこで食べてる?食事が終わったら連絡ちょうだい。今日はちょっと疲れたから、何か適当に買って帰るね」
 朱海のアイコンは白いままだ。メッセージからおかしな様子は読み取れない。
 素早く返信を打って、スマートフォンを仕舞おうとした。
「奥さんからですか?」
 顔を上げると、楓子は静かな湖面を連想する瞳でじっと真也を見ていた。
「ええ、まあ……」
「奥さんとはあまり仲がよくないんですか?」
「……そう、見えますか」
「前に偶然見かけた時、そんな風に感じました。でもどこか、高藤さんが怯えているようにも見えて」
「……」
 黙り込んだことが肯定に取られるとは思ったが、何をどう言えばいいか分からなかった。ただの同僚にそこまで話す必要はあるのか。
 ただの、同僚に。
 楓子と互いに黙ったまま視線を交わしていると、店員が料理を運んできて一旦会話が途絶えた。
 店員が立ち去ると、中途半端に会話を中断したまま、食事を開始する。しばらくオルゴールの音色と食器の音が満たした時、いつの間にか他の客がいなくなっていることに気が付いた。
 ある程度食事が進んだところで、楓子はバックから一枚の紙を取り出し、真也に見えるように置いた。
 それは一人の男が写っている写真だった。薄い茶髪はパーマでもかけているのか軽いウェーブがかかっていて、子どものような笑顔とそれなりに整った顔立ちが、いかにも女が放っておかないようなタイプの男だ。
「この男は?」
 写真を返しながら問うと、楓子は写真の男を眺めながら言う。
「今日、ここに来ていただいたのは、この男の話をするためなんです。……いえ、この話をするためというより、この話を聞いた後、本題をお話しするので、どうするかは高藤さんにお任せします」
 続きを促そうと口を開いたところで、スマートフォンが再びメッセージの受信を伝える。確かめるまでもなく、朱海からのメッセージだろう。今度は繰り返し鳴る受信音。この音を恐れる気持ちを今だけはどこかに置き忘れてきた。
 スマートフォンをサイレントにして、楓子の目を見つめる。
「こんな話、あまり人には言わなかったんですけどね」
 苦笑を浮かべながら、楓子はゆったりと話し始めた。
「私がこの男、鈴原冬時と知り合ったのは、新卒の時だったので、もう6年も前のことです。当時は県内でもそれなりに有名なソフトウェア会社に勤めていて、あとは結婚相手さえ見つかれば将来は安泰ね、なんて親類によく言われていました」

「遮って申し訳ないけど、何という会社に?」

 楓子が答えた社名は真也もよく知るものだったため、思わず声を上げると、昔のことなんですけどねと苦笑が返ってきた。

「すみません、続けて下さい」

 頭の片隅に楓子の年齢と経歴をメモしながら促すと、楓子は飲み物を口に含んで音を立てて飲む。イチゴソーダだったようだが、赤い液体が炭酸の泡とともに楓子の口の中に消えるのを、知らぬ間に食い入るように見てしまったらしい。

「どうされました?何かついていますか」

「あ、いいえ」

 きょとんとした顔をしている。わざとやっているわけではないようだ。

「私も親類にそう言われたからというのもあって、少し同じ会社の職員と職場恋愛をなんて夢見ていました。その相手として想像していたのが、当時、社内で人気だった鈴原です。彼は際立って仕事ができるわけではありませんでしたが、この見た目に反して、女性慣れしていなそうなところが良いという人が多く、私もその一人でした。でもあくまでも想像するだけで、近付けるとは少しも思っていなかった」

 いっそそのまま遠くから見ていれば、あんなことにはならなかったのにと続けた楓子は、水が入ったコップを持ち上げたが、飲まずに置いた。

「ゆっくりでいいですよ」

 俯いた楓子が涙を堪えているように見えたので、囁くように言うと、彼女は首を振って真也を、真也の後ろのステンドグラスを見た。

「残暑が厳しい9月のことでした。部長の田崎という男が、自分が暑いからと冷房をかなり下げ、部署内は冷蔵庫並みに冷えていて、みんな困っていました。なので、私が思い切って田崎に進言したのですが、聞き入れてもらえず、逆上した田崎にくびを言い渡されそうになった時に助けてくれたのが、鈴原でした。もともと彼のことは気になっていましたが、その出来事をきっかけにゆっくり親しくなって、バレンタインの時にようやく想いを伝えることに成功して」

 付き合うことになりましたという台詞を、深い溜息とともに吐き出す。

 ありきたりな展開だが、窮地に現れて助けてくれた鈴原は、楓子にとってとても眩しく映ったのだろう。それが気になる相手であれば、なおさら。

 それをこんなに暗い顔で言うのは、鈴原に何か。

「それから半年は、鈴原と普通に付き合いました。とても、幸せで。でも、それも偽りの幸せでした。鈴原は既婚者だったんです」

 その一言が目の前で弾け、テーブルの上に転がった。

 楓子はステンドグラスが反射して色とりどりの光が差しているテーブルを見つめ、唇を噛み、そっと息を溢す。

「でも私が許せなかったのは、そんなことではありません。きっとただの浮気だったなら、奪い取るか別れるかしたでしょう。彼は、いえ、彼らは、それさえさせてくれなかった」
「それは、どういう……」
「美人局って知っていますか」
「ええ。夫婦で共謀して相手を騙し、慰謝料を請求するという、あの?」
「はい。実際、ただお金を巻き上げるだけなら、夫婦である必要はないかもしれませんが。まんまと引っかかって巻き上げられた私は、会社でもあっという間に噂が広がり、居場所がなくなって退職しました」
「どうやって彼らが詐欺を行ったと分かったんですか」
「証拠があるわけではありませんが、お金を巻き上げられた瞬間の、あの男の目を見て確信しました。私をまるで、物か何かのように冷めた目で見るんです。あの目は、忘れようとしても忘れられません」
 楓子の後ろに、ふっと冷めた目でこちらを見る朱海の姿が浮かぶ。状況はまるで違うが、愛した相手にそんな目で見られる痛みは分かる。
 ただ、真也の場合はその痛みも甘受しなければいけない。
 物思いに沈みかけた時、楓子が真也の目を真っ直ぐに見て言った。
「このお話をしたのは、高藤さんなら私と手を組んでくれるかもしれないと思ったからです。彼らに復讐するために」
 恐ろしい誘いをかけられているのに、彼女の言葉はとても魅力的に感じてしまった。ここで彼女に告白されるよりも、ずっと。
「復讐……」
「はい。何もお金を取り返したいわけではなく……」
 気が付けば、説明をしようとする楓子の言葉を遮って、真也は口を開いていた。
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