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本編
第七話 野獣の晩餐
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翌朝、重い扉を叩く音でリリアナは目を覚ました。
結界を維持したまま眠ったおかげで凍死は免れたが、硬い石のベッドのせいで体中の節々が悲鳴を上げている。
扉を開けると、竜人のメイドが立っていた。彼女はリリアナの顔を見るなり、無愛想に告げた。
「朝食のお時間です」
案内されたのは、リリアナの居室からほど近い場所にある大食堂だった。
高い天井まで届く石柱が並ぶ広大な空間。その中央には、巨木をそのまま切り出したような長く無骨なテーブルが鎮座している。
上座には、すでにイグニスの姿があった。
朝の光の中でも、彼の顔色は優れなかった。眉間には深い皺が刻まれ、その美しい指先がイライラとテーブルを叩いている。周囲の空気は張り詰め、給仕をするメイドたちも怯えたように身を縮めていた。
「……遅い」
「申し訳ございません。勝手がわからず――」
「座れ」
短く命じられ、リリアナは指定された席――彼から十メートルほど離れた下座の椅子に腰を下ろした。
直後、ドン! と重い音がして、リリアナの目の前にそれが置かれた。
「……え?」
リリアナは絶句した。目の前の巨大な銀盆に乗せられていたのは、料理と呼ぶにはあまりにも野性的な物体だった。
巨大な猪、あるいは牛だろうか。頭がついたままの四足獣が、ただ火で炙られただけの姿で転がっていた。皮は黒く焼け焦げているのに、そこから滴り落ちる肉汁は赤く、生々しい獣の臭気が湯気と共に立ち上ってくる。
添えられているのは、泥がついたままの巨大な根菜と、岩のようにゴツゴツとしたパンの塊のみ。ナイフやフォークといったカトラリーは見当たらない。代わりに、無骨な短剣が置かれている。
「好きなだけ喰え」
イグニスはそう言うと、自らの前にあるさらに巨大な肉塊に手を伸ばした。
彼は素手で肉を引きちぎり、口へと運ぶ。その所作には、食事を楽しむ優雅さなど微塵もなく、ただ生命活動を維持するための義務的な摂取作業に見えた。
リリアナは震える手で、手元の短剣を握り、目の前の肉に突き立てた。
硬い。筋肉の塊のような肉質は、ナイフを容易に弾き返す。どうにか端のほうを削ぎ切り、恐る恐る口に運んだ。
「っ……」
強烈な獣臭さが鼻腔を突き抜ける。香辛料や塩による味付けは皆無。口の中に広がるのは、焼け焦げた苦味と、生肉特有の鉄の味だけだ。
飲み込もうとするが、喉が拒絶反応を起こす。サザランドやアステリアの繊細な料理に慣れ親しんだリリアナの胃袋には、この原始的な餌を受け入れる準備ができていなかった。
それでも、食べなければ死ぬ。
リリアナは涙目になりながら、なんとか一口分を流し込んだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、イグニスが手を止めていた。彼はリリアナの皿と、ほとんど減っていない自分の皿を見比べ、鼻を鳴らした。
「……不味そうに喰うな。気が滅入る」
そう吐き捨てると、彼はまだ大半が残っている肉塊を乱暴に押しのけた。
屈強な竜人族、それも王である彼にとって、この程度の量は本来なら前菜にも満たないはずだ。しかし、彼の皿の上には、リリアナ同様に、ほとんど手つかずの肉塊が残ったままだった。
「……実際、不味くはあるがな」
イグニスは低く呟いた。その言葉は、料理の味に対する文句ではなく、もっと根源的な渇きを訴えているように聞こえた。
彼の身体が求めているのは、単なるカロリーやタンパク質ではない。この城の食事には、決定的に何かが欠けているのだ。強大な竜王の魂を満たすための、何か重要な要素が。
「俺は先に行く。お前は好きにしろ」
イグニスは立ち上がり、リリアナを一瞥もせずに食堂を出て行ってしまった。
残されたのは、冷めかけて脂が浮き始めた巨大な肉塊と、空腹を抱えたままのリリアナ。広い食堂に、寒々しい風が吹き抜けた。
