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5 セフレになると頷いたつもりはありませんが?
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「雪平さん。この会社のリサーチをお願いします」
「はい、分かりました。夕方までには詳細を渡しますね」
「よ、よろしくお願いします」
返答を返した真白が、すぐにキーボードを叩き始めると、同僚は驚いた顔をしながら引き下がっていった。
「雪平さん、どうしたんだろね。いつもより、仕事のスピードが速くない?」
「う、うん。いつもの渋々感がなくて、営業の男どもは喜んでるけど、急にエネルギー切れを起こさないか心配だよ」
いつもの真白を知る同僚たちは心配そうに見ているが、そんなことにはかまっていられない。
元気は元気なのだ。
体も軽く、精神も安定している。
だが、少しでも忙しくしていないと、意識が休日に持っていかれてしまうのだ。
土曜の真っ昼間から、最後までしなかったとはいえ、初心者の真白にとっては、同じくらいの行為だった。
けれど、自分でするよりも、確実に気持ちが良かった。
ふっと、目を覚ましたときのことを思い出す。
息を乱す真白が視線を感じて顔を向ければ、まだ欲望を感じているキョウヤと目が合った。
一度、目を閉じて全てを覆い隠した彼は、「もっと先を知りたくない」と誘惑してくる。
「今日は……もういっぱいいっぱいで」
これ以上の刺激に耐えられるか分からずそう零せば、魅力的なホクロの口元を綻ばせた。
「もちろん。俺は無理強いする男じゃないよ」
そう言って笑い、横になったまま、ウトウトと微睡んでいる真白の頭を撫でた。
「俺とセフレになろうよ。もっと先まで教えてあげる」
アルコールの次は、睡魔に勝てなくて、話半分で適当に頷いた気がする。
事実、目を覚ましてリビングに行けば、テーブルの上に一枚のメモがあった。
『おはよう。連絡先交換したいから連絡してね。響夜』
名前の下には、LINEの連絡先が書かれていた。
そのときは、まずはシャワーを浴びたいと無視した。
当たり前だが、シャワーを浴びて一通りのことを終えてリビングに戻っても、メモはそこに存在している。
次に、窓の外を見れば空は夕焼け空で、時間を見れば十六時を過ぎていた。
朝食と昼食を摂っていないことに気が付き、驚きとともに夕食の材料など必要な物を買いに出かけた。
家に帰る頃には、陽はどっぷりと暮れていて、スーパーで買った割引弁当を食べて、気分良く眠りについた。
その日は、本気で連絡するということを忘れていた。
混んでいる夕方のスーパーでヘトヘトで帰り、テーブルに買い物袋を置いたその拍子に、メモをすっ飛ばしていたことにも、次の日に気が付いたくらいだ。
日曜日は、ぐっすり眠れたおかげでスッキリと目を覚まし、気分良くフローリングワイパーをかけている時に、本棚の下からメモを発見した。
爽快だった気分は、一気に霧散し、ぐるぐると悩む時間がやってきた。
本当なら、ゆったりと読書をしたり、ゆっくりと料理をしたりと自由な時間を過ごす日だというのに、微妙な気分になってくる。
結果、いまだに連絡は出来ていない。
連絡しないことを悪いかと思ったが、雅が響夜についてセフレの家を転々としているのを思い出し、連絡しなくて問題ないと真白は判断した。
いい経験だった。
そう自分に言い聞かせ、あの日をいい思い出として、真面目に恋人探しでもするかと、健全な道について考えようとした。
セフレなんて、健全ではない。
そんな乱れた関係は、自分の性格上ありえない。
恋人の関係が全て、美しく尊いものだとは思ってはいないが、そうであって欲しいと真白は思っている。
──はずなのだ。
一心不乱に仕事をし、全てをあるべきように終わらせた達成感と共に、真白は会社を出た。
ちょっと頑張った自分に、駅ナカのいい感じの店でご褒美になりそうな食べ物でも買って帰ろう。
そんな風に思っていた。
ウキウキで駅に行き、目の端にコインロッカーを捉えるまでは──。
あのなんとも言えない固く冷たい箱を見た瞬間、前回の荷物を回収していないことに気がついた。
(まずい! 駅員さんに回収されちゃうかも)
別に見られて困るものが入っているわけではないが、中身を他人に見られるのはなんだか嫌だった。
