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調教8 淫魔による最後の調教
2 宰相である理由
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一希の食事を運ぶゼルギウスは、城内の廊下でヴィンセントとすれ違った。
目の前の淫魔王は、殺気立っているのか、彼の周囲の空気が張りつめている。
いつもの彼は、どこか冷めた雰囲気はあった。でも一希を迎えてから、幾分か雰囲気が穏やかになったと思っていた。
原因は、リーアムの事だろう。彼も自分1人で倒せるとは、最初から考えてはいなかった筈だ。
だがこの殺気立つ魔力は、自分では止められない。それどころか彼の琴線に触れた途端、すぐに消されそうだ。
彼の下に就いてから、今まで幾人の同族や他魔族が彼に消されたかを自分は知っている。彼のとばっちりを予想し、呼吸が早くなる。意識して呼吸を整えると、すれ違う淫魔王に恭しく頭を下げた。
「ゼルギウス」
呼ばれたゼルギウスは、目の前を通るヴィンセントに名を呼ばれハッとして顔を上げた。その表情は、硬かった。
ゼルギウスは己の身がすくむと同時に、その表情から彼の緊迫した心情を察した。
だがヴィンセントは、彼に言った。
「何としても、一希を守れ」
硬い声音で出された命令口調は、自分に拒否は許さないとプレッシャーを与えられているようだ。
「御意に。我が王」
了承の意図を伝えると、彼はさらに付け加えた。
「カミールは気にするな。あれはどうあっても一希に触れる事はできん」
先程、カミールが一希とヴィンセントがいる部屋から出て行く姿にゼルギウスは遭遇していた。カミールもヴィンセントと同等の魔力を持つ淫魔国の王子だ。ゼルギウスの魔力では、太刀打ちはできない。
「宜しいのですか?一希様を拐かす可能性だって考えられますが」
この双子の魔力は淫魔族で最強の強さを持つ。弟のカミールは、幻覚と暗示能力に関して目の前の淫魔王よりも上だ。人間である一希ではどんなに霊力が強くてもその能力からは拒否できない。
しかし次のヴィンセントの言葉からはその杞憂は不要なものとなった。
「一希自身が、カミールを拒否した。いくらあれでも拒否されれば抱く事はない」
淫魔が人間の精気を得るためにはあくまでも人間の同意は前提だ。どの階級の淫魔でもそれは弁えている。人間界で人間達を襲っていたのは、彼等の美貌な容姿に拐かされた結果であり、拐かされた時点で淫魔達は同意を得たと解釈されていたのだ。
カミールもそれに倣って、今まで人間の精気を食っていた。だがその人間にはっきりと拒否されては、カミールもどうしたって精気を得る事はできない。
ヴィンセントから聞いたゼルギウスは杞憂が1つなくなった事にこっそり安堵した。
「分かりました。無駄な杞憂でしたね」
「王達はどうしている?」
「既に人狼王、獣人王、竜人王が王の間で待機していらっしゃいます。バンパイア王は遅れて到着すると、先程連絡がありました」
「分かった」
報告を受けたヴィンセントは、ふっと息を吐いた。取り敢えず、自分1人でリーアムと戦う状況ではなくなった事にひとまず安堵した。
「リーアムを撃つまで、一希は部屋から一歩も出すな。部屋に結界を張った」
「承知致しました。どうか、御武運を」
ゼルギウスは再度恭しく頭を下げる姿を確認したヴィンセントは、王の間へ向かい、艶のある革靴の音を鳴らして歩いて行った。
その後ろ姿を、自分は見えなくなるまで見守った。
これから、あのリーアムを撃つ。
この城も恐らく戦場になるだろう。だから、部下を含め魔力が弱い者達は事前に待避させた。
リーアムは魔界でも長い間お尋ね者だった。長年同族のバンパイア族だけでなく、自分達含め五大部族はみな彼の行方を追っていた。
