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二学期 六章 文化祭

030 メイド服に触れてほしい後輩

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 文化祭当日――校内は華やかな装飾に彩られていた。

 花飾りのウェルカムアーチ、あちこちで空高く浮いているアドバルーン、ロボット部制作の等身大ガン〇ムの模型、それに向かい合うようにして座る芝山さん制作の巨大ビリケンさん。

「カオスだな……。」

 とりあえずそれら装飾を写真におさめていく。当日は記録係として、文化祭の様子を写真に撮りまくるという役割が与えられているからだ。

「さて、各クラスの様子を撮りにまわるか。」

 俺は「記録係」と書かれた黄色の腕章を付け、一年生フロアから順に回っていくことに決めた。

 初めての文化祭ということで、一年生たちの出店も盛り上がっている様子である。ファインダーを覗きこみ、数枚シャッターを下ろした。

「せ~ん~ぱ~いっ!」

 聞き慣れた声とともに、頬をつんつんと誰かに触れられた。まぁ誰かは察しがつくのだけれど。

 振り向くと、やはりサッカー部後輩のちろるがいた。

 ちろるはドンキホーテで売っていそうな、可愛らしいフリルの付いたメイド服に身を包み、にこにこと悪戯な笑みを浮かべていた。

「やっほー、ちろるん。」

「えへへ~、どうですか?」

 ちろるはそう言ってくるっと回った。明らかに服装に触れてほしそうな顔をしている。そんな顔をされたら、ついスルーしたくなるのが人情というものだろう。

「あれ……? 前髪少し切った?」

「ちょっと! そこじゃないでしょっ!」

 普段より激しめのツッコミが入った。ちろるも初の高校の文化祭でテンションが高いのかもしれない。

「ちろるん……その恰好どうしたの?」

「ふふっ、文化祭でメイド服といったら、メイド喫茶しかないじゃないですか~。うちのクラスはメイド喫茶をしてるんです。」

「そうか。うん、可愛いな。」

 正直なところ、人目をはばからずに抱きしめたいくらいには可愛い。もちろん公の場でそんな事はしないし、言わないけれども。

「先輩に可愛いと言ってもらえて、恥ずかしい気持ちをおさえて着たかいがありました。ついでにお茶でもいかがですか?」

「そうだな。メイド喫茶の写真を撮るついでに、コーヒーでももらおうかな。」

「先輩はブラックですよね。おっとな~!」

 ちろるはわざとからかうように言う。夏休みにちろるの家にお邪魔した際に、俺のコーヒーの好みについても彼女は熟知している。

 俺は席につきコーヒーを待つ間、メイド喫茶の写真を撮った。その中には、ちろるが一生懸命に接客する様子も数枚含まれている。

「……あれ?」

 写真を撮っていて、俺はある事に気が付いた。メイド喫茶だから当然といえば当然かもしれないが、男が全くもって見当たらないのである。

 ちろるがコーヒーを給仕してくれた際に、俺はそのことを尋ねた。

「なぁちろる。何で男が全くいないの? 全員調理にまわってるとか?」

「あぁ、うちのクラスの男子はですね……。向かいの空き教室です。」

「空き教室? そこで執事喫茶でも開いてるのか?」

 文化祭でメイド喫茶を開く際の常套手段である。男子は執事喫茶を営業し、女性客の集客を狙う。

「当たらずとも遠からずです。男子は二丁目カフェを開いてますよ。」

「二丁目カフェ?」

「ようするに、ゲイバーならぬ、ゲイカフェといったところです。ネーミングが露骨すぎるので、二丁目カフェとなりました。」

「なるほど……」

 それ、文化祭で需要あるか? いやまぁ、本人たちが楽しんでるならそれでいいけども。

「それより、私たちの出番……午後の3時からですよね? 先輩も生徒会のお仕事大変だと思いますけど、遅れないでくださいね。」

「もちろん大丈夫だ。ありがとうな、いきなり御願いしたのに了解してくれて。」

「いえいえ、先輩たちと一緒にスポットライトが当たるステージに立てるなんて、光栄ですよ。」

 俺とちろるが何の話をしているかというと、文化祭ライブの出番の話である。軽音部に混じって、俺を含めたサッカー部一同が出演するのだ。

 事の始まりは昨年の文化祭、月山が「俺らも文化祭でライブしたい!」と言ったのがきっかけで、月山&俺&剛田&池上という、サッカー部四人でバンドを組んだことである。

 それ以来、各々担当の楽器を趣味程度であるが練習していた。

 本来は月山がギターボーカルの予定だったが、月山が音痴だというリークを菅野さんから得たため、急遽サッカー部マネジのちろるがボーカルに抜擢されたという経緯である。

 一方のボーカルを下ろされた月山は、金持ちのボンボンであり幼少からピアノを習っていたので、キーボード担当へと異動になった。

 というわけで、ボーカルちろる、ギター俺、ドラム剛田、ベース池上、キーボード月山という五人組バンドの誕生である。

 俺は香り立つコーヒーを一口すすった。

「コーヒーなかなか美味しいね。」

 コーヒーにそれほど詳しいわけではないが、香りからしてインスタントではないのはわかる。文化祭といえど、なかなか手の込んだものを提供しているようだ。

「そりゃもう、ご主人様への愛情がたっぷり入ってますからね。」

 ちろるは嬉しそうに、俺がコーヒーを飲む様子を見つめている。

「ご主人様って……。ちろるんは俺の傍で油を売っていていいのか?」

「ご主人様のお傍にお仕えするのが、メイドのお仕事ですよ?」

 ちろるはぺろっと舌を出して、顔を近づけてきた。そして周囲に聞こえないように、俺の耳元で囁く。

「……私は先輩だけの専属メイドですからね/// 何なりと……申し付けて下さい」

 見知った後輩にメイド姿でご奉仕されるというのは、なんともいえない背徳感を感じる。しかし、こうしたあざとい台詞には、反応しないというのが暗黙の了解であり、巻き込まれ事故を防ぐ最適解でもある。

「……。」

「むぅ~! たまには何か反応してくださいよっ!」

「嫌だよ。恥ずかしい台詞言って、あとで後悔したくないからな。」

「恥の多い生涯を送ってきた先輩が、今さら何を言ってるんですか?」

「名作の冒頭引用してディスッてんじゃねぇよ。」

 ちろるんとのあほなやりとりを終え、コーヒーを飲み終えた俺はメイド喫茶を後にした。
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