王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

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前日譚 エレナ・フォスターが鉄の女と呼ばれるまで

第八話 買われない忠誠と沈黙の鉄壁

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 入宮から七年。二十二歳になったエレナは、王宮内で「最も口が堅いメイド」としても知られていた。

 王宮とは、華やかな社交の場であると同時に、権謀術数けんぼうじゅっすうが渦巻く政治の場でもある。壁に耳あり障子に目あり。使用人の何気ない一言が、政敵を陥れる武器になることもあれば、スキャンダルの火種になることもある。

 ゆえに、口の軽い使用人は長生きできない。逆に、有能で口の堅い使用人は、金よりも価値がある。

 ある日の午後。エレナは、とある伯爵から「話がある」と人気の少ないサロンに呼び出された。彼は最近、王宮内での派閥争いに躍起になっている人物だった。

「単刀直入に言おう。王妃様が最近、夜に誰と会っているか。その記録が欲しい」

 伯爵は、エレナの目の前に革袋を置いた。チャリ、と重たい音がする。中身は平民が一生遊んで暮らせるほどの金貨だろう。

「恐れながら閣下、私はただのメイドですので」

 王妃の専属侍女が病欠し、その代打として数日ほどメイド長――マーサが王妃の世話をしていた。その間、エレナがマーサの代理としてメイド長を務めた。

 エレナ自身が王室に入ることはなかったが、マーサにお使いを頼まれ、王室の近くまで足を運んだことがあった。この男は、そこに目をつけたのだろう。

「とぼけるな。お前が王妃の部屋に出入りしているのは知っている。ただ見たままを報告すればいい。簡単な仕事だろう?」

 男はその重みをみせるつけるかのように、革袋をゆすった。

「私は王妃様のお部屋には出入りしておりません。仮に入室の事実があったとしても、メイドの仕事は快適な空間を維持することのみ。それ以外の事象につきましては、私の目には何も映っておりませんし、私の耳には何も届いておりません」

 エレナは無機質な声で答えた。それは比喩ではなく、事実だった。彼女は業務中、己を機能に徹させている。必要な情報は記録するが、不要なノイズ――例えば貴族の密談や、プライベートな情事など――は、脳内で即座に廃棄しているのだ。見ていないものを、話せるわけがない。

「……金が欲しくないのか?」

「給金は王宮より十分に頂いております」

「ならば地位か? 俺の侍女に取り立ててやってもいいぞ」

「現在の職務に満足しております」

 伯爵は苛立ち、机を叩いた。脅しても、透かしても、買収しようとしても、目の前の女は暖簾のれんに腕押し。いや、鋼鉄の壁に小石を投げているようなものだ。一切の感情を見せず、ただ職務という盾の後ろに完璧に身を隠している。

「……チッ。お前のような可愛げのない女は初めてだ。まるで感情のない人形だな」

「褒め言葉と受け取らせていただきます」

 エレナは優雅にカーテシーをした。その完璧すぎる礼が、逆に伯爵を寒がらせた。ただの平民のはずなのに、その立ち居振る舞いは王宮の侍女――貴族にも引けを取らない。

 こいつには何を言っても無駄だ。人間としての弱みや欲望が欠落している。

 伯爵は革袋を掴むと、捨て台詞を吐いて去っていった。

「……馬鹿な女め」

 その呟きは、回廊の闇に溶けて消えた。

 残されたエレナは、表情一つ変えずにテーブルを拭き上げた。伯爵が触れた痕跡を消去するように、淡々と、完璧に。

 彼女の忠誠は金では買えない。それは王家への忠義というよりは、自身のプロとしての美学への忠誠だったのかもしれない。
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