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本編
第二十二話 極寒の露天風呂と湯けむり天国
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衣食住の改革が進み、黒竜城は見違えるほど快適になった。
美味しいご飯、ピカピカの廊下、ふわふわの絨毯。兵士たちの顔つきも穏やかになり、リリアナの生活も充実している。
けれど、リリアナには一つだけ、どうしても我慢できないことがあった。
「……お風呂に入りたい」
サザランドやアステリアでは毎日――とは言わないまでも、割と頻繁に湯船に浸かる習慣があった。だが、この極寒のドラゴニアでは入浴という概念そのものが希薄だった。
水はすぐに凍るし、燃料である薪も無限にあるわけではない。竜人の基本的なスタイルとしては、時折、布で体を拭くか、サウナのような蒸し風呂を利用する程度だ。
だが、今のリリアナは厨房で煤にまみれ、城内掃除で埃をかぶる日々。拭くだけでは到底満足できない。
「ベルタ、城に大きな水場はありませんか? できれば、お湯を貯められるような場所がいいです」
リリアナが尋ねると、メイド長のベルタは少し考え込み、北の裏庭を指差した。
「一応、古い泉がございます。昔は天然の温泉が湧いていたのですが、地脈が冷えてしまい、今ではただの凍りついた池に……」
「温泉!? いいですね! 早速行きましょう!!」
リリアナはベルタの手を引き、裏庭へと急行した。
案内された場所には、確かに立派な石造りの浴槽――というか、プールのような巨大な窪みがあった。しかし、その中身はカチコチに凍りついた青白い氷塊だった。
周囲には枯れた木々が寒々しく立ち並び、吹きっさらしの風が頬を叩く。
「……よし、やりましょう」
リリアナは腕まくりをした。
ないなら作る。凍っているなら溶かす。それがヴァレンタイン流――ではなく、ドラゴニア流に染まりつつあるリリアナの解決法だ。
「――聖域!」
まず、浴槽を含む広範囲にドーム状の結界を展開する。
外の吹雪を遮断し、内部の温度を春のように保つ。これだけで、肌を刺す寒気が消え失せた。
「次は熱源ね。……浄化の炎!」
リリアナは氷塊の中心に向けて、純白の炎を放った。
本来なら魔獣を焼き尽くすための聖なる炎を、あくまで熱源として氷に干渉させる。
ジュワアアアア……ッ!!
凄まじい水蒸気が立ち上り、視界が真っ白に染まる。分厚い氷があっという間に溶け、ぐつぐつと煮えたぎるお湯へと変わっていく。
さらに、リリアナは懐から取り出したドラゴニア産の薬草と、香り高い乾燥花を束ねて、お湯の中へ放り込んだ。
即席のハーブ&フラワーバスの完成である。
「ふふっ、完璧ね!」
リリアナは満足げに湯加減を手で確かめる。少し熱めだが、この寒さならちょうどいい。と、その時。湯けむりの向こうから、呆れ声が聞こえた。
「……また何かやったのか、リリアナ」
現れたのは、公務の合間に休憩を取っていたイグニスだった。
彼は湯気の充満する結界内に入り、信じられないものを見る目で波打つお湯を見つめた。
「竜の泉が復活しているだと……? ここは百年以上、氷に閉ざされていた場所だぞ」
「お疲れ様です、イグニス様。ちょうどいいお湯が沸きましたわ。日頃の疲れを癒やすために、ひとっ風呂いかがですか?」
「風呂? ぬるま湯に浸かるなど、軟弱な人間のすることだ。俺の鱗がふやけてしまう」
彼は鼻で笑い、興味なさそうに背を向けようとした。だが、立ち上る湯気の中に混じる、薬草の香りと濃密な魔力の気配に、ピクリと鼻を動かした。
「……待て。この湯、ただのお湯ではないな?」
「はい。わたくしの魔術で沸かし、疲労回復効果のある薬草も入っています。お料理ほどではありませんが、浸かるだけで体力回復と筋肉のコリがほぐれる聖女の湯です」
体力回復。コリがほぐれる。その言葉に、イグニスの表情が変わった。彼はチラリと湯面を見、リリアナを見、そして咳払いをした。
「……ふん。妻がそこまで言うのに、入らぬのも無作法というもの」
数分後。リリアナは岩の陰で背を向けながら、イグニスの感想を待っていた。
チャポン、と彼が巨大な浴槽に身を沈める音がする。
「……っ」
短い息を呑む音が聞こえた。続いて、ザバァ……と深く沈み込む音。
「……あぁ…………」
そこから漏れたのは、竜王の威厳など欠片もない、完全に骨抜きにされた男の吐息だった。
「なんだ、これは……。熱いのに、心地よい。全身に、熱が染み込んでくる……」
イグニスは、湯船の縁に腕を預け、虚空を見上げていた。
毎日、硬いステーキを噛み砕き、公務に忙殺されている彼の筋肉は、知らず知らずのうちに張り詰めていたのだろう。聖なる魔力を帯びた熱湯が、その強張りをバターのように溶かしていく。
「重力が消えたようだ。……リリアナ、これは危険だ。一度入ったら、二度と出られんぞ」
「ふふ、長湯はのぼせますから気をつけてくださいね」
「いや、俺はここで暮らす」
本気で言い出したイグニスに、リリアナは苦笑した。