目的地を変更して、バーのある駅へと向かうことにした。
幸い、まだ回収はされておらず、料金の超過分を支払って荷物を引き出すことが出来た。
ただ、額は大したことがなくても、無意味な出費に、駅ナカご褒美ご飯を買う気は失せてしまった。
仕方がなく、冷凍弁当を食べるかと思いながら電車に乗ろうと改札に向かえば、見覚えのある男が手を振っていた。
「おねーさん、お疲れ様」
「な、なんで」
今の真白は、メイクも洋服も、響夜の前でしていたものとは違う。なんならウィッグだって被っていた。
なのに、なぜ気づかれたのか。
今まで、会社の人とすれ違っても気づかれたことがないのに。
「ははっ、焦っててウケる」
「だって、この間とは違う見た目だし」
「そう? あんま思わないけどね」
「ところで、なんでここに?」
「ええー、それをおねーさんが言う?」
「それと、そのおねーさんっていうのやめてくれる?」
さっきから、おねーさんと呼ばれる度に、周りからの視線が痛い。
視線だけで、そちらを見れば、ヒソヒソと喋っている人もいる。
「だって、名前も連絡先も教えてくれないから、おねーさんって呼ぶしかないでしょ?」
わざとらしく“おねーさん”という言葉を強調されて、増える視線に耐えられなくなってくる。
「私が悪かったわ。教えるから、とりあえずどっか静かな場所に行きましょう」
真白としては、個室の居酒屋にでも行こうと思っていたのだが、響夜はにんまりと笑って近づいてきた。
「おねーさん、意外と積極的だね。静かな場所に行こうだなんて」
耳に息を吹きかけるように言われ、腰の辺りがぞわりっとした。
しばし、思考まで止まってしまった。
(なんか変なこと言ったかしら……)
気にはなりつつも、はやく違う場所に行きたくて、近くに個室居酒屋はないかとスマホで調べていると、ボストンバッグを持っていた手が急に軽くなった。
「この駅……キャバクラとホストクラブはあるけど、ホテルはないから、少し電車で移動していい?」
「移動するのは構わないけど、なんでホテル?」
「ん? だって、はやく静かな場所に行きたいんでしょ?」
「ち、違うわよ! 個室の居酒屋を探してるの」
「ええー、男女の静かな場所に行きたいは、ホテルに行こうって誘い文句でしょ」
理由のわからない持論を述べられる中、スマホの人工知能は近くで二件ほどヒットさせた。
どちらも良さそうだったが、少しでも口コミのいい方をマップで表示してナビを起動した。
「ほら、行くわよ。あと、荷物返して」
「やだね。急に逃げ出さないように、人質ならぬ物質だよ。さあ、案内して」
仕方がなくマップを見ながら歩き出せば、斜め後ろを口笛を吹きながらついてくる。
「ここみたい」
店は、駅から五分ほどの距離にあった。
明るく、月曜日だと言うのに繁盛しているのか、入る客も帰る客もなかなかの人数だ。
「いらっしゃい」
「二人なんですけど、空いていますか?」
「はい。二名様ご案内します!」
大きな声に圧倒されながら、案内されたのは店の一番奥の個室だった。
「注文は、そちらのタブレットから出来ますので、ごゆっくりお過ごしください。お食事が終わりましたら、画面したの会計ボタンを押して、こちらの席の番号が印刷された伝票をレジまでお持ちください」
お冷やとおしぼりを置いて説明をしてくれた店員は、扉を閉めて去っていった。
男性と二人きりで居酒屋になど来たことのない真白は、どうしようかと悩んだ末に注文用のタブレットに手を伸ばした。
一番大きく表示されているのはおすすめや期間限定メニューだったが、まずはドリンクを決めることにした。
「何を飲みますか?」
ドリンクのページには、ソフトドリンクからアルコール、コーヒーまで様々な種類がある。
「まさかと思うけど、未成年だったりしないわよね?」
一瞬、そんな考えが頭に浮かんだが、口にしてから〈ルチーフェロ〉が入店の際の身分証の確認に厳しいことを思い出した。
「もちろん、二十五歳だよ」
「それなら、アルコールにする?」
「うーん、ビールにしとこうかな」
「おつまみは?」
「おねーさんが適当に頼んでいいよ」
にこにこと、また嫌な呼び方をされたため、真白はタブレットで適当に注文を済ませると姿勢を正した。
「私は真白。二度と、おねーさんって呼ばないで」
