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3章 違える二人に女神は近づく。
8話 追い詰める微笑の女神
しおりを挟む『お昼のニュースです。県内で降り続いている雨は今日夕方より小康状態に変わりますが、連日続く余震の影響で地盤が緩くなっている地域があり、引き続き床上浸水、床下浸水に注意が必要です。また、近くの川が増水している地域もあり、自治体によっては避難指示を出しているところもあり・・・』
「くそっ・・・いつまで病院に居座らなきゃいけねぇんだ」
病室のベッドで横になってニュースを見ていた田川は手術の痛みを堪えて止まない雨を窓から眺め悔しげに舌打ちする。
あの人間離れした銀色の髪の男と大男がやり合ってから数日が経つ。あの二人の影響なのか知らないが街はここ数日小規模の地震と降り続く雨に悩まされていた。おかげで川島町は浸水対策に追われ、観光客やビジネスマンで栄えていた街は閑古鳥が鳴いているという。どちらも治ればまた戻って来てくれるかもしれないが、この状況が続けば要らぬ風評被害が出回るかもしれない。現在流川組が組員総力をあげて浸水被害を抑えようと奮闘しているが自分がそこに行けないのがもどかしい。
雨と余震のニュースが終わったタイミングで田川はテレビのリモコンを操作して電源を切ると、数日前の死闘を回想した。
あの人間離れした男が倒れた友人・秋山 彰を連れ去って数日が経った。その後自分は傷を治してもらった舎弟の村山を抱えて組お抱えの闇医師に駆け込んだが、意識を失い気がついたらこの部屋で休んでいた。舎弟の村山も現在入院中だか、あの外国人が彼の傷を治してくれたおかげで自分より一足早く退院できるらしい。だが自分は、まだ切られた膝の筋が治っておらず、回復するまでは入院を余儀なくしている。見舞いに来てくれる舎弟や兄貴からも入院するようにと口酸っぱく言われ目の前で友人を奪われた悔しさに歯痒さを感じながら療養に務めることとなった。
降り続く雨音をそのままに田川はテレビが設置されているベッドサイドの床頭台に置いているスマートフォンに目を向けた。台には舎弟が持って来てくれた生花がコンパクトに置かれている。自分よりも一回り歳下の舎弟が彼の怪我が早く完治してほしいと願いを込めて持って来てくれたのだ。台に手を伸ばしてスマートフォンを取ろうとするが足が動かないせいで取るのも一苦労になる。痛む膝を少しずつ動かしながら田川はなんとかスマートフォンを手に納めるとやれやれと溜息をついた。
「はぁ・・・なんとか取れた。しかし極道がスマホ一つ満足に取れねぇなんて情けねぇな」
日頃から兄貴たちには不要な無茶が多いこと、そのせいで深傷を負うのも自分が多いことを注意されていた。正直兄貴の指摘は尤もだと分かるし、組や街の治安を任せられている以上不要な怪我はしたくはない。だが抗争になれば、自分が身体を張ってでも守らなければいけないことも理解している。
(闘い方を、知らなくちゃいけねぇ。俺の闘い方を・・・)
この業界の門を叩いて数年が経つが自分の戦闘スタイルはまだまだ拙いと感じる。そもそも自分にその才能があればこんな怪我なんてする必要はなかったはずだ。正直、自分のやり方は十代の頃とさほど変わらない。大人の事情を知ってようやく毛が生えた程度のものだ。
仰向けになった田川はぼんやりとスマートフォンを指でスクロールする。組に入門してあらゆる格闘技を兄貴たちに教え込まれたが最近になって使える程度まで上がったくらいで上の兄貴たちからは程遠い。
今のままではダメだ。自分がもっと強くならないと、大切なものを取りこぼしてしまう。
通信アプリから通知が来たのに気づいた田川はスマートフォンの通信アプリを開いた。中には彼を心配する舎弟からの連絡が来ており、見舞いに来ると連絡が入っていた。マメに見舞いに来てくれる舎弟に田川は思わず苦笑する。
