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第一章13:中立の眼、揺れる時
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王城西棟、議員専用の静謐な応接室。
その最奥の革張りの椅子に、クラウスティン侯爵はゆったりと腰を下ろしていた。
彼の顔には、歴戦の刻を物語る深い皺と、常に理性を忘れぬ鋭さが刻まれている。
年は六十を超えてもなお背筋は伸び、視線には力がある。
——だが、今その視線は、珍しく迷っていた。
目の前に並ぶ報告書。
それは、ここ数週間で急激に届くようになった、“王家の改革”に関する記録である。
「……若き王族たちの動き、か」
彼の口から、低く呟きが漏れる。
「いったい、何が起きている?」
* * *
かつて、クラウスティンは前王に仕えた忠臣だった。
王国がまだ“理想”を持っていた時代、
前王は大貴族と新興派を巧みに操り、国家の均衡を保ち続けた名君だった。
その傍らには、常に慎重で中立的な意見を述べるクラウスティンの姿があった。
感情ではなく、原理と規律で動く男として、
時には前王に苦言を呈し、時には庶民に近い政策を推進したこともある。
前王が病に伏し、世を去ったとき——
王家は静かに、しかし確実に“機能停止”していった。
残されたのは、政治を知らぬ王、
贅沢を極めた皇后、
暴力的と噂される王子たち、
そして悪評高き“第一王女”。
「……あれが、かつての王の子らか」
そう言われて当然だった。
クラウスティン自身も、心の奥で思っていた。
(何も期待できぬ。ならば、宰相が動かす国で、せめて秩序だけは保とう)と。
だが——
宰相ヴォルクが権力を掌握すると、国は急速に腐敗した。
利権の再分配。軍資金の不明瞭な流用。
庶民からの税収の強化と、それに反比例する社会保障の削減。
「……私は、秩序を守ったのではない。
ただ、自分の信じた“静観”を言い訳に、堕落を見逃しただけだ」
クラウスティンは手にしていた茶杯を、そっと受け皿に戻した。
ここ最近、耳に入る“王家の異変”。
改革を宣言する王。
社交界を制す皇后。
軍を整え始めた第二王子。
影で情報網を張る第一王子。
そして庶民の前で、言葉だけで成金貴族をいなしたという“第一王女”。
全てが、あまりに急で、信じがたい。
「……だが、嘘ではない」
複数の筋から報告が上がってくる。
しかも、裏付け付きで。
中立派の中でも、密かに動揺が広がっていた。
「我らは、いつまで“様子見”を続けるつもりなのだ?」
問いは、自分自身に向けられていた。
「宰相派に着く気はない。だが、“今の王家”に信を置けるかと問われれば——それもまた、難しい」
だが、変化は確かに起きている。
それは“偶然”ではない。
“意志”がなければ、ここまで短期間に人は変われない。
クラウスティンは、窓の外を見やった。
夜の帳が静かに降り始め、王城の灯りがぽつりぽつりとともっている。
「この国を再び、誇れるものにできるとしたら……。
それは、“静かに育った奇跡”を信じる者たちが、その芽を潰さぬよう守り抜くことだ」
そのとき、扉の外から控えの声が響いた。
「クラウスティン様、次回の議会日程についてお伺いを——」
「延期だ」
「はっ……?」
「明日の議会、私は欠席する。王城に行く。
王女殿下に、直接会ってくる」
「……第一王女……ですか?」
「“言葉だけで場を収めた”という。
ならば、その言葉を、この耳で聞いてみたくなった」
クラウスティンは立ち上がり、肩に羽織をかける。
「一族の者には伝えておけ。“クラウスティンは、王家に一度だけ賭けるつもりだ”と」
静かに閉ざされた議事堂の扉。
そこから歩き出す老貴族の背中は、まっすぐに夜の王城へと向かっていた。
その最奥の革張りの椅子に、クラウスティン侯爵はゆったりと腰を下ろしていた。
彼の顔には、歴戦の刻を物語る深い皺と、常に理性を忘れぬ鋭さが刻まれている。
年は六十を超えてもなお背筋は伸び、視線には力がある。
——だが、今その視線は、珍しく迷っていた。
目の前に並ぶ報告書。
それは、ここ数週間で急激に届くようになった、“王家の改革”に関する記録である。
「……若き王族たちの動き、か」
彼の口から、低く呟きが漏れる。
「いったい、何が起きている?」
* * *
かつて、クラウスティンは前王に仕えた忠臣だった。
王国がまだ“理想”を持っていた時代、
前王は大貴族と新興派を巧みに操り、国家の均衡を保ち続けた名君だった。
その傍らには、常に慎重で中立的な意見を述べるクラウスティンの姿があった。
感情ではなく、原理と規律で動く男として、
時には前王に苦言を呈し、時には庶民に近い政策を推進したこともある。
前王が病に伏し、世を去ったとき——
王家は静かに、しかし確実に“機能停止”していった。
残されたのは、政治を知らぬ王、
贅沢を極めた皇后、
暴力的と噂される王子たち、
そして悪評高き“第一王女”。
「……あれが、かつての王の子らか」
そう言われて当然だった。
クラウスティン自身も、心の奥で思っていた。
(何も期待できぬ。ならば、宰相が動かす国で、せめて秩序だけは保とう)と。
だが——
宰相ヴォルクが権力を掌握すると、国は急速に腐敗した。
利権の再分配。軍資金の不明瞭な流用。
庶民からの税収の強化と、それに反比例する社会保障の削減。
「……私は、秩序を守ったのではない。
ただ、自分の信じた“静観”を言い訳に、堕落を見逃しただけだ」
クラウスティンは手にしていた茶杯を、そっと受け皿に戻した。
ここ最近、耳に入る“王家の異変”。
改革を宣言する王。
社交界を制す皇后。
軍を整え始めた第二王子。
影で情報網を張る第一王子。
そして庶民の前で、言葉だけで成金貴族をいなしたという“第一王女”。
全てが、あまりに急で、信じがたい。
「……だが、嘘ではない」
複数の筋から報告が上がってくる。
しかも、裏付け付きで。
中立派の中でも、密かに動揺が広がっていた。
「我らは、いつまで“様子見”を続けるつもりなのだ?」
問いは、自分自身に向けられていた。
「宰相派に着く気はない。だが、“今の王家”に信を置けるかと問われれば——それもまた、難しい」
だが、変化は確かに起きている。
それは“偶然”ではない。
“意志”がなければ、ここまで短期間に人は変われない。
クラウスティンは、窓の外を見やった。
夜の帳が静かに降り始め、王城の灯りがぽつりぽつりとともっている。
「この国を再び、誇れるものにできるとしたら……。
それは、“静かに育った奇跡”を信じる者たちが、その芽を潰さぬよう守り抜くことだ」
そのとき、扉の外から控えの声が響いた。
「クラウスティン様、次回の議会日程についてお伺いを——」
「延期だ」
「はっ……?」
「明日の議会、私は欠席する。王城に行く。
王女殿下に、直接会ってくる」
「……第一王女……ですか?」
「“言葉だけで場を収めた”という。
ならば、その言葉を、この耳で聞いてみたくなった」
クラウスティンは立ち上がり、肩に羽織をかける。
「一族の者には伝えておけ。“クラウスティンは、王家に一度だけ賭けるつもりだ”と」
静かに閉ざされた議事堂の扉。
そこから歩き出す老貴族の背中は、まっすぐに夜の王城へと向かっていた。
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