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本編
第十話 本能を刺激する香り
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「……何をしている、と聞いている」
氷のように冷たく、かつ威圧的な声が再び厨房に響いた。
リリアナは強張った首をギギギと動かし、音の主を見上げた。
そこにいたのは、間違いなく竜王イグニスだった。昼間の正装とは異なり、寝間着の上にラフなガウンを羽織っただけの姿。乱れた襟元からは逞しい鎖骨が覗いているが、その肌はやはり病的に白く、金色の瞳は飢えた獣のようにぎらついていた。
「も、申し訳ございません……! その、空腹に耐えかねて、勝手に厨房をお借りしてしまいました」
リリアナは慌てて頭を下げた。
城の食料――つまりはドラゴニア王国の財産を盗んだ罪で、その場で首を跳ねられても文句は言えない。
心臓が早鐘を打つ。
しかし、イグニスはリリアナを咎めるでもなく、かといって許すでもなく、ただ無言でリリアナに――いや、リリアナの手元にある皿に近づいてきた。
コツ、コツ、と足音が近づくたびに、彼から発せられる魔力のプレッシャーが増していく。
「……どけ」
リリアナのすぐ目の前まで来ると、彼は短く命じた。
リリアナが慌てて横に退くと、彼は調理台に手をつき、皿の上に鎮座する『アダマント・ステーキ』を覗き込んだ。
「……なんだ、これは」
彼の顔が歪んだ。
無理もない。客観的に見れば、それは料理というよりは、黒く焼け焦げた石塊にしか見えないだろう。
リリアナは羞恥心で顔が熱くなるのを感じた。
「あ、あの……それは、お肉です。こちらの食材があまりに硬かったので、魔術で柔らかくしようと思ったのですが……」
言い訳をしながら、リリアナは視線を落とした。見た目は悪い。味も保証できない。ただの栄養補給のための固形物。「ゴム」という言葉が、呪いのように頭の中でリフレインする。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。すぐに処分を――」
リリアナが皿を下げようと手を伸ばした、その時だった。
ガシッ。
リリアナの手首が、イグニスの大きな手に掴まれた。驚いて顔を上げると、至近距離にある彼の瞳が、見たこともないほど大きく見開かれていた。
その瞳孔は縦に細く収縮し、完全な捕食者の目になっていた。
「……処分だと?」
低い唸り声と共に、彼はリリアナの手首から手を離し、乱暴に皿を奪い取った。
そして、鼻を近づけてスンスンと匂いを嗅ぐ。焦げた匂いではない。彼が嗅ぎ取っているのは、その奥にある凝縮された魔力と、肉の旨味が混ざり合った芳醇な香りだ。
「この匂い……城の端にいても鼻を突くほどの、濃密な魔力……」
イグニスの喉が、ゴクリと鳴った。
昼間の不機嫌で気だるげな様子とは明らかに違う。彼の視線は黒いステーキに釘付けになり、まるで何日も水を飲んでいない遭難者がオアシスを見つけたかのような渇望を露わにしていた。
「お前、これに何を混ぜた? ただ焼いただけではないな?」
「は、はい……。わたくしの魔力を叩き込みました。そうでもしないと、火が通らなかったので……」
「魔力を……叩き込んだ、だと?」
彼は信じられないものを見るような目でリリアナを一瞥し、そして再び手の中の肉塊に視線を戻した。
常人であれば食べ物とは認識しないだろうその黒い塊。だが、今の彼には、それが極上の宝石以上に輝いて見えているようだった。
「……喰うぞ」
イグニスは呟いた。許可を求めたわけではない。それは絶対的な宣言だった。
「へ?」
リリアナの返事も待たず、イグニスはその美しい顔を大きく開け、岩のように硬いステーキにかぶりつこうとした。
「っ、お待ちください!!」
リリアナは思わず叫んだ。
「それは失敗作です! ものすごく硬くて、普通に噛んだら歯が折れてしまいます! いくら陛下でも、そんなものを召し上がっては……!」
リリアナの制止など聞こえていないかのように、彼は牙を剥き出しにし、黒い塊へと食らいついた。
ガリッ!!!
