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8 家
「ここが俺の家だ。生まれ直すたびに新しい家が用意される。人間の嫁を迎えるために、地上と近い空気になっている。さっきの輿の中も同じようにしてあった」
「だから平気だったんだ。ありがと、ヒメサマ」
「うむ」
見上げてにこりと笑うトーカの角度に新鮮さを覚えたヒメサマは、にやけそうになる顔を引き締めて答えた。トーカの肩を抱き、何者かの気配はあるのに姿の見えない屋敷を案内する。
「だれかいるみたいなのに」
「ここにいるのは姿を保てない弱い者だ。気にする必要はない」
「姿を保てない?」
「トーカが中庸の地で姿を保てるのは、自分はトーカである、トーカとはこういう生き物である、という自覚があるからだ。ここでは精神の影響が強く出る」
「おれがおれを人間だと思ってるから、人間の姿をしているってこと? じゃあ、おれが、おれは猫だって思ったら猫になれるのか?」
「……なれる、が、ならないでくれ。俺は今のトーカが好きだ」
「おれはヒメサマが猫でも、今の人間みたいな姿も好きなのに」
「いや、トーカがトーカなら俺だって好きだが!」
「へへっ、うん。大好きだ」
トーカは拒まないリナサナヒメトの胸に抱きついて、村でブラッシング後に腹を吸っていた時と同じ匂いに安心した。
崖から飛び降りるとき全てを諦めようとして、腕の中のヒメサマを離せなかった。優しい村の中で孤独を癒してくれたヒメサマは、神様になってもトーカに優しい。むしろ、猫のときよりも甘々である。
「ヒメサマ、ブラッシングしよう。そんなに長いと、ちゃんと梳かなきゃもつれちゃうだろ」
「う、ああ」
神であるリナサナヒメトは髪がもつれようがすぐに直せるため気にしないのだが、敷かれた布団を指差して誘うトーカを拒むことはできない。
「ブラシは……あった。ありがと」
大きな布団の上に向かい合って座った二人。トーカが周りを見回すと、手の届く位置に愛用のブラシによく似たものが置かれていた。目に見えない者が用意したのだとヒメサマに教えられ、礼を言う。トーカに見えるほどの力がない精霊だ。
「トーカに礼を言われて喜んでいる。名前をつけてやるといい。トーカの使用人にしよう」
「使用人? 自分のことは自分でやるよ」
「俺の夫として、どうしたらいいか困った時に役に立つ」
「ヒメサマに聞けないときがあるのか?」
「あるかもしれない」
「じゃあ、しょうがないな」
トーカは少し考えたけれど、学のない自分を思い出し、嘆息してから気持ちを切り替えて口を開いた。
「サラリ、で。ブラシを用意してくれたから」
「名を、ありがとうございます、奥方さま」
「良い名だ。サラリ、お前の主人はトーカだ。誰よりもトーカの命令を優先するんだ」
「はい」
サラリは手のひらほどのネズミのような姿をしていた。トーカの知るネズミよりは鼻先と尻尾が短く、愛嬌のある雰囲気だ。だからこそ、トーカは少し心配になった。
「ヒメサマ、サラリを食べないでね?」
「は?」
「こんなにネズミみたいじゃ、ついパクってしたくならない?」
「俺が食べたいと思うのはトーカだけだ」
「ええ? おれ? あんまり肉もないし、美味しくないよ。もうちょっと育つまで待って欲しい」
「それは、もちろんだ。今のままでは負担が大きい」
目を細めて機嫌良く笑うヒメサマは、猫の姿でブラッシングされた後の顔によく似ていた。
「うん、同じだ。ヒメサマ、ブラッシングしよ?」
「そうだな、頼む」
そうして二人の初夜はブラッシングで更けていった。
◇
翌朝、明るい部屋で目を覚ましたトーカは、大きな男性に抱きつくように乗っかっている自分に気がついた。
「よだれ、つけちゃった」
「おはよう、トーカ」
己の袖で、男の胸元についた涎の跡をゴシゴシ拭いていると、頭を大きな手が撫でた。まるで猫を撫でるようだ。連想でトーカはその男がヒメサマであることを思い出し、立場が変わったことに不思議な感覚になる。
「ヒメサマ……もう猫にはならない?」
トーカを乗せてもびくともしないしっかりとした身体つきは、ふわふわふにゃふにゃとしていた猫の時と全く違う。温かさは変わらないから嫌ではないけれど、などと思いながら、トーカはリナサナヒメトの毛先を指にくるくると絡ませた。
「猫がいいのか?」
「うーん、たまに?」
首を傾げてリナサナヒメトの毛を頬に当て、トーカは柔らかく笑った。この立派な体躯の男がヒメサマと同じだと理解していても、馴染んだ姿への愛着は別の話だ。
「わかった。地上に行くときには猫の姿になろう」
「うん」
「地上に行く前に、季馬のことも調べなきゃ」
「ああ。トーカが大人になるまでに」
「おれは大人じゃないのか?」
「まだ大人とは言えないな」
「じゃあ、ヒメサマみたいにでっかくなれる?」
「なるかもしれないな。いろんなものを食べて、よく動いて、よく眠れば」
トーカは年相応の体格だ。しかし、ヒメサマ、神であるリナサナヒメトは、成人男性のなかでも極めて恵まれた体格に変化していた。彼はどのような姿にもなれるのだが、トーカに良く思われたい気持ちがあったことは間違いなかった。ヒメサマみたいになりたいという言葉に満足した。
「トーカは俺のこの身体も気に入った?」
