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第十六話 『共闘、霧の獣を追い詰めろ』
しおりを挟む霧が、音を殺していた。
枝が揺れても、足音がしても、すべてが白く霞み、ぼんやりと飲まれていく。
五歩先の景色がわからない。
目ではなく、気配と空気の“異常”だけが頼りだった。
クロは、わずかに目を細めて前を睨む。
だが“それ”は、視界には映らなかった。
「来ないな……焦らされるのは好みじゃないんだけど」
後ろにはミレイアがぴたりとついている。
彼女は護符を胸元に貼り、もう片手に短剣を持っていたが、構えてはおらず、周囲を警戒していた。
霧の濃度は一定を保っている。
だが、妙だった。空気が張り詰めている。
“何か”が、意図的に待っている。
(この感じ……ただの動物じゃねぇ)
クロが《赫殻式》を軽く起動する。
筋繊維が反応し、血の巡りが熱を帯びる。
ただし、出力はごく微量。下手に強く出せば核への負荷がかかりすぎる。
(見えてさえくれれば、ぶん殴るだけでいいんだが……)
その瞬間だった。
音もなく、真横の霧が“膨れた”。
「っ!」
クロがとっさに身を引くと、霧の塊が刃のように変形し、彼のいた位置をかすめた。
地面が抉れ、湿った土が霧の中に散る。
「うわ、マジか」
直後、背後——!
「クロ様!」
ミレイアの声に反応し、クロは振り返ると同時に地を蹴る。
だが霧の中から伸びていたもう一つの刃が、彼の肩を浅く裂いた。
「ッ……!」
服が破れ、肩口から血がにじむ。
浅い。けれど、動きに“遅れ”が出たのは事実だった。
「クロ様、お怪我が……!」
ミレイアが護符に触れ、小さな魔力を発動させる。
霧の干渉を遮る結界が一時的に広がり、空間がわずかに安定する。
クロは息を吐き、肩を軽く回した。
「助かった。けど、敵は一体だ」
ミレイアが目を見開く。
「……はい?」
「霧の中で攻撃されると、多方向から来てるように錯覚する。反響音と気流の流れ方で錯覚させてるんだ。けど、実際に“殺意”を向けてくる気配は一つしかない」
言いながら、クロは右足に重心を移す。
「距離感も狂わせてるな。音がズレてる。けど——それなら、読める」
霧の中を、一歩踏み出す。
踏み込んだ先に、わずかに“空気の密度”が違う一点があった。
そこへ、拳を突き出す。
霧が一瞬、暴れるように乱れた。
——命中。
ガンッ!! と堅い感触が返ってきた。
中に“実体”がある。
クロはそのまま連撃を繰り出し、霧の中に輪郭を叩き込んだ。
うめき声のような咆哮。
霧がざわつく。白が渦を巻いて逃げる。
「……見えたぜ」
靄獣の姿は、霧の奥でほんの一瞬だけ露出した。
巨大な犬のような体躯。
だが頭部はもはや原型を留めておらず、霧と血肉が混ざったような歪な面影だけが浮かんでいた。
「クロ様、今の——」
「いける。あいつ、読み切れれば怖くねぇ」
霧を裂く。空気を割る。
クロは一歩ずつ、獣に向かって進んでいく。
再び霧が動く。
だが今度は、クロが先に動いた。
拳が、正確に獣の肩を撃ち抜いた。
肉が潰れ、骨が折れる音が聞こえる。
靄獣が、悲鳴とも唸り声ともつかぬ音を上げて飛び退いた。
ミレイアが後方から声を張る。
「あと一撃で——!」
——その瞬間だった。
霧が、逆流を始めた。
「……おいおい」
クロの目が鋭くなる。
白い靄が、四方から“核”へと吸い込まれていく。
まるで獣が、自分の領域そのものを“喰らっている”ような錯覚。
霧がその体を包み、どんどん膨れ上がっていく。
足が太くなり、体高が倍になり、背中には甲殻のような霧の鱗が浮かび始める。
「これは……」
「完全に、強化体だ」
クロがわずかに肩を揺らす。
空気が、圧倒的に変わっていた。
霧の中の“主”が、本気を出してきた。
「ミレイア。下がってろ」
「でも、クロ様……!」
「見てわかるだろ。もう、これは……俺の仕事だ」
ミレイアは唇を噛み、しかし素直に一歩引く。
クロは拳を下ろし、深く呼吸する。
全身の筋肉に、《赫殻式》の魔力が巡っていく。
「さて……こっからが本番だ」
霧の獣が、再び姿を現した。
その目は、まるで“楽しげに笑っている”ように見えた。
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