ディラン・ヴァイパー

歩く魚

文字の大きさ
6 / 11

6

しおりを挟む
 その昔――というには早い、二十年ほど前のことだが――勇者は五人の仲間を引きつれ、魔王討伐へと向かった。
 人間には「魔王」としか呼ばれない彼、彼女は、性別から外見まで、そのほとんどが謎に包まれている。
 人間でそれを知っているのは魔王を討伐した六人だけだろう。
 しかし、暴力的な、ある意味で慈悲とも取れる強さだけは公のものだ。
 あまりに強すぎる、この世に並ぶ者のいない絶対的な強者。
 発する言葉にすら魔力が込められ、純然たる闘気が周囲に立ち昇る。
 放たれる魔術に一度触れようものなら、魂まで消し飛ばされてしまう――それが知られている魔王の全て。
 
 それに対して、勇者パーティは大部分が明らかだ。
 質実剛健で、魔王と相打ちとなり世界を救った勇者。
 魔王ですら直接的な対決を拒んだと言われる無双の武闘家。
 彼がいなければ、魔王の魔術を止めることは不可能だったと伝えられる魔術師。
 神の化身と呼ばれ、どんな傷でも瞬く間に治癒してしまう僧侶。
 預言者のように全てを見通したと言われるもう一人の魔術師――痕跡魔術の使い手。
 そして、暗殺者。
 暗殺者に関しては、魔王討伐の旅の最中にあっても、世界に平和が訪れてからも、その情報はほとんどなにもない。
 人々の中には、暗殺者の存在を一種の精神的な威圧として用いたのではないかという説もある。
 それほどまでに存在意義が薄いとされているのだ。
 だが、その中でもまことしやかに囁かれている「御伽噺」がある。
 暗殺者は「毒蛇のディラン」という名で、場合によっては勇者をも超える力を発揮することができるということ。
 そして、その本気の一撃受けたものは

 ――必ず死ぬ。

 ・

 はらり、とピンク色の髪が舞った。

「……どういうつもり?」

 ボンフォルトの娘・オリビアは、突然自分に斬りかかってきた男を、そして仲間と思われる数人を睨みつける。
 敵の数は四人。どれも男で、山賊のような汚らしい格好をしていた。

「どういうつもりだぁ? そんなこと知る必要ねぇだろ」

 先ほど剣を向けてきた男が、唾を飛ばしながら答える。

「確かに、こんなか弱い女の子一人に、男四人で向かってくる理由は知る必要ないね。情けなくて知りたくもない」

 男のこめかみがぴくりと動く。

「まぁ、それも仕方ないよね。私はAクラスのボンフォルトの娘だし、私自身がBランクに近いCランク。あんたらみたいな街にも入れない臆病者には重荷だもの」

 オリビアは挑発を続けたが、思考は別のことに向けられていた。
 そもそも、山賊たちが日頃、街に入ろうとしないのには理由がある。
 罪を犯したものは、その顔が手配書として拡散され、ギルドの掲示板に張り出されることになる。
 自らの命を狙う人々がいる中に、わざわざ飛び込む馬鹿はいない。
 だというのに、今、目の前には山賊の集団。おそらく誰かに雇われたのだ。
 誰に雇われたかというのは考えるまでもない。フォルモンド家だろう。
 オリビアはギルドを飛び出してから一度も戻っていない。
 自分になにができるのか探しているうちに山賊に鉢合わせることになったのだ。
 つまり、彼女はギルドマスターとエマ、そしてディランが危機に面したことを知らずにいた。
 しかし、やはり山賊の背後に何が潜んでいるかは明白。
 一刻も早くギルドに戻って状況を確認しようと決意した。
 そのためには、目の前にいる雑魚を排除しなければならない。

 オリビアは滑らかな動きで目の前の男――の右後ろで呑気に立っていた男を殴り飛ばす。
 冒険者の中でも自らの拳で戦う者は少なく、それは女性であれば尚更だった。
 父親であるボンフォルトが巨大な剣を振るうことも、山賊たちの油断を誘ったのかもしれない。
 結果的に、四人いた山賊は早くも一人減り、続くオリビアの後ろ回し蹴りで剣を持っていた男が吹き飛び、半分になった。