彼が王だった時代のバンパイア国は、荒廃した国土に加え、王の品格を失った彼の虐殺が同族だけでなく、他魔族にまで及んでいたのだ。当時王子の立場だった現バンパイア王では太刀打ちできず、友人だったアレクサンダーが加勢した事で、彼の虐殺行動は終焉し退位した。
しかしそこからだ。リーアムは、アレクサンダーに異常な執着を見せ始めたのだ。リーアム失踪後、アレクサンダーは彼の消息を探して完全に息の根を止めるため、人間界へ降りた。そこでアレクサンダーは番と出会い結ばれた。しかし、それをリーアムは奪ったのだ。淫魔族の特性を知っていたリーアムは一番残酷なやり方でアレクサンダーを死に追いやったのだ。
それを思い出すと、ゼルギウスも心が痛んだ。既にアレクサンダーの部下として動いていた彼は、アレクサンダーが空腹と番を失った絶望の中衰弱していく姿を間近で見ていたのだから。
「(あのような死に方を二代続けて出すわけにはいかない)」
現淫魔王でも太刀打ちできるか分からない。
それを理解しているのは、他ならぬヴィンセント本人だ。
自分よりも若い彼を即位当初から知っているが、彼もずっと孤独に苛まれてきた。7年前に番となる一希を見つけてからか、自分に刃を向ける者は容赦なく消してきた彼が、番を見つけたというだけで雰囲気が穏やかなものに変わったようだった。
あの素朴な青年が、孤独に囚われた若い淫魔王の心を虜にしてしまうとは恐れ入る事だ。
「貴方という方は、恐ろしい。淫魔王をここまで変えてしまうのだから」
一希と始めて顔を合わせた時、事前にヴィンセントから話は聞いていたが素朴な姿に、年端もいかない子どもかと思った。
実際、ドールハウスで世話係として過ごしていると、少し悪戯したい衝動にかられ、ちょっと遊んだ程度で返ってきた反応はまるで初物そのものだった。しかし、番になる事を拒否して人間界へ帰還した事をヴィンセントから聞いた時、あの素朴な外見と裏腹に、気骨があると関心したものだ。
淫魔族でも最強の魔力を誇るヴィンセントの誘惑を拒否したあの気骨さは人間の中にもそういない。退魔師として活動していた彼なら、年月を重ねればいずれは王として君臨するヴィンセントの右腕になれるかもしれない。
ヴィンセントの姿が完全に見えなくなると、ゼルギウスは食事を持ったまま一希のいる部屋の前に進んだ。扉をノックして入室すると、一希はベッドで穏やかに眠っている。
ゼルギウスはテーブルに食事を置くと、眠っている一希に近づき額に手を翳した。軽い催眠状態にされたようだが、穏やかな寝息は聞こえるし、夢を見ているのか、寝言を言っている。
これならすぐに目覚めるだろう。目が覚めたら、食事を摂らせよう。
ゼルギウスは、部屋のカーテンを開けると扉から差す眩しい陽光が部屋を明るく照らし、思わず目を窄めた。気象変動が多い魔界では、快晴というのは珍しい天気だ。
「いい朝だ。こんな天気も、随分久しぶりだな」
この天気が、嵐の前の静けさにならないで欲しいと思う。
ふと、一希が眠っているベッドがゴソゴソと動いているのが分かった。
そのまま一希は、ベッドからゆっくり起き上がると、カーテンを開けて朝の眩しい陽光を受けるゼルギウスと目が合った。ゼルギウスは一希が起きた事を確認すると、優しく微笑んだ。
「おはようございます。一希様。朝食をお持ちしました。そのままお召し上がりになりますか?」
※※※
一希が起き上がった事を確認したゼルギウスは、テーブルへ誘導し椅子を引いて座るよう促した。
彼が出す食事は、人間界の様々な地域を模倣して作ってくれている。彼はドールハウスに収容されてから一希の食事を作ってくれていて、一希の栄養バランスと料理の見た目に配慮して作ってくれる。
