表題はご自由に 【症例:愚か者の事件記録】

黒須共生

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生涯、十字架とともに

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 判決が出るまでの生活は特に変わりない。勉強をしたり運動に出たり、履歴書の作成や求人の閲覧といった社会復帰のための準備を行っていた。暇にしていたというわけではないが相変わらず生産性のない生活だ。今の私にはこの生産性のなさが必要なことなのかもしれないが、やはり金を稼いでいないという状況は苦痛以外の何物でもない。働きたくても働けないというのは厄介な問題だ。だが働くにしても刑務作業だけは勘弁願いたいものだ。
 私は判決が出るまでの10日間、刑務所に持っていく物を密かに用意していた。仮に刑務所へ行くことになっても困らないようにと考えてのことだ。荷物には資格試験の参考書も入れている。刑期中ボケっとしているわけにはいかない。前科者という社会復帰するには強烈なディスアドバンテージを背負うことになるので些細な資格でも構わないのでプラス材料を積み重ねておきたいのである。消えぬタトゥーへの些細な抵抗だ。
 服役することになれば刑務所に行くわけだが、すぐに刑務所に入れられるわけではない。全国の数ある刑務所の中から各受刑者に適した施設を決めるための調査が行われる。それを処遇調査という。受刑者の収監先は非公開となっているため親族でさえ本人から手紙をもらわない限り服役先がわからない仕組みとなっている。下調べをした限り刑務所に持参できるものは場所により細かい違いこそあれど概ね無地の衣類に日用品、筆記用具、書籍、現金といった物である。刑務作業による給料もあるようだが、低賃金であるため自弁購入はあまりできないようだ。とはいっても服役囚1人当たり年間約300万円もの税金が投入されているようで、これを理由に給料が出ること自体おかしいと感じる人もいるだろう。だが、刑務作業で得た利益は国庫に帰属するため300万円の税金をそのまま食い潰しているというわけではない。刑務作業者からは大体年間20億円ほどの作業収入が出ているそうだ。刑務作業に就業している人は約32000人(法務省のデータ参照)であるため1人当たり年間65625円国庫に入れている計算になる。「これっぽっちかよ。やっぱりほぼ全額恩恵にあずかっているじゃないか。」と思ったそこのあなた、私も同感です。ただ擁護するなら刑務作業の人数は少年院の人たちも含むため過大に評価されている可能性もあるし、そもそも就業していると銘打っているが32000人の中に働けない高齢受刑者もカウントしている可能性もあるし、服役囚1人あたり約300万円という算出も公式発表ではない。この数字は法務省矯正官署の平成22年度の予算額から矯正施設の収容者の数を除して出されたものであるそうだ。この予算には受刑者の生活費用に限らず少年院や少年鑑別所などの施設運営費や人件費等諸々含まれているはずなので受刑者1人で300万円という税金を使っているという計算には無理があるように思われる。偉そうに言っているが私は経済学専門ではないし予算の見方もよくわからない。どなたかプロの方がいらっしゃればその方に分析を丸投げしたい。だが、あまり300万円という数字に踊らされない方がいいだろう。
 10日後、天気は雨。裁判所には車で向かうため直接的な害は少ないが嫌な天気だった。判決は午後の予定であるが地方の裁判所までは長い道のりになるため昼食は道中で済ますことにしていた。この昼食以降は好きなものを食べられないかもしれない。そのような想定ではどんな料理が人気を博するのだろう。やっぱり高級食材を食べたいと思うものなのだろうか。だが私はうどんチェーン店へ行くことにした。今はきつねうどんが食べたいんだ。刑務所では好きな時に好きなことができないのだから、今食べたいものを今食べるんだ。きつねうどんは何というか穏やかな気分にさせてくれる。自分が日本人であるためか和風出汁には気分を落ち着けてくれる作用がある。イノシン酸、グアニル酸、グルタミン酸のなせる業なのかも。塩気が程よいスープに醤油の香りも相まって、実に素晴らしい重音を響かせる。音楽的に表現するとトニックコードといったところだ。安寧の地へと誘ってくれる。麺や油揚げは旋律とリズムを担い薬味はさしずめアーティキュレーションといったところだ。当然私はその観客であるがうどんは視聴者参加型だ。七味唐辛子やおろし生姜、刻み葱などでアクセントを加える。今更だが書いていて恥ずかしくなってきた。とにかくこのような状況に置かれた時、食べたいと思うものが意外と何気なかったりするのだ。
 昼食を摂り終わった後は40分ほど時間が余っていた。絶対に遅刻してはいけないので随分余裕をもって出かけた。さすがに裁判所で30分以上待つのは気が引けたため、保釈された日に立ち寄った喫茶店で時間を潰すことにした。今回はホットのブレンドコーヒーのみ注文し店内でチビチビと飲む。相変わらずいい香りだ。この香りも、味も、色も、喉を通過する感覚もやはり特別なものであった。結局留置場にいた時、ずっと渇望していた食べ物と飲み物を最後にまた所望していた。おそらく私にとって充実を感じるという現象がここに集約されているのではないかと考えている。充実感を得ることイコール幸福の追求であると盲目的に信じてきた私では解りえないことであった。残念なことに幸福を追求して充実感が得られたことなどなかったが、失って初めて自覚した幸福感があったのである。既に満たされている物事に充実感を認識できることのなんと幸せな事か。だがこの種の充実感は幸福を追求している時は往々にして無意識の領域に埋没している。図らずも今回の体験がイドの領域に少しばかり触れる機会を与えてくれたのだ。
 裁判所には予定時刻15分前に入った。判決日は金属探知があるようなので少し早めに裁判所のホールで案内されるのを待っていた。ここに来るのも4回目だ。今回も母親同伴である。本来なら手ぶらで構わないのだが、実刑が出た時に備え荷物も持ってきている。携帯は車に置いてきた。サブスクはちゃんと解消済みである。刑務所へ行くための準備はできる限りしたし覚悟も決めてきた。だが同時に執行猶予判決が出ることもまた信じてやまなかった。
 「今からご案内しますので付いてきてください。」
 裁判所事務員に控室まで案内され身体検査を受ける。私の服装は白ワイシャツにリクルート用のズボンとジャケットでネクタイはしていない。当然金属製の物は身に着けず出頭しているため検査自体は全く問題なく終了する。その後は法廷に入り被告人席まで案内された。今回傍聴席には母以外に恒刑事と見覚えのないスーツの男性が座っており、前回来ていた中年の男女はいなかった。私は見知らぬ人が報道関係者じゃなければいいのだがと切実に思いながらその時を待っていた。少ししてから検察官が入ってきて裁判官以外は出揃う。私は膝に拳を握り目をつぶって待っていた。初公判と同じように外から足音が近づいてきて裁判官が入ってくる。閻魔大王に裁きを受ける前はこのような心情なのだろうか。自分には如何ともし難いことであるとよく理解できているから変に客観的な気分だ。
 裁判官が席に着き開廷の時間となる。開廷後すぐに判決が言い渡された。特に導入のための前置きなどはなかったように記憶している。その時の私は少々魂が離脱していたのかもしれない。
「判決、被告人を懲役2年に処する。ただし裁判が確定した日から3年間、この執行を猶予します。なおこの裁判にかかった費用は被告人が負担するものとする。以上で裁判を終了します。」
 