深夜の厨房に、岩を砕くような音が響き渡った。
氷のように冷たく、かつ威圧的な声が再び厨房に響いた。
リリアナは強張った首をギギギと動かし、音の主を見上げた。
そこにいたのは、間違いなく竜王イグニスだった。昼間の正装とは異なり、寝間着の上にラフなガウンを羽織っただけの姿。乱れた襟元からは逞しい鎖骨が覗いているが、その肌はやはり病的に白く、金色の瞳は飢えた獣のようにぎらついていた。
「も、申し訳ございません……! その、空腹に耐えかねて、勝手に厨房をお借りしてしまいました」
リリアナは慌てて頭を下げた。
城の食料――つまりはドラゴニア王国の財産を盗んだ罪で、その場で首を跳ねられても文句は言えない。
心臓が早鐘を打つ。
しかし、イグニスはリリアナを咎めるでもなく、かといって許すでもなく、ただ無言でリリアナに――いや、リリアナの手元にある皿に近づいてきた。
コツ、コツ、と足音が近づくたびに、彼から発せられる魔力のプレッシャーが増していく。
「……どけ」
リリアナのすぐ目の前まで来ると、彼は短く命じた。
リリアナが慌てて横に退くと、彼は調理台に手をつき、皿の上に鎮座する『アダマント・ステーキ』を覗き込んだ。
「……なんだ、これは」
彼の顔が歪んだ。
無理もない。客観的に見れば、それは料理というよりは、黒く焼け焦げた石塊にしか見えないだろう。
リリアナは羞恥心で顔が熱くなるのを感じた。
「あ、あの……それは、お肉です。こちらの食材があまりに硬かったので、魔術で柔らかくしようと思ったのですが……」
言い訳をしながら、リリアナは視線を落とした。見た目は悪い。味も保証できない。ただの栄養補給のための固形物。「ゴム」という言葉が、呪いのように頭の中でリフレインする。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。すぐに処分を――」
リリアナが皿を下げようと手を伸ばした、その時だった。
ガシッ。
リリアナの手首が、イグニスの大きな手に掴まれた。驚いて顔を上げると、至近距離にある彼の瞳が、見たこともないほど大きく見開かれていた。
その瞳孔は縦に細く収縮し、完全な捕食者の目になっていた。
「……処分だと?」
低い唸り声と共に、彼はリリアナの手首から手を離し、乱暴に皿を奪い取った。
そして、鼻を近づけてスンスンと匂いを嗅ぐ。焦げた匂いではない。彼が嗅ぎ取っているのは、その奥にある凝縮された魔力と、肉の旨味が混ざり合った芳醇な香りだ。
「この匂い……城の端にいても鼻を突くほどの、濃密な魔力……」
イグニスの喉が、ゴクリと鳴った。
昼間の不機嫌で気だるげな様子とは明らかに違う。彼の視線は黒いステーキに釘付けになり、まるで何日も水を飲んでいない遭難者がオアシスを見つけたかのような渇望を露わにしていた。
「お前、これに何を混ぜた? ただ焼いただけではないな?」
「は、はい……。わたくしの魔力を叩き込みました。そうでもしないと、火が通らなかったので……」
「魔力を……叩き込んだ、だと?」
彼は信じられないものを見るような目でリリアナを一瞥し、そして再び手の中の肉塊に視線を戻した。
常人であれば食べ物とは認識しないだろうその黒い塊。だが、今の彼には、それが極上の宝石以上に輝いて見えているようだった。
「……喰うぞ」
イグニスは呟いた。許可を求めたわけではない。それは絶対的な宣言だった。
「へ?」
リリアナの返事も待たず、イグニスはその美しい顔を大きく開け、岩のように硬いステーキにかぶりつこうとした。
「っ、お待ちください!!」
リリアナは思わず叫んだ。
「それは失敗作です! ものすごく硬くて、普通に噛んだら歯が折れてしまいます! いくら陛下でも、そんなものを召し上がっては……!」
リリアナの制止など聞こえていないかのように、彼は牙を剥き出しにし、黒い塊へと食らいついた。
ガリッ!!!
深夜の厨房に、岩を砕くような音が響き渡った。
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