左右に取っ手が付いたプアルというショコラ色の皿には、ニンニク、玉葱、ベーコン、ピーマン、トマト、トマトソースとクミンやナツメグ、黒胡椒といったスパイスで炒め、その上に2つの目玉焼きが乗っている。シャクシュカという料理らしい。その横の青色のプレート皿には、白チーズと蜂蜜が掛かった2枚のパンケーキが積み重なっている。小さい白の陶器のカップにはパセリが散りばめられたオニオンスープ、ガラスのコップには色とりどりのフルーツティーだ。
鮮やかな朝の食事は、起き抜けの一希の食欲をそそる。その見た目の鮮やかさに一希は思わず感嘆の声をあげた。
特にスパイスの効いたシャクシュカは、早く食べたくて、口腔内で唾液が溢れている。
スプーンを持った一希は、目玉焼きを器用に分けてトマト煮の野菜に和えて口に運んだ。ニンニクとスパイスの効いた味が美味で表情が綻ぶ。
「美味しい。すごく」
「そう仰って頂けて何よりです」
一希は食事に関してはとても素直だ。社交辞令をしない分、食べ物の好き嫌いもはっきりしている。味わいながら完食するので、食べる事は好きな方だろう。
「ゼルギウス」
「どうしました?」
パンケーキを食べる手を止めた一希は、隣で控えているゼルギウスを呼んだ。
「ヴィンセントは、どうしたんだ?俺、アイツが淹れてくれたお茶を飲んでから急に眠くなって・・・。起きたらアイツがいなくなっていたんだ」
ベッドの脇に置かれているサイドテーブルには2つのカップが置かれている。カミールは暗示能力はヴィンセントに勝るが彼本人も暗示能力は強い。兄弟間でどちらが強いというだけで、他の同族と比べるとその力は強い。彼は一希の安全のため、キーマン紅茶を淹れながら一希に渡したカップに暗示をかけていたのだ。
そして一希が起きた時には、既に彼はこの部屋を後にしていた。その理由は、一希も分からないわけじゃない。
リーアムを撃つのだ。人間の自分がいては彼に殺される事を予想してヴィンセントはこの部屋に一希を閉じ込めた。
ゼルギウスは、本当の事を言うか表情を曇らせる。
彼は、自分達の王がリーアムの魔力に未だ遠く及ばない事を知って、どんな反応をするのだろうか。
考えあぐね、2人の間に沈黙が走る。しかしその沈黙を破ったのは、一希の方だった。
「リーアムを倒しに行ったのか?」
「・・・はい」
一希の問いにゼルギウスは答えた。
この後の一希の言葉に、彼は固唾を飲んで伺う。
「カミールがこっちに来たんだ。ヴィンセントの今の魔力では、リーアムには遠く及ばないって」
カミールが部屋にいたのは知っていたが、そんな話をしていた事は把握していなかったゼルギウスは、ばつが悪そうに一希から視線を動かす。しかし一希から答えを促されたゼルギウスは諦めたように溜め息をついた。
「その通りでございます。現淫魔王の魔力でリーアムを撃てるかは、残念ながら望み薄だと判断せざるを得ません」
「俺の精気を取り込んでも?」
「得た精気の量も質も違い過ぎるのです。ヴィンセント王は、貴方様お一人しか精気を頂いておりません。しかしリーアムは」
「長い間、何人もの血を吸って生きて来たんだろ?それもカミールから聞かされた」
『そもそも魔力の差が違う。彼は私達の父以上に長く生きている。その間、何人もの人間の血を吸い続け魔力を高めていたのさ』
カミールの言葉に一希は、ヴィンセントがリーアムに負ける姿を想像してしまう。でもそれを承知で、彼はこの部屋を出て彼を撃つと決めたのだ。
その顔は、はっきりとした不安の表情は無いにしても一希の表情もどこか厳しいものに変わっていた。
その表情に多少和ぐ効果があるのか分からないが、ゼルギウスは一希に安心させるように彼の両肩を優しく叩いた。