「もちろんだよ、ましろ。俺はメモにも書いたけど、響夜だからね?」
向かい合う響夜をじっくりと見た。
夜道とバー、自宅で顔は見ていたはずなのに、今初めてきっちりと認識した気がした。
少し長めの黒髪を後ろで結んでいて、左耳に二つ、右耳に三つのピアス。
綺麗な二重の目の左側に泣きぼくろがあり、口元には以前気がついていたほくろがありどこか色気のようなものを感じる。
この店に来るまでに気がついたのは、斜め後ろを歩かれていても高いと思うほど高身長だ。
気だるげに笑ってるが、真白は自分も観察されているなという気がしてくる。
「失礼します。ご注文の品です」
扉が開かれ、店員がビールをそれぞれに、つまみの皿を中央に置いた。
「箸と小皿は、そちらにありますのでご自由にお使いください」
指さされた方を見れば、調味料の他に箸入れと小皿が真白の側に置いてあり、直箸はないなと思いながら三膳取り出していると──。
「よかったら、連絡ください。待ってます」
そんな店員の声がした。
振り返る頃には、扉は閉まり店員の女性の姿はどこにもなかった。
響夜を見れば、その涼しげな瞳はテーブルに向けられている。
小皿と箸をコトリっと置けば、響夜の手がメモと思わしき紙を握りつぶした。
あれは、自分に自身のある女性が、同席している女性を下に見ているから出来る行為だろう。
明らかに、今の真白と響夜は釣り合っていない。
よくて、金のある女が年下男に奢っているという構図だろうか。
「真白は怒らないの? こういう時って、自分以外の女の連絡先なんて捨ててとか、他の女なんて見ないでとか言うんじゃないの?」
「それは、お付き合いをしている恋人同士だけに成り立つ言葉なのでは?」
「えー、恋人じゃなくても、言う子はいるけどな」
「あなたを何かのトロフィーのように思っていたんじゃないですか? だから、自分だけのものと思いたい。たとえ、それが自分だけのものに出来ない人間だとしても」
「へぇー」
クシャクシャにしたメモをテーブルの上に放った響夜は、頬づえをついて興味深そうに真白を見てくる。
「そんなことよりも、意外です」
「意外? なにが?」
「バーの友人の話だと、来る者拒まずだとか。そのメモをくれた彼女に答えてあげないんですか?」
自分の小皿にカプレーゼとアヒージョを取り分け、食べ始めると向かい側から笑い声が上がった。
「確かに俺と寝たいって子を断ることはしないけど、横やりしてくる子には答えないね。今は、真白がいるし」
「私は、次を望んだ覚えはありませんが?」
「もしかして……本気で忘れてる? あの日、俺が最後までしなかったから、もっと先まで教えてあげるって話で」
「……」
真白が、何のことだろうかという顔をしたからか、どんどん響夜の声が小さくなっていく。
「まじかよ。セフレになろうって言ったら、「いいよ」って言ってくれたの、覚えてないの?」
「覚えて……ない」
気まずくて、目をそらして言えば、響夜はビールを一気に飲み干した。
「だから、連絡くれなかったの?」
「……はい。どうせ、そういった対象の方はたくさんいるんだろうなと思ったので。別に、困らないだろうと」
この顔の良さだ。
セフレどころか、お金持ちのお姉様のヒモだっておかしくない。
真白にとって響夜は、そんなイメージだった。
「俺だけか……連絡楽しみにしてたの」
拗ねた口振りに、真白は落としていた視線を上げた。
響夜は、取り皿に唐揚げを取ってレモンをかけてから食べている。行儀悪く肘をついたままだが、荒っぽく見せているように感じた。
なんとも言えない違和感を感じながら、真白は食事を再開した。
個室とはいえ、防音な訳ではないから、周りの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
それに比べて、この個室は店員から見たら異様な感じに見えそうだ。
駅という場で、こんな風に話すのは目立つから店に入ったが、そろそろお開きでいいだろう。
真白はそんな気でいたのだが──。
「次は何飲む? 俺はねぇ」
「……もう話も済んだし、お開きかと思ったんだけど」
「ええー、もう? 真白はちゃんと食べた?」
「ええ、あとは家でゆっくりと食べます」
隙を見てタブレットの会計ボタンを押した。
「ああー、ひどい」
泣き真似のようなジェスチャーをされたが取り合わず、さっさと立ち上がり伝票を手にレジに向かった。
