DYING MEMORY

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エピソード26:未来を生きる者 -ルーシェ・ミーナ・ノーリ-

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『……選べ、アリナ。
“過去を取り戻すか”――“今を生きるか”。
私は影。あなたの選択を止めることはできない』

ノーリの声は地下の冷気に溶け、棺のような装置の鼓動と混じり合った。

ルーシェの視界に、黒い金属の表面がわずかに光を返す。
そこに映るのは震える自分の顔――そして、もう一つ。
輪郭が崩れかけた“誰か”の影。

「……過去か、今か……」

喉の奥で言葉が擦れ、砕けた。
答えを出そうとするだけで、心臓が喉を突き破りそうになる。

「ルーシェ……!」

ミーナの声が響く。
鉄パイプを握る手は白くなり、今にも装置を叩き壊さんばかりに震えていた。

ルーシェは唇を噛み、装置とノーリ、そしてミーナを交互に見た。
選択は一つしかできない。
けれど、その一つが全てを終わらせる。

――“過去を取り戻すか”“今を生きるか”。

胸の奥で脈打つ声があった。
それは記憶の残滓でもなく、影の囁きでもなく、隣で叫ぶミーナの声でもない。









「……ふざけないで」

























ルーシェは懐からハンドガンを抜いた。
その動きにノーリの瞳が赤く揺らぐ。

「過去も今も――“私”を選ばせようとする、そのものが間違ってる!」

銃口が棺を向いた瞬間、地下の空気が震える。
次の鼓動よりも早く、引き金が引かれた。

ガンッ、ガンッ、ガンッ!!

火花が散り、鉄が弾け、管が裂けた。
冷却液が噴き出し、甘ったるい薬品の匂いが地下を満たす。
装置は呻き声のような金属音をあげ、赤い警告灯が明滅した。

『……アリナ…』

「……あなたが必死に私を取り戻そうとしたのは、分かるよ」

ルーシェの声は、炎ではなく氷だった。
低く、淡々としているのに、言葉が空気の芯を削ぎ落とす。

「でもねノーリ……そのために、どれだけの人を犠牲にしたと思ってるの?」

声に合わせて、地下の冷気がひときわ強まったように感じられた。
記憶に名前のない人々の顔が、血の匂いとともに甦る。

「罪のない人。私の仲間だった人たち。そして……顔も分からない、私の姉まで、犠牲にして……!」

言葉が刃となり、影の胸をまっすぐに貫く。
その場の空気は、まるで呼吸さえ凍りついたように沈黙する。



ノーリは動かない。
影がゆらりと波打つだけで、そこに感情の起伏はなかった。
地下の光が彼女の輪郭を淡く縁取り、まるで“人間だった頃の肖像”を縁どる額縁のように見えた。

ルーシェは一歩踏み出し、握った拳を震わせる。

「……人を化け物に変える装置。そんなもの、消えてしまえばいい」

その宣告に、ノーリの瞳がわずかに赤く瞬いた。
影は薄く震え、だが声は変わらぬ冷たさで返す。

『あなたは過去を否定するのか? 過去を取り戻せば……あなたはあなたらしく生きられる』

ルーシェは息を詰め、それでも目を逸らさなかった。
かすかに笑うでもなく、ただ強く睨み返す。

「確かに、そうかもしれない。だって戻れば私は“アリナ”になるから」

胸に溜め込んでいた熱が、ついに声となって噴き出した。

「……でも、いらない。仮に記憶が戻ったとしても……私はちっとも嬉しくない」

――最後の言葉は、鉄を叩き割るように重く落ちた。
地下の奥に残っていたわずかな鼓動さえ、その響きで止まったかのようだった。

「ルーシェ……あんた……」

ミーナの声はかすれ、鉄パイプを握る手がわずかに揺れる。
怒鳴りたいはずなのに、涙が喉を塞いで声にならなかった。

ルーシェは視線を落とし、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
それは哀しみでもなく、諦めでもなく、凍りついた決意の影。