「一希様、今回の討伐はヴィンセント王1人で行う事ではありません。私は人間界から帰還してすぐ、他魔族の王達と連絡を取っていました。リーアムが現れたら、五大部族王全員で、彼を討伐すると。これは以前から取り決めた話でございました」
確かにゼルギウスは、淫魔城へ帰還してすぐ一希とヴィンセントから離れて急ぎ城内へ入っていくのを見た。そうか、そういう事だったのか。
「既に王の間には我がヴィンセント王含め、人狼王、獣人王、竜人王が控えております。バンパイア王がこちらに到着次第、リーアムを討伐する算段でございます」
「そうだったのか」
「五大部族王はこの魔界全体を統べる王です。彼等が揃えば、リーアムの魔力とほぼ互換。今貴方様が早まられても王が悲しまれるだけでございます」
ゼルギウスは真剣な眼差しで一希に諭した。その目つきは本心だ。今までどこか得体の知れない雰囲気があっだ彼がここまではっきり言っているのだ。疑ったとしても、真剣に諭す彼を信じてみたいと一希は思った。
「分かった。俺はここで待ってる。お前は、ヴィンセントを信頼しているんだな」
ドールハウスの時も思っていたが、ヴィンセントはゼルギウスに対して信頼を置いている。ゼルギウスが言うなら大丈夫だろうと、一希は少しだけ安心した気持ちになった。
気になった一希は、ゼルギウスに聞いた。
「ゼルギウスは、ヴィンセントとの付き合いは長いのか?」
「私は先代王から託されていましたからね。ヴィンセント王を頼むと。王も有り難い事に私を宰相に抜擢して頂きましたし、この恩にはあの方が在位の間報いらせて頂くつもりです」
ゼルギウスのヴィンセントへの忠誠が強固だった事に一希は驚いた。
「すごいな。何でそんなにヴィンセントを信頼できるんだ?」
一希の驚いた表情にゼルギウスはクスクスと笑った。純粋に反応が新鮮な一希を見て、懐かしむように目を閉じた。
「貴方様のそんなお顔を見るとは、私も信頼されたものですね。実は淫魔王に仕える淫魔は、皆上級淫魔なのですよ」
「上級淫魔?ゼルギウスも?」
ゼルギウスは首を横に振った。
「いいえ。私は事情があり、魔力はせいぜい中級淫魔ですよ。本来なら私のような弱い魔力の淫魔は宰相の地位に就く事はできません。しかしヴィンセント王は即位すぐ私の才覚を認め宰相に抜擢して頂いたのです」
以外だった。
淫魔は魔力の違いで低級、中級、上級淫魔に区別される。一希が退魔師として淫魔を倒していた時には低級か中級の淫魔ばかりだった。ヴィンセントと対峙して始めて上級淫魔の魔力を感じ取った。
「ヴィンセント王は即位すぐ部下の刷新を行いました。当時中級淫魔の登用は古参の幹部にだいぶ反発されましたが、実力を認められると当然のように私に進言する機会も頂いて、私個人はあの方が王である事、その下であの方の部下として働いている事が私の誇りなのです」
そう語るゼルギウスの表情は嬉しそうだ。やはりヴィンセントが信頼するだけはある。ゼルギウスは有能な宰相なのだ。
「貴方様のお世話もとても楽しくさせて頂きました。本来なら王の番のお世話もできない立場ですから」
ゼルギウスはスゥと一希に手を差し出した。
「これからも宜しくお願いします、一希様。王を受け入れてくださりありがとうございます。どうかヴィンセント王を信じてください」
差し出されたゼルギウスの手を一希は握り返す。
「こちらこそ、宜しく。ゼルギウス」
2人は笑顔で手を握り合った。ヴィンセントの腹心の部下である彼は番として受け入れた一希を迎えてくれた。
「随分と一希と仲が良いじゃないか、ゼルギウス」
ふと、部屋の扉が誰かに開けられた。入室した人物を確認したゼルギウスは、咄嗟に一希の前に出た。
一希もその相手を確認すると、はっと驚いた。
その人物は銀色の艶のある長い髪を腰まで伸ばして優雅に歩いている。
「カミール。お前、どうしてここに?」
目の前の淫魔王は、殺気立っているのか、彼の周囲の空気が張りつめている。