「それで、どうするの? 私、まだ成人してないんだけど、男の人ってこうすると喜ぶんだっけ?」

 オリビアはゆっくりと、倒れている男の股間に踵を乗せ、圧をかけていく。
 絞り出すようなうめき声を聞いて、残った二人の山賊は、慌てて去って行った。

 ・

 ウィリアムにとって、ガレクがこのタイミングでウィンドモアに戻ってきたことは不運だったのかもしれない。
 自らの末路を決定的にしてしまったからだ。
 
「人使いが荒いったらないぜ。村をぶっ潰してきた後だっていうのによ」

 髭を蓄え、野蛮な顔つきをした男――ガレクは、まばらに雲が泳ぐ空を眺めながら大股で歩いていた。

「まぁ、焼いた村で暖をとるのは……最高だったぜ」
 
 雰囲気の割には子綺麗な格好をしていて、背丈もあまり高くはないものの、妙な迫力がある。
 彼はアレクセイと並ぶウィリアムの隠し玉で、腕利の格闘家だ。
 格闘家と武闘家の違いとは、一般的には「敵」にあると考えられている。
 冒険者として己の身体で魔物と戦うのが武闘家であり、格闘家は人間と戦う。
 それが興行的な時もあれば、命を奪うための時もあるが、どちらにせよ、格闘家は魔物と戦わない。破壊する箇所が違うからだ。
 格闘家は医者のように人間の身体に精通していて、どこを攻撃すればどの部分が破壊されるのかを正確に理解している。
 その中でもガレクは、その暴力衝動を抑えられず、些細なことで人と揉め事を起こしては殺し、自警団や兵を差し向けられても殺し、殺し続けてきた。
 そして、強さに目をつけたウィリアムから、自由や金と引き換えに、フォルモンドの邪魔になる人間を排除する「仕事」を負っているのだ。
 先日、鉱山を巡るやりとりに飽きたウィリアムによって、一つの村が滅びることになった。
 報告のためにウィンドモアへ帰還したガレクが、見張りの兵士から次に言いつけられたのは、暫定的に――信じられないものの状況証拠的に――ドラゴンを殺した犯人と見られるディランを殺すことと、彼の所属しているギルドメンバーを皆殺しにすること。
 なかなかにイージーな仕事だ。依頼を聞いた瞬間、用済みになった兵士を気まぐれに殴り殺しながら、ガレクは思った。
 その足で街の中心部にたどり着いたガレクは、ピンク髪の乙女を発見する。
 彼女自身に思うところといえば下衆な考えばかりだったが、どうやら視線を這わせるだけではいけないらしい。

「その足元のゴミはどうしたんだ? 随分人間に似せて作ったみたいだが」

 ピンク髪の女性――オリビアはガレクの方へと振り返り、その姿に上から下までサッと視線をやると、鋭く睨む。

「あんたも山賊? 転がってる雑魚みたいになるのがご希望?」
「誰が山賊だって? この俺様に向かって、山賊?」

 ガレクは両腕を広げて見せる。オリビアは変わらず警戒を続けた。
 
「どっからどう見てもそうでしょ……。その格好はどうしたの? 誰かから奪った……にしてはサイズが合ってるわね」
「俺はキッチリした格好が好きでね。白いシャツが、皺一つないタイが血で汚れると興奮するのさ」
「キモ」
「いいねぇ、生意気な嬢ちゃんだ。そんな反応をされると興奮しち――面倒になってきた。お前、ディランってやつの知り合いか?」

