儀式の夜

清田いい鳥

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21 金縛り

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 金縛りだ。疲れているのに脳だけ起きているときの現象。ちょっと喋りすぎたせいなのか、酒を飲んでしまったからなのか。

 強い眠気は身体がきちんと感じているのに、脳への伝達が上手くいってない。疲れているのになあと思いながら、なんとも不気味で気持ちの悪い感覚が消えてくれるのを待っていた。

 こういうときに目を開けてしまうと、脳が勝手に作り出した映像を見せられてしまう。そんなものの相手をする気はさらさら無いのだと、頑なに目蓋を閉じていたのだが。

 ごく自然にぽっかりと、両の目蓋が開いてしまった。

 ——見える。見えてしまった。無表情の白い人影が、こちらをじっと覗いている。

 駿はベッドの上で眠っている。はみ出た脚も視野に入っているが、そこからぬっと上半身だけ突き出したような格好で、俺の顔を何者かが凝視している。

 あまりに不自然な光景だった。駿は平気なようなのだが、その体勢の人間に乗られてしまえば胸が苦しくて仕方ないはずだ。でも駿の方からは相変わらず健やかな寝息しか聞こえてこない。

 駿の安否が気になるが、俺は気味の悪い人形のような何者かと目を合わせぬようにするので精一杯だった。如何な生理現象のまやかしだろうが、一方的に怖い思いをさせられるのは趣味じゃない。

 人の上半身の形だけ色をうっすら抜いたようであり、人の気配を感じたが誰もおらず、見たような気だけはした残像のようでもあり。姿形はそんな風に不確かで、性別すらもわからないのに髪が異様に長いことだけはわかる。そして視線の熱がやけに強烈だった。

 視線には感情が乗るものだ。懐疑、嘲笑、好意、熱意。何者かが一方的に送って寄越した感情は、そのどれでもない。強いて言うならなんとなくだが『なんだこいつ』と、小馬鹿にされているような感覚がする。なんだこいつ、と言いたいのは俺の方なのだが。

「…………い。……り、くださ…………」
「………………」

「…………さい。……えり、ください……」
「………………」

 喉にまるで力が入らず、ほとんど蚊の鳴くような声量だが、俺は懸命に帰れと叫んでいた。さっきまでは怒りに近い感情を抱いていたはずなのだが、なぜか失礼をしてはならぬという畏れの気持ちで心がいっぱいになっていた。

 聞こえぬのならもう一度、と動かぬ身体の筋肉を総動員させていたその時。見知らぬ人影の唇が、何か特定の言葉を模して動き始めた。

 ——お、く。



「しゅっ…………!! 駿!! 駿起きて!! 起きてえ!!」
「…………ふがっ…………」

「起きてよ!! なあ!! 超怖い!! 駿、起きてええ!!」
「うるせ…………ほら、ねるぞ……おやす…………」

「ちがっ……ちがうって、マジのやつ!! マジのやつだから!! 駿!!」
「あーそう…………わかったよ…………」

 ベッドですやすや眠っていたのに無理やり起こされかけた駿は、目を閉じたままで仕方ないなという感じに布団をゆっくり持ち上げ、俺を中に引き入れようとしてきた。

 俺が年不相応に寝ぐずりをしたか、悪夢を見たのだろうと解釈したらしい。違う。違わないかもしれないが、似ているようで全然違う。

 今考えると、わかってもらえなくて当然。駿は何も見ておらず感じてもいない。だが目を開けることすらしてくれない駿の寝ぼけ顔を見ていると、なんて寝汚い奴なのかという見当違いな怒りが沸き、よろよろと伸びてきた駿の手を俺は勢いよく振り払ってしまった。

 駿は文句のひとつも言わぬまま、ひとりスヤスヤ眠りの世界へ戻っていった。親友の俺を置いてである。なんて憎らしい。寝顔が子供の頃と何ひとつ変わっていないことすら腹が立つ。

 しかしそんな元気が続いたのはそこまでだった。山登りをしたときのような酸欠に見舞われながら、訴え叫ぶことなどできやしない。持ち歩きの習慣をつけようと考えて、携帯酸素を持参していて助かった。

 楽になってきたのと同時に睡魔の波がゆるやかに訪れて、俺は再度の就寝を試みた。──が、どうしても白い人影がまた駿の上からぬるりと顔を出しそうで……怖くてここでは眠れない。二度目はさすがに無いだろうとは思うのだが。