いつもの彼は、どこか冷めた雰囲気はあった。でも一希を迎えてから、幾分か雰囲気が穏やかになったと思っていた。
原因は、リーアムの事だろう。彼も自分1人で倒せるとは、最初から考えてはいなかった筈だ。
だがこの殺気立つ魔力は、自分では止められない。それどころか彼の琴線に触れた途端、すぐに消されそうだ。
彼の下に就いてから、今まで幾人の同族や他魔族が彼に消されたかを自分は知っている。彼のとばっちりを予想し、呼吸が早くなる。意識して呼吸を整えると、すれ違う淫魔王に恭しく頭を下げた。
「ゼルギウス」
呼ばれたゼルギウスは、目の前を通るヴィンセントに名を呼ばれハッとして顔を上げた。その表情は、硬かった。
ゼルギウスは己の身がすくむと同時に、その表情から彼の緊迫した心情を察した。
だがヴィンセントは、彼に言った。
「何としても、一希を守れ」
硬い声音で出された命令口調は、自分に拒否は許さないとプレッシャーを与えられているようだ。
「御意に。我が王」
了承の意図を伝えると、彼はさらに付け加えた。
「カミールは気にするな。あれはどうあっても一希に触れる事はできん」
先程、カミールが一希とヴィンセントがいる部屋から出て行く姿にゼルギウスは遭遇していた。カミールもヴィンセントと同等の魔力を持つ淫魔国の王子だ。ゼルギウスの魔力では、太刀打ちはできない。
「宜しいのですか?一希様を拐かす可能性だって考えられますが」
この双子の魔力は淫魔族で最強の強さを持つ。弟のカミールは、幻覚と暗示能力に関して目の前の淫魔王よりも上だ。人間である一希ではどんなに霊力が強くてもその能力からは拒否できない。
しかし次のヴィンセントの言葉からはその杞憂は不要なものとなった。
「一希自身が、カミールを拒否した。いくらあれでも拒否されれば抱く事はない」
淫魔が人間の精気を得るためにはあくまでも人間の同意は前提だ。どの階級の淫魔でもそれは弁えている。人間界で人間達を襲っていたのは、彼等の美貌な容姿に拐かされた結果であり、拐かされた時点で淫魔達は同意を得たと解釈されていたのだ。
カミールもそれに倣って、今まで人間の精気を食っていた。だがその人間にはっきりと拒否されては、カミールもどうしたって精気を得る事はできない。
ヴィンセントから聞いたゼルギウスは杞憂が1つなくなった事にこっそり安堵した。
「分かりました。無駄な杞憂でしたね」
「王達はどうしている?」
「既に人狼王、獣人王、竜人王が王の間で待機していらっしゃいます。バンパイア王は遅れて到着すると、先程連絡がありました」
「分かった」
報告を受けたヴィンセントは、ふっと息を吐いた。取り敢えず、自分1人でリーアムと戦う状況ではなくなった事にひとまず安堵した。
「リーアムを撃つまで、一希は部屋から一歩も出すな。部屋に結界を張った」
「承知致しました。どうか、御武運を」
ゼルギウスは再度恭しく頭を下げる姿を確認したヴィンセントは、王の間へ向かい、艶のある革靴の音を鳴らして歩いて行った。
その後ろ姿を、自分は見えなくなるまで見守った。
これから、あのリーアムを撃つ。
この城も恐らく戦場になるだろう。だから、部下を含め魔力が弱い者達は事前に待避させた。
リーアムは魔界でも長い間お尋ね者だった。長年同族のバンパイア族だけでなく、自分達含め五大部族はみな彼の行方を追っていた。
彼が王だった時代のバンパイア国は、荒廃した国土に加え、王の品格を失った彼の虐殺が同族だけでなく、他魔族にまで及んでいたのだ。当時王子の立場だった現バンパイア王では太刀打ちできず、友人だったアレクサンダーが加勢した事で、彼の虐殺行動は終焉し退位した。
