【R18】セーフワード 狂気、増殖。

てっぺーさま

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第一部

反撃の準備

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 藤原はいつでも反撃ができるよう周囲を警戒しながら駐車場へ向かっていた。右手はスラックスのポケットに入れ、催涙スプレーを握りしめていた。二週間前にAmazonで購入したものだ。
 生活パターンを読まれないように、今日は終業後に十五分ほど時間を潰してから職場を出ていた。極力ランダムな行動を心がけ、三十分早めに出社したり、道順を変えたりと工夫をこらしていた。
 駐車場に着くと、藤原は周囲を見渡し、怪しい人影や車両がないことを確かめる。続いて、身をかがめてマイカーの下を覗き込む。最後にもう一度周囲を見渡すが、疑心暗鬼で見ると、何もかもが怪しく見えてしまう。とりあえず差し迫った危険はなさそうだと判断し、ようやくセルシオに乗り込んだ。

 先日、警察署に問い合わせたところ、マンションに設置された監視カメラが、自宅に侵入したと思われる清掃作業員風の男たちをとらえていたという。しかし、男たちはみな青いキャップを深々と被っていたため、人物の特定には至らなかったらしい。
 そう報告を受けても、藤原は過度に落胆することはなかった。監視カメラに素顔をさらすヘマをするなど、あの連中がするわけないと思っていたからだ。

 自宅マンションの地下駐車場に着いたのは午後十時を少し回ったころだった。寄り道をしたせいで、いつもより遅い帰宅となったのだ。遅くなった原因は、助手席に置かれた大判封筒にあった。まだ中身は確認していなかった。楽しみは、最後まで取っておくタイプだった。
 封筒を手にエレベーターで四階に上がり、自宅の玄関の前に立つ。だが、すぐに鍵は取り出さない。その前にやることがあるからだ。藤原は腰を大きく落としてドアの下に顔を近づける。出勤時に挟み込んでおいた爪楊枝はそのままになっていた。念のため、指を当てて位置を確認する。ドアに挟まれた爪楊枝は、ドア枠の下からちょうど指四本分の位置にあった。侵入の形跡はなさそうだ。

 鍵を開けて室内に入ると、ホームセキュリティの警報音が鳴る。すぐに玄関脇に設置された操作パネルに暗証番号を入力して耳ざわりな音を止める。施錠を済ませ、封筒をいったんシューズボックスの上に置き、照明を点けたあと、各部屋を警戒しながら調べて回る。侵入の形跡がなくとも、自分の目で確認しなければ安心できなかった。当然トイレと浴室もしっかりチェックする。
 室内の安全確認が済むと、藤原はリビングに入って上着とYシャツをソファに脱ぎ捨てた。白いタンクトップから覗く肩まわりに手を置く。以前よりも、だいぶ隆起してるのがわかる。自宅での筋トレと護身のために習いはじめた空手の効果がしっかりと表れているようだ。近所の空手スクールに入会したのだが、四十代の受講生は自分一人しかおらず、講師ですら三十代前半だと思われた。いい年した大人が白帯で、しかも小中学生らに混じっての練習は気恥ずかしくもあったが、今の危険な状況を考えれば我慢もできた。もう少し体力がついたら、総合格闘技にシフトしようと考えていた。
 不審者が侵入した日を境に、これまでの生活は一変した。外出時はもちろんのこと、自宅にいてさえ、気の休まる時間が持てなくなった。思い切ってマイホームを手放し、北海道や沖縄といった遠方への逃亡も考えた。しかし、慣れ親しんだ職場や自宅を放棄するのは容易なことではない。それに、新しい身分でも手に入れない限り、居場所などは簡単に突き止められるだろうから、しばらくは自宅にとどまることにした。ホームセキュリティの導入は、その決意の表れでもあった。
 肉体強化の他に、最近では計画の参考になればと犯罪小説を読むようになった。読書など数十年ぶりのことだった。また、完全犯罪をうたったウェブサイトも積極的に閲覧した。これまで知り得た知識によると、日本の警察が世界的に優秀だといわれる所以ゆえんは、その徹底した〝聞き込み〟にあるらしい。事件発生後すぐに、お得意の人海戦術で目撃者を徹底的に洗い出すのだ。しかし、それが計画的な犯行となると、だいぶ話は違ってくるという。得られる目撃情報が圧倒的に少なくなるからだ。仮に、宅配便を装うだけでも大きな違いを生む。不審者にはみな注意を払っても、宅配業者にはさほど注目しないからだ。ゆえに、計画的であればあるほど警察の目を欺くことができる。細部まで注意を払い、捜査の矛先をこちらに向けさせないようにする。個人を特定されぬよう途中何度か変装しながら現場へと向かい、使用した凶器は決して犯行現場付近では処分しない。さらに、犯行時に財布や時計でも奪っておけば、強盗殺人とみなされ初動捜査をかく乱できる。とはいえ、最初から怨恨の線で動かれても危険は少ないと思われた。標的の男とは、ここ三十年近く何の接点もなかったからだ。当然、こちらとの関係をあの男が誰かに語っている可能性はゼロではない。しかし、高校時代のあのような醜態を、他人に語るとは考えにくかった。あれは、墓場までもっていくような屈辱的な汚点に違いないのだから——。

