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一章
2 望まなかった愛しいもの
しおりを挟む痛む体を無視して、タブレットを開く。
番、オメガ、失くす、と打ち込んだ。誰か分からないんだ。得てすぐに失くしたようなものだ。
悲劇的な結末ばかりが表示されて、心臓が冷えていく。本当に、オメガは弱くて、どうにもならない。
(……そもそも、番なんて、夢のような話だったんだ。どこの誰とも知れないなんて、俺みたいな劣等種にはお似合いだ……)
落ち着くためにも体を癒そうと、それから三日ほど寝込んで、体の痛みは引いていった。
首の噛み跡は下の方だったので、いつも来ている襟付きシャツで隠すことができた。
俺にとって人生の転機と呼べるような大事件があっても、時間は普通に流れる。
傷が癒えて何事もなかったように大学に行った。
「おー、健吾、なんか久しぶり?」
「ああ、ちょっと風邪引いて寝込んでた」
「そっか。おつかれー」
「ん」
恋人はなくても友人ぐらいはいる。
そのうちの一人、河島陽介はアルファだ。
俺がオメガとは気付いていない様子で、普通に接してくれる。もしかしたら気付いていて黙ってくれているのかも知れない。お互いにアルファ、オメガ、という括りから離れたところで友人になれて嬉しく思っている。
講義の時間が変わったことや、共通の友人の話をなどをしながら、学食でいつものように定食を食べた。
ふっと視線を感じてそちらを見ると、彼がいた。
いつものように友人達に囲まれて賑やかしい。
それなのに、俺を見る視線には何となく棘のようなものを感じた。
目が合うと、あからさまに顔をしかめて目を逸らされる。
(俺、なんかしたか? 流石にちょっと傷付くな……)
何も見なかったように陽介に視線を戻すと、少し困ったように俺を見ている。ものすごく潜めた声で、耳打ちしてきた。
「健吾、あいつと寝た?」
「はあ?」
唐突な言葉に思わず大きな声が出て、陽介に慌てて肩を組むようにして端に連れて行かれた。
「ごめん、健吾がオメガだって隠してるのは分かってるんだけど、連休明けから何か匂いか変わっててさ。あいつの匂いっぽいんだよ。まさか、噛まれたりはしてないよな?」
鋭い指摘にドキリとする。アルファなら分かるのか? 肯定することはできない。そもそも相手は、どこの誰とも知れないのだ。偶然彼と似たフェロモンだったんだろう。
陽介にどう言ったら納得してもらえるか、必死で考えた。不自然に見えないように、俺だってオメガなんだから、世間一般のオメガが発情期にすること。
「ないだろ。……ちょっと発情期で楽しんでたから雰囲気変わっただけじゃね?」
自嘲気味に吐き捨てると、陽介が慌てる。
「ごめん、本気でごめん。健吾、オメガ嫌なんだろ? だけどちょっと心配でさ」
「ふーっ、分かってんなら、話題にもしないでくれるとありがたいんだけど」
「分かった。ごめん、もう言わない」
微妙な雰囲気になったのを誤魔化すように、どうでもいい講義の話をして、話を変えた。陽介も、もう二度とその話をしなかった。
そんな俺達の背中を、チラチラと見る視線があることには気付かなかった。
あれから三ヶ月が経ち、俺は発情期が来ないことに気が付いた。いつもなら兆候が表れて薬を飲み始める時期だ。考えても見なかった可能性が、頭によぎった。
発情期の妊娠確率。自分には関係がないと思ってすっかり忘れていた。アルファとオメガというだけでも高確率なのに、番なのだ。それに思い至って、全身から血の気が引く。
病院に行って確定されるのが怖い。
けれど、意識すればするほど可能性は確実に思えて、悩んでいる間に事態はどうにもならなくなっていった。
秋になる頃には、胴回りが明らかに膨らみ、ネットで調べてみても、妊娠としか思えなくなっていた。
男のオメガは妊娠が目立ちにくい。骨格が違うから、女性が産むよりも子供は小さく生まれるからだ。
諦めて認めた時には堕胎できる時期も過ぎ、ひたすら頭の中は「どうしよう」という言葉で満ちていた。
他人事だと思っていた子供関連のニュースが、やけに目に飛び込んでくる。
どうしたら良いかわからないままに、大学には休学届を出した。退学したとなれば、あの父がどういう行動にでるのか予想もできない。今、実家から支給されている学費と生活費がなくなれば生きてはいけない。
父は、俺が学校に行っているかどうかまでは気にしていないだろう。アルファばかりの家で、唯一生まれてしまったオメガだから……。
バイトで貯めた金を、保存食に変えて、家にこもることにした。
静かな家の中で、「オメガ、自宅出産」などのキーワードを入れて検索する。
オメガの妊娠出産については国の手厚い保護政策があるが、男性のオメガなどは妊娠の事実を受け入れられず自宅で子供を出産することもあるようだ。
妊娠するオメガは大抵番がいるから、産んですぐに救急搬送されたりして、一命を取り留めることもあるそうだが、人知れず出産した場合の母体死亡率は九十パーセントだった。子供だけなら半分ほどは助かっている。
(半分に賭けるか……)
顔も知らない、まさに通りすがりで発情期に巻き込んだ誰かの子供だ。相手は噛んでしまったことを後悔していることだろう。きっといずれ解消される。もしかしたらもう解消されているかもしれない。
アルファ側からしか番の解消はできない上に、どうなるのか知らないから、わからないけど。
首の噛み跡は後ろ側の下の方にあるから、見ようと思わなければ見えない。最初に見た時以来、見ないようにしている。
あの場には鞄だってあった。身元を調べようと思えば簡単だったことをしなかったのだから、不本意だったに違いない。
でも、子供に罪はない。
こんな経緯で、信じられないけれど、子供は愛しかった。腹を内側からける感触に、そっと手を腹に当てた。最近は激しく存在を主張してくる。手足が普通より多いのではないかと思うぐらいだ。愛しくてたまらない。
けれども、きっと育ててあげることができない。
「ごめんな……」
せめてもの償いにと、やばくなったら救急車を呼べるようにシミュレーションする。
オートロックのマンションだ。部屋の前までくる奴はそうそういない。部屋の鍵もチェーンもかけない。かけたら助けが遅くなる。
――時が満ち、激痛に呻きながら救急に電話をかけた。
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