しかしそこからだ。リーアムは、アレクサンダーに異常な執着を見せ始めたのだ。リーアム失踪後、アレクサンダーは彼の消息を探して完全に息の根を止めるため、人間界へ降りた。そこでアレクサンダーは番と出会い結ばれた。しかし、それをリーアムは奪ったのだ。淫魔族の特性を知っていたリーアムは一番残酷なやり方でアレクサンダーを死に追いやったのだ。
それを思い出すと、ゼルギウスも心が痛んだ。既にアレクサンダーの部下として動いていた彼は、アレクサンダーが空腹と番を失った絶望の中衰弱していく姿を間近で見ていたのだから。
「(あのような死に方を二代続けて出すわけにはいかない)」
現淫魔王でも太刀打ちできるか分からない。
それを理解しているのは、他ならぬヴィンセント本人だ。
自分よりも若い彼を即位当初から知っているが、彼もずっと孤独に苛まれてきた。7年前に番となる一希を見つけてからか、自分に刃を向ける者は容赦なく消してきた彼が、番を見つけたというだけで雰囲気が穏やかなものに変わったようだった。
あの素朴な青年が、孤独に囚われた若い淫魔王の心を虜にしてしまうとは恐れ入る事だ。
「貴方という方は、恐ろしい。淫魔王をここまで変えてしまうのだから」
一希と始めて顔を合わせた時、事前にヴィンセントから話は聞いていたが素朴な姿に、年端もいかない子どもかと思った。
実際、ドールハウスで世話係として過ごしていると、少し悪戯したい衝動にかられ、ちょっと遊んだ程度で返ってきた反応はまるで初物そのものだった。しかし、番になる事を拒否して人間界へ帰還した事をヴィンセントから聞いた時、あの素朴な外見と裏腹に、気骨があると関心したものだ。
淫魔族でも最強の魔力を誇るヴィンセントの誘惑を拒否したあの気骨さは人間の中にもそういない。退魔師として活動していた彼なら、年月を重ねればいずれは王として君臨するヴィンセントの右腕になれるかもしれない。
ヴィンセントの姿が完全に見えなくなると、ゼルギウスは食事を持ったまま一希のいる部屋の前に進んだ。扉をノックして入室すると、一希はベッドで穏やかに眠っている。
ゼルギウスはテーブルに食事を置くと、眠っている一希に近づき額に手を翳した。軽い催眠状態にされたようだが、穏やかな寝息は聞こえるし、夢を見ているのか、寝言を言っている。
これならすぐに目覚めるだろう。目が覚めたら、食事を摂らせよう。
ゼルギウスは、部屋のカーテンを開けると扉から差す眩しい陽光が部屋を明るく照らし、思わず目を窄めた。気象変動が多い魔界では、快晴というのは珍しい天気だ。
「いい朝だ。こんな天気も、随分久しぶりだな」
この天気が、嵐の前の静けさにならないで欲しいと思う。
ふと、一希が眠っているベッドがゴソゴソと動いているのが分かった。
そのまま一希は、ベッドからゆっくり起き上がると、カーテンを開けて朝の眩しい陽光を受けるゼルギウスと目が合った。ゼルギウスは一希が起きた事を確認すると、優しく微笑んだ。
「おはようございます。一希様。朝食をお持ちしました。そのままお召し上がりになりますか?」
※※※
一希が起き上がった事を確認したゼルギウスは、テーブルへ誘導し椅子を引いて座るよう促した。
彼が出す食事は、人間界の様々な地域を模倣して作ってくれている。彼はドールハウスに収容されてから一希の食事を作ってくれていて、一希の栄養バランスと料理の見た目に配慮して作ってくれる。
左右に取っ手が付いたプアルというショコラ色の皿には、ニンニク、玉葱、ベーコン、ピーマン、トマト、トマトソースとクミンやナツメグ、黒胡椒といったスパイスで炒め、その上に2つの目玉焼きが乗っている。シャクシュカという料理らしい。その横の青色のプレート皿には、白チーズと蜂蜜が掛かった2枚のパンケーキが積み重なっている。小さい白の陶器のカップにはパセリが散りばめられたオニオンスープ、ガラスのコップには色とりどりのフルーツティーだ。
