愛が重いだけじゃ信用できませんか?

歩く魚

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第2章 夏と奉仕

決戦3

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 不思議な空だった。
 雲一つない晴天に煌めく太陽。
 普段ならば互いに互いを取り込んで溶け合っているような空は、今日ばかりはどちらも独立しているようだった。

 瑠凪の住むマンションは都内の物件ということもあって、暗証番号をフロントで入力しなければ入ることができない。
 もちろん番号は入居者にしか教えられていないため、セキュリティ面では安心といえる。
 だが、そのアパートに住んでいないはずの女は、何事もないように暗証番号を入れ、自動ドアを不本意に稼働させた。
 監視カメラに映らないよう顔を伏せて歩いているが、なんの偶然か、ここ2月ほどアパートの監視カメラはおかしな挙動を繰り返している。
 無論、彼女が細工したわけではない。
 しかしなぜか、彼女が訪れる30分にも満たない時間に限って、なんらかの理由でカメラは停止しているのだ。
 女は早足で、だけども足音をなるべく立てないように階段を登る。
 その手からは大きめのビニール袋が下がっていて、それが擦れる音だけが響いていた。
 瑠凪の部屋があるフロアに着くと、廊下の端から人がいないかを確認する。
 誰もいないことを確認すると、女は瑠凪の部屋の前に進んだ。

「…………?」

 部屋の扉には張り紙がされていた。
 A4の紙には「鍵を無くしてしまいました。あけないでください」と書いてある。
 女は部屋に入るか十秒ほど思案した結果、ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開いた。
 部屋は暗く、シャッターも閉じられているため開いたドアから差し込む光だけが視界を確保する手段になっている。
 女は廊下の明かりかと予想したスイッチを押してみる。
 すると、電球色の光が細い一本道を照らした。
 道の先にはもう一枚ドアがあり、彼女は靴を脱いで丁寧に整えると、持っていた袋を置いて廊下を歩いていく。
 息を潜めてドアの向こうの様子を探るが、物音ひとつしない。
 女は安心して手を前にやる。
 先ほどとは違い、手探りでスイッチを探す。
 壁に指を這わせていると、プラスチックのスイッチプレートに触れた。
 指の腹で押してみると、部屋の全貌が明らかになる。
 女は困惑していた。
 鍵が開いていたこともそうだが、部屋の中が不自然に片付けられていたからだ。

「…………なんなの?」

 女は部屋の中央に進んで中を見回していた。

「……なんなのってことは、もしかしてお前の部屋じゃないのか?」
「……っ!?」

 突如、女の背後から声が聞こえた。
 勢いよく振り返ると、そこには――。

「――櫂、康晴……」
「廊下やら部屋やらの電気をつけてたから、俺が入ってきたのに気付かなかったんだろ?」
「ど、どうしてここに……」
「どうしてじゃねぇのよ。お前の部屋じゃねえっのかって聞いてるんだぜ――音羽紫」

 自分の名前が知られていることに紫は戦慄した。
 男は廊下の電気を消し、自分の姿を闇に紛れ込ませた。

「なんで名前まで……」
「なんでだぁ? そんなの、俺がお前に復讐したいからに決まってんだろ! あの時、俺に向かって散々言ってくれやがって。俺はお前のことをずっと探してたんだぜ?」

 櫂は一歩、紫の方へ進む。
 彼はまだ廊下にいて、彼女に到達するまで数歩の猶予があった。

「でも、あれ以来全然見つからねえ。俺は日頃、女に声をかけるために校内を回ってるのにな。お前、あんまり大学来てねえんじゃねぇのか?」
「…………」

 紫は口を開かず、櫂の言葉にもあまり意識を割いていない。

「マジで見つからなかったよ。そしたらよく分からねえ男が俺のことを探りに来やがった」
「……男?」
「あぁ、白髪の……山本とか言ったかな。あいつは俺が二股掛けてるんじゃないかって聞いてきたんだよ。俺が二股してても言うと思うか、普通?」

 また一歩、櫂は足を前に出す。

「でも、あいつは俺に憧れてるみたいだから教えてやったんだよ。そうさ、俺はミスコンの女とギャルで二股してるってよぉ! どっちもバカな女で、俺が声をかけたら速攻で落ちやがった。まぁ、俺はイケてるからそれは当然だけどな」
「……最低だね」
「最低? 騙される方が悪いんだよ。男女の関係なんて騙し合いだ、俺はそんな女どもが嫌いだ! だから女を支配して、最後は凡人が憧れる女をモノにして、俺という男の価値を示すための土台にするんだよ!」

 紫は窓際に下がるが、二人の距離はどんどん近づいていく。

「……ムカついたなぁ。あの地味な女が俺を拒否したことじゃない。音羽紫、お前が生意気に楯突いてきたことににだ。俺に劣る人間に牙を剥かれたことにだ。俺は何日もイライラしてたよ」

 ついに櫂が目の前に立った。

「……そんな時、ついに俺にもツキが巡ってきた。たまたま地味女を見つけてな、そいつの後をつけていったら、お前に辿り着けたんだよ。本当はその日のうちに襲ってやろうと思ったが、地味女と帰ってたろ? 万が一にも見つかっちまうと思って、その日はやめておいた」

 加虐的な笑みが紫の視界を埋め尽くす。

「んで、今朝のことだ。一件のメールが届いてな、駅で張ってればお前に会えるって書いてあったんだ。ほら、不幸は重なるって言うだろ? その逆に幸運も重なるみたいだな」
 
 紫は逃げ出そうとするも、手首を無理やり掴まれて阻まれてしまう。

「……い、いたっ」
「なに逃げようとしてんだよ。お前はこれから、俺に酷い目に遭わされるんだぞ? いいか、言葉の暴力を身体の暴力で返してやる。身体に残る傷をつけるから、人に聞かれるだろう。でも、それ以上に辱めを受けたお前は何も言えずに下を向くしかねぇ。覚悟しろよ?」

 片手で紫の両手首を押さえ、その手は細いパンツのボタンに伸びていた。

「やめて! あんたが何しようと、私は絶対許さないから。人生終わるよ、いいの!?」
「あぁ?」

 彼は毒牙の進行方向を変え、紫の首を掴む。

「やれるもんならやってみろよ。その前に人生が終わるのはお前だ。なぁ、心が折られてもそう言っていられるか、楽しみだなぁ」
「…………」
「これだから、人を支配して、人生を潰すのは――」
「――楽しいか?」

 ここにいるはずのない第三者の声。
 今まで気配すらしなかった存在が背後に現れ、櫂は振り向く。

「お前……」
 
 つい先刻まで櫂が紛れ込んでいた闇の中には……古庵瑠凪が立っていた。

「……人生を潰すのが楽しいかどうか、俺にも教えてくださいよ、櫂先輩?」
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