 結局、酸素のホースを潰さないように気をつけながら駿の横へとお邪魔した。こっそりと。男二人、ギリギリ横になれるサイズ。イケるイケる。大丈夫。

 ほら、昔はいつもこうしていたからつい癖で。お泊まり会と称してお邪魔させてもらったり、招待したり、楽しかったから。今日も楽しかったからそのノリで。なんて自分自身の奇行に言い訳を用意しながらも、やっと安心して眠ることができた。

 ちょっとした怖い夢を見た気がするが、やはり夢は所詮夢でしかない。生の迫力とは比較にならない。駿の『せっま…………あ? 何してんの?』という声で一度はなんとか目覚めたが、まだ疲れていたので無視して二度寝に突入した。



 ——————



『臆病者』。あの何者かに言われたことだ。人は図星を突かれると腹が立つという。俺も例に漏れず少しイラついたのだが何故それを何者かが知っているのか、そちらの方が気にかかる。

 祖母に話してみようと思ったが、その通りじゃないか、と笑われる気がしてやめた。人を揶揄う癖などない人だが、どうしても活発な弟と比較せざるは得なかったようで『あんたもあの子くらい大胆になっていいんだよ』と言われたことは何度かある。

 余計なことを考えまいと、家事をやろうとしたのだが『仕事を取らないで下さいな』と、佐々木さんに固辞された。かといって力仕事の類は出来ない。重いものを運ぶ動作は禁じられている。無理をしたあとへばって寝込み、祖母たちに叱られることも断固避けたい。いい歳こいてこれ以上恥を増やしたくない。

「あれっ…………はい、どした?」
「いや。別に用事はないけどさ。元気にしてるかなーと思って」

「今って仕事中じゃないの?」
「うん、まあ。休憩中。お昼に予定入ってさ、食べ損ねたから」

「ふーん…………まあ……大変だな」
「あー、まあな。慣れたもんよ…………あ、昼食った? 今日は何だった?」

 電話をかけてきたのは友星だ。用事はないと初めに奴が言った通り、本当に中身のない連絡だった。今日のお昼は佐々木さん作のだし巻き玉子だったと言うと友星は『へえ、それいいなあ……』と言ったあと、また黙ってしまった。

 いつもは絶対聞こえない、ごく小さな耳鳴りに似た音が鼓膜を震わせてくる。通電の音と言えば良いのか、電波の音と言う方が正しいのか。

 それに耳を傾けるような経験はあまりなかった。なんだか気まずくなってしまい、白い人影の話でもしてみようかと思いついた。しかしそれを思い出そうとした途端、奇妙なくらいに記憶が遠くなっていることに気がついた。

 何年も前の話なんかじゃない。寝ぼけていたわけでもない。時計が一周したばかり、昨夜の出来事だったはず。おそらくだが丑三つ時くらい。俺が騒いでいたのを駿の方も覚えていたのに。

 真っ昼間の中庭。夜とは違い、松の木の奥や塀の隙間などには濃い影なんて落ちておらず、どこを見ても穏やかな昼下がり。なのに側にある、古い硝子戸にうっすら映った自分の姿を見られない。

 もし己の背後に映る障子戸に、人影を見てしまったら。脱兎の如く逃げたくとも、この身体ではとても走れない。弱者になるということは、こういうことなのだと改めて実感する。

「……あの……ほんとに用とか、特になくて……」
「あ、いや、こっちこそ。身体は全然、いつも通り、なんだけど……」

「そうか? なんか呼吸……浅くないか? なんかあった?」
「え、えっと。ちょっと怖いこと思い出したから。えーっと……何から話せば……」

「無理はすんな。ゆっくりでいいって言いたいけど、そろそろ車出さないとまずい時間で。勝手にかけておいて何だけど。……日曜空いてる?」
「日曜? 空いてる、けど……」

「できれば直接伝えたいことがあってさ。電話じゃちょっと何だから。じゃあ——」

 それを思い出すより先に、指先の末端から体幹の方へ向かってジリジリと痺れる感覚に襲われた。血が一斉に下へ落ち、体温を失ったのが原因だろう。俺は経験したばかりの怪異より、こちらの感情に引っ張られてしまったようだ。

 あの時も全く同じ口調だった。含み笑いを交えたような、照れたような言い方が。結局のところ互いの予定が合わなかったため、直接会わずに聞けたことだけが唯一の幸いだった。『結婚する』なんて、凶事の音信をだ。

 先に予定の確認をするな。狡いだろ。小賢しい奴め。いくら俺の外面が良いからって、事によっては会いたくないと思うことだってあるんだぞ。




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