食欲不振の竜王様と、捨てられ聖女の硬い食卓

葉山あおい

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本編

第四話 極北の死線

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 ドラゴニアへと向かうため、サザランド王国の王都を発ってから、二週間が過ぎていた。

 旅路は北へ進むほどに過酷さを増していった。暑苦しいまでの緑で茂っていた車窓の景色は、次第に枯れ木が目立つ荒野へと変わり、やがて視界のすべてを白一色の雪原が覆い尽くした。

 温暖なサザランド王国とは寒さの質が天と地ほど違う。肌を刺すような冷気ではなく、骨の髄まで凍てつかせ、生命活動そのものを停止させようとするような、重く圧倒的な冷気。

 馬車の中ですら吐く息は白く凍り、用意された厚手の毛皮にくるまっても震えが止まらない。

 同行しているヴァレンタイン公爵家の御者や護衛の兵士たちは、国境が近づくにつれて口数を減らし、その表情には明らかな恐怖と後悔の色が浮かんでいた。

「……お嬢様、もうすぐ国境です」

 御者が震える声で告げた。

 リリアナは窓のカーテンを僅かに開け、外を覗き見た。

 吹き荒れる猛吹雪の狭間、国境を流れるルビコン川の遥か先に、天を突くようにそびえる黒い山脈が見える。あれが人間と竜人の領域を分かつ境界線、竜の背骨と呼ばれる山脈だ。

 この先は、人の法も常識も通じない、魔境だ。

(いよいよ、なのね)

 リリアナは、自身の身体の内側にある魔力を静かに循環させた。

 聖女としての力は、治癒や浄化だけでなく、環境への適応にも応用できる。体温を維持し、外部の瘴気や冷気を遮断する薄い魔力の膜を身体の表面に張るのだ。これをしていなければ、貧弱な人間の女性などとっくに凍死していてもおかしくない気温だった。

 無意識のうちに生存本能が働いている自分に、リリアナは苦笑する。死んでもいい、どうなってもいいと思いながら、身体は必死に生きようとしている。

 川に架けられた古びた大橋を渡り、ドラゴニア領に入って暫く、徐々に空気の質が変わってきた。

 重い。大気中に満ちる魔力の濃度が、サザランドとは桁違いだった。呼吸をするたびに、肺の中に濃密なエネルギーが流れ込んでくる感覚。

 それは、ある種の呪いとも言える生々しさを含んでいた。

 実際、御者は顔面蒼白で手綱を握りしめ、馬たちも怯えたようにいなないている。

「ひぃっ……! な、なんだあれは……!」

 御者の悲鳴に近い声が上がり、馬車が急停止した。

 リリアナはよろめきながらも体勢を立て直し、前方を見た。そして、息を呑んだ。

 吹雪が一時的に晴れたその先に、それはあった。切り立った断崖絶壁の上に、岩山そのものを削り出して作ったかのような、巨大な城塞。黒曜石のように黒く、光を一切反射しない威圧的な外壁。塔の先端は鋭く空を突き刺し、まるで巨大な竜が翼を休めてうずくまっているかのようなシルエットを描いている。

 ドラゴニア王国の心臓部、黒竜城。

 美しくも禍々しいその姿は、人間の侵入を拒絶する要塞そのものだった。

「リ、リリアナ様……ここで、ここでご勘弁を! これ以上進んだら、俺たちは生きて帰れません!」

 御者が半泣きで叫んだ。

 本来なら城門まで送り届けるのが役目だが、彼の精神はすでに限界を迎えていた。

 リリアナは小さく溜息をつき、頷いた。

「ええ、構いません。ここまで運んでくれてありがとう」

「す、すみません! 本当にお元気で!」

 リリアナが荷物を下ろすや否や、馬車は逃げるように来た道を全速力で引き返していった。

 雪原にぽつんと一人、残される。周囲は静寂と、遠くで響く風の音だけ。トランクを握りしめる手がかじかむ。

 見上げれば、黒竜城は圧倒的な存在感でリリアナを見下ろしていた。

(あそこが、私が役目を果たす場所。そしておそらく、私の墓標となる場所)

 リリアナは覚悟を決めて、雪を踏みしめた。

『これが最後だと思え』

 父の言葉が、呪いのように背中を押していた。リリアナは一歩、また一歩と、白亜の地獄の中にある黒い城へと歩き出した。
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