「ったく・・・俺じゃなくて、街の巡回をしろって」
だが正直何もすることなく入院生活を送るのは退屈だった。退屈になると自分の未熟な部分が炙り出されてさらに憂鬱になってしまう。気を紛らわせてくれる舎弟の見舞いは有難い限りだ。
ふと、病室の扉のノック音が聞こえた。「失礼します」と入室したのはまだ未成年とも取れるあどけなさを残した舎弟の青年だった。買い物袋からはみ出す程スナック菓子を詰め込んだ青年は療養中の田川を気遣う。
「陽の兄貴、傷は大丈夫ですか?」
「よぉ、紫苑。マメに見舞いに来てくれてありがとうな。しかし・・・」
彼の買い物袋からはみ出しているスナック菓子の量に田川は呆れてしまう。よく見ると塩分濃度の高い菓子や糖分が多い菓子、辛さに定評のあるものもある。今年二十歳になったばかりだからか、あまり見舞いに持ち込むものではないというのが彼には分からないらしい。田川は呆れながらも彼に注意する。
「お前は見舞いに来てるんだろ。なんだこの菓子は。食べ切れる量じゃねぇだろうが」
「いやぁ、すみません。せっかく兄貴のところに行くから何か美味しいものを持って行こうと思ったらつい買い過ぎて」
そう言いながら、青年は買って来た菓子の袋を一個ずつ開けていく。その極端に塩分や糖分過多に気になった田川は彼に尋ねる。
「お前、ちゃんと飯は食ってるのか?」
すると紫苑はムッと唇を尖らせて田川に言った。
「もちろん食ってますよ。兄貴がいなくても、毎日カップ麺食ってやって来てますって。兄貴聞いてください。俺、ようやくお湯を沸かせるようになってきたんです」
「お前なぁ・・・」
湯を沸かせるようになったとイキイキと話す紫苑に田川はげんなりする。彼は自分が川島町で巡回していた時に路上に座り込んでいるところを見つけて流川組に引き入れた一年目の新人だ。しかも、名字が同じ『田川』ということもあり、距離感が近いこと、組内で呼び合う際に名字では分かりづらいこともあり互いに名前で呼び合う関係となった。
彼を流川組に入れて以降、よく食事を共にする仲となったが自分が入院中毎日カップ麺とは彼の栄養状態が心配になる。さすがに田川は彼に注意した。
「お前、カップ麺ばかりじゃ腹の足しにもならねぇだろ。せめて野菜と鶏肉を加えろ。そんなんじゃケンカに負けちまうだろ」
菓子を食べる紫苑は田川に厳しく怒られたと思いシュン・・・と落ち込んでしまう。これに田川は呆れてしまうがなんだかんだで彼を心配してしまう。
「すみません。兄貴、俺兄貴に心配かけたくなくて・・・」
「お前なぁ・・・」
落ち込む舎弟の頭を田川は手を置いてがしがしと撫でる。なんだかんだで自分も彼が歳の離れた弟に見えて仕方ないのだ。
「組に戻ったら、ちゃんと栄養のあるモン食えよ?」
「はいっ!」
田川の言葉に元気を取り戻した紫苑は自分が持ち出した菓子を田川と食べながら雨の中静かに病室で過ごすのだった。
* * *
連日続く大雨と余震でも、彰が通う大学では休講対応が取られることはなく、通常の対面講義と合わせオンライン上で講義が進んでいた。
だが彰はここ数日大学を欠席している。連日欠席が続く弟を気にしていた秋山 諒だが講義はあるため教室へ赴き淡々と進んでいく。復帰したらゼミ室でマンツーマンで教えてあげればいいからだ。
解剖学の講義を終え、学生たちがぞろぞろと教室を退室して行く。そんな中、学生の一人である神成 愛は講義の片付けをしている諒に近づくと彼に耳元であることを囁いた。
「・・・分かりました。後はゼミ室でお願いします」
「ありがとうございます。秋山先生」
神成はにこっと諒に微笑む。そのまま二人は諒のゼミ室がある構内の別棟へ移動する。諒はゼミ室の扉を開けると『使用中』と書かれた札を引っかけ神成に入室を促した。彼女が入室した事を確認すると、諒は廊下に誰もいない事を確認し鍵をかけてゼミ室のテーブルに着席した。両者対面で着席すると諒はにこりと笑みを向ける彼女に警戒しつつ尋ねる。