 「執行猶予になりましたね。これからも大変だと思いますが前を向いて頑張ってください。裁判所の方からお話があると思いますのでこれで失礼します。お世話になりました。」
 法廷から出ると恒さんから声がかかった。この人にも随分とお世話になった。取り調べの際に何度も打ちひしがれそうになったが、刑事は真摯に対応してくださった。調書の作成の時も私が不利になりすぎないように便宜を図ってくれたように感じている。この感謝は伝わっていないかもしれないが、あなたが担当刑事で本当に良かった。
 「初めまして。私、裁判所の徴収担当の者です。今日の判決で裁判費用の支払いを命じられたと思うのですがその説明をさせてください。」
 傍聴席に座っていた見覚えのない人だった。事前に判決内容を知っていたのかもしれない。1枚の書面が提示された。そこには「訴訟費用執行免除申し立てについて」と書かれており、訴訟費用の負担とこの制度の説明が記載されていた。訴訟費用とは裁判に要した費用のことである。その負担は具体的に国選弁護人の報酬等であり、国が元被告人に代わって立て替えているものを国に納付することが今回判決で下った取り決めである。ただし貧困のため納められない事情がある場合、免除の申し立てをする権利がある。申立期間は裁判が確定した後20日以内ということだ。申立しない場合は振込用紙が郵送されてくるそうだ。国選弁護人であろうが資産のある人はこのような形で自費負担になるということだ。弁護人の選定の説明を受けた際そのことが疑問だったが一つ勉強になった。
 判決後の事務手続きなどは特に無いようで、訴訟負担の説明を受けた後は解散となった。裁判所を後にする前、最後に清木先生とご挨拶をする。
 「執行猶予がついてよかったですね。これから2週間以内、判決に不服がある場合控訴請求できます。まあ執行猶予が付いたとはいえ、求刑通りの懲役を言い渡されたので検察側から控訴されることはないでしょうね。ですのでこちらから控訴しなければ2週間後に判決が確定になると思います。」
 執行猶予という温情をいただけたのだ。私は控訴の意思がないということを先生に伝えた。
 「わかりました。でしたら期日が過ぎれば判決が自動的に確定するので、特に何かすることはありません。あと注意事項として執行猶予は今日からではなく判決確定日から開始されるので注意してください。あと執行猶予が終わっても特に裁判所などから連絡されることはないので自分で日にちを覚えておいてください。裁判は苦しかったと思いますが、本当にお疲れ様でした。また何かあれば気兼ねなくご連絡ください。」
 清木先生も役目を終えたと判断したのか、別れの言葉を告げ事務所へと帰っていった。先生のご尽力もあり執行猶予という寛大な判決をいただけました。一時的ではあったにせよ被害者側と繋がって示談金操作をしていると邪推してしまい申し訳ありませんでした。

