ハルと、ふたり暮らし。

永文

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第1話:ぎこちない朝食

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 カチ、カチ、カチ。
 壁掛け時計の秒針だけが、静まり返った空間に音を刻んでいた。

 日曜の朝、リビングに差し込む日差しはやわらかくて、
 トースターのパンの焼き上がる香りが、空気の中にふわりと広がっている。
 だけど、この空気は、決して“あたたかい”とは言えなかった。
 食卓に向かい合って座るのは、私、朝倉紬あさくら つむぎと——

「……牛乳、飲む?」

「うん」

 無表情で返してくる、義理の弟・はる
 中学三年生、無口、無表情、必要最低限の反応しかしない。
 けどちゃんと返事をするあたり、律儀な子でもある。

 私はグラスに牛乳を注ぎながら、無言の食卓に慣れなきゃいけないなと覚悟を決める。

 悠がうちに来てから、今日で五日目。
 母の再婚と、突然の海外赴任で置いていかれた“義理の弟”との同居は、まだまだ気まずさ全開だった。
 
「……あ、パン焦げてないかな?」

 トースターから取り出した食パンは、かろうじて許容範囲のきつね色。
 私は無理やり明るい声で言いながら、自分の分と悠の分を皿にのせた。

「バターかジャム、どっちがいい?」

「……ジャム」

「オッケー。いちごジャムね」

 冷蔵庫から取り出しながら、自分でも不思議に思う。
 なんでこんなに声が上ずってるんだろう。
 誰もいない教室でひとり喋ってるみたいなこの会話、けっこうつらい。

 それでも、食卓にふたり分のトーストとサラダとスクランブルエッグが並んだとき。
 なんだか、少しだけ“生活”が始まった気がした。
 
「いただきます」

 私がそう言うと、悠も小さく、でもちゃんと「いただきます」とつぶやいた。
 スプーンで卵をすくう。
 サクッと焼けたパンにジャムを塗る。
 それだけの、ただの朝食。
 だけど今の私たちにとっては、それが精一杯のコミュニケーションだった。
 
「悠くん、学校っていつからだっけ?」

「火曜日から」

「そっか。準備は……大丈夫そう?」

「うん。制服も持ってきたし、教科書も」

「そうなんだ。……えらいね」

 返事はない。でも、反論もしない。
 まあ、これくらいが普通なんだろう。無理に盛り上げようとすると、余計に気まずくなる。
 
 ふと見ると、悠がサラダを先に食べていた。
 トマトが嫌いな子って多いけど、彼は気にせずパクパク食べる。

「……サラダ、好き?」

「……食べられます」

「そっか。よかった。……あ、ドレッシングもっとかける?」

「ううん、大丈夫」

 この子、本当に必要最小限しかしゃべらないな。
 だけどどこか、私に合わせようとしてくれている気もする。
 
 やがて、ふたりとも食べ終わって、食器を流しに運ぶ。
 私が片づけようとすると、悠がぽつりと言った。

「自分のは、自分で洗うよ」

「え? あ、そう? ……じゃあ、お願いね」
「うん」
 
 食器を洗うその背中が、なんだか小さく見えた。

 まだ十五歳。
 突然知らない場所で、知らない姉と暮らすことになって、
 本当はすごく不安だと思うのに、それをまったく表に出さない。

 偉いよ、悠くん。
 でも、無理してるなら、少しは甘えてくれてもいいのに。
 そんなことを思いながら、私はキッチンカウンターに寄りかかった。
 
「悠くん」

「なに?」

「今夜、カレー作ろうと思ってるんだけど、辛いの平気?」

「うん。辛いの、すき」

「そっか、よかった。……じゃあ、具材なにが好き?」

「じゃがいもと、にんじんと、肉」

「……それ、全部じゃん」

「……うん」

 一瞬だけ、悠の口元がふわっと緩んだ。
 その笑いはほんの数秒で消えたけど、私は見逃さなかった。
 たったそれだけで、朝の空気が少しだけ柔らかくなる。
 
 この子はまだ、心の扉を開けきっていない。
 でも、ほんの少しだけ——鍵が緩んだ気がした。

 焦らずにいこう。無理に踏み込まないで、でも、そばにいる。
 “姉”というより、ただのルームメイトみたいな関係だけど、
 それでも一緒に過ごす時間が、少しずつこの部屋を「家」にしていくんだと思う。
 
「ごちそうさまでした」

 悠が食器を拭き終え、静かに頭を下げた。

「ごちそうさま。今日もいい一日になるといいね」

 その言葉に返事はなかったけど——
 悠の背中は、なんとなく、昨日よりまっすぐに見えた。
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