「君、なぜ知っているんだ?」
警戒する諒の問いに神成は控えめに笑う。彼女のこの笑顔に諒はさらに警戒心を強めた。なぜなら、先程彼女は自分にだけ聞こえるよう『あること』を囁いたからだ。
『先生が抱えていらっしゃるお金の問題、私が解決するためにお手伝い致しましょうか?』
この言葉に諒の心臓がドキリと脈打った。実家が負った負債は、弟である彰にしか言っていない。それに彼がそんな恥ずかしいことを他人に話すのはまずない。それくらいの常識はあるはず。
では、どうやって彼女は知ったのか。
諒は自分と対面する形で笑う彼女にある種の不気味さを感じた。他の学生と違い、すでに薬剤師の免許を持っていて尚且つ製薬会社の社長という特殊な経歴を持っている。医師免許を取る必要が感じられず、彼女の掴みどころのなさに言葉にできない嫌な予感を感じていた。
諒に問われた神成は自分に向けて警戒心を露わにする講師にくすくすと笑いながら言った。
「すみません先生。私、会社の社長だからイロイロと人を使って先生のことを調べさせて頂きました。・・・決して秋山くんが喋ったのではないので彼を責めないであげてくださいね」
「ーーっ!?」
彰の名前が出てきた途端、自分が感じた彼女の不気味さに間違いと確信する。
彼女は、危険だ。
自分と彰の間柄も知っている。
得体の知れない女。何の思惑があって自分に接触してきたのか。
諒は緊張した面持ちで尋ねた。
「私に何か用か?」
諒がそう尋ねると、神成は自身の鞄に入っているタブレットを取り出すとそのデスクトップを彼に見せる。その内容に諒は戸惑いを見せる。なぜならそれは気乗りはしないものの大学の方針だからと優先的に処方するよう指示を受けた『あの薬』だったからだ。タブレットを見せながら神成は言った。
「これ、会社で開発した商品なんです。まだまだ使用実績が少なくて大学病院の患者さんたちに処方してもらうようお願いしているのですが、最近ちょっと困ったことがありまして・・・」
戸惑いを見せる諒を他所に神成はその『困ったこと』を語り始める。実は最近この薬の副作用なのか、服用していた患者たちの突然死が相次いで報告され、使用をやめたいという医師や病院が続発しているというのだ。だがこの薬を始めたことで突然死に繋がるという明確な証拠は出ておらず、諒には使用しても問題ないという証明をしてほしいというのだ。
諒はタブレット上に表示されている『アポストロス』という商品名を見て顔を強張らせる。確かにこれは大学病院の外来で指示もあるから自分も処方している。しかし、これを服用している患者たちを継続して診察しているとまだ突然死という状況に遭遇してはいないが彼等の中に顔が削げて死期が近づいていると感じさせる者がいるのも確かだ。
諒の心臓がどくどくと速くなる。やはり、他院でも似た状況だった。もしかして自分はまだ遭遇していないだけで他の医師はすでに遭遇しているかもしれない。ならば開発者だという彼女の前で今後は自分も使用しないことを伝えるべきだ。それが医師である自分の責務だし、これ以上患者たちを見殺しにはできない。
諒は力強く拳を握り締める。
「悪いが私もこれを使用することを辞めよう。確かにこれを使っている患者を診てて改善している事例は一つもない。むしろ悪化している。そして君は早々に会見し使用中止を呼びかけるんだ」
諒は立ち上がるとポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかけようとする。そこを神成は目にも止まらぬ速さで彼の腕を掴んだ。すると彼女と目が合った。
「・・・っ!」
彼女のその狂気的な笑みを見た途端、諒はぞくりとした身体の震えに襲われる。彼の怯える姿を見た彼女はさらに笑みを深くした。
「やっぱり先生ってすごぉい。素敵な人だわぁって思っていたけど、さらに頭もいい人だったなんて感激だわぁ。・・・だから、あなたも愛してあげる」