湯けむりの向こう、最強の竜王が目を閉じてとろけている姿は、なんだか大きな猫のようで可愛らしい。食欲の次は、睡眠、そして入浴。竜の国の生活水準は、着々と向上していった。
美味しいご飯、ピカピカの廊下、ふわふわの絨毯。兵士たちの顔つきも穏やかになり、リリアナの生活も充実している。
けれど、リリアナには一つだけ、どうしても我慢できないことがあった。
「……お風呂に入りたい」
サザランドやアステリアでは毎日――とは言わないまでも、割と頻繁に湯船に浸かる習慣があった。だが、この極寒のドラゴニアでは入浴という概念そのものが希薄だった。
水はすぐに凍るし、燃料である薪も無限にあるわけではない。竜人の基本的なスタイルとしては、時折、布で体を拭くか、サウナのような蒸し風呂を利用する程度だ。
だが、今のリリアナは厨房で煤にまみれ、城内掃除で埃をかぶる日々。拭くだけでは到底満足できない。
「ベルタ、城に大きな水場はありませんか? できれば、お湯を貯められるような場所がいいです」
リリアナが尋ねると、メイド長のベルタは少し考え込み、北の裏庭を指差した。
「一応、古い泉がございます。昔は天然の温泉が湧いていたのですが、地脈が冷えてしまい、今ではただの凍りついた池に……」
「温泉!? いいですね! 早速行きましょう!!」
リリアナはベルタの手を引き、裏庭へと急行した。
案内された場所には、確かに立派な石造りの浴槽――というか、プールのような巨大な窪みがあった。しかし、その中身はカチコチに凍りついた青白い氷塊だった。
周囲には枯れた木々が寒々しく立ち並び、吹きっさらしの風が頬を叩く。
「……よし、やりましょう」
リリアナは腕まくりをした。
ないなら作る。凍っているなら溶かす。それがヴァレンタイン流――ではなく、ドラゴニア流に染まりつつあるリリアナの解決法だ。
「――聖域!」
まず、浴槽を含む広範囲にドーム状の結界を展開する。
外の吹雪を遮断し、内部の温度を春のように保つ。これだけで、肌を刺す寒気が消え失せた。
「次は熱源ね。……浄化の炎!」
リリアナは氷塊の中心に向けて、純白の炎を放った。
本来なら魔獣を焼き尽くすための聖なる炎を、あくまで熱源として氷に干渉させる。
ジュワアアアア……ッ!!
凄まじい水蒸気が立ち上り、視界が真っ白に染まる。分厚い氷があっという間に溶け、ぐつぐつと煮えたぎるお湯へと変わっていく。
さらに、リリアナは懐から取り出したドラゴニア産の薬草と、香り高い乾燥花を束ねて、お湯の中へ放り込んだ。
即席のハーブ&フラワーバスの完成である。
「ふふっ、完璧ね!」
リリアナは満足げに湯加減を手で確かめる。少し熱めだが、この寒さならちょうどいい。と、その時。湯けむりの向こうから、呆れ声が聞こえた。
「……また何かやったのか、リリアナ」
現れたのは、公務の合間に休憩を取っていたイグニスだった。
彼は湯気の充満する結界内に入り、信じられないものを見る目で波打つお湯を見つめた。
「竜の泉が復活しているだと……? ここは百年以上、氷に閉ざされていた場所だぞ」
「お疲れ様です、イグニス様。ちょうどいいお湯が沸きましたわ。日頃の疲れを癒やすために、ひとっ風呂いかがですか?」
「風呂? ぬるま湯に浸かるなど、軟弱な人間のすることだ。俺の鱗がふやけてしまう」
彼は鼻で笑い、興味なさそうに背を向けようとした。だが、立ち上る湯気の中に混じる、薬草の香りと濃密な魔力の気配に、ピクリと鼻を動かした。
「……待て。この湯、ただのお湯ではないな?」
「はい。わたくしの魔術で沸かし、疲労回復効果のある薬草も入っています。お料理ほどではありませんが、浸かるだけで体力回復と筋肉のコリがほぐれる聖女の湯です」
体力回復。コリがほぐれる。その言葉に、イグニスの表情が変わった。彼はチラリと湯面を見、リリアナを見、そして咳払いをした。
「……ふん。妻がそこまで言うのに、入らぬのも無作法というもの」
数分後。リリアナは岩の陰で背を向けながら、イグニスの感想を待っていた。
チャポン、と彼が巨大な浴槽に身を沈める音がする。
「……っ」
短い息を呑む音が聞こえた。続いて、ザバァ……と深く沈み込む音。
「……あぁ…………」
そこから漏れたのは、竜王の威厳など欠片もない、完全に骨抜きにされた男の吐息だった。
「なんだ、これは……。熱いのに、心地よい。全身に、熱が染み込んでくる……」
イグニスは、湯船の縁に腕を預け、虚空を見上げていた。
毎日、硬いステーキを噛み砕き、公務に忙殺されている彼の筋肉は、知らず知らずのうちに張り詰めていたのだろう。聖なる魔力を帯びた熱湯が、その強張りをバターのように溶かしていく。
「重力が消えたようだ。……リリアナ、これは危険だ。一度入ったら、二度と出られんぞ」
「ふふ、長湯はのぼせますから気をつけてくださいね」
「いや、俺はここで暮らす」
本気で言い出したイグニスに、リリアナは苦笑した。
湯けむりの向こう、最強の竜王が目を閉じてとろけている姿は、なんだか大きな猫のようで可愛らしい。食欲の次は、睡眠、そして入浴。竜の国の生活水準は、着々と向上していった。
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