運命は蜜の味

大神ルナ

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1 休日は思うがままに

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 一部の電気しか点けられていない室内に、パソコンのキーボードを叩く音だけが響いている。
 不規則にいくつもの音があるのなら普通だろうが、室内に響くのは一人分の打撃音だけなのが悲しさを引き立てていた。

「これで最後⋯⋯」

 タンッと最後の音が響いた直後、雪平真白ゆきひらましろの口からは盛大なため息が漏れた。
 
「んんー、やっと終わった。はぁ⋯⋯帰ろ」

 凝り固まった体を伸ばし、誰からも労われることのない行いに心を寒々とさせながら、真白はパソコンの電源を落として立ち上がり、上着を羽織ると鍵付きの引き出しから鞄を取り出した。
 時刻は、二十一時。
 定時は十七時のため、少し残業をし過ぎてしまった。
 週明けに、上司に少しだけうるさく言われそうだと気が重くなるが、今日は華金だ。
 最高の日に、そんなことを考えている場合ではない。
 真白は椅子に掛けてあったエアコンの寒さ対策に置いていた上着を手に取ると、足早に出口へと向かった。
 階段を下りている間も、他の部署にはまだ残業組がいるのか、物音や話し声が聞こえてくる。
 必要最低限の明るさの中で下りる階段は、薄暗くて少しだけ不気味だ。
 けれど、真白はエレベーターという狭い箱の中で、知らない人間と一緒になるよりかはマシだと思うことにして、下りることだけに集中することにした。
 ものの数分で一階にたどり着き、夜勤業務もある警備員の前を通って会社を出た。
 外は九月だというのに、まだ残暑が色濃く残っている。
 四季の中でも、秋が一番好きな真白にとっては、迷惑な話だ。
 秋冬の洋服は、楽しみなものが多いのに、一向に着る機会はやってこない。
 体に絡みつく湿度を振り切るように歩き出そうとしたところで、真白は道路を挟んだ反対側の歩道に目を向けた。

「……まただ」

 初夏の頃から、時々というには頻繁に視線を感じるようになった。
 自意識過剰だと思われたくなくて、誰にも相談したことはないが、確かに感じるのだ。
 真白の後ろに、誰かが出てくるとすぐに視線はそちらに移るのだが、確実に自分の出てきたビルの誰かに用があるのだろう。
 この時間帯に出てくる人間は多くなく、真白でないのなら一体、誰を探しているのだろうか。
 三ヶ月近く続くその不可解さに、逆に興味が沸いてくる。
 とはいえ、厄介なことや変な事件に巻き込まれるのは御免な彼女は、わざわざ原因を突き止めようとは思わない。
 そんなことよりも、はやく華金を楽しむべきだ。
 視線を反らし、駅へと急いだ。
 毎週末は、着替えの入った小さなボストンバッグを駅のコインロッカーに朝預け、帰りに回収して行きつけの店のある駅で着替えて夜遊びしている。
 いつもどおり回収して、タイミングよく到着した電車に乗って目的地で降りた。
 有料のパウダールームで会社用のメイクを落とし、好みではないが会社用として着ている服を脱いで、自分好みの洋服を身につける。
 すっぴんというわけにはいかず、軽くメイクをするがメンズメイクに近い。
 髪はウィッグ用のネットで地毛を押さえ、黒に近い灰色のウルフカットのウィッグをかぶる。
 手櫛で軽く整えれば、準備は完了だ。
 黒いTシャツに半袖の白いシャツを羽織り、ゆとりのある黒いズボンを穿いて、足元は日常的に使っているスニーカー。
 ラフでメンズ系の服が、普段の真白の好みだ。
 だが会社ではそんな服装をするわけにはいかず、ある程度のTPOを考えて、どこにでもいるOLといった感じの雑誌にあるままを参考にした服装をしている。
 好みではない服をたくさん持つ気はなく、着回しが効くようなものばかりでクローゼットの中にカラフルさはない。
 軽く脱いだ服は畳んで鞄にしまい、忘れ物がないようにパウダールームを出た。
 向かうのは、ここでもやはりコインロッカーだ。
 スマホと財布、タバコは胸元で斜めに掛けている小さめなポシェットに入れて、ボストンバッグを押し込めば身軽になった。
 好みじゃない服を着ていた時とは違い、好きな服に身を包めば、肩から力が抜けた。
 心も軽くなって、日々の嫌なことから解放された気分だ。
 駅を出て、繁華街を進んでいく。
 金曜日だからか、どこの居酒屋も賑わっていて、がやがやと騒がしい。
 少し先に進めば、キャバクラやホストクラブの客引きが道行く人たちに声をかけている。
 その横を足早に通り過ぎ、一本奥の道に入り、真白は、どこにでもあるようなビルの地下に続く階段を降りた。
 目の前に待っていたのは、赤い扉。
 その扉を開いて中に入れば、すぐ近くで受付をしているスタッフがこちらに気がついて片手を上げた。
 
