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第三章
真理への道
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書庫の屋根裏部屋は、相変わらず冷え冷えとしている。窓から差し込むわずかな月明かりと今にも消えそうな蝋燭の灯が、持ち寄った羊皮紙とインク、数冊の記録帳、そして例の冊子を照らしている。
「まるで悪魔みたいだ……」
ヨハネは苦笑い交じりに呟く。神に仕えるべき二人がこうして夜な夜な密会を重ね、地動説という“禁断の知”を追い求めている。見つかれば、破門は免れられない。下手をすれば火炙りだ。しかし、二人の瞳に怯えも疲れもなかった。彼らは短い睡眠時間を削り、地道に研究を続けた。月の模様を模写し、星々の位置を整理する。しかし、彼らの肉眼には限界があった。
「肉眼では星の形も、月の表面すらまともに見えないわ…理屈はそろっているのにそれを確かめる手段がないの…このままでは存在するはずのものも存在しないもの同然になってしまうわ…」
エリーゼは記録帳を閉じながらため息をついた。彼女の筆跡で満たされた羊皮紙には、観測した星の位置、肉眼でギリギリ見える範囲での月の模写などが並んでいる。だが、どれも証拠としては不確かだった。
「我々に“遠くを拡大して見える道具”があれば……」
その瞬間、ヨハネの脳裏にあるものが浮かんだ。眼鏡だ。老修道士たちが書物を読む際に用いる、小さなガラスの円盤だ。
「もしかしてあれを工夫すれば…」
翌日、ヨハネは、修道院でただ一人眼鏡を使っている年配の修道士、ゲスラーの部屋を訪ねた。
「教会史の写本を任されたのですが、文字が小さくて…もしよければレンズを貸していただけませんか?」
ゲスラーは薄笑いを浮かべ、ヨハネを見上げた。小柄な体からは想像できないほど陰険な瞳が、彼の心の奥底を暴くかのように鋭く光っている。
「ふむ……教会史の文字が小さすぎた、か。なるほど、なるほど……」
口調は穏やかだが、どこか芝居がかっていて、不気味な笑みが言葉の所々からにじみ出ている。まるで全てを見抜いているとでも言いたげなその態度に、ヨハネは一瞬喉元をつかれたような感覚を覚えた。そういいながら、ゲスラーは机の引き出しから小さな箱を取り出す。中には大小さまざまなレンズが複数枚、黒布に包まれて保管されていた。
「壊すなよ。これはヴェネツィアの商人から苦労して手に入れた代物だからな。」
ヨハネは礼を言い、その場を後にした。扉が閉まり、足音が遠ざかるのを確認すると、ゲスラーは小さく舌打ちした。そして細い指先で顎を撫でながら低くつぶやいた。
「あの男、目が修道士の中でもずば抜けてよかったはずだが…妙だな…用心せねばならん。」
その夜、ヨハネはエリーゼと共に手に入れたレンズを羊皮紙の上に並べ、一枚ずつ丁寧に持ち上げては覗き込み、試行錯誤を繰り返す。
「この凹レンズは、像を縮小させるのか……じゃあこっちの凸レンズと組み合わせれば、もしかして……」
それは偶然の出来事だった。ヨハネが二枚のレンズを両手に取り、重ね合わせた瞬間、窓の外の鐘楼が、像を反転させながらも異様なまでに大きく、くっきりと見えた。肉眼ではただの点にしか見えなかった風見鶏の羽の掛け目まで、鮮明に捉えている。
「エリーゼ…大成功だ!この原理を利用できれば星々を鮮明に見ることができる…そうだ!」
その夜、世界初の天体望遠鏡が、アウクスブルクの修道院の屋根裏で産声を上げた。二人は興奮気味にそのレンズをそばにあった古びた皮筒に押し込んで即席の望遠鏡を作った。そして焦点距離を調節しながら、震える手でそれを夜空に向けると最初に映し出されたのは月だった。
「……そんな馬鹿な……」
二人は言葉を失った。というのもそこにあったのは、神の手によって創られた完全無欠の球体などではなかったからである。その銀色の表面には、幾重にも折り重なった山々と巨大なくぼみのようなものが浮かび上がっていた。影の入り方からそこに凹凸があることは明白である。
「月が傷ついているわ……」
「聖書に書かれている完全な天体など存在しないのか…」
聖書に書かれていた“月は滑らかな、神によって創られた完璧な球体である”という幻想は、十秒足らずの観測でもろくも崩れ去った。
続いて彼らは、金星に焦点を合わせた。なんと小さな光点は、三日月のような形をしているのだ。毎晩それを観測していると、一年七ヵ月周期でその形が変わり、満ち欠けを繰り返していることが分かった。
「地球の周りを回っているのであればこんな風に満ち欠けするはずがない…」
「きっと金星は太陽の周りを回っているのだわ!私たちはその姿を、角度を変えてみているのよ!」
金星の観測が終わった後、天体望遠鏡の筒先は木星に向けられた。視野に入った瞬間、ヨハネは自分の目を疑った。
「そんな馬鹿な……」
木製の左右に、小さな点が四つ、一直線に並んでいた。数日後、彼らが再びそれを見てみると、その数が変化していた。それは“星”ではなく、100年後ガリレオ・ガリレイによって“メディチ”などと名付けられる、木星を中心に回っている小さな月だった。
