彼女が愛した彼は

朝飛

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「もう、許してくれ!俺が悪かった!朱海の好きにしていい。隆平が好きなら、忘れられないなら、それで。だから!」

 長い回顧から覚める時、朱海の声に抗ってあらん限りに叫ぶ。すると真也の声に被さるように、波の音がした。

 目の前に、どこまでも広がり、何もかも飲み込もうとする深い闇色の水面がある。いつの間にか浜辺に来ていて、ちょうど海に向かって叫んでいたらしい。

 そのままずっと回顧から抜け出せなければ、海の中に沈み込んでいたかもしれない。

 手招きしているようにも見える海に吸い寄せられ、一歩、また一歩と足を踏み出していく。靴先を海水が濡らした時、ふと彼女の姿が浮かんだ。

「高藤さんだから、ですよ」

 楓子の微笑んだ顔が、言葉が、真也を引き留める。

 あの言葉の意味を追求しそこなったのは、とても惜しいことのように思えて。

 そんなことを考える自分が可笑しくて吹き出す。とても久しぶりに心から笑った気がした。

「よし、帰るか」

 一人で気合を入れて、自宅へ向かって歩き始める。

 自宅が近付いたところで、そういえば、と思う。

 今日はずいぶん遅くなったはずだが、朱海からのメッセージはあれから来ていないなと。

 駐車場の辺りでスマートフォンを確かめるが、やはり何の通知も来ていない。メッセージは、自分が気を付けての意味を尋ねたところで止まっている。

 首を傾げながら自宅に辿り着き、鍵を開けた。

「ただいま」

 いつも玄関先まで出迎える朱海の姿がなく、部屋は電気が点いていない。

「朱海?」

 リビングの明かりを点け、見回しても誰もいない。物音一つなく、気配さえ感じられなかった。

 全ての部屋を探してもいないことを知ると、次第に嫌な予感が強くなっていく。

 慌ててスマートフォンを取り出し、朱海に電話をかけたが、無機質な機械のアナウンスが鳴るばかりだ。

「朱海……?」

 自分の声が静まり返った室内に響き渡った時、ようやく理解した。

 朱海がいなくなったのだと。

 
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