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第7話:誕生日の嘘
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——悠の誕生日は、来週の水曜日。
母から聞いたその情報を、私はなぜか頭のすみでずっとあたためていた。
「別に、誕生日だからって、なにかするわけじゃないんだけどさ」
そう言いつつ、私は月曜の帰り道にスーパーで材料を買い込んだ。
ホイップクリーム、いちご、スポンジケーキ、ロウソク。
それから、少しだけ高めのバターと合い挽き肉。
「うん、やるならここまでちゃんとやらないと」
誰に見せるわけでもないのに、私はちょっと浮かれていた。
ふたり暮らしを始めてから、初めての“記念日”。
その日だけは、悠が「弟」じゃなくてもいいと思っていた。
それがどんな意味を持つのか、まだ自分でも分からなかったけれど——
ただ、彼に笑ってほしかった。
________________________________________
当日。私は大学を早めに切り上げて、スーパーで追加の材料を買い足し、
夕方には家でケーキとハンバーグの準備を始めていた。
キッチンにはバターのいい香り。
オーブンには焼き上がりを待つスポンジ。
その横で煮込み中のソースからは、甘酸っぱい香りが立ちのぼる。
「完璧……!」
そう呟いた瞬間、玄関の扉が開いた。
悠が帰ってきた。
「あっ、おかえり!」
「……ただいま」
「ちょっと待っててね、すぐ準備終わるから!」
私はエプロン姿のままダイニングに顔を出した。
テーブルにはロウソクを立てた小さなケーキ。
そして「Happy Birthday 悠くん」と書かれたチョコプレート。
けれど、それを見た瞬間、悠の表情がすっと曇った。
「……これ、なに?」
「え? あ、うん、今日は誕生日でしょ? だからその、ささやかだけど……」
「……なんで、そんなことするの?」
「え……?」
悠は、しばらく私の顔をじっと見つめたあと、ぽつりと呟いた。
「……祝われたくないって、思ってたのに」
その言葉に、私は言葉を失った。
「……あ、ごめん、そうだったんだ……知らなくて……」
「別に……怒ってるわけじゃない。けど、なんか……やだ」
「……やだ、って?」
「……“誕生日”って、誰かに祝われるの、慣れてないんだ。だから、そういうの、困る」
その瞬間、胸にズキンと何かが刺さった。
私のやさしさは、ただの自己満足だったんだろうか。
彼を笑顔にしたくて、一生懸命作った料理も、ケーキも、
その全部が“重たかった”ってこと?
——その答えを考えるのが、怖かった。
「……そっか、ごめんね。気づかなくて」
そう言って私は、ケーキのロウソクを指でそっと抜いた。
ロウソクの穴が、まるで自分の心の中の空洞みたいだった。
________________________________________
夕食はほとんど無言だった。
せっかく作ったハンバーグも、悠は静かに箸を進めるだけで、味の感想もなかった。
私は無理に笑顔をつくって、
「味、どう?」と聞いたけれど、
「ふつう」とだけ返ってきた。
……それが、いちばん辛かった。
夕食後、私はケーキを冷蔵庫に戻したあと、洗い物もせずに自分の部屋に引っ込んだ。
布団に潜り込むと、なぜかぽろぽろと涙がこぼれてきた。
泣くほどのことじゃない、って思うのに、止まらなかった。
——なんでこんなに悲しいの。
誰かのためにしたことが、間違ってたと突きつけられること。
“優しさ”が届かなかったとき、人はこんなにも脆くなるんだ。
________________________________________
30分くらい経った頃。
ドアの向こうから、そっとノックの音がした。
「……お姉ちゃん、起きてる?」
私は声を殺して返事をした。
「……うん」
ドアがゆっくり開いて、悠がケーキの皿を手に持って立っていた。
「……一緒に、食べる?」
私は驚いて顔を上げると、彼は目を伏せたまま続けた。
「……びっくりしただけなんだ。誰かに、誕生日って祝ってもらったこと、なかったから」
「……そっか」
「だから……なんて言えばいいか、わかんなかった。
でも……うれしかった。ほんとは、すごく」
私は鼻をすすって、小さく笑った。
「それなら、最初から言ってよ……」
「ごめん」
部屋の真ん中に座って、ふたりでケーキをひと口ずつ食べた。
いちごが少し酸っぱくて、生クリームがやわらかくて。
でもそれよりなにより、ケーキの甘さよりも——
今、こうして隣に座ってくれていることのほうが、よっぽど甘かった。
「おたんじょうび、おめでとう」
私がそう言うと、悠は少し照れたように言った。
「……ありがとう」
そして、小さな声で、こう付け足した。
「……お姉ちゃんが、いてくれて、よかった」