 名前を聞いた瞬間、オリビアの顔が強張った。

「そうかそうか、当てずっぽうで聞いてみるもんだな。こんなところで会うなんて俺たちは運命かもしれない」
「はぁ? 誰が、こんな野獣と運命だっていうのよ。種族が違うのよ、種族が」
「魔王だって人間と恋をしたらしい」
「あっそ。すぐに別れちゃったんじゃない?」
「あぁ、俺もそう思う。ただ、熱く愛し合ったんだろうなぁ。朝も夜も、人間も魔族も忘れて、一瞬が永遠に感じられるほど、長く」
「何が言いたいの?」

 嫌悪感を顔の全てで表したオリビアを鼻で笑いながら、ガレクは言う。

「お前で愉しませてもらうってことさ。殺すのはその後にして、まずはゆっくり、拳の形を身体に刻んでやる」

 ・

 セルゲイはディランの元へ戻り、ウィンドモアの中心部へ向けて歩きながら、彼が連れ去られてからのことを説明した。
 ギルドマスターとエマがどこにいるのかはわからないが、ギルドの面々と手分けして襲撃することで、彼らを見つけることができるのではないかという、その時に思いついたことも告げた。

「……わかった。苦労をかけたね、探してくれてありがとう」
「あの、どうやってドラゴンを?」

 胸に込み上げる熱い気持ちをどうにか抑えてセルゲイは言葉を続ける。

「痕跡じゃ見抜けなかった。ディランさんの姿が消えたと思ったら、そのまま……」
「ぼくにはいくつか特別な技があってね」

 特別な技。それがなんなのかは分からないが、ドラゴンなんていう規格外の存在を殺すことができるのは異常だ。
 この技があれば、どんな相手もディランの敵ではないのではないか。

「残念だけど、これは今日はもうできないんだ」

 セルゲイの心を読んだかのようだった。

「それより、みんなでフォルモンドの屋敷を襲うのはいい考えだと思う。ただ――」
「なんですか?」
「なるべく穏便に済ませたい。ぼくはウィンドモアの人間でもないし、あの場に割って入ったんだ。餌にされるのも納得はできる」
「じゃあ、ウィリアムたちの命は奪いたくない……ってことですか?」
「もちろんだよ。過ちを犯してしまったとしても、その罪を認めることで成長できる。いい人間になれるかもしれない。ただ、命を奪ってしまえばそれまでだ。話すことも、笑うことも、憎むことも、喧嘩することも、何もできなくなる。後に残るのは、冷たく動かない肉と、重く感じる腕だけだよ」

 セルゲイは、ディランの寂しそうな、何かを思い出しているかのような言葉と表情に、どう返せばいいかわからなかった。
 彼はウィリアムたちを信じている、というより信じたいように見えた。
 なにか、自分が思いだしたくないものを封じ込めておきたいと、切に願っているように。
 だが、ディランのその願いは次の瞬間、無惨に打ち砕かれることになった。
 足元に視線があったセルゲイは、ディランが立ち止まったのに気付いたのだ。

「――? どうしたんですか、ディランさん」

 ディランの目が見開かれていた。
 口をぎゅっと結び、顔が、身体全体がふるふると震えている。
 ――これは怒りだ。
 それを見て、セルゲイはゆっくりと正面に顔を向ける。

「――――――」

 言葉を失っていた。
 十メートルほど先には小柄な男が立っていて、その足下にも、人間と思しき物体が三つ転がっている。
 そして、そのうちの一つは

「――オリビア?」

 ・

 気付いた時には、自分と男の距離が縮まっていた。
 走り出していただけでなく、叫んでいたのにも、今更気付いた。
 足蹴にされているオリビアは、まだ死んではいないようだった。
 しかし、活発で美しかった顔には無数のあざが、口元からは血が流れ、服はボロボロに破れ、片足に至っては折られている。

(なぜ、どうして?)