会計ボタンを押すと、店員に知らされるのか、すでにレジに立っていた。
「お願いします」
「伝票お預かりしますね」
伝票に印刷されているバーコードを読み込むと、間違いなく頼んでいた品の値段と合計金額が表示された。
現金主義の真白は、財布を開くとピッタリの金額を出せたことに満足しながらレシートを受け取った。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。また、お越しください」
今度はゆっくり一人で来ようと思いながら店を出て歩き出せば、後ろから着いてくる足音が聞こえてきた。
駅の方向はそっちだし、行き先が同じになるのは仕方がない。
そんな風に思っていたのだが、少しだけ暗い路地を通り過ぎようとすると、くんっと後ろから腕を掴まれ、その路地に引き込まれた。
「ちょっと、何を!」
後ろを歩いているのが、響夜だと分かっていた真白は、
腕を引かれたことに文句は言わなかったが、何も言わずに暗がりに引っ張り込まれたことには文句を言いたかった。
けれど、抱きしめられて、驚きに上げた顔に待っていたとばかりに、キスが落ちてきた。
身長差もあって、閉じ込められているという感覚に、あの日ベッドに縫い止められた時のことを思い出し、胸の奥が震える。
キスと抱きしめられている体温だけでも気持ちがいい。
何度も角度を変えて与えられるキスも、前回で呼吸の仕方を覚えた真白は堪能することが出来る。
「ふぅっ……はっ、んんっ」
堪能出来るとはいえ、技術があるかは別問題だ。
ゆっくりと唇をこじ開けられ、舌が口腔内に侵入してくる。
響夜は真白の舌を突き、同じようにしろと誘って絡めてきた。
ちゅっ、という音に混じり、水音が耳を犯す。
どうにかついていこうと試みるが、上顎の歯列をなぞられ、思いもしなかった部分からの刺激に、膝から力が抜けた。
自然と唇が離れ、そのまま膝を着くことになるかと思った真白だったが、力強い腕に支えられた。
「さあ、どうする?」
週の最初だというのに、耳元で悪魔が甘く囁いた。
「はい、分かりました。夕方までには詳細を渡しますね」
「よ、よろしくお願いします」
返答を返した真白が、すぐにキーボードを叩き始めると、同僚は驚いた顔をしながら引き下がっていった。
「雪平さん、どうしたんだろね。いつもより、仕事のスピードが速くない?」
「う、うん。いつもの渋々感がなくて、営業の男どもは喜んでるけど、急にエネルギー切れを起こさないか心配だよ」
いつもの真白を知る同僚たちは心配そうに見ているが、そんなことにはかまっていられない。
元気は元気なのだ。
体も軽く、精神も安定している。
だが、少しでも忙しくしていないと、意識が休日に持っていかれてしまうのだ。
土曜の真っ昼間から、最後までしなかったとはいえ、初心者の真白にとっては、同じくらいの行為だった。
けれど、自分でするよりも、確実に気持ちが良かった。
ふっと、目を覚ましたときのことを思い出す。
息を乱す真白が視線を感じて顔を向ければ、まだ欲望を感じているキョウヤと目が合った。
一度、目を閉じて全てを覆い隠した彼は、「もっと先を知りたくない」と誘惑してくる。
「今日は……もういっぱいいっぱいで」
これ以上の刺激に耐えられるか分からずそう零せば、魅力的なホクロの口元を綻ばせた。
「もちろん。俺は無理強いする男じゃないよ」
そう言って笑い、横になったまま、ウトウトと微睡んでいる真白の頭を撫でた。
「俺とセフレになろうよ。もっと先まで教えてあげる」
アルコールの次は、睡魔に勝てなくて、話半分で適当に頷いた気がする。
事実、目を覚ましてリビングに行けば、テーブルの上に一枚のメモがあった。
『おはよう。連絡先交換したいから連絡してね。響夜』
名前の下には、LINEの連絡先が書かれていた。
そのときは、まずはシャワーを浴びたいと無視した。
当たり前だが、シャワーを浴びて一通りのことを終えてリビングに戻っても、メモはそこに存在している。
次に、窓の外を見れば空は夕焼け空で、時間を見れば十六時を過ぎていた。
朝食と昼食を摂っていないことに気が付き、驚きとともに夕食の材料など必要な物を買いに出かけた。
家に帰る頃には、陽はどっぷりと暮れていて、スーパーで買った割引弁当を食べて、気分良く眠りについた。