 ローテーブルに大判封筒と氷の入ったブランデーを用意すると、藤原は小さく唸りながらソファに身を沈めた。アルコールを軽く口に含んで封筒を開封し、中からレール式のクリアファイルで閉じたA4サイズの書類を取り出す。表紙の上部左端に「藤原英雄 様」とあり、表紙の中央には「調査報告書」と大きく印字されている。
 調査会社に支払った金は、わずか一週間ばかりの調査にもかかわらず五十万を超えた。作成された資料は箇条書きにされていて読みやすく、必要最低限の情報は網羅されていたが、A4サイズの用紙が十枚程度とあっては費用対効果に疑問を感じてしまう。しかも、競馬で大損したばかりだったから、今回の出費はなおさら懐に響いた。必要経費としてあきらめるしかなかったが、金額が金額なだけに、すんなりとは割り切れなかった。
 パラパラっとページをめくっていくと、調査対象者の一日の行動が一枚ずつ詳細に記されている。それを見る限り、調査員は期間中、朝から晩まで対象者に張りついていたことがわかる。それなりの労働力だったに違いない。そう考えると、支払った金額は妥当なのかもしれない。
「それにしても、高いな……」
 心の声がつい漏れてしまう。モヤモヤした気持ちを振り払いながら、藤原は資料に視線を落とした。
 調査資料によると、は三十九歳で起業し、現在は高級家具や雑貨の輸入販売を手がける会社の代表取締役を務めていた。資本金は二千万円、従業員は五十二名。うち八名がアルバイトで、イタリアには現地仕入れスタッフが二名いるという。昨年度の売上は五億円、営業利益は三千万円。ヘッドオフィスは日本橋の十二階建てのビル七階にあり、南青山の外苑西通り沿いには小さなショールームを構えている。そのショールームでは、ドラマや映画の撮影用に家具を貸し出すこともあるらしい。顧客には芸能人や著名人の名が並び、創業以来、堅実で安定した経営を続けている模様——。
 資料を持つ手に自然と力が入ってしまう。憎悪を含んだ嫉妬心に身体が震える。
「あの日、あれだけの醜態をさらした男が、えらそうに社長だなんて……」
 憤りながらも残りの情報を確認する。自宅住所、家族構成、調査期間中の出社時間、勤務時間、帰宅時間、および利用した飲食店、ボクシングジム、整体院、等々。最後のページには、隠し撮りされたのカラー写真が印刷されていた。写真に映る男はビジネススーツを颯爽と着こなし、成功者の風格を漂わせていた。写真を見て、不快度は一気に倍増した。自分の身を守るうんぬんを抜きにして、純粋に殺してやりたいと強く願った。
 資料をテーブルに置くと、藤原はブランデーを一息にあおった。自然とグラスを持つ手に力が入ってしまう。怪我の心配がなければ、このまま握り潰してしまいたいほどだ。決行場面をリアルに思い描く。標的の帰宅時に背後から忍び寄り、背中にぐさりと一刺し。ここで刺した刃はすぐには抜かず、刃が水平になるまで大きくひねる。この一手間で、内臓は大きく損傷されて致命傷となる——。
 イメージ通りにいけば問題なかったが、そこでしくじれば、報復から逃れるために海外への逃亡を余儀なくされるかもしれない。したがって、絶対に失敗は許されなかった。だが、自信は充分にあった。昔からとにかく本番には強かったからだ。
 犯行計画は練りに練って最高のものに仕上げたかったが、モタモタしていたらまた襲われかねない。相手はプロなのだ。急ぐ必要があった。
 藤原は自らを奮い立たせるように、ローテーブルを拳で強く叩く。ガラス天板が小さく震え、硬質な音が室内に鳴り響く。その余韻を打ち消すように短く言い放つ。
「あと二週間だ」



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