 そんな疑問が頭の中を巡っている。
 男との距離が縮まる時間がはるかに長く感じるほど、思考が早まっている。
 だが、早まっているだけで全く冷静になれていないということは、自分でも理解できていた。
 まだ、男は足元のオリビアを、ニヤつきながら見ていた。
 僕に気付いていないはずがない。相手にならないと舐められているんだろう。
 でも、そんなことはどうでもいい。
 思い切り右腕を振り上げて、男の後頭部目掛けて振り下ろ――。

 一瞬、視界が真っ黒に染められる。
 すぐに色がつきはしたものの、身体に力が入らない。

 (い、息ができない……)

 痛みを超えた何かが鳩尾に溜まっていることだけは、かろうじて理解できた。
 たとえ僕が冷静でも、目に見えないほどの速度で殴られたのだ。

「痛かったかい、坊や?」

 息を吸うこともできず、カヒュッと情けない音を出す僕を見下ろしながら、男は嗜虐的な笑みを浮かべている。

「出来損ないの楽器みたいだなぁ。この嬢ちゃんは坊やの友達かい? それなら話が早くて助かる。ちょうど今、この子を半殺しにしてたんだよ。勢い余って一本折っちまったけど、まだまだ楽しむつもりだから安心していい。殺すのは最後、犯した後だ」

 こいつが何を言っているか理解できるのに、身体が動かない。
 怒りに身を震わせることすらできない。

「……坊や、俺の知り合いに似てるなぁ。ちょっとムカついてきたし、お前から先に殺してやろう。お前をいたぶっても全然興奮しないし、俺は優しいから、首をへし折って一息に殺してやる。じゃあな」

 そう言って男は、なんでもないような虫を殺すように、僕の首に踵を振り下ろした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

僕の異世界攻略〜神の修行でブラッシュアップ〜

リョウ
ファンタジー
 僕は十年程闘病の末、あの世に。  そこで出会った神様に手違いで寿命が縮められたという説明をされ、地球で幸せな転生をする事になった…が何故か異世界転生してしまう。なんでだ?  幸い優しい両親と、兄と姉に囲まれ事なきを得たのだが、兄達が優秀で僕はいずれ家を出てかなきゃいけないみたい。そんな空気を読んだ僕は将来の為努力をしはじめるのだが……。   ※画像はAI作成しました。 ※現在毎日2話投稿。11時と19時にしております。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

趣味で人助けをしていたギルマス、気付いたら愛の重い最強メンバーに囲まれていた

歩く魚
ファンタジー
働きたくない元社畜、異世界で見つけた最適解は――「助成金で生きる」ことだった。 剣と魔法の世界に転生したシンは、冒険者として下積みを積み、ついに夢を叶える。 それは、国家公認の助成金付き制度――ギルド経営によって、働かずに暮らすこと。 そして、その傍で自らの歪んだ性癖を満たすため、誰に頼まれたわけでもない人助けを続けていたがーー 「ご命令と解釈しました、シン様」 「……あなたの命、私に預けてくれるんでしょ?」 次第にギルドには、主人公に執着するメンバーたちが集まり始め、気がつけばギルドは、愛の重い最強集団になっていた。

農民レベル99 天候と大地を操り世界最強

九頭七尾
ファンタジー
【農民】という天職を授かり、憧れていた戦士の夢を断念した少年ルイス。 仕方なく故郷の村で農業に従事し、十二年が経ったある日のこと、新しく就任したばかりの代官が訊ねてきて―― 「何だあの巨大な大根は? 一体どうやって収穫するのだ?」 「片手で抜けますけど? こんな感じで」 「200キロはありそうな大根を片手で……?」 「小麦の方も収穫しますね。えい」 「一帯の小麦が一瞬で刈り取られた!? 何をしたのだ!?」 「手刀で真空波を起こしただけですけど?」 その代官の勧めで、ルイスは冒険者になることに。 日々の農作業(?)を通し、最強の戦士に成長していた彼は、最年長ルーキーとして次々と規格外の戦果を挙げていくのだった。 「これは投擲用大根だ」 「「「投擲用大根???」」」

悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業

ウィリアム・ブロック
ファンタジー
現代日本から死亡したラスティは貴族に転生する。しかしその世界では貴族はあんまり良く思われていなかった。なのでノブリス・オブリージュを徹底させて、貴族のイメージ改善を目指すのだった。

処理中です...