ハルと、ふたり暮らし。

永文

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第8話:初めての笑顔

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 週末の午前10時。
 珍しく予定のない休日に、私はのんびりとホットミルクを飲みながらソファに転がっていた。

 キッチンからは洗い立ての食器の匂い。
 窓の外には少し曇った空。
 テレビもつけてない、音のない午前中。
 ——この静けさ、嫌いじゃない。

 ふと、隣の部屋の扉がそろそろと開く音がした。

「……おはよう」

「おはよう、悠くん。よく寝た?」

「うん……ちょっと寝すぎた」

 まだ寝癖のついた髪を軽く手ぐしで整えながら、悠がリビングに入ってくる。
 無防備なその姿に、なぜか一瞬だけ目をそらしてしまう。

「ホットミルク、飲む?」

「うん。ほしい」
 
 カップを渡すと、悠は素直に「ありがとう」と言ってソファに座った。
 ふたり並んでホットミルクを飲むだけの時間。
 言葉はないのに、心の中がじんわりとあたたかくなる。
 それは、家族といる時間とも、友達とも違う。
 近いようで遠くて、でも、どこかでつながってる。
 そんな不思議な感覚だった。
 
________________________________________

 午後になって、私は突然「ゲームしよっか」と言い出した。

「最近ずっと真面目な日々だったから、たまには息抜きってことで」

「ゲームって……なにするの?」

「Switchあるけど、マリカーとかやる?」

「やったことない」

「よし、じゃあ勝負!」

 私は勢いでコントローラーを渡すと、悠は戸惑いながらも操作を覚えはじめた。
 最初はクラッシュばかりしていた彼が、2レース目で私を抜かした瞬間——

「やば、今のうまっ!」

「え、え、抜いた? 今、俺抜いた?」

「抜いた抜いた! マジで!? 悔しいんだけど!」

 思わず大きな声で笑うと、悠が口を手で覆って、こらえきれずに吹き出した。

「ふふ……なんか、お姉ちゃんの顔、すごい悔しそうだった」

「うるさいな、くやしいよ! 本気だったのに!」

「うそ、手抜いたかと思った」

「むしろ必死だったわ!」

 そんな他愛のない会話が、リビングに響く。
 それがとても、とても心地よかった。
 

「悠くん、笑うとさ、ちょっと幼く見えるね」

「え……うそ」

「ほんとほんと。普段おとなしいから、ギャップで余計に可愛い感じする」

「……なんか、恥ずかしい」

 照れながら目をそらす悠を見て、私はふと思った。
 こんなに自然に笑い合えたのって、たぶん初めてかもしれない。
 
________________________________________

 その日の夜。
 リビングで並んでお茶を飲みながら、私はぽつりと聞いてみた。

「ねえ、悠くん」

「なに?」

「今日、たのしかった?」

 彼は少し考えてから、うなずいた。

「うん。……たのしかった」

「よかった」

「ゲームとか、昔、ひとりでやってたけど、誰かと一緒にやるのって、こんなに違うんだなって思った」

「へえ、どんなふうに?」

「笑える。なんか、うれしくなる」

「……それ、私も同じ」
 
 私は空になったカップを手に取って、キッチンへ向かおうとした。
 でも、ふと足を止めて、振り返る。

「悠くん」

「うん?」

「また、笑ってよ」

 彼は少し驚いた顔をして、それから小さく微笑んだ。

「……がんばる」

 その笑顔はとても静かで、だけど、ちゃんと心に届くものだった。
 
 笑い合えるって、いいな。
 ただ、それだけのことなのに、
 私は少しだけ、泣きたくなるくらい嬉しかった。
 
 きっとそれは、ただの“弟”に向ける感情じゃない。
 でも今はまだ、この感情に名前をつけない。
 それでいい。
 今はただ、この暮らしの中で、少しずつ育っていくものを、大切にしたい。
 
 あの笑顔を、また見られるように。
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