鮮やかな朝の食事は、起き抜けの一希の食欲をそそる。その見た目の鮮やかさに一希は思わず感嘆の声をあげた。
特にスパイスの効いたシャクシュカは、早く食べたくて、口腔内で唾液が溢れている。
スプーンを持った一希は、目玉焼きを器用に分けてトマト煮の野菜に和えて口に運んだ。ニンニクとスパイスの効いた味が美味で表情が綻ぶ。
「美味しい。すごく」
「そう仰って頂けて何よりです」
一希は食事に関してはとても素直だ。社交辞令をしない分、食べ物の好き嫌いもはっきりしている。味わいながら完食するので、食べる事は好きな方だろう。
「ゼルギウス」
「どうしました?」
パンケーキを食べる手を止めた一希は、隣で控えているゼルギウスを呼んだ。
「ヴィンセントは、どうしたんだ?俺、アイツが淹れてくれたお茶を飲んでから急に眠くなって・・・。起きたらアイツがいなくなっていたんだ」
ベッドの脇に置かれているサイドテーブルには2つのカップが置かれている。カミールは暗示能力はヴィンセントに勝るが彼本人も暗示能力は強い。兄弟間でどちらが強いというだけで、他の同族と比べるとその力は強い。彼は一希の安全のため、キーマン紅茶を淹れながら一希に渡したカップに暗示をかけていたのだ。
そして一希が起きた時には、既に彼はこの部屋を後にしていた。その理由は、一希も分からないわけじゃない。
リーアムを撃つのだ。人間の自分がいては彼に殺される事を予想してヴィンセントはこの部屋に一希を閉じ込めた。
ゼルギウスは、本当の事を言うか表情を曇らせる。
彼は、自分達の王がリーアムの魔力に未だ遠く及ばない事を知って、どんな反応をするのだろうか。
考えあぐね、2人の間に沈黙が走る。しかしその沈黙を破ったのは、一希の方だった。
「リーアムを倒しに行ったのか?」
「・・・はい」
一希の問いにゼルギウスは答えた。
この後の一希の言葉に、彼は固唾を飲んで伺う。
「カミールがこっちに来たんだ。ヴィンセントの今の魔力では、リーアムには遠く及ばないって」
カミールが部屋にいたのは知っていたが、そんな話をしていた事は把握していなかったゼルギウスは、ばつが悪そうに一希から視線を動かす。しかし一希から答えを促されたゼルギウスは諦めたように溜め息をついた。
「その通りでございます。現淫魔王の魔力でリーアムを撃てるかは、残念ながら望み薄だと判断せざるを得ません」
「俺の精気を取り込んでも?」
「得た精気の量も質も違い過ぎるのです。ヴィンセント王は、貴方様お一人しか精気を頂いておりません。しかしリーアムは」
「長い間、何人もの血を吸って生きて来たんだろ?それもカミールから聞かされた」
『そもそも魔力の差が違う。彼は私達の父以上に長く生きている。その間、何人もの人間の血を吸い続け魔力を高めていたのさ』
カミールの言葉に一希は、ヴィンセントがリーアムに負ける姿を想像してしまう。でもそれを承知で、彼はこの部屋を出て彼を撃つと決めたのだ。
その顔は、はっきりとした不安の表情は無いにしても一希の表情もどこか厳しいものに変わっていた。
その表情に多少和ぐ効果があるのか分からないが、ゼルギウスは一希に安心させるように彼の両肩を優しく叩いた。
「一希様、今回の討伐はヴィンセント王1人で行う事ではありません。私は人間界から帰還してすぐ、他魔族の王達と連絡を取っていました。リーアムが現れたら、五大部族王全員で、彼を討伐すると。これは以前から取り決めた話でございました」
確かにゼルギウスは、淫魔城へ帰還してすぐ一希とヴィンセントから離れて急ぎ城内へ入っていくのを見た。そうか、そういう事だったのか。
「既に王の間には我がヴィンセント王含め、人狼王、獣人王、竜人王が控えております。バンパイア王がこちらに到着次第、リーアムを討伐する算段でございます」
