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本編
第十八話 聖女の限界と竜王の狼狽
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その日の朝も、リリアナは厨房で『アダマント・マフィン』の試作に励んでいた。
イグニスの食欲は日増しに増大しており、それに伴いリリアナの魔力消費量も右肩上がりだった。
硬度を上げ、魔力を圧縮し、彼が満足する食事を作り上げる。それは充実した時間だったが、ふと、視界がぐらりと揺れた。
「……あれ?」
手にしたミスリルの泡立て器が、やけに重い。指先の感覚がなくなり、膝から力が抜けていく。
最後にまともな食事をしたのはいつだったか。
ここに来てからというもの、リリアナの食事は硬い干し肉と水、そして極寒の部屋での睡眠だけ。成人女性が一日中料理を作り続けるには、圧倒的にカロリーが足りていなかった。
リリアナはこれまで、ドラゴニアを覆う膨大な魔力と、人並み外れた筋力と魔術のセンス、そしてイグニスに必要とされている充足感のみで肉体を無理やり動かしている状態だったのだ。
(ああ、だめ……まだ、焼き上がってないのに……)
ガシャーン!!
金属製のボウルが床に落ちる音と共に、リリアナの意識は暗闇へと沈んでいった。
「リリアナ!! しっかりしろ!!」
耳元で怒鳴るような、けれど悲痛な叫び声が聞こえ、リリアナは薄っすらと目を開けた。
視界いっぱいに、イグニスの蒼白な顔があった。リリアナは自室の石のベッドに寝かされており、傍らでは竜人の老医師が深刻な顔でリリアナの手首を診ていた。
「……栄養失調ですな」
医師が重々しく告げた。
「栄養失調だと……!?」
「はい。陛下への食事作りに熱中するあまり、何も摂取していなかったのでしょう。これでは身体が保ちません。人間とは脆い生き物なのです」
イグニスは愕然とし、己の拳を握りしめた。
彼は慌てて、懐から自分の非常食――リリアナが作った『アダマント・クッキー』を取り出し、リリアナの口元へ運んだ。
「食え、リリアナ! これを食えば力が湧くはずだ!」
「……っ、う……」
リリアナは首を横に振った。今の弱りきった顎と胃袋では、いや、仮に万全だったとしても、その凶器を咀嚼することも消化することもできない。
「くそっ、そうか、人間にこれは毒か……! おい、誰か! 人間に適した、柔らかくて滋養のある食事を持ってこい! 今すぐにだ!!」
イグニスが叫ぶが、駆けつけた側近のバルガス将軍が苦渋の表情で首を垂れた。
「陛下……申し上げにくいのですが、城には人間の口に合う食材も、それを調理できる者もおりません」
「なに?」
「これまで、『人間など不要』と追い返しておりましたので……人間の商人も料理人も、皆逃げ去ってしまいました。今すぐまともな人間の料理を用意するのは、不可能です」
その言葉に、イグニスは言葉を失った。
彼自身の撒いた種が、最愛の妻の命を脅かしている。彼はベッドの上の、透き通るように白くなったリリアナの手を握りしめ、歯を食いしばった。
「……俺が、リリアナを殺すのか?」
その瞳が、恐怖と後悔に揺れる。だが、次の瞬間、王の瞳に金色の炎が宿った。
「否! 断じて否だ!! いないのなら、俺が連れてくる!」
ドォォォン!!
城壁を突き破り、イグニスが飛び出した。
空中で巨大な黒竜の姿へと変じ、凄まじい風圧と共に空へと舞い上がる。
「サザランドとの国境付近に、人間共の集落があったはずだ! 片っ端から当たって、最高の料理人を連れ帰る!!」
咆哮と共に、竜王は北の空へと消えていった。リリアナは薄れゆく意識の中で、彼が無茶をしないことだけを祈っていた。
イグニスの食欲は日増しに増大しており、それに伴いリリアナの魔力消費量も右肩上がりだった。
硬度を上げ、魔力を圧縮し、彼が満足する食事を作り上げる。それは充実した時間だったが、ふと、視界がぐらりと揺れた。
「……あれ?」
手にしたミスリルの泡立て器が、やけに重い。指先の感覚がなくなり、膝から力が抜けていく。
最後にまともな食事をしたのはいつだったか。
ここに来てからというもの、リリアナの食事は硬い干し肉と水、そして極寒の部屋での睡眠だけ。成人女性が一日中料理を作り続けるには、圧倒的にカロリーが足りていなかった。
リリアナはこれまで、ドラゴニアを覆う膨大な魔力と、人並み外れた筋力と魔術のセンス、そしてイグニスに必要とされている充足感のみで肉体を無理やり動かしている状態だったのだ。
(ああ、だめ……まだ、焼き上がってないのに……)
ガシャーン!!
金属製のボウルが床に落ちる音と共に、リリアナの意識は暗闇へと沈んでいった。
「リリアナ!! しっかりしろ!!」
耳元で怒鳴るような、けれど悲痛な叫び声が聞こえ、リリアナは薄っすらと目を開けた。
視界いっぱいに、イグニスの蒼白な顔があった。リリアナは自室の石のベッドに寝かされており、傍らでは竜人の老医師が深刻な顔でリリアナの手首を診ていた。
「……栄養失調ですな」
医師が重々しく告げた。
「栄養失調だと……!?」
「はい。陛下への食事作りに熱中するあまり、何も摂取していなかったのでしょう。これでは身体が保ちません。人間とは脆い生き物なのです」
イグニスは愕然とし、己の拳を握りしめた。
彼は慌てて、懐から自分の非常食――リリアナが作った『アダマント・クッキー』を取り出し、リリアナの口元へ運んだ。
「食え、リリアナ! これを食えば力が湧くはずだ!」
「……っ、う……」
リリアナは首を横に振った。今の弱りきった顎と胃袋では、いや、仮に万全だったとしても、その凶器を咀嚼することも消化することもできない。
「くそっ、そうか、人間にこれは毒か……! おい、誰か! 人間に適した、柔らかくて滋養のある食事を持ってこい! 今すぐにだ!!」
イグニスが叫ぶが、駆けつけた側近のバルガス将軍が苦渋の表情で首を垂れた。
「陛下……申し上げにくいのですが、城には人間の口に合う食材も、それを調理できる者もおりません」
「なに?」
「これまで、『人間など不要』と追い返しておりましたので……人間の商人も料理人も、皆逃げ去ってしまいました。今すぐまともな人間の料理を用意するのは、不可能です」
その言葉に、イグニスは言葉を失った。
彼自身の撒いた種が、最愛の妻の命を脅かしている。彼はベッドの上の、透き通るように白くなったリリアナの手を握りしめ、歯を食いしばった。
「……俺が、リリアナを殺すのか?」
その瞳が、恐怖と後悔に揺れる。だが、次の瞬間、王の瞳に金色の炎が宿った。
「否! 断じて否だ!! いないのなら、俺が連れてくる!」
ドォォォン!!
城壁を突き破り、イグニスが飛び出した。
空中で巨大な黒竜の姿へと変じ、凄まじい風圧と共に空へと舞い上がる。
「サザランドとの国境付近に、人間共の集落があったはずだ! 片っ端から当たって、最高の料理人を連れ帰る!!」
咆哮と共に、竜王は北の空へと消えていった。リリアナは薄れゆく意識の中で、彼が無茶をしないことだけを祈っていた。
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