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第十節:うちの妹に手を出したなら、それなりの覚悟をしておけ
しおりを挟む「まずは、手紙の出処を洗い出す」
第一王子・シグルドの声は、ひどく静かだった。
けれど、その場にいた誰もが、彼が“怒っている”ということを理解していた。
怒りの種類は、激情ではない。
それは、**戦場に立ったときと同じ“処理するべき敵を定めた声”**だった。
王宮の小会議室。
そこにはリアナ以外の兄姉5人が全員集まっていた。
中央の机には、複数の“疑惑の手紙”と、文官の報告書、そして数名分の調査記録が並んでいる。
ユリウスは、すでに何枚もの紙に書き込みを終えていた。
「送り主は匿名だが、使われている紙質、封蝋の型、流通経路……すべて“貴族内通者”がいなければ不可能。しかも複数」
「つまり、内部の誰かが関与してるってことね」
レオノーラが、すでに毒を仕込める人間のリストを目の前に広げている。
「許さないわよ、“うちの子”に手を出したなら」
言い方が怖すぎるが、たしかに“母”のような口ぶりだった。
ゼクスは紙に描かれた紋章を指差す。
「この細工、見覚えがある。旧教会派の象徴によく似てる。今は消えたはずの思想……でも、まだどこかで生きてるとしたら?」
ルチアは本を閉じ、短く呟く。
「“理念”は人を動かす。“怨念”も同じくらい」
誰が敵なのかは、まだ明確にはわからない。
でも、“リアナを狙った”という一点だけは、すべてを行動に移す理由として充分だった。
ユリウスが声を落として言う。
「……あの子の“言葉”が、疑われただけじゃない。“存在”を否定しようとする動きがある」
「だが、あの子は“否定されても言葉を選んだ”」
シグルドの瞳が、赤く静かに光る。
「ならば、兄として、否定した者を――叩き潰す」
言葉が、戦場の鉄槌のように落ちた。
王宮の裏。
昼も夜もない情報戦が、静かに始まった。
ユリウスの配下が、都市の裏路地から情報屋を買い取り、
レオノーラの使い魔が、毒草の売買ルートを洗い出し、
ゼクスは情報を“意図的に漏らす”ことで、潜伏者の動きを炙り出す。
ルチアの魔法結界が、密偵の存在を可視化する魔導網を仕掛け、
シグルドの私兵たちが、あらゆる情報を“確保”していく。
誰も知らなかった。
リアナの家族――彼女の“味方”が、世界で一番怖い王族たちであることを。
そして、一週間後。
第一報が王宮に届いた。
「特定の貴族屋敷で、“偽造文書の残骸”を発見」
「火をつけた形跡あり。焼け残った文面に、“第六皇女”の名前が……」
「情報流出元、文官マリオット家の第三子――拘束済み」
沈黙の中で、ユリウスが言った。
「始まったな。これで、“信じたがっている人々”の側に、再び傾きが生まれる」
「……だが、まだ動くはずだ。やつらは、こんなやり方で引く連中じゃない」
その言葉を証明するかのように――
次の日。
王都の教会に貼られた一枚の紙。
そこには、大きな文字で、こう書かれていた。
「第六皇女は、王家の傀儡」
「神に近い存在ではない」
「“奇跡”の名の下に、この国は堕落する」
そして、その文の最後には――
これまで一度も出てこなかった、組織の名前が書かれていた。
〈審問の光〉
「……名前を出してきたか」
クラリス母が、ほうと紅茶を一口。
「ようやく、“正体”を見せる気になったのね」
その目は、氷のように澄んでいて。
その奥には――
静かに、激しく燃える怒りがあった。
“第六皇女は、王家の傀儡”
“神に近い存在ではない”
“奇跡の名の下に、この国は堕落する”
その紙は、淡い白地に黒いインクで、あまりにも整然とした文字で書かれていた。
教会の前、商人の掲示板、詩人の集会所。
王都の至るところに、まるで夜のうちに一斉に貼られたかのように、静かに現れていたという。
そしてその下には、見慣れない名前。
〈審問の光〉
「リアナ、この名前に、心当たりはある?」
母――クラリスがそう尋ねてきたのは、掲示の存在を知った翌日の朝だった。
私は、小さく首を振った。
「ううん。初めて見た」
「そう。じゃあ、正直に言うわね」
クラリスは、紅茶をテーブルに置き、私の手を両手でそっと包んだ。
その手は温かくて、でもどこか強かった。
「これは、“あなたを否定するために作られた名前”よ」
その言葉を聞いたとき、私の胸が、きゅうっと苦しくなった。
昨日までの空気。
みんなのざわめき。
侍女の視線。
兄姉たちの焦り。
全部、ひとつの線でつながっていった。
(……ああ)
(私は、誰かに“消されようとしてる”んだ)
ただ笑っていただけだった。
ただ、生きていただけだった。
なのに。
「……私が、生きてるの、そんなにまずいのかな」
小さく呟いた私に、クラリスははっきりと答えた。
「そうね。――“あなたのような存在”が、ある種の人間にとっては、最も恐ろしいのよ」
(……どうして)
(私は、まだ何もしてないのに)
(“すごい”ことなんて、何ひとつしてないのに)
でも――
思い出したのは、ライナスの顔だった。
毒を口にしたあのとき、何も言わず私の代わりに食べた、あの勇気。
そして、兄姉たちの背中。
誰にも文句を言わせず、私を“守る”ために動いてくれる、あの姿。
私は、両手でぐっとスカートの裾を握りしめた。
「母様。……私、“逃げたくない”」
「ええ、分かってるわ」
「でも、怖い」
「当然よ。あなたはまだ、小さな女の子なんだから」
それでも私は、ゆっくり顔を上げた。
「でも、私……少しだけ、“王女”でいたい」
クラリスは、ゆっくりと目を細めて――
「じゃあ、まずは立ちましょう。王女は、座っているだけでは世界を変えられないもの」
「……うん」
私は、母の手を借りて椅子から立ち上がった。
身体は小さいけれど、
背筋を伸ばして、自分の意志で、今ここに“立つ”。
それだけで、ほんの少しだけ、胸が軽くなった気がした。
その日の午後。
リアナの命で、〈審問の光〉に関する記録をすべて集めるよう命じられた。
歴史文書、教義書、禁書目録。
子どもが読むには難解すぎる文字の連なり。
けれど――私は、ちゃんと目を通した。
そして知る。
かつて帝国の古い宗教組織として存在していたが、
「理性と清廉による秩序こそが神の望むもの」と掲げ、
“感情・信仰・愛”を偶像とし、それを信じる者を“異端”として裁いた。
“心で信じる力”を、最も否定した宗派。
今、彼らが私を否定しようとする理由が――やっと、分かった。
私がしてきたことは、
誰かの手を取ること。
ありがとうと言うこと。
嬉しいと笑うこと。
それが“力になっていた”ということ。
それこそが、〈審問の光〉にとっての敵だった。
私は、その夜。
王宮のテラスから、夜空を見上げながら、小さく呟いた。
「ねえ。そんなに怖いかな、私が笑うのって」
誰にも届かなくていい。
ただ、空に聞かせた。
「でも、私は、笑いたい。誰かと一緒に、笑いたいよ」
夜風が、ドレスの裾を揺らす。
それでも私は、そこで一歩、確かに“前へ”踏み出した。
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