「これってまさか……地球以外の天体に月があるってこと……?」
「つまり天球が地球を中心にしているわけじゃないということか……」
二人は確信した。神の創った完璧な世界には、歪みと揺らぎがあることを。二人の脳裏で、これまで学んできた天動説地球を中心に、月、太陽、星々が規則正しく回るという秩序が静かに崩れていく音がした。
「まるで悪魔みたいだ……」
ヨハネは苦笑い交じりに呟く。神に仕えるべき二人がこうして夜な夜な密会を重ね、地動説という“禁断の知”を追い求めている。見つかれば、破門は免れられない。下手をすれば火炙りだ。しかし、二人の瞳に怯えも疲れもなかった。彼らは短い睡眠時間を削り、地道に研究を続けた。月の模様を模写し、星々の位置を整理する。しかし、彼らの肉眼には限界があった。
「肉眼では星の形も、月の表面すらまともに見えないわ…理屈はそろっているのにそれを確かめる手段がないの…このままでは存在するはずのものも存在しないもの同然になってしまうわ…」
エリーゼは記録帳を閉じながらため息をついた。彼女の筆跡で満たされた羊皮紙には、観測した星の位置、肉眼でギリギリ見える範囲での月の模写などが並んでいる。だが、どれも証拠としては不確かだった。
「我々に“遠くを拡大して見える道具”があれば……」
その瞬間、ヨハネの脳裏にあるものが浮かんだ。眼鏡だ。老修道士たちが書物を読む際に用いる、小さなガラスの円盤だ。
「もしかしてあれを工夫すれば…」
翌日、ヨハネは、修道院でただ一人眼鏡を使っている年配の修道士、ゲスラーの部屋を訪ねた。
「教会史の写本を任されたのですが、文字が小さくて…もしよければレンズを貸していただけませんか?」
ゲスラーは薄笑いを浮かべ、ヨハネを見上げた。小柄な体からは想像できないほど陰険な瞳が、彼の心の奥底を暴くかのように鋭く光っている。
「ふむ……教会史の文字が小さすぎた、か。なるほど、なるほど……」
口調は穏やかだが、どこか芝居がかっていて、不気味な笑みが言葉の所々からにじみ出ている。まるで全てを見抜いているとでも言いたげなその態度に、ヨハネは一瞬喉元をつかれたような感覚を覚えた。そういいながら、ゲスラーは机の引き出しから小さな箱を取り出す。中には大小さまざまなレンズが複数枚、黒布に包まれて保管されていた。
「壊すなよ。これはヴェネツィアの商人から苦労して手に入れた代物だからな。」
ヨハネは礼を言い、その場を後にした。扉が閉まり、足音が遠ざかるのを確認すると、ゲスラーは小さく舌打ちした。そして細い指先で顎を撫でながら低くつぶやいた。
「あの男、目が修道士の中でもずば抜けてよかったはずだが…妙だな…用心せねばならん。」
その夜、ヨハネはエリーゼと共に手に入れたレンズを羊皮紙の上に並べ、一枚ずつ丁寧に持ち上げては覗き込み、試行錯誤を繰り返す。
「この凹レンズは、像を縮小させるのか……じゃあこっちの凸レンズと組み合わせれば、もしかして……」
それは偶然の出来事だった。ヨハネが二枚のレンズを両手に取り、重ね合わせた瞬間、窓の外の鐘楼が、像を反転させながらも異様なまでに大きく、くっきりと見えた。肉眼ではただの点にしか見えなかった風見鶏の羽の掛け目まで、鮮明に捉えている。
「エリーゼ…大成功だ!この原理を利用できれば星々を鮮明に見ることができる…そうだ!」
その夜、世界初の天体望遠鏡が、アウクスブルクの修道院の屋根裏で産声を上げた。二人は興奮気味にそのレンズをそばにあった古びた皮筒に押し込んで即席の望遠鏡を作った。そして焦点距離を調節しながら、震える手でそれを夜空に向けると最初に映し出されたのは月だった。
「……そんな馬鹿な……」
二人は言葉を失った。というのもそこにあったのは、神の手によって創られた完全無欠の球体などではなかったからである。その銀色の表面には、幾重にも折り重なった山々と巨大なくぼみのようなものが浮かび上がっていた。影の入り方からそこに凹凸があることは明白である。
「月が傷ついているわ……」
「聖書に書かれている完全な天体など存在しないのか…」
聖書に書かれていた“月は滑らかな、神によって創られた完璧な球体である”という幻想は、十秒足らずの観測でもろくも崩れ去った。
続いて彼らは、金星に焦点を合わせた。なんと小さな光点は、三日月のような形をしているのだ。毎晩それを観測していると、一年七ヵ月周期でその形が変わり、満ち欠けを繰り返していることが分かった。
「地球の周りを回っているのであればこんな風に満ち欠けするはずがない…」
「きっと金星は太陽の周りを回っているのだわ!私たちはその姿を、角度を変えてみているのよ!」
金星の観測が終わった後、天体望遠鏡の筒先は木星に向けられた。視野に入った瞬間、ヨハネは自分の目を疑った。
「そんな馬鹿な……」
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