ハルと、ふたり暮らし。

永文

文字の大きさ
6 / 18

第5話:風邪と、手のひら

しおりを挟む
 月曜日の朝。
 悠が、珍しく自分から「休みたい」と言った。

「……ちょっと、だるい。頭、重くて」

 声も少しかすれていて、顔色もよくない。
 体温計を渡すと、静かに測って、黙って数字を見せてくれた。

「38.2……これは、完全にアウトだね」

 私がそう言うと、悠は布団に顔を埋めたまま、こくりとうなずいた。
 
「今日は学校、休もう。私、大学午後からだから、病院行く?」

「行かない。寝たら、なおる」

「……熱、あるんだから、ちゃんと診てもらったほうが」

「……だいじょうぶ。寝たらなおるから」
 
 本当に十五歳?
 そう思うくらい、落ち着いた返答。
 でも、それが逆に心配になる。

 熱があっても我慢するのは、“大人だから”じゃなく、“甘え方を知らない子ども”だから。
 私は少しだけため息をついて、冷蔵庫を開けた。
 
________________________________________

 冷蔵庫にあった卵と冷ごはんで、即席のおかゆを作った。
 とろみをつけて、ほんのり塩と醤油で味を整える。

 布団の中でじっとしていた悠のもとに、お盆にのせて運ぶ。

「食べられそう?」

「……うん。少しなら」

 スプーンを差し出すと、彼は静かに受け取って、ひとくちすくった。

「あつ……」

「ごめん、冷ますの忘れてた!」

 あわてて扇ごうとしたら、彼がふっと小さく笑った。

「うそうそ、ちょうどいい」

「……なにそれ、イジワル」

「……ちょっとだけ、元気出た」

 その言葉に、思わず私も笑ってしまった。
 笑ってくれると、安心する。
 子どもみたいな表情に、少しだけホッとする。
 
________________________________________

 午後、私が大学に向かおうとすると、悠が布団の中から顔を出した。

「……バイトもあるんでしょ?」

「うん、でも今日は忙しくない日だから、すぐ帰るよ」

「……鍵、置いてって」

「わかってるよ。ちゃんと食べて、寝てるんだよ?」

「うん」

「あと、汗かいたら着替えるの忘れずに」

「……うるさい」

 そう言いながら、少しだけ笑う彼が、ほんの少しだけ「甘えてる」ように見えて、私は心の中でガッツポーズをした。
 
________________________________________

 夕方、早めにバイトを切り上げて帰宅すると、
 リビングには静かな呼吸音があった。

 悠はソファに丸まって、うとうとしていた。
 毛布をかけてやると、かすかに目を開けて、こちらを見た。

「……おかえり」

「ただいま。熱、どう?」

「……まだある。でも、まし」

「水分、ちゃんと取った?」

「うん。スポーツドリンク飲んだ」

「えらいえらい」

 まるで小さい子どもをあやすような口調になってしまって、自分でも苦笑した。
 でも、彼が弱っているときにしか見せない、この無防備な感じが、少しうれしかった。
 
 私は冷えピタを取りに行って、そっと額に貼ってやった。
 彼は目を閉じたまま、ぽつりとつぶやいた。

「……お姉ちゃん、優しいね」

「そりゃあ、弟が熱出してるんだから、当然でしょ」

「……でも、なんか、こういうの……慣れてない」

「看病?」

「誰かに……してもらうの」
 
 その言葉が、じんわり胸に染みた。

「悠くん」

「ん……?」

「今は、してもらっていいんだよ」

 そう言って、私は彼の手を、そっと握った。
 熱っぽい掌が、少しだけ震えていた。
 それでも彼は、そのまま眠ってしまった。
 
 私の手を、ぎゅっと握ったまま。
 
________________________________________

 夜。
 熱は少し下がっていたけど、夕食は軽めにした。
 うどんと、柔らかく煮た卵。
 布団に入りながら食べられるように、お盆に載せて持っていく。

「ごはん、食べる?」

「……うん、ありがと」

「食べたら、すぐ寝てね」

「……わかった」

 スープを飲みながら、彼がぽつりとつぶやいた。
 
「……夢、見てた」

「どんな夢?」

「お母さんと、お父さんと……どこかに向かってる夢。途中でいなくなって、気づいたらひとりだった」

 私は返す言葉を探して、見つけられなかった。
 ただ、「大丈夫だよ」なんて、簡単に言えることじゃなかった。
 
「悠くん」

「……なに?」

「今、ひとりじゃないよ」

 彼は、何も言わなかった。
 でも、まっすぐにこちらを見つめてくれていた。
 
 その視線に、私は胸が締めつけられた。
 それは弟を見る目じゃなかった。
 私が感じたのは、“誰かを大切に思う気持ち”で、それがどんな名前を持つのか、まだわからなかった。
 でも、名前がないままでも、私はそれを大事にしたいと思った。
 
 そして、彼の手のひらの温度を、私はそっと記憶に刻んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

元恋人が届けた、断りたい縁談

待鳥園子
恋愛
シュトルム辺境伯の末娘ソフィに隣国の帝国第二皇子から届けられた『縁談』の使者は、なんと元恋人のジョサイアだった。 手紙ひとつで別れることになったソフィは、素直になれずジョサイアから逃げ回る。 「私に届けなければ、彼は帝国に帰ることが出来ない」 そう思いようやく書状を受け取ろうと決意したソフィに、ジョサイアは何かを言い掛けて!?

不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない

翠月 瑠々奈
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。 始めは夜会での振る舞いからだった。 それがさらに明らかになっていく。 機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。 おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。 そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

嫌われたと思って離れたのに

ラム猫
恋愛
 私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。  距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。

退屈令嬢のフィクサーな日々

ユウキ
恋愛
完璧と評される公爵令嬢のエレノアは、順風満帆な学園生活を送っていたのだが、自身の婚約者がどこぞの女生徒に夢中で有るなどと、宜しくない噂話を耳にする。 直接関わりがなければと放置していたのだが、ある日件の女生徒と遭遇することになる。

処理中です...