「うーん、うん。たぶん好き」
リナサナヒメトの上で上半身を起こしたトーカは、そのまま彼の腹の上で馬乗りになった。そして、じっと人型になったリナサナヒメトを見おろした。
「だから平気だったんだ。ありがと、ヒメサマ」
「うむ」
見上げてにこりと笑うトーカの角度に新鮮さを覚えたヒメサマは、にやけそうになる顔を引き締めて答えた。トーカの肩を抱き、何者かの気配はあるのに姿の見えない屋敷を案内する。
「だれかいるみたいなのに」
「ここにいるのは姿を保てない弱い者だ。気にする必要はない」
「姿を保てない?」
「トーカが中庸の地で姿を保てるのは、自分はトーカである、トーカとはこういう生き物である、という自覚があるからだ。ここでは精神の影響が強く出る」
「おれがおれを人間だと思ってるから、人間の姿をしているってこと? じゃあ、おれが、おれは猫だって思ったら猫になれるのか?」
「……なれる、が、ならないでくれ。俺は今のトーカが好きだ」
「おれはヒメサマが猫でも、今の人間みたいな姿も好きなのに」
「いや、トーカがトーカなら俺だって好きだが!」
「へへっ、うん。大好きだ」
トーカは拒まないリナサナヒメトの胸に抱きついて、村でブラッシング後に腹を吸っていた時と同じ匂いに安心した。
崖から飛び降りるとき全てを諦めようとして、腕の中のヒメサマを離せなかった。優しい村の中で孤独を癒してくれたヒメサマは、神様になってもトーカに優しい。むしろ、猫のときよりも甘々である。
「ヒメサマ、ブラッシングしよう。そんなに長いと、ちゃんと梳かなきゃもつれちゃうだろ」
「う、ああ」
神であるリナサナヒメトは髪がもつれようがすぐに直せるため気にしないのだが、敷かれた布団を指差して誘うトーカを拒むことはできない。
「ブラシは……あった。ありがと」
大きな布団の上に向かい合って座った二人。トーカが周りを見回すと、手の届く位置に愛用のブラシによく似たものが置かれていた。目に見えない者が用意したのだとヒメサマに教えられ、礼を言う。トーカに見えるほどの力がない精霊だ。
「トーカに礼を言われて喜んでいる。名前をつけてやるといい。トーカの使用人にしよう」
「使用人? 自分のことは自分でやるよ」
「俺の夫として、どうしたらいいか困った時に役に立つ」
「ヒメサマに聞けないときがあるのか?」
「あるかもしれない」
「じゃあ、しょうがないな」
トーカは少し考えたけれど、学のない自分を思い出し、嘆息してから気持ちを切り替えて口を開いた。
「サラリ、で。ブラシを用意してくれたから」
「名を、ありがとうございます、奥方さま」
「良い名だ。サラリ、お前の主人はトーカだ。誰よりもトーカの命令を優先するんだ」
「はい」
サラリは手のひらほどのネズミのような姿をしていた。トーカの知るネズミよりは鼻先と尻尾が短く、愛嬌のある雰囲気だ。だからこそ、トーカは少し心配になった。
「ヒメサマ、サラリを食べないでね?」
「は?」
「こんなにネズミみたいじゃ、ついパクってしたくならない?」
「俺が食べたいと思うのはトーカだけだ」
「ええ? おれ? あんまり肉もないし、美味しくないよ。もうちょっと育つまで待って欲しい」
「それは、もちろんだ。今のままでは負担が大きい」
目を細めて機嫌良く笑うヒメサマは、猫の姿でブラッシングされた後の顔によく似ていた。
「うん、同じだ。ヒメサマ、ブラッシングしよ?」
「そうだな、頼む」
そうして二人の初夜はブラッシングで更けていった。
◇
翌朝、明るい部屋で目を覚ましたトーカは、大きな男性に抱きつくように乗っかっている自分に気がついた。
「よだれ、つけちゃった」
「おはよう、トーカ」
己の袖で、男の胸元についた涎の跡をゴシゴシ拭いていると、頭を大きな手が撫でた。まるで猫を撫でるようだ。連想でトーカはその男がヒメサマであることを思い出し、立場が変わったことに不思議な感覚になる。
「ヒメサマ……もう猫にはならない?」
トーカを乗せてもびくともしないしっかりとした身体つきは、ふわふわふにゃふにゃとしていた猫の時と全く違う。温かさは変わらないから嫌ではないけれど、などと思いながら、トーカはリナサナヒメトの毛先を指にくるくると絡ませた。
「猫がいいのか?」
「うーん、たまに?」
首を傾げてリナサナヒメトの毛を頬に当て、トーカは柔らかく笑った。この立派な体躯の男がヒメサマと同じだと理解していても、馴染んだ姿への愛着は別の話だ。
「わかった。地上に行くときには猫の姿になろう」
「うん」
「地上に行く前に、季馬のことも調べなきゃ」
「ああ。トーカが大人になるまでに」
「おれは大人じゃないのか?」
「まだ大人とは言えないな」
「じゃあ、ヒメサマみたいにでっかくなれる?」
「なるかもしれないな。いろんなものを食べて、よく動いて、よく眠れば」
トーカは年相応の体格だ。しかし、ヒメサマ、神であるリナサナヒメトは、成人男性のなかでも極めて恵まれた体格に変化していた。彼はどのような姿にもなれるのだが、トーカに良く思われたい気持ちがあったことは間違いなかった。ヒメサマみたいになりたいという言葉に満足した。
「トーカは俺のこの身体も気に入った?」
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