「……ごめんね、ミーナ」

静かな吐息が、砕けた配管の隙間へ吸い込まれていく。

「この先も……あなたの知ってる“アリナ”は、もう……戻らない」

一瞬、地下は深海のように沈黙した。
けれど次に響いたミーナの声は、不思議なくらい明るかった。



「……いいさ、別に。あんたはルーシェ。
それで……十分だよ」

ルーシェの喉が詰まり、思わず視線を逸らす。
けれどその横顔に、ミーナは容赦なく笑みを叩きつけた。

「そん代わり、アリナの思い出は嫌ってほど聞かせてやる!
あの謎クイズ大会なんて序の口だしな!!」



「えぇ……? 昔の私ってどんだけ黒歴史あるの……?」

「10億」

「それ盛ってるよね」

「いや、結構ガチ」

二人の声はその色を薄めるように響いた。
鉄と薬品の匂いにまみれた空間で、ほんのひとときだけ“普通の放課後”の空気が生まれていた。

「……ノーリ。 私はあなたの選択に縛られない。
私は私だよ。 記憶を無くした時から……ずっと、この先も!」

『……あなたは過去も、今も、拒むというの?』

「そうじゃない。あなたの“二択”そのものを拒む。
私は私を選ぶ。――過去の私でも、今の私でもなく、ここにいる“私”を。」

ルーシェの声は硬貨を叩くように明瞭だった。
言葉が落ちると、地下の空気が一瞬、刃のように切り裂かれた。

ノーリの影が、ほんの僅かに震えた。
輪郭の縁取りが揺れて、彼女の中に残っていた何かが波紋のように拡がる。だが声は出ない。出すべき言葉を計算で探せないまま、影だけが答えを繰り返した。

『……それが、あなたの選択か』

「……そう。 これは私自身で出した答え。
けれど……1つだけ確かなことがある。それは“今を生きる”こと」

言葉は刃物のように澄み切って、地下の空気を断ち割った。

「私はかつて“アリナ”と呼ばれていた。
どこにでもいる、なんの変哲もない女の子だった」

ルーシェは静かに目を閉じ、胸の奥をえぐるように言葉を続ける。

「でも……もう“アリナ”はいない」

短い沈黙。
崩れかけた配管から滴る冷却液の音だけが、地下に響いた。

やがてルーシェは顔を上げる。








今の私はルーシェ。 「ルーシェ」を意味する名前だよ。







「……え。あんた……そういう意味の名前だったの??」

ミーナが目を丸くする。場違いなほど素直な驚きが浮かんでいた。

「今更!?」

ルーシェは思わず声を張る。

「いや、なんつーか……テキトーに付けた名前なのかなって」

「……違うよ」

ルーシェは小さく首を振り、かすかに笑った。

「この名前は……ヘルベルトさんが付けてくれたんだ。
“光”って意味で、響きが私に似合うと思って……って」

ミーナはしばらく口を閉ざし、鉄パイプを肩に担ぎ直した。
その顔に、ふっと笑みが浮かぶ。

「へぇ……あのおっさん、粋なことすんじゃん」

その軽口に、地下の空気が一瞬だけ和らいだ──はずだった。だが次の瞬間、闇の奥から落ちてきた言葉は、笑いをすべて刃物で切り裂いた。

『そうか……ルーシェ。 あなたにとってアリナはもう死んだのか……。
ならば仕方ない……アリナがいないのなら……死ぬべきだ』

言葉の終わりに珠のように間が落ち、その間に地下の灯りがひとつ消えたように感じられる。ノーリの声は冷たく、どこか遠い教会の誦経のように反芻した。
ミーナの笑顔が、音もなく消える。鉄パイプを握る手の力が、ぎゅっと入った。

「な、何言ってんだよ……?」

ミーナの声が震える。だが問いは届かず、ノーリはゆっくりと一歩を前に出た。影の輪郭がまた濃くなり、彼女の存在がその場を押し潰すようだ。

『残された“器”は、利用される。放置しておけばまた誰かの道具にされるだけだ。
アリナの身体が“素材”として消費されるのを、私は許せない』

その言葉の最後に、ノーリの口元がわずかに動いた。
謝罪か、それとも決断の噛みしめか——見分けがつかない表情だった。
だが確かなのは、彼女の言葉が安堵や慈悲を隠し持っていることだ。冷たい慈悲。