その日は、本気で連絡するということを忘れていた。
混んでいる夕方のスーパーでヘトヘトで帰り、テーブルに買い物袋を置いたその拍子に、メモをすっ飛ばしていたことにも、次の日に気が付いたくらいだ。
日曜日は、ぐっすり眠れたおかげでスッキリと目を覚まし、気分良くフローリングワイパーをかけている時に、本棚の下からメモを発見した。
爽快だった気分は、一気に霧散し、ぐるぐると悩む時間がやってきた。
本当なら、ゆったりと読書をしたり、ゆっくりと料理をしたりと自由な時間を過ごす日だというのに、微妙な気分になってくる。
結果、いまだに連絡は出来ていない。
連絡しないことを悪いかと思ったが、雅が響夜についてセフレの家を転々としているのを思い出し、連絡しなくて問題ないと真白は判断した。
いい経験だった。
そう自分に言い聞かせ、あの日をいい思い出として、真面目に恋人探しでもするかと、健全な道について考えようとした。
セフレなんて、健全ではない。
そんな乱れた関係は、自分の性格上ありえない。
恋人の関係が全て、美しく尊いものだとは思ってはいないが、そうであって欲しいと真白は思っている。
──はずなのだ。
一心不乱に仕事をし、全てをあるべきように終わらせた達成感と共に、真白は会社を出た。
ちょっと頑張った自分に、駅ナカのいい感じの店でご褒美になりそうな食べ物でも買って帰ろう。
そんな風に思っていた。
ウキウキで駅に行き、目の端にコインロッカーを捉えるまでは──。
あのなんとも言えない固く冷たい箱を見た瞬間、前回の荷物を回収していないことに気がついた。
(まずい! 駅員さんに回収されちゃうかも)
別に見られて困るものが入っているわけではないが、中身を他人に見られるのはなんだか嫌だった。
目的地を変更して、バーのある駅へと向かうことにした。
幸い、まだ回収はされておらず、料金の超過分を支払って荷物を引き出すことが出来た。
ただ、額は大したことがなくても、無意味な出費に、駅ナカご褒美ご飯を買う気は失せてしまった。
仕方がなく、冷凍弁当を食べるかと思いながら電車に乗ろうと改札に向かえば、見覚えのある男が手を振っていた。
「おねーさん、お疲れ様」
「な、なんで」
今の真白は、メイクも洋服も、響夜の前でしていたものとは違う。なんならウィッグだって被っていた。
なのに、なぜ気づかれたのか。
今まで、会社の人とすれ違っても気づかれたことがないのに。
「ははっ、焦っててウケる」
「だって、この間とは違う見た目だし」
「そう? あんま思わないけどね」
「ところで、なんでここに?」
「ええー、それをおねーさんが言う?」
「それと、そのおねーさんっていうのやめてくれる?」
さっきから、おねーさんと呼ばれる度に、周りからの視線が痛い。
視線だけで、そちらを見れば、ヒソヒソと喋っている人もいる。
「だって、名前も連絡先も教えてくれないから、おねーさんって呼ぶしかないでしょ?」
わざとらしく“おねーさん”という言葉を強調されて、増える視線に耐えられなくなってくる。
「私が悪かったわ。教えるから、とりあえずどっか静かな場所に行きましょう」
真白としては、個室の居酒屋にでも行こうと思っていたのだが、響夜はにんまりと笑って近づいてきた。
「おねーさん、意外と積極的だね。静かな場所に行こうだなんて」
耳に息を吹きかけるように言われ、腰の辺りがぞわりっとした。
しばし、思考まで止まってしまった。
(なんか変なこと言ったかしら……)
気にはなりつつも、はやく違う場所に行きたくて、近くに個室居酒屋はないかとスマホで調べていると、ボストンバッグを持っていた手が急に軽くなった。
「この駅……キャバクラとホストクラブはあるけど、ホテルはないから、少し電車で移動していい?」
「移動するのは構わないけど、なんでホテル?」
「ん? だって、はやく静かな場所に行きたいんでしょ?」
「ち、違うわよ! 個室の居酒屋を探してるの」
「ええー、男女の静かな場所に行きたいは、ホテルに行こうって誘い文句でしょ」
理由のわからない持論を述べられる中、スマホの人工知能は近くで二件ほどヒットさせた。
どちらも良さそうだったが、少しでも口コミのいい方をマップで表示してナビを起動した。
「ほら、行くわよ。あと、荷物返して」
