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5章 日月
容れ物
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「憑依……って、陽葵が不思議そうにしているんだけど。どうやればいいんだ?」
「そうね……。幽霊が何かに宿るっていうのは、強い執着や想いがトリガーになることが多いらしいわ。陽葵、悠真くんの体に重なるようなイメージで、彼の心臓の音に自分の意識を合わせてみて」
『やってみるね……悠真くん、ちょっと失礼します』
陽葵がゆっくりと僕の体に重なっていく。冷たい風が全身を通り抜けるような、不思議な感覚が走った。彼女の透き通った指が僕の胸に触れ、その
まま吸い込まれるように重なっていく。
「…………」
数秒、沈黙が流れた。
「……どう? 悠真くん、何か変化は?」
栞が心配そうに僕の顔を覗き込む。僕はじっと自分の体の中の感覚を探ってみたが、首を横に振った。
「……いや。特になんともない。変な感じもしないし、陽葵が入ってきたっていう実感も、正直……ないな」
すると、陽葵が困惑した様子で自分の手を見つめながら、ぽつりと呟いた。
『……だめみたい。悠真くんの意識が、体の中にぎゅっと満ちていて、完全に弾かれてるっていうか、そもそも入り込める隙間すら残ってない感じがするの。たぶんパズルのピースがもう全部埋まっていて、私の入る場所がない……そんな感じ』
「つまり、悠真くんの意識に何か大きな『隙間』でもできない限り、陽葵が入り込むのは無理ってことかしら」
栞は腕を組み、納得がいかないといった様子で僕をじっと見つめた。
『隙間……?』
陽葵が不思議そうに僕の顔を覗き込む。
「隙間なんて、どうやって作ればいいんだよ。意識を飛ばせとか、そういうことか?」
「理屈ではそうなるけれど、それはあまりにも危険だわ。悠真くんの意識を無理やり追い出して隙間を作るなんて、それこそ悠真が生霊にでもなるつもり?」
栞は首を振り、代替案を探るように視線を巡らせた。
「人間がダメなら、やっぱり『物』に頼るしかないわね。それも、中身が空っぽで、かつ陽葵との繋がりが深いもの。……陽葵、自分の私物や、特に思い入れのある物なら、入り込みやすいんじゃない?」
栞がそう言うと、陽葵はしばらく考え込むように視線を落とした。やがて、何かを思い出したように顔を上げる。
『……あの、ぬいぐるみならどうかな。私がずっと大事にしていた、小さなクマの……』
陽葵の声を受け、僕は栞にその提案を伝えた。
「陽葵が、自分が大事にしていたクマのぬいぐるみならどうか、って言ってる」
それは、陽葵が辛いとき、いつも家で抱きしめていたという唯一の心の拠り所だ。
「ええ、人形なら『容れ物』としての形も整っているし、中も空洞。何より陽葵の愛着が染み込んでいるはずよ。」
栞は納得したように頷いた。しかし、そこで僕は一つの問題に突き当たる。
「……でも、そのぬいぐるみ、今は陽葵の家にあるんだよな」
『……うん。ずっと私の部屋のベッドの上に置いてあったから。あの子なら、私を受け入れてくれるかもしれない』
陽葵はどこか懐かしむような、切ない表情で頷いた。しかし、あそこは警察の厳重な管理下にある。
「放課後、暗くなったら陽葵の家に行ってくる」
僕の決意を聞いて、栞と陽葵の顔が強張った。
「あそこなら、ひょっとしたらもう警察はいないかもしれない。陽葵のお母さんが逃走したあの帰り道、家の前を通ったときは捜査でめちゃくちゃだったけど、ある程度調べは終わっているはずだ」
僕の言葉に、栞も思い出したように指先を顎に当てた。
「そういえば……私も小耳に挟んだわ。家の規制テープが取れて、現場検証は終えていたみたい。たぶん、陽葵のお母さんたちが亡くなっているのが発見されたから、事件としての現場保存は解除されたんだと思うわ」