『……利用されるくらいならば、私が全て終わらせる。
この身を使って……』

ノーリはゆっくりと片手を懐に伸ばした。
暗がりの中、プラスチックの感触が指先に触れる。



指先が、リモコンの輪郭を確かめる。
それは、蓋のない箱のように、やけに無機的で小さかった。

「……ノーリ。何をするつもりなの?」

声が震える。だがノーリは答えず、ただ静かに唇を動かすだけだった。

『私が独自で実験したもののサンプル。
私の体内には、奴らと同じように、モンスターになるワクチンが入っている』

「はぁ!? なんだそりゃ!?」

ミーナの声が弾ける。鉄パイプがわずかに震え、空気が張り詰める。

『万が一を想定しての保険だ。これを押せば——
ワクチンが微弱な電波を感知し、細胞を活性化させる。
……ジェイソンという男にも、同じものを入れていた』

「ジェイソン……?」

ルーシェの声は、名前に反応してひっそりと沈む。
その名が意味するものが、三人の間を冷たく走る。

『……さあ、ルーシェ、ミーナ。
終わらせよう……全てっ!!!』

ノーリの言葉が弾ける直前、空気が破れたように裂けた。

「あっ!? 押すな……!!」

ミーナが飛びかかる。
鉄パイプが床を擦り、火花が散った。
だが、もう遅かった。

カチリ。

乾いた音が、地下全体を揺らした。
ノーリの指はすでにスイッチを押し込んでいた。

『うっ……おおおおおおおおおっ!!!!!』



次の瞬間、ノーリの身体が大きく反り返る。
血管が浮かび上がり、影の輪郭が激しく波打つ。
皮膚の下で何かが暴れ狂い、骨が軋む音が生々しく響いた。

配管が震え、壁のコードが勝手に蠢く。
ノーリの口から漏れた叫びは、獣の咆哮とも、人の断末魔ともつかない声だった。

『あああああああああああああああっ!!!!』

「おい、なんかやべえぞ!? このままだと家がぶっ壊れる!!」

ミーナが鉄パイプを構え直しながら叫ぶ。

「……ミーナ、一旦逃げよう!!」

ルーシェは銃を下げ、崩れかける天井を仰いだ。

「合点承知!!」

二人は同時に踵を返した。
階段へ向かう足音が爆ぜ、瓦礫が背後で落ちてくる。
地下全体が脈打つように震え、天井のコンクリートが罅割れて粉塵が降り注ぐ。

――――――――――――――――――

背後ではノーリの影が爆発的に膨張していた。
壁に張り付いていた配線がずるりと剥がれ、天井に絡みつく。
その中心でノーリの身体は、もはや人の輪郭を留めていなかった。

階段を駆け上がるたびに、床下から衝撃が伝わってくる。
ルーシェの耳に届くのは、ミーナの息遣いと、背後で響く咆哮。

どうにか家を抜け出した二人は、外へと飛び出した。
冷たい空気が肺に突き刺さる。薬品の匂いにまみれた地下の息苦しさが、一気に吹き払われていく。

振り向けば——古びた民家が、呻き声をあげるように軋み、みるみるうちに崩れていった。
屋根瓦が滑り落ち、壁の板がばきりと裂ける。
玄関を覆っていた鎖は、押し破られるように宙へ跳ね飛んだ。

「……やっべえな」

ミーナが鉄パイプを肩に担ぎ直し、低く唸る。

粉塵が夜風に舞い、空気が白く霞む。
崩れゆく民家の奥からは、まだ咆哮が響いていた。
木材や瓦礫を押し広げるような低音の唸りが混じり、まるで“何か”がその身を大きくしながら、殻を破ろうとしているようだった。

ルーシェは喉を鳴らし、震える声を絞り出す。

「……あれ、本当にノーリ……なの……?」

ミーナは答えず、ただ足を開いて構えた。
瓦礫の山の奥、闇と埃の狭間で、赤黒い光が脈動していた。

――まるで怪物が、産声をあげる直前のように。

ドゴォン、と重低音が空気を裂く。
板切れや瓦が空に散り、粉塵の嵐が視界を覆った。

その白い霞の奥から、何かが姿を現す。

まず突き出されたのは、黒ずんだ腕だった。
骨がねじれたように湾曲し、筋肉の繊維がむき出しになっている。
皮膚は裂け、血の代わりに目玉のようなものがそこらじゅうに開いている。