「やあ、真白さん。いつものメンバーはもう来てますよ」

「ありがとう。今日も盛況ですか?」

「この時間にしては、そこそこかな」

 顔馴染みのスタッフとの談笑を終えて中の廊下を進む真白の後ろからは、制止する声が聞こえてくる。
 
「当店は、未成年者の入場はいかなる場合も認めていません。たとえ、パートナーが成人であっても変わりません。お帰り下さい」

 静かにたしなめる声に、きちんとした店だなと思いつつ、奥の扉を開いた。
 自分の靴音しかしなかった廊下とは違い、扉の奥はたくさんの音で溢れている。
 爆音といってもいいほどだ。
 薄暗い店内は、ステージ上からの明かりと、心もとない程度の明かりしかない。
 真白の行きつけであるこの店は、DJのいるクラブでダンスフロアとバーが綺麗に分かれているため、音楽は好きだが踊ることはしない身でも通いやすかった。
 
「ましろ~! こっちこっち」

 呼びかけられた声のほうを向けば、ダンスフロアから一番離れているテーブルでは約束しているわけではないが、いつも会えば一緒の時間を過ごす友人たちが揃っていた。
 実際には友人と呼べるかは分からない。連絡先も苗字も知らない相手だが、それが縛られず気安くて真白は負担にならない点が好きだ。
 
「一週間ぶりね」

「もう、ましろは金曜の夜にしか来ないから寂しいわ」

 真っ先に腕に絡みついてきたのは、オネエのアオイだ。普段は新宿の方にいるようだが、真白のことが気に入っているらしく金曜日だけはこの店に来るようだ。
 暗い気持ちで来て軽く相談しても、アオイはその悩みを吹き飛ばしてくれる。
 ちょっとしたことで褒めてくれ、真白のなけなしの自己肯定感を上げてくれるのだ。

「そうやって、すぐ絡むのやめなって」

 そう言いながら、もう一方の腕を掴んだのは、見た目は完璧な女の子にしか見えない女装男子のリオンは、声変わりが酷くなかったのか、声を聞いても男の人だと気付ける人はいないだろう。
 現に、真白はリオンを女性だと勘違いして、女性用トイレに連れて行こうとしたほどだ。
 
「ほらほら、二人とも可愛いミリアちゃんが注文を取りに来てくれたんだから、さっさと頼みなさいよ」

 わしゃわしゃとしている真白たちにぴしゃりと言ったが、明らかに私情が挟みまくりの彼女──雅は、この店の常連客でミリアに片思い中だという。
 初めて店にきた日、ミリアと少し話している時に、やんわりと牽制しに来たのだ。
 真白が、自分はそういう意味でミリアと話していたわけじゃないと言う言葉を信じてもらえるまで小一時間は掛かったかもしれない。
 そんなことがあったからか、ここで一番親しいのは雅になった。
 アオイとリオンは、雅の紹介で親しくなったのだが、ここで目にしていること以上のことはお互いに知らない。
 何歳で、なにをしているのかなんてことを聞くのは野暮というものだ。
 
「それじゃあ、私はビールと今夜の軽食を一つお願いします」

「あら、ましろちゃんったら何も食べてこなかったの? アタシはビールだけお願い」

「僕はパフェをお願いします」

「ちょっと、あんた……もう〆みたいなもの頼むじゃないの」

「僕、明日は朝からランドに行くんで、二日酔いになってる場合じゃないんですよね」

 にこにこと言われ、真白は何度も瞬きを繰り返した。
 どこのかは知らないが、テーマパークに行くのなら、バーに来ている場合ではないんじゃないかという言葉は、どうにか呑み込んだ。
 真白は人混みも、行列も苦手だし乗り物も好みではない。
 特に絶叫マシーンなんかは、鳩尾のあたりが変な感じがして気持ちが悪くなるから嫌いだ。
 言ってしまえば、どう楽しんだらいいのかが分からない。