その言葉が、涙よりもやさしく、私の胸に染みこんでいった。
母から聞いたその情報を、私はなぜか頭のすみでずっとあたためていた。
「別に、誕生日だからって、なにかするわけじゃないんだけどさ」
そう言いつつ、私は月曜の帰り道にスーパーで材料を買い込んだ。
ホイップクリーム、いちご、スポンジケーキ、ロウソク。
それから、少しだけ高めのバターと合い挽き肉。
「うん、やるならここまでちゃんとやらないと」
誰に見せるわけでもないのに、私はちょっと浮かれていた。
ふたり暮らしを始めてから、初めての“記念日”。
その日だけは、悠が「弟」じゃなくてもいいと思っていた。
それがどんな意味を持つのか、まだ自分でも分からなかったけれど——
ただ、彼に笑ってほしかった。
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当日。私は大学を早めに切り上げて、スーパーで追加の材料を買い足し、
夕方には家でケーキとハンバーグの準備を始めていた。
キッチンにはバターのいい香り。
オーブンには焼き上がりを待つスポンジ。
その横で煮込み中のソースからは、甘酸っぱい香りが立ちのぼる。
「完璧……!」
そう呟いた瞬間、玄関の扉が開いた。
悠が帰ってきた。
「あっ、おかえり!」
「……ただいま」
「ちょっと待っててね、すぐ準備終わるから!」
私はエプロン姿のままダイニングに顔を出した。
テーブルにはロウソクを立てた小さなケーキ。
そして「Happy Birthday 悠くん」と書かれたチョコプレート。
けれど、それを見た瞬間、悠の表情がすっと曇った。
「……これ、なに?」
「え? あ、うん、今日は誕生日でしょ? だからその、ささやかだけど……」
「……なんで、そんなことするの?」
「え……?」
悠は、しばらく私の顔をじっと見つめたあと、ぽつりと呟いた。
「……祝われたくないって、思ってたのに」
その言葉に、私は言葉を失った。
「……あ、ごめん、そうだったんだ……知らなくて……」
「別に……怒ってるわけじゃない。けど、なんか……やだ」
「……やだ、って?」
「……“誕生日”って、誰かに祝われるの、慣れてないんだ。だから、そういうの、困る」
その瞬間、胸にズキンと何かが刺さった。
私のやさしさは、ただの自己満足だったんだろうか。
彼を笑顔にしたくて、一生懸命作った料理も、ケーキも、
その全部が“重たかった”ってこと?
——その答えを考えるのが、怖かった。
「……そっか、ごめんね。気づかなくて」
そう言って私は、ケーキのロウソクを指でそっと抜いた。
ロウソクの穴が、まるで自分の心の中の空洞みたいだった。
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夕食はほとんど無言だった。
せっかく作ったハンバーグも、悠は静かに箸を進めるだけで、味の感想もなかった。
私は無理に笑顔をつくって、
「味、どう?」と聞いたけれど、
「ふつう」とだけ返ってきた。
……それが、いちばん辛かった。
夕食後、私はケーキを冷蔵庫に戻したあと、洗い物もせずに自分の部屋に引っ込んだ。
布団に潜り込むと、なぜかぽろぽろと涙がこぼれてきた。
泣くほどのことじゃない、って思うのに、止まらなかった。
——なんでこんなに悲しいの。
誰かのためにしたことが、間違ってたと突きつけられること。
“優しさ”が届かなかったとき、人はこんなにも脆くなるんだ。
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30分くらい経った頃。
ドアの向こうから、そっとノックの音がした。
「……お姉ちゃん、起きてる?」
私は声を殺して返事をした。
「……うん」
ドアがゆっくり開いて、悠がケーキの皿を手に持って立っていた。
「……一緒に、食べる?」
私は驚いて顔を上げると、彼は目を伏せたまま続けた。
「……びっくりしただけなんだ。誰かに、誕生日って祝ってもらったこと、なかったから」
「……そっか」
「だから……なんて言えばいいか、わかんなかった。
でも……うれしかった。ほんとは、すごく」
私は鼻をすすって、小さく笑った。
「それなら、最初から言ってよ……」
「ごめん」
部屋の真ん中に座って、ふたりでケーキをひと口ずつ食べた。
いちごが少し酸っぱくて、生クリームがやわらかくて。
でもそれよりなにより、ケーキの甘さよりも——
今、こうして隣に座ってくれていることのほうが、よっぽど甘かった。
「おたんじょうび、おめでとう」
私がそう言うと、悠は少し照れたように言った。
「……ありがとう」
そして、小さな声で、こう付け足した。
「……お姉ちゃんが、いてくれて、よかった」
その言葉が、涙よりもやさしく、私の胸に染みこんでいった。
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