続いて覗いた顔――もはやノーリと呼べる輪郭はそこになかった。
頬は崩れ、口は耳まで裂け、赤い光が牙の隙間から脈打つ。
それでも瞳の奥に、一瞬だけ人間だった頃の名残が宿る。

『――――――ッッ!!!!』

咆哮。
その声は地下で聞いたものよりも、遥かに大きく、重く、そして悲痛だった。
空を震わせ、地面を這うように広がっていく。

民家の残骸を押しのけて現れたノーリの変異体は、四肢を異様に膨張させ、手からは巨大な爪を伸ばしていた。
それらが地面に突き刺さり、まるで巨大な獣が大地を這うように体を支える。

「…………ノーリ……!!」

ルーシェの声は、震えよりも哀しみに沈んでいた。

ミーナが唇を噛み、鉄パイプを握り直す。



「やるしかねえな……! 来やがれ、バケモン!!」

変異体の赤い瞳が二人を捉えた瞬間、空気が切り裂かれた。
獣とも人ともつかない叫びと共に、ノーリは瓦礫の中から飛び出してきた。

ノーリの影が唸りを上げて迫る。
鋭い突起が鞭のように振り下ろされ、二人の頭上に叩きつけられた。

「避けてっ!!」

ルーシェが叫び、二人は左右に飛び散る。
大地が砕け、瓦礫が爆ぜ、破片が夜空へ散った。

ルーシェは転がりざまに銃を撃った。
弾丸が赤い光を纏った皮膚に吸い込まれる――だが音もなく弾かれる。

「銃じゃ効かねえのかよっ!?!?」

ミーナが叫ぶ。

『アアアアアアアアアアアッ!!!!』

変異体ノーリの咆哮が、まるで拒絶するように空を裂いた。

「おいおいおいおい!!!! どうするよこれ!?」

ミーナが悲鳴混じりに叫ぶ。鉄パイプを握る手汗で滑り、足が瓦礫を踏み抜いて弾けた。

「どうするって……やるしかないでしょ!!」

ルーシェは銃を構え直し、息を吸い込む。
視界の奥で、ノーリの影が無数に分岐し、触手のような突起をしならせた。

『アアアアアアアアアッ!!!!』

一本の管が大地を叩き割り、瓦礫が飛び散る。

ミーナが前に飛び出し、鉄パイプで迫る突起を受け流す。
火花が散り、金属が軋む。だが威力に押され、地面に叩きつけられる寸前――ルーシェが銃声を重ねた。

パンッ、パンッ!
銃弾が突起の付け根を穿ち、赤黒い体液が飛沫を上げる。

「だめだ……全然効いてない!」

ルーシェが叫ぶ間にも、ノーリの巨体は大地を抉りながら迫ってくる。

ミーナが呻き、鉄パイプを構え直す。

「ったくよ……! これじゃどうしようもねえぞ!!」

「銃はダメ……。 他に、他になにかない……!?」

すると、液体の入った薬品が転がっているのを見かけた。

薬品の瓶は、瓦礫の隙間から転がり出ていた。
中身は濁った緑色で、光を受けるたびにどろりと粘ついて揺れる。
瓶の栓は半ば割れており、甘ったるい臭気が周囲に広がっていた。

「……これって、ノーリがモンスターを作るのに使っていた……!?」

ルーシェの声が震える。

「……ぶっかけてみっか!?」

ミーナが瓶を拾い上げ、構えた鉄パイプに括りつけるように掴んだ。

変異体ノーリが咆哮と共に迫る。
背の突起がしなるたび、瓦礫が宙を舞い、地面が裂ける。

「行ける!?」

ルーシェが叫ぶ。

「んなもん……やってみなきゃ分かんねえだろ!!!」

ミーナが瓦礫を蹴り、瓶を掲げて突っ込む。



その瞬間、変異体ノーリの赤い瞳がぎらりと光り、突起の一本が彼女を薙ぎ払おうとしなる――。

瓶が粉砕され、液体が宙に散った。
緑の飛沫は光を反射しながらノーリの肌にまとわりつく。

ジジジッ……!