自分の家がそんな凄惨な事後処理をされていると聞き、陽葵は複雑そうな、どこか遠くを見るような目で立ち尽くした。
『そっか……。お家、そんなことになってたんだね……』
驚き、そして悲しみに沈みかけた彼女だったけれど、やがて小さく息を吐いて微笑んだ。
『でも、仕方ないよね。……あのお家、昔はもっと明るくて、楽しかったんだよ』
仲の良かった頃の思い出を懐かしむように現状を受け入れると、彼女はすぐにハッとして僕を見た。
『ねえ、くまさん大丈夫かな? まだお部屋にあるかな……?』
「窓際に置いてあったのを覚えてるよ。たぶん、ただのぬいぐるみが事件に関係するはずないし、警察もわざわざ持って行かないと思う」
「でも悠真くん、鍵はどうするつもり? 警察が引き上げたとはいえ、施錠はされているはずよ」
栞の問いに、陽葵が少しだけ弾んだ声で答えた。
『鍵なら、まだあるかわからないけど……玄関の横の植木鉢の下に、予備が隠してあると思うの。お母さん、よくあそこに置いてたから』
「わかった。それを使わせてもらうよ」
放課後、校舎に影が落ちる頃。僕は二人と別れる準備を整えた。
「ぬいぐるみを持ってきたら、すぐにここに戻ってくる。窓の外からスマホのライトで手を振るから、それが合図だ」
『……悠真くん、気をつけて。本当にお願いね』
「……いざとなったら、私の家に逃げてきなさい。外側の物置の鍵、開けておいてあげるから。あそこなら隠れる場所くらいあるわ」
栞は真剣な眼差しを僕に向け、万が一の逃げ道を用意してくれた。
「ありがとう。……助かるよ。それじゃ、行ってくる」
『悠真くん、気をつけて。本当にお願いね……』
心配そうに僕の袖を掴むような仕草をする陽葵に、僕は力強く頷いて見せた。
ぬいぐるみを持ってきたら、すぐにここに戻ってくる。窓の外からスマホのライトで手を振る。それが、僕たちが無事に合流するための合図だ。
二人を背に、僕は夕闇の迫る校庭を駆け抜け、正門を飛び出した。
「そうね……。幽霊が何かに宿るっていうのは、強い執着や想いがトリガーになることが多いらしいわ。陽葵、悠真くんの体に重なるようなイメージで、彼の心臓の音に自分の意識を合わせてみて」
『やってみるね……悠真くん、ちょっと失礼します』
陽葵がゆっくりと僕の体に重なっていく。冷たい風が全身を通り抜けるような、不思議な感覚が走った。彼女の透き通った指が僕の胸に触れ、その
まま吸い込まれるように重なっていく。
「…………」
数秒、沈黙が流れた。
「……どう? 悠真くん、何か変化は?」
栞が心配そうに僕の顔を覗き込む。僕はじっと自分の体の中の感覚を探ってみたが、首を横に振った。
「……いや。特になんともない。変な感じもしないし、陽葵が入ってきたっていう実感も、正直……ないな」
すると、陽葵が困惑した様子で自分の手を見つめながら、ぽつりと呟いた。
『……だめみたい。悠真くんの意識が、体の中にぎゅっと満ちていて、完全に弾かれてるっていうか、そもそも入り込める隙間すら残ってない感じがするの。たぶんパズルのピースがもう全部埋まっていて、私の入る場所がない……そんな感じ』
「つまり、悠真くんの意識に何か大きな『隙間』でもできない限り、陽葵が入り込むのは無理ってことかしら」
栞は腕を組み、納得がいかないといった様子で僕をじっと見つめた。
『隙間……?』
陽葵が不思議そうに僕の顔を覗き込む。
「隙間なんて、どうやって作ればいいんだよ。意識を飛ばせとか、そういうことか?」
「理屈ではそうなるけれど、それはあまりにも危険だわ。悠真くんの意識を無理やり追い出して隙間を作るなんて、それこそ悠真が生霊にでもなるつもり?」
栞は首を振り、代替案を探るように視線を巡らせた。