「お、おい、何っ・・・」
諒の腕を掴んだまま、神成は彼の唇に強引に口付ける。すると、今まで彼女に不気味さを持っていた諒の心が少しずつ綻び別の感情が湧き上がる。もう一つ、同時に思い出されるのは父の死と母を施設へ送ることを決めたあの日のことだった。
その日諒は弟の失踪の知らせを受け、職場を早退し急いで実家に戻ってきた。家には息子の失踪からか憔悴し切った母と、それでも無関心にテレビを見ている父の姿があった。母の姿に唖然としながらも自分には関係ないといった体で他人事のようにテレビを観ている父に怒りが湧き上がった。怒りに任せ諒はテレビを見る父の後頭部をぶん殴ってしまう。そのまま父は何が起こったのか分からず床に倒れ、母は息子の突然の凶行に固まってしまう。震えながら母が口を開ける。
「諒・・・どうしたのよ・・・」
「息子がいなくなってもこれかよ・・・!ふざけんじゃねぇ、このクソ親父っ!!」
倒れた父の胸倉を荒々しく掴むと怒りの形相の諒と状況が掴めず唖然とする父と視線がぶつかった。息子の常軌を逸した形相に父はたじろぐ。だが諒はそれすらも火に油を注がれたように怒りが増しそのまま父を怒鳴り散らした。
「彰がいなくなったんだぞっ!ボケッとしてねぇで探しに行ったらどうなんだ!今まで俺や彰に見向きもしなかった分、そのツケを払ったらどうなんだっ!!」
「なんだとっ・・・!」
すると父も息子を激しく睨みつけ諒の顔面を強く殴りつけた。これに諒は思わず怯んでしまい、その隙に父は離れると諒を指差して詰った。
「なんだその口の聞き方はっ!俺が指定した大学に落ちた分際で一端の口を聞きやがって!落ちたお前の学費を誰が払ってやったと思っているんだっ!!」
「・・・っ、テメェ・・・!」
煽られた諒は怒り心頭でさらにもう一発父の顔面にぶち込んだ。父は再び床に倒れ、母は息子の凶行にただ唖然とするしかなかった。頭を押さえて痛がりながらも起き上がる父を見下しながら諒は父に冷たく言い放った。
「ばあちゃんの功績がなければ今頃テメェなんて医者なんてできなかったくせに。能無しのヤブのくせによくえらそうなことが言えるな!?」
「貴様ぁ・・・!」
痛いところを突かれ怒りから父は起きあがろうとする。しかし、起き上がる直前後頭部に強い痛みが走りもう一度座り込んでしまう。その様子に心配になった母は父に駆け寄った。
「お、お父さんどうしたの・・・!?」
「うるさい。俺はもう寝る。諒、貴様はもう勘当だ。二度とここに帰ってくるな」
そう言い放つと父は痛がりながらも階段を登り寝室へと向かう。その姿に諒は怒りの熱が冷め冷静になっていくと、父の姿に妙な胸騒ぎを覚えて母に尋ねる。
「母さん、父さんて最近何かあったのか・・・?」
「それが、最近血圧が高くて、薬を飲んでも下がらなくて・・・」
「なんだと・・・!?」
母のその言葉に諒は青ざめていく。父の先程の姿を見て胸騒ぎを覚えた。医師になって何人もの患者を診てきたから分かる。
まさか、今ので頭が・・・!
嫌な予感がした諒は階段を駆け上がり急ぎ父の寝室へ向かう。だがその道中、階段でうずくまり口からブクブクと泡を吹き出している父の姿を発見する。
「父さん・・・!?」
先程と明らかに違う様子の父を見て諒は咄嗟に階下にいる母に叫んだ。
「母さん!急いで救急車を呼んでくれっ!」
「ーーっ!?」
これに母は短い悲鳴を上げるもすぐに電話をとり救急要請する。その間、諒は父の脈拍を確かめるために首に手を触れる。しかしどれだけ強く触っても父の脈動は感じなかった。
「まさかっ・・・」
がくがくと口元が震え、冷や汗が流れる。嫌な予感がした諒は父の瞼を開いて瞳孔を確認する。何かしら反応があるのか試してみるがいっこうにそれはなかった。それに、諒は悟った。
「嘘だろ・・・」