皮膚が泡立ち、黒煙が上がった。
ノーリの咆哮が夜を突き破る。

『グアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』

「効いてる……!? 効いてるよ、ミーナっ!!」

ルーシェが息を呑む。

ミーナは鉄パイプを振り抜き、薬品に濡れた箇所を全力で叩きつけた。
肉が裂け、赤黒い光と蒸気が同時に噴き出す。

「もうちょい瓶ねえか!? コイツで何回かやれば……!!」

「ある!! あと……2つ!!」

ルーシェが瓦礫の隙間から、割れかけた瓶を二本掴み上げる。
中で濁った液体がぬめり、ガラス越しに赤い警告灯の光を反射する。

「上等っ!!!!!」

ミーナの目がぎらつき、戦場の熱に笑みを刻む。

変異体ノーリが再び咆哮を放ち、背中の突起を振りかぶる。
地面を裂く轟音と共に、瓦礫が雨のように降り注ぐ。

「ルーシェ、次は合わせろ!! 私が叩き込んだ瞬間に、撃ち抜け!!」

「了解!!」

ルーシェは銃口を構え直し、薬品の瓶を片手に走り出した。

粉塵の渦の中、二人は背中を預け合い、まるで長年の呼吸を確かめるように動きを重ねる。
次の一撃で決まる——そう信じて。

――変異ノーリの赤い眼が閃き、管が二人を同時に薙ぎ払おうとしなる。

「「おおおらあああああああああああ!!!!!!」」

二人の声が空を裂いた。
ミーナは薬品の瓶を高く掲げ、全力で振りかぶる。
同時にルーシェはその瓶のガラス越しに銃口を突きつけた。

バキィッ!!!
薬品の瓶が砕け、緑の液体がノーリの腕にぶちまけられる。
直後、ルーシェの引き金が火を噴いた。

パンッ!!

炸裂した弾丸が液体ごと突き刺さり、赤黒い肉が泡を噴いて爆ぜる。
蒸気と血飛沫が一気に広がり、ノーリの叫びが空を裂いた。

『グアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!』

管が暴れ狂い、地面を削り、瓦礫を粉砕する。
だがミーナは怯まず、鉄パイプで叩き込む。

「もう一本!! 持ってこい!!!」

ルーシェは頷き、最後の瓶を投げ渡す。
ミーナがそれを片手で掴み、構えも荒々しく突っ込む。
粉塵の渦の中、二人は声を揃えて吠えた。

「「これで……終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」」

ミーナの咆哮と共に、最後の瓶がノーリの胸に叩きつけられた。
ガラスが砕け、濁った液体が赤黒い肉へと浸み込む。
次の瞬間、ルーシェの銃口が閃光を放った。

パンッ――!!!

銃弾が液体ごと心臓を撃ち抜き、内部で破裂する。
赤黒い蒸気が爆ぜ、ノーリの巨体がのけぞった。

『グアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!』

全身を走る管が暴れ狂い、瓦礫を薙ぎ払い、地面を深くえぐる。
その中心で、光と蒸気と血潮が同時に噴き上がり、夜空を赤黒く染め上げた。

「うおおおおおおおおおおおお!!!!!」



ミーナが咆哮を重ねる。
鉄パイプを両手で握りしめ、最後の渾身の力を乗せて、ノーリの胸を突き貫いた。

瞬間、肉が裂ける鈍い音が響き、赤黒い肉片が弾け飛ぶ。
溢れ出た蒸気が爆発のように辺りを包み込み、視界を白く奪った。

「ノーリ……終わらせるよ!!」



蒸気の中で、ルーシェが震える手で銃口を突き出す。
引き金を絞った瞬間、閃光が闇を裂いた。

――ドォンッ!!!!