「人間がダメなら、やっぱり『物』に頼るしかないわね。それも、中身が空っぽで、かつ陽葵との繋がりが深いもの。……陽葵、自分の私物や、特に思い入れのある物なら、入り込みやすいんじゃない?」
栞がそう言うと、陽葵はしばらく考え込むように視線を落とした。やがて、何かを思い出したように顔を上げる。
『……あの、ぬいぐるみならどうかな。私がずっと大事にしていた、小さなクマの……』
陽葵の声を受け、僕は栞にその提案を伝えた。
「陽葵が、自分が大事にしていたクマのぬいぐるみならどうか、って言ってる」
それは、陽葵が辛いとき、いつも家で抱きしめていたという唯一の心の拠り所だ。
「ええ、人形なら『容れ物』としての形も整っているし、中も空洞。何より陽葵の愛着が染み込んでいるはずよ。」
栞は納得したように頷いた。しかし、そこで僕は一つの問題に突き当たる。
「……でも、そのぬいぐるみ、今は陽葵の家にあるんだよな」
『……うん。ずっと私の部屋のベッドの上に置いてあったから。あの子なら、私を受け入れてくれるかもしれない』
陽葵はどこか懐かしむような、切ない表情で頷いた。しかし、あそこは警察の厳重な管理下にある。
「放課後、暗くなったら陽葵の家に行ってくる」
僕の決意を聞いて、栞と陽葵の顔が強張った。
「あそこなら、ひょっとしたらもう警察はいないかもしれない。陽葵のお母さんが逃走したあの帰り道、家の前を通ったときは捜査でめちゃくちゃだったけど、ある程度調べは終わっているはずだ」
僕の言葉に、栞も思い出したように指先を顎に当てた。
「そういえば……私も小耳に挟んだわ。家の規制テープが取れて、現場検証は終えていたみたい。たぶん、陽葵のお母さんたちが亡くなっているのが発見されたから、事件としての現場保存は解除されたんだと思うわ」
自分の家がそんな凄惨な事後処理をされていると聞き、陽葵は複雑そうな、どこか遠くを見るような目で立ち尽くした。
『そっか……。お家、そんなことになってたんだね……』
驚き、そして悲しみに沈みかけた彼女だったけれど、やがて小さく息を吐いて微笑んだ。
『でも、仕方ないよね。……あのお家、昔はもっと明るくて、楽しかったんだよ』
仲の良かった頃の思い出を懐かしむように現状を受け入れると、彼女はすぐにハッとして僕を見た。
『ねえ、くまさん大丈夫かな? まだお部屋にあるかな……?』
「窓際に置いてあったのを覚えてるよ。たぶん、ただのぬいぐるみが事件に関係するはずないし、警察もわざわざ持って行かないと思う」
「でも悠真くん、鍵はどうするつもり? 警察が引き上げたとはいえ、施錠はされているはずよ」
栞の問いに、陽葵が少しだけ弾んだ声で答えた。
『鍵なら、まだあるかわからないけど……玄関の横の植木鉢の下に、予備が隠してあると思うの。お母さん、よくあそこに置いてたから』
「わかった。それを使わせてもらうよ」
放課後、校舎に影が落ちる頃。僕は二人と別れる準備を整えた。
「ぬいぐるみを持ってきたら、すぐにここに戻ってくる。窓の外からスマホのライトで手を振るから、それが合図だ」
『……悠真くん、気をつけて。本当にお願いね』
「……いざとなったら、私の家に逃げてきなさい。外側の物置の鍵、開けておいてあげるから。あそこなら隠れる場所くらいあるわ」
栞は真剣な眼差しを僕に向け、万が一の逃げ道を用意してくれた。
「ありがとう。……助かるよ。それじゃ、行ってくる」
『悠真くん、気をつけて。本当にお願いね……』
心配そうに僕の袖を掴むような仕草をする陽葵に、僕は力強く頷いて見せた。
ぬいぐるみを持ってきたら、すぐにここに戻ってくる。窓の外からスマホのライトで手を振る。それが、僕たちが無事に合流するための合図だ。
二人を背に、僕は夕闇の迫る校庭を駆け抜け、正門を飛び出した。
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