力が抜けてしまいへたりと階段に座り込む。怒りが先走って、感情のまま父を殴ってしまった。それが、脳に致命傷を与えてしまったのだ。
遠くから聞こえる救急車のサイレンが自宅に近づいてきている。救急隊が数人家に入り、父はあっという間に担架に乗せられ病院に搬送された。心臓の動きを示す波形モニターがゼロと表示され、フラットが続いて、医師が母と自分の前で死亡が宣告される。その時間が、諒にはあっという間に感じられた。
眼前には青白く目を閉じたままぴくりとも動くことのない父が目の前にいた。
「・・・それでは、ご臨終とさせて頂きます」
宣告した医師はそう言うと二人に一礼しその場を離れた。残された母と諒は感情を出すこともなくただ変わり果てた父を見ているだけしかできなかった。
父の葬儀が終わり母にも変化が出たのはその夜のことだった。
「彰~、彰~」とか細い声が外に響き渡る。声を聞いた諒は警察から連絡を受け慌てて近くの交番に向かう。
「母さん・・・!?」
迎えに行った諒は警察官が用意してくれたパイプ椅子に縮こまって座っている母の姿に愕然とする。パジャマ姿で靴を履かず足は傷だらけ。視線は合わず表情は虚ろ。しかし諒と視線が合うと母は諒の身体をペタペタと触りながら嬉しそうに涙を流す。
「彰・・・帰って来てくれたんだね・・・彰・・・」
「母さんっ・・・違うよ。彰じゃないよ。俺は諒だ。彰じゃない・・・」
「彰・・・彰・・・」
諒が悲痛な声音で言うも、母は虚ろなまま「彰・・・彰・・・」と縋るように言い続ける。彼女の変わり果てた姿に、諒は言葉にできない絶望感を覚え交番の中で崩れ落ちひたすら嗚咽を溢した。
数日後、諒は車椅子に乗り虚ろげながらも「彰~、彰~」と力なく声を出す母を施設に預けることにした。年齢としてはまだ早いと思っていたが、診察した医師からは元に戻るのは最早できないと宣告された。施設のホールで「彰~」とひたすら呼び続ける母を見たくなくて、荷物を置き諒は早々に施設を離れたのだった・・・。
「可哀想に・・・。先生もつらかったのね」
強引な口付けから諒の事情を知った神成はゆっくりと彼から離れると椅子に優しく座らせる。彼の記憶をさらに調べると『負債』という言葉が現れた。それが、亡くなった父がこしらえた遊興費と行き詰まった実家が負った借金も含まれていたことが分かった。神成は愛おしげに彼の頭を撫でながら言った。
「大丈夫、もう大丈夫。あなたのつらさ、悲しみは全て私が受け止めてあげる。だから、私の仕事を手伝って欲しいの」
その言葉を受けた諒は瞼からポロポロと涙を流していく。流す涙と共に、父の死から数年間抱え続けていた感情が少しずつ消化されていくのが分かった。震える口元を諒は開けと振り絞るように言った。
「俺が、こうなったのは・・・全て、父さんのせいだ・・・!」
あの時、父がテレビを見ずに彰の捜索に奔走している姿を見たならば違う結果になっていたかもしれない。自分や彰には冷たい父だったが息子の失踪を知り少しでも手掛かりを探してくれていたらこんなことになっていなかったはずだ。
諒はさらに続ける。
「母さんも、父さんのせいで施設に入ってしまった・・・。彰を、探そうとしないから・・・」
「うん。そうね。あなたのお父様は、どうしようもない人だった。でもね・・・」
神成は諒の耳元に顔を近づけると優しく囁いた。
「彰はあなたのすぐ近くに戻ってきてくれた。でも、あの子はあなたのところには行けないの」
それを聞いた諒は神成に「どうして?」と目で訴える。その姿に味を占めた神成はそのまま囁き続けた。
「彰は、アルカシスに捕われているの。本当は彼だってあなたに会いたいのに・・・それができない」
なぜなら、彼はアルカシスに捕らわれているから。
この言葉に諒は怒気を含んだ声音で聞いた。
「そいつは・・・誰なんだ?」
沸々と、諒に怒りの感情が沸いてくる。父も白もいなくなり、唯一の弟にやっと再会できたというのに・・・!
助けないと!