リリアナは呆然と、手つかずの料理を見つめる。これを毎日食べなければならないのか。そしてあの王は、毎日こんな餌を前にして、飢えに苦しんでいるのか。
結界を維持したまま眠ったおかげで凍死は免れたが、硬い石のベッドのせいで体中の節々が悲鳴を上げている。
扉を開けると、竜人のメイドが立っていた。彼女はリリアナの顔を見るなり、無愛想に告げた。
「朝食のお時間です」
案内されたのは、リリアナの居室からほど近い場所にある大食堂だった。
高い天井まで届く石柱が並ぶ広大な空間。その中央には、巨木をそのまま切り出したような長く無骨なテーブルが鎮座している。
上座には、すでにイグニスの姿があった。
朝の光の中でも、彼の顔色は優れなかった。眉間には深い皺が刻まれ、その美しい指先がイライラとテーブルを叩いている。周囲の空気は張り詰め、給仕をするメイドたちも怯えたように身を縮めていた。
「……遅い」
「申し訳ございません。勝手がわからず――」
「座れ」
短く命じられ、リリアナは指定された席――彼から十メートルほど離れた下座の椅子に腰を下ろした。
直後、ドン! と重い音がして、リリアナの目の前にそれが置かれた。
「……え?」
リリアナは絶句した。目の前の巨大な銀盆に乗せられていたのは、料理と呼ぶにはあまりにも野性的な物体だった。
巨大な猪、あるいは牛だろうか。頭がついたままの四足獣が、ただ火で炙られただけの姿で転がっていた。皮は黒く焼け焦げているのに、そこから滴り落ちる肉汁は赤く、生々しい獣の臭気が湯気と共に立ち上ってくる。
添えられているのは、泥がついたままの巨大な根菜と、岩のようにゴツゴツとしたパンの塊のみ。ナイフやフォークといったカトラリーは見当たらない。代わりに、無骨な短剣が置かれている。
「好きなだけ喰え」
イグニスはそう言うと、自らの前にあるさらに巨大な肉塊に手を伸ばした。
彼は素手で肉を引きちぎり、口へと運ぶ。その所作には、食事を楽しむ優雅さなど微塵もなく、ただ生命活動を維持するための義務的な摂取作業に見えた。
リリアナは震える手で、手元の短剣を握り、目の前の肉に突き立てた。
硬い。筋肉の塊のような肉質は、ナイフを容易に弾き返す。どうにか端のほうを削ぎ切り、恐る恐る口に運んだ。
「っ……」
強烈な獣臭さが鼻腔を突き抜ける。香辛料や塩による味付けは皆無。口の中に広がるのは、焼け焦げた苦味と、生肉特有の鉄の味だけだ。
飲み込もうとするが、喉が拒絶反応を起こす。サザランドやアステリアの繊細な料理に慣れ親しんだリリアナの胃袋には、この原始的な餌を受け入れる準備ができていなかった。
それでも、食べなければ死ぬ。
リリアナは涙目になりながら、なんとか一口分を流し込んだ。
ふと視線を感じて顔を上げると、イグニスが手を止めていた。彼はリリアナの皿と、ほとんど減っていない自分の皿を見比べ、鼻を鳴らした。
「……不味そうに喰うな。気が滅入る」
そう吐き捨てると、彼はまだ大半が残っている肉塊を乱暴に押しのけた。
屈強な竜人族、それも王である彼にとって、この程度の量は本来なら前菜にも満たないはずだ。しかし、彼の皿の上には、リリアナ同様に、ほとんど手つかずの肉塊が残ったままだった。
「……実際、不味くはあるがな」
イグニスは低く呟いた。その言葉は、料理の味に対する文句ではなく、もっと根源的な渇きを訴えているように聞こえた。
彼の身体が求めているのは、単なるカロリーやタンパク質ではない。この城の食事には、決定的に何かが欠けているのだ。強大な竜王の魂を満たすための、何か重要な要素が。
「俺は先に行く。お前は好きにしろ」
イグニスは立ち上がり、リリアナを一瞥もせずに食堂を出て行ってしまった。
残されたのは、冷めかけて脂が浮き始めた巨大な肉塊と、空腹を抱えたままのリリアナ。広い食堂に、寒々しい風が吹き抜けた。
リリアナは呆然と、手つかずの料理を見つめる。これを毎日食べなければならないのか。そしてあの王は、毎日こんな餌を前にして、飢えに苦しんでいるのか。
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