「あんた、ランドだなんて⋯⋯恋人と行くの?」

「へっ? おひとりランドですが」

 きょとんっ、とリオンは不思議そうな顔をしているし、予想外の返答だったのかアオイも反応できずにいる。
 
「まったく、今はひとりでランドなんて珍しくもないでしょう。アオイさんってば、どこの時代の人?」

 からからと笑いながら「昭和初期?」なんて言われて、揶揄われているアオイを眺めていると、握られている腕に圧が加わった。

「やっぱり⋯⋯男の僕が一人でランドって変なのかな」

 リオンは、ぽつりと呟いた。悲しみとか、羞恥だとかそんな感情があるわけじゃない。
 ただ、不思議そうなだけだ。
 
「変じゃないよ。犯罪じゃない限り、好きなことをやってなにも変なことなんてない。人の趣味は、自由なんだから。誰かの反応を気にする必要はないんだよ」

 思ったままに真白が言えば、リオンは何度もうなずいた。

「うん⋯⋯うん。そうだよね。ましろは、お土産なにがいい?」

「お土産?」

 明るい顔になったリオンに問いかけられ、今度は真白が困惑する番になった。
 子供の頃に両親に連れて行ってもらった記憶はあるが、小さな頃過ぎて何が置いてあったか思い出すのは難しい。
 それくらい、テーマパークに行ったのは遠い昔のような気がする。
 
「⋯⋯どんな物をリクエストすればいいのか、わからないよ」

「じゃあ、僕の独断と偏見で選んできていい?」

「うん。その方が嬉しいかも」

「じゃあ、来週楽しみにしててね」

 自分にはない可愛らしさに、真白は眩しさを覚えた。

「ちょっとぉー、アタシたちにはないの? それと、さっきは悪かったわね。アタシの中じゃ、若い子は恋人同士で行くものになってたのよ」

「ええー、アオイさんも欲しいの? さっきのことなら気にしないでよ。僕は気にしてないからさ」

 申し訳なさそうな様子のアオイと笑顔で、見た目と違い大人な対応を見せるルオンたちを見守っている真白の向かいに立った雅は、誰も座っていないボックス席を指差した。

「軽食を頼んだなら、座って食べた方が落ち着くんじゃないの?」

「そうしようかな」

 軽食とはいえ、店長の気まぐれで作られた料理は、テーブルに届くまでどんな食べ物でどれくらいの量なのかが分からない。
 ただ、いつでも一定の価格のためありがたいのだ。
 四人でテーブルに移動していると、雅は音楽で聞こえにくいであろうミリアにボディランゲージで伝えてくれた。
 バーカウンターにいるミリアも気がついたのかうなずいている。
 店の中もそれなりに人が増えてきたが、真白が昔イメージしていたクラブとは違い、人でひしめき合うことも、治安が悪い感じではない。
 日々の生活に疲れていた真白は、生まれて初めて夜遊びをしようと思ってブラブラしていたところで、この店──〈ルチーフェロ〉に辿り着いた。
 外国語に疎い真白が、雅に聞くと彼女は快く教えてくれた。
 ルチーフェロは、イタリア語で〈堕天使〉と言うのだと。
 店の名前と雰囲気が気に入るという単純な理由で、通うようになってから半年ほどが経つ。
 こうして週一程度でも通っていると、来店する人間の顔も覚え始めてくる。
 だからか、時々横を通る人と、軽くだが会釈程度の挨拶が交わされるなんてこともある。
 そんなこともあって、真白は新しく入店してくる話し声が聞こえると、自然と入口へ視線が行くようになっていた。
 いざ、ボックス席に座ろうと背もたれに手をついたところで、入口の方が騒がしいことに気がついた。

「なんか、騒がしいけど……トラブルかな?」

 隣に座ろうとしていたリオンの邪魔にならないように座り、振り返る形で騒ぎの方を見ていると、その中心には一人の背の高い男がいた。

「ああ、キョウヤね」

「キョウヤ?」

 答えてくれたのは雅だった。
 さすがは常連客であり、恋敵になりそうな人間に目を光らせているだけはある。

「ちょうど、三ヶ月前くらいかな、初めて来たの。一部の
女の子たちの間では、有名な男みたいね」

「有名人なんですか?」

「別に芸能人とかって訳じゃないわよ。 セフレの家を住処にしてるクソ男」

 少し長めの黒髪に、軽い口調と甘いマスク。
 恋人になれなくても、一夜の楽しみをと望むのかもしれない。
 真白は、男女の知識は持っていても、今まで興味を持ったことがなくて、誰かと交際すらしたことがなかった。
 
「お互いに何を求めてるんだろう」

 素朴な疑問だった。
 ただの独り言のつもりだった。
 
「そんなの決まってんでしょ。男女だろうが、女同士だろうが、男同士だろうが……」

 答えてくれたのは、やはり雅だった。
 新しい煙草に火をつけて、深く息を吸うと真っ白な煙を吐き出した。

「こんな夜遅くに求めるのは、一人じゃないって思うための体温。それと性的欲求の解消と気持ちよさでしょ」

「そういうもの?」

 口に出しながら、自分も孤独を埋めるために店に来ているのかもしれないと思えば、雅の言うことも強ち間違いではないのだろう。
 最後にもう一度、男の方に視線を向ければ、こちらの会話は聞こえていないはずなのに目が合った。
 
 
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