この声音にほくそ笑んだ神成はゆっくりとした声音で彼に言った。
「人ならざる者。淫魔という淫魔族の王。ーー淫魔王・アルカシス」
「アルカシス・・・」
諒の涙が止まる。少しずつ思考が働き始めた彼は確認するよう神成に尋ねる。
「アポストロスと突然死の因果関係を、否定するだけでいいのか?もし、それを証明できたら・・・」
「もちろん。彰をあなたのところに戻してあげる。だってあなたの家族だもの」
了解したと、諒は力強く頷く。後に彼は自分の浅はかさを、今までの人生を深く後悔することになるのを、まだ知らない。
諒のゼミ室を後にした神成は、彼女の前方から満身創痍となったミケーネが倒れ込んできた。彼の姿に神成は驚き駆け寄る。
「どうしたの私のミケーネ・・・!?」
「申し訳ありません。神気を解放した闘神に敵わずっ・・・」
アルカシスの袈裟斬りで肩から深傷を負ったミケーネは起き上がろうとするも傷の深さから荒い息を上げる。彼の傷を見た神成は彼の頭を膝に乗せると優しく頭を撫でる。彼女の姿にミケーネは戸惑った様子で言った。
「な、何を・・・」
「もう。こんなになるまで無茶をして・・・。あなたは私のもう一人の子どもになったのに、こんな無茶をするのは悲しいわ・・・」
「申し訳、ありませんっ・・・お母様」
頭を撫でていた神成の手の温かさと心地良さが深傷を負い動けない身体に沁み渡る。いつの間にか彼女が撫でていた箇所は傷が塞がり傷を負ったことでの身体の痛みも消えていた。驚いたミケーネは涼しい笑みを浮かべる神成を見た。
「まさか・・・!?あの神殺しの剣に斬られるともう回復はないと・・・!」
「でも、あなたは私なら治せると思ったのではないの?だからあのぼろぼろのまま私のところに来てくれた」
「あっ、いやその・・・」
確信を突かれたのが小っ恥ずかしくてミケーネは頬を赤らめる。それが可愛くて、神成は回復したミケーネを抱きしめた。
「もう・・・あなたのようなヤンチャは見ていてハラハラしちゃう」
「すみません。しかしなぜ傷を治すことが・・・」
「確かにあの剣は命を刈り取るものだけど、あれを造った私には傷を消すことができるの」
神成の言葉にミケーネは唖然とする。
「つ・・・造った?」
「ええ。もうだいぶ前に。名前も久しぶりに聞いたかしら・・・あの子たちが下層に堕ちてからあの剣も行方知れずになってしまったの。きっとアレスが持ち続けていたのね」
それを聞いたミケーネは一つ思い出した。はるか昔、彼女は二人の息子たちを大神との戦いで下層の氷上コキュートスに堕とされてしまいそれ以来再び会うこともなくなってしまったと。
だがあの剣を奮ったのは、あのアレス神の血を引く息子。ならば、彼女を再び傷つけるのではないか。
ミケーネは恐る恐る神成に聞いた。
「お母様、すみません・・・。その剣の持ち主・・・アルカシスは、あなたの・・・」
言いたいことが彼女には分かるのだろう。神成はミケーネの遠慮がちな物言いにくすくすと笑みを浮かべた。
「あら、遠慮しているの?もう一度、彼と戦いたくない?」
「え?」
それは言ってみればアルカシスを倒していいとのこと。しかし彼女はいいのか。息子のアレス神の子どもなのに。
逆に聞かれてミケーネが呆けていると、可笑しくて神成は笑ってしまった。
「くすくす・・・。違うのよ。彼を、誘き出して欲しいのよ。その後は、あなたの好きにしていいわ。私の可愛いミケーネ」
「お母様・・・!」
歓喜に震える。失態を気にせず自分に命を与え、機会をくれた。ならば彼女の期待に応えるのは当然じゃないか。
ミケーネは恭しく跪いた。
「機会を頂きありがとうございます。我が愛しき母よ」
そう言い残すとミケーネはその場から瞬時に消えた。彼を見送った神成は、くすくすと笑みを浮かべたまま構内を歩いた。
我が愛し子のアレスがコキュートスに堕とされて数千年。
堕ちたことを知った時は夫であるゼウスを憎み、憎しみの余り彼を封じアレスが還るまで天界の秩序を我が手にした。でも、彼は戻ってくることはなく死を迎えてしまった。それを知りどれだけ悲しんだか・・・。
だが、しばらくすると彼に似た混血の淫魔が一国の王に就いたと聞いた。その淫魔がここ最近アレスと同じ闘神の地位に就いたと報告が入った時、どれだけ嬉しかったことか・・・。
名をアルカシス。
闘神だった我が子アレスと淫魔の女との混血。だが闘神として転生したことでアレスの再来を予感させた。
死んだアレスが戻ってきたようで、聞いた時には嬉しさが込み上げた。
だが目覚めたばかりの神には能力がまだ未熟であるのも事実。
ならば、彼の能力をさらに覚醒させる敵を向かわせなければ。
アルカシス。私のために闘神の力を見せて。そして、私にその姿を見せてちょうだい。
次の天界の王はあなたよ。
早く会いたいわ。
アレスの子、アルカシス・・・。
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