「そうだったのか」
「五大部族王はこの魔界全体を統べる王です。彼等が揃えば、リーアムの魔力とほぼ互換。今貴方様が早まられても王が悲しまれるだけでございます」
ゼルギウスは真剣な眼差しで一希に諭した。その目つきは本心だ。今までどこか得体の知れない雰囲気があっだ彼がここまではっきり言っているのだ。疑ったとしても、真剣に諭す彼を信じてみたいと一希は思った。
「分かった。俺はここで待ってる。お前は、ヴィンセントを信頼しているんだな」
ドールハウスの時も思っていたが、ヴィンセントはゼルギウスに対して信頼を置いている。ゼルギウスが言うなら大丈夫だろうと、一希は少しだけ安心した気持ちになった。
気になった一希は、ゼルギウスに聞いた。
「ゼルギウスは、ヴィンセントとの付き合いは長いのか?」
「私は先代王から託されていましたからね。ヴィンセント王を頼むと。王も有り難い事に私を宰相に抜擢して頂きましたし、この恩にはあの方が在位の間報いらせて頂くつもりです」
ゼルギウスのヴィンセントへの忠誠が強固だった事に一希は驚いた。
「すごいな。何でそんなにヴィンセントを信頼できるんだ?」
一希の驚いた表情にゼルギウスはクスクスと笑った。純粋に反応が新鮮な一希を見て、懐かしむように目を閉じた。
「貴方様のそんなお顔を見るとは、私も信頼されたものですね。実は淫魔王に仕える淫魔は、皆上級淫魔なのですよ」
「上級淫魔?ゼルギウスも?」
ゼルギウスは首を横に振った。
「いいえ。私は事情があり、魔力はせいぜい中級淫魔ですよ。本来なら私のような弱い魔力の淫魔は宰相の地位に就く事はできません。しかしヴィンセント王は即位すぐ私の才覚を認め宰相に抜擢して頂いたのです」
以外だった。
淫魔は魔力の違いで低級、中級、上級淫魔に区別される。一希が退魔師として淫魔を倒していた時には低級か中級の淫魔ばかりだった。ヴィンセントと対峙して始めて上級淫魔の魔力を感じ取った。
「ヴィンセント王は即位すぐ部下の刷新を行いました。当時中級淫魔の登用は古参の幹部にだいぶ反発されましたが、実力を認められると当然のように私に進言する機会も頂いて、私個人はあの方が王である事、その下であの方の部下として働いている事が私の誇りなのです」
そう語るゼルギウスの表情は嬉しそうだ。やはりヴィンセントが信頼するだけはある。ゼルギウスは有能な宰相なのだ。
「貴方様のお世話もとても楽しくさせて頂きました。本来なら王の番のお世話もできない立場ですから」
ゼルギウスはスゥと一希に手を差し出した。
「これからも宜しくお願いします、一希様。王を受け入れてくださりありがとうございます。どうかヴィンセント王を信じてください」
差し出されたゼルギウスの手を一希は握り返す。
「こちらこそ、宜しく。ゼルギウス」
2人は笑顔で手を握り合った。ヴィンセントの腹心の部下である彼は番として受け入れた一希を迎えてくれた。
「随分と一希と仲が良いじゃないか、ゼルギウス」
ふと、部屋の扉が誰かに開けられた。入室した人物を確認したゼルギウスは、咄嗟に一希の前に出た。
一希もその相手を確認すると、はっと驚いた。
その人物は銀色の艶のある長い髪を腰まで伸ばして優雅に歩いている。
「カミール。お前、どうしてここに?」
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恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
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のぞみ
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