爆ぜる衝撃波が地を揺らし、崩れかけた民家の残骸を一気に吹き飛ばす。
瓦礫が宙を舞い、粉塵が夜空に花火のように散った。
耳をつんざく轟音がしばらく続き、そして……唐突に止む。

残されたのは、粉塵と風、そして二人の荒い息だけだった。

――――――――――――――――――

ノーリはもう咆哮を上げなかった。
暴れ狂っていた管も、赤黒い光も、すべてが嘘のように止まり、瓦礫の中で崩れ落ちていく。

やがて――異形の巨体は影のように溶け、ひとりの少女の輪郭を残した。
ぐったりと横たわる姿は、戦いの前と変わらぬノーリのものだった。
だが、その顔は苦悶に歪んだままではなく、どこか安らかな眠りに似た表情を浮かべていた。

ミーナが鉄パイプを杖のように突き立て、震える声で呟く。

「……戻ってる……ノーリが……」

ルーシェは息を詰め、ゆっくりと近づいた。
銃口を下ろしたまま膝をつき、その顔を見下ろす。
頬に触れた指先は、驚くほど冷たく、それでいて人間の柔らかさを取り戻していた。

「ノーリ……」

その名を呼ぶ声は、粉塵の中に差し込むわずかな光へ吸い込まれていく。

かすかな震えと共に、閉じかけた唇が動いた。

『……ルーシェ』



微かな囁きが、確かに耳に届く。

「ノーリ……!」

『……私は……ただ、あなたを救いたかった。
……奴らに捕まり、記憶を消され……奴らの都合だけで、私は作られた。
……人としてでも、影としてでもなく……ただの“道具”として……』

ルーシェは目を見開き、思わずその声を探した。
ノーリの唇は微かに震えている。掠れるような吐息の端に、確かに言葉が宿っていた。

『……私は……あなたの“影”……。
奪われた記憶の残り滓を……繋ぎ合わせただけの……偽物』

「違う……!」

ルーシェは首を振る。



「たとえ偽物だろうと……あなたはずっと、私を導いてくれた。ノーリ、あなたは……あなた自身だよ」

ノーリの瞼が、わずかに震えた。
涙とも汗ともつかない透明な雫が、冷たい頬を伝い落ちる。

「……あなたのしたことは、到底許されるものじゃない。
でも……それでも――私のために、歯を食いしばってくれたんだよね」

ルーシェの声は怒りでも赦しでもなく、ただ真実を見つめる響きだった。
その言葉に応えるように、ノーリの影がほんのわずか揺らぎ、消え入りそうな吐息が零れる。

『……あなたを救うために、私は多くの人間も、動物さえも犠牲にした。
私は……もう、不要な存在なのだろう』

声は砂のように細く崩れ、言葉の端から光がこぼれ落ちた。
ノーリの手指が小さく震え、掌の中に残った温度はすでに弱まっている。
その告白は謝罪を超え、冷たい決算の宣言に聞こえた。

「……ノーリ」

掠れる声で名を呼ぶ。
返るのはか細い吐息と、震える影の囁きだった。

『……?』

ルーシェは視線を逸らさず、胸の奥から絞り出すように続けた。

「あなたが不要かどうかを決めるのは、あなたじゃない。
……生きてきた証は、犠牲にしたものの中じゃなくて――今ここで、私の前にいる“あなた自身”だよ」

『……そうか……。それが……人間って…ものなのか……』

ノーリの唇が、かすかに震えた。
その動きは長い間凍りついていた氷が初めて解ける瞬間のようで、弱々しく、それでいて確かな温度を孕んでいた。

頬を伝う雫が光を反射し、その下で――わずかな弧が描かれる。
それは悲しみでも悔恨でもなく、ただ「人間」として最後に許された微笑みだった。

冷たい闇に沈みゆく身体の中で、その笑みだけが一瞬、確かに生きていた。

『……ありが…とう…ルー……シェ……。 教えて……くれて…』

途切れ途切れの声が、夜気の中で小さくほどけていく。
その唇が最後に形づくったのは――微かな笑みだった。

氷のように冷えた頬の上で、涙とも汗ともつかない雫が光を返す。
それは人形の仮面を剥ぎ取ったような、ひどく人間らしい笑みだった。

そして、その笑みを残したまま、ノーリの瞼は静かに閉じられた。

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