「やだね。急に逃げ出さないように、人質ならぬ物質だよ。さあ、案内して」
仕方がなくマップを見ながら歩き出せば、斜め後ろを口笛を吹きながらついてくる。
「ここみたい」
店は、駅から五分ほどの距離にあった。
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「いらっしゃい」
「二人なんですけど、空いていますか?」
「はい。二名様ご案内します!」
大きな声に圧倒されながら、案内されたのは店の一番奥の個室だった。
「注文は、そちらのタブレットから出来ますので、ごゆっくりお過ごしください。お食事が終わりましたら、画面したの会計ボタンを押して、こちらの席の番号が印刷された伝票をレジまでお持ちください」
お冷やとおしぼりを置いて説明をしてくれた店員は、扉を閉めて去っていった。
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一番大きく表示されているのはおすすめや期間限定メニューだったが、まずはドリンクを決めることにした。
「何を飲みますか?」
ドリンクのページには、ソフトドリンクからアルコール、コーヒーまで様々な種類がある。
「まさかと思うけど、未成年だったりしないわよね?」
一瞬、そんな考えが頭に浮かんだが、口にしてから〈ルチーフェロ〉が入店の際の身分証の確認に厳しいことを思い出した。
「もちろん、二十五歳だよ」
「それなら、アルコールにする?」
「うーん、ビールにしとこうかな」
「おつまみは?」
「おねーさんが適当に頼んでいいよ」
にこにこと、また嫌な呼び方をされたため、真白はタブレットで適当に注文を済ませると姿勢を正した。
「私は真白。二度と、おねーさんって呼ばないで」
「もちろんだよ、ましろ。俺はメモにも書いたけど、響夜だからね?」
向かい合う響夜をじっくりと見た。
夜道とバー、自宅で顔は見ていたはずなのに、今初めてきっちりと認識した気がした。
少し長めの黒髪を後ろで結んでいて、左耳に二つ、右耳に三つのピアス。
綺麗な二重の目の左側に泣きぼくろがあり、口元には以前気がついていたほくろがありどこか色気のようなものを感じる。
この店に来るまでに気がついたのは、斜め後ろを歩かれていても高いと思うほど高身長だ。
気だるげに笑ってるが、真白は自分も観察されているなという気がしてくる。
「失礼します。ご注文の品です」
扉が開かれ、店員がビールをそれぞれに、つまみの皿を中央に置いた。
「箸と小皿は、そちらにありますのでご自由にお使いください」
指さされた方を見れば、調味料の他に箸入れと小皿が真白の側に置いてあり、直箸はないなと思いながら三膳取り出していると──。
「よかったら、連絡ください。待ってます」
そんな店員の声がした。
振り返る頃には、扉は閉まり店員の女性の姿はどこにもなかった。
響夜を見れば、その涼しげな瞳はテーブルに向けられている。
小皿と箸をコトリっと置けば、響夜の手がメモと思わしき紙を握りつぶした。
あれは、自分に自身のある女性が、同席している女性を下に見ているから出来る行為だろう。
明らかに、今の真白と響夜は釣り合っていない。
よくて、金のある女が年下男に奢っているという構図だろうか。
「真白は怒らないの? こういう時って、自分以外の女の連絡先なんて捨ててとか、他の女なんて見ないでとか言うんじゃないの?」
「それは、お付き合いをしている恋人同士だけに成り立つ言葉なのでは?」
「えー、恋人じゃなくても、言う子はいるけどな」
「あなたを何かのトロフィーのように思っていたんじゃないですか? だから、自分だけのものと思いたい。たとえ、それが自分だけのものに出来ない人間だとしても」
「へぇー」
クシャクシャにしたメモをテーブルの上に放った響夜は、頬づえをついて興味深そうに真白を見てくる。
「そんなことよりも、意外です」
「意外? なにが?」
「バーの友人の話だと、来る者拒まずだとか。そのメモをくれた彼女に答えてあげないんですか?」
自分の小皿にカプレーゼとアヒージョを取り分け、食べ始めると向かい側から笑い声が上がった。
「確かに俺と寝たいって子を断ることはしないけど、横やりしてくる子には答えないね。今は、真白がいるし」
「私は、次を望んだ覚えはありませんが?」