 裁判所を出る。逮捕されてから100日以上が経過していた。漸く終わったんだ。もちろん生涯忘れずに償い続ける必要はあるし、これから民事訴訟などもされるかもしれない。だが今までが大きな区切りであったこともまた間違いのないことだ。執行猶予にはなったが罪を許されたわけではない。この段階ではあくまで法的処理が終わったに過ぎないのだ。社会での更生が私に科せられた処罰なので、罰則はむしろ今から始まるのだ。
 まずは心療内科に行ってカウンセリングを受けよう。そこで私のようなものに対してもAAのような更生プログラムがあるのか聞いてみることにしよう。必要ならば薬物治療もするが、元医療者の観点から見て私に薬物療法はおそらく不適切な治療だろう。神経伝達物質の調整だけでは解決するような問題ではない。私には犯罪と向き合って自分を変えていく不断の努力が必要なのだ。私の電気信号が途絶えるその時まで気長にこれを続けていこう。
 後は近々ハローワークへ行こうと思う。雇用保険の申請という目的もあるが、社会復帰が困難な人たちの相談を多く経験しているであろうから自分が社会復帰を果たすうえで良い参考になるかもしれない。元の業界には未練がないというべきかフレッシュな気持ちで働けるような頭をしていないというべきか、あまり気乗りしない状態だ。将来的に性格が変われば元の業界であっても軽度のストレスでやっていけるかもしれないが、これからは素直な気持ちで向き合える仕事に就きたい。もっとも私の場合は仕事を選べる立場ではないのだが。まあ仕事をもらえるだけありがたいことだ。ブラック求人であっても。私が求める条件はただ一つ、他人様の迷惑にならない仕事という条件だけだ。だってそうだろう。他人様を思いやって生きる。ただそれだけで既に尊いことなのだから。今まで自分を縛り付けてきた権威的な考えから逸脱できればそのような生き方もちゃんと自分の中で認められるはずだ。
 今から人生の再スタートだ。私は十字架と共に生きる。そう強く思い前を向いた。
 ――虹だ……大きい……。
 「きっとこれから頑張れって励ましてくれているのよ。いい、あなたは今日人生を授かったんだからね。忘れないで。」
 外には天からの贈り物。いつの間にか雨は上がっていた。車窓から見える山間に大きな虹がかかっていた。
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