「もしかして……本気で忘れてる? あの日、俺が最後までしなかったから、もっと先まで教えてあげるって話で」
「……」
真白が、何のことだろうかという顔をしたからか、どんどん響夜の声が小さくなっていく。
「まじかよ。セフレになろうって言ったら、「いいよ」って言ってくれたの、覚えてないの?」
「覚えて……ない」
気まずくて、目をそらして言えば、響夜はビールを一気に飲み干した。
「だから、連絡くれなかったの?」
「……はい。どうせ、そういった対象の方はたくさんいるんだろうなと思ったので。別に、困らないだろうと」
この顔の良さだ。
セフレどころか、お金持ちのお姉様のヒモだっておかしくない。
真白にとって響夜は、そんなイメージだった。
「俺だけか……連絡楽しみにしてたの」
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響夜は、取り皿に唐揚げを取ってレモンをかけてから食べている。行儀悪く肘をついたままだが、荒っぽく見せているように感じた。
なんとも言えない違和感を感じながら、真白は食事を再開した。
個室とはいえ、防音な訳ではないから、周りの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
それに比べて、この個室は店員から見たら異様な感じに見えそうだ。
駅という場で、こんな風に話すのは目立つから店に入ったが、そろそろお開きでいいだろう。
真白はそんな気でいたのだが──。
「次は何飲む? 俺はねぇ」
「……もう話も済んだし、お開きかと思ったんだけど」
「ええー、もう? 真白はちゃんと食べた?」
「ええ、あとは家でゆっくりと食べます」
隙を見てタブレットの会計ボタンを押した。
「ああー、ひどい」
泣き真似のようなジェスチャーをされたが取り合わず、さっさと立ち上がり伝票を手にレジに向かった。
会計ボタンを押すと、店員に知らされるのか、すでにレジに立っていた。
「お願いします」
「伝票お預かりしますね」
伝票に印刷されているバーコードを読み込むと、間違いなく頼んでいた品の値段と合計金額が表示された。
現金主義の真白は、財布を開くとピッタリの金額を出せたことに満足しながらレシートを受け取った。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。また、お越しください」
今度はゆっくり一人で来ようと思いながら店を出て歩き出せば、後ろから着いてくる足音が聞こえてきた。
駅の方向はそっちだし、行き先が同じになるのは仕方がない。
そんな風に思っていたのだが、少しだけ暗い路地を通り過ぎようとすると、くんっと後ろから腕を掴まれ、その路地に引き込まれた。
「ちょっと、何を!」
後ろを歩いているのが、響夜だと分かっていた真白は、
腕を引かれたことに文句は言わなかったが、何も言わずに暗がりに引っ張り込まれたことには文句を言いたかった。
けれど、抱きしめられて、驚きに上げた顔に待っていたとばかりに、キスが落ちてきた。
身長差もあって、閉じ込められているという感覚に、あの日ベッドに縫い止められた時のことを思い出し、胸の奥が震える。
キスと抱きしめられている体温だけでも気持ちがいい。
何度も角度を変えて与えられるキスも、前回で呼吸の仕方を覚えた真白は堪能することが出来る。
「ふぅっ……はっ、んんっ」
堪能出来るとはいえ、技術があるかは別問題だ。
ゆっくりと唇をこじ開けられ、舌が口腔内に侵入してくる。
響夜は真白の舌を突き、同じようにしろと誘って絡めてきた。
ちゅっ、という音に混じり、水音が耳を犯す。
どうにかついていこうと試みるが、上顎の歯列をなぞられ、思いもしなかった部分からの刺激に、膝から力が抜けた。
自然と唇が離れ、そのまま膝を着くことになるかと思った真白だったが、力強い腕に支えられた。
「さあ、どうする?」
週の最初だというのに、耳元で悪魔が甘く囁いた。
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手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
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