鎮静のクロッカス

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第5章 トレジャー・ガール

第22話・・・先代_〝羨ましい〟_初邂逅・・・

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『聖』アジト。
 演習場では、カレー作りを終えたスイートピーがとある訓練をしていた。
 スイートピーが全身に力を込め、唱えた。

「『鬼尤羅化ルオ・イニシエート』ッッ!!」

 すると、スイートピーの全身に赤黒いラインが走り、額から二本の赤黒いツノ鬼赫角ルオ・ホーン』が生えた。
 11歳の少女の鬼の姿は、可愛らしさと暴力性の狭間にある狂気を感じる。
修羅士ラクシャーサ』となったスイートピーが叫んだ
「ローズちゃん! どう!? 私のツノの長さ!」
 青みがかった黒髪ツインテールの少女、『聖』総隊長である西園寺瑠璃と第二策動隊隊長であるフリージアの娘、ローズが素早く巻き尺でささっと測る。
「両方15センチ! 三ヵ月前と同じだね!」
「むぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
 スイートピーがむくれながら、後ろ手を付いて座り込んだ。
 一緒にいたガーベラとコスモスも「伸びないねぇ」「二本とも10センチあるだけでも上等よ」と発言している。


 ……そんな光景を見ながら、同じ演習場で筋トレをしていた第五策動隊所属のコードネーム「デンファレ」こと元『憐山』幹部のジストが驚きの目を向けていた。
(……あの子がスイートピーか…。『鬼獣使士ブルート・テイマー』でもないのに…)
 驚くデンファレ(ジスト)に、隣で筋トレをしていた人物が声を掛けた。
「スイートピーの『修羅士ラクシャーサ』を見るのは初めてか?」
『聖』第二策動隊隊長のフリージアだ。
 デンファレは第五策動隊に配属されてから『聖』アジトと指定破狂区域ハザード・エリアを行き来する生活を送っており、アジトにいる間はフリージアなどS級格隊員のトレーニングに付き合うのが習慣となっていた。
 フリージアに聞かれ、デンファレは「そうですね…」と頷いた。
「クロモジ副隊長から聞いてはいましたが、実際にあの歳の子が〝鬼〟となる姿を見るのは…驚きます」
 言いながら、デンファレはクロッカスのことを思い出し、続けて述べた。

「……クロッカス隊長はあの子を守りながら三年間、『屍闇の怪洞窟』で過酷なサバイバル生活を送っていたんですよね。……いや、〝過酷〟なんて言葉では済まされないか…」

「ああ。……ほんと、先代のクロッカスが偶然二人を見付けなかったら、どうなっていたかわからねえよ」

 第五策動隊隊長であるクレマチスの兄、先代クロッカス。
 現クロッカスとスイートピーを先代クロッカスが見付けた時の経緯と結末も事前に聞いており、デンファレは複雑な表情を浮かべた。
 しかし伝え聞いた話しか知らない自分が感情的になってはいけないと頭を振り、少しだけ話題の焦点を変えた。
「そう言えば、クロッカス隊長は今『慟魔の大森林』で生活していると思われる少女と接触していると聞きました。……やっぱり何か、思うところはありますかね」
「さあな。……ただまあ、クローのなんて初めてだろうから、無関心なんてことはないはずだ。となれば、共感できるか、できないか、だろうな。……共感できれば気に入るだろうし、できなければ相容れないと思うぜ」
 フリージアの見解を聞いて、デンファレは難しそうに眉を顰めた。
 
(……共感…か)


 ■ ■ ■


 
「…………すごい。え、運命…?」
 亜氣羽は湊の『修羅士ラクシャーサ』としての姿を見てしばらく呆気に取られていたが、すぐに喜楽に満ちた表情を浮かべた。
 く相手との運命的な繋がりを感じた、怖いくらい口角が吊り上がった笑みだ。

「ミナトくんもボクと同じだったの!? え? え? どんな奇跡!? やっぱりボク達一緒にいるべきだよ! 同じ辛さを知るボク達ならこの先なんだって    」


 ………その言葉は、最後まで続かなかった。

 湊が何か発言して言葉を遮ったわけではない。
 本物オリジナルの亜氣羽が何かされたわけでもない。


 ……いつの間にか消えた湊が、分身の亜氣羽の一人を跡形も無く消滅させたからだ。


「えっっ!?」
 亜氣羽がバッと振り向いた。
 ……そう。
 たった今湊は、にいた〝風の亜氣羽〟の元まで一瞬で移動し、『鎮静』と『歪曲』のエナジーで完全抹消したのだ。
 いや、一瞬という表現も生温い。
 亜氣羽は瞬きせずに湊を注視していたのに、背後に回られたのだ。
 ……動いたことにすら気付けなかった。

 …………この瞬間、亜氣羽は鈍器で殴られたかのような衝撃と共に痛感させられた。

(………ボクとは……別格…ッッ)

 曲がりなりにも亜氣羽は凄腕のフォーサーだ。
 常に鬼獣相手に彼我の実力差を見極め、狩るか、逃げるかの選択を文字通り命懸けで熟してきたからこそ……わかった。わかってしまった。

 ……湊は、自分より強い。

「ボク『達』!!」
 亜氣羽の顔から余裕や喜楽が消え、瞬時に本気の臨戦態勢に入る。
 残る四人の亜氣羽へとエナジーが送られ、分身達が生やす二本の『鬼赫角ルオ・ホーン』が10センチから15センチへと伸びる。
 分身達の『洸血気オーブ・エナジー』が更に膨れ上がった。
(知ってる? ミナトくん! 『森』の奥深くにはS級の鬼獣も珍しくないんだよ!? それでもボクはこの分身達を駆使して勝って、生き延びてきたんだッ! 強いからと言ってまだ勝てるだなんて思わないことだよッッ!)


「もちろん、知ってるよ。俺は『屍闇の怪洞窟』っていう、『慟魔の大森林』と同じくらい危険なところで………生き延びてきたんだから」

 湊は亜氣羽の心の声に答えつつ、今度は〝土の亜氣羽〟を消した。
 パワーアップしたのに、あっさりと消されてしまった。

「えッッッ!?」
 また亜氣羽が振り向く。
 また亜氣羽の背後で分身を消されたのだ。
 湊は音叉を横に薙いで〝土の亜氣羽〟を消滅させた直後のポーズとなっており、すっかり日が落ちた夜空をバックにしたその姿は正に静かに人を狩る夜の鬼。
 夜叉やしゃだった。
「……不幸なんて比べるものでもないし、亜氣羽さんも辛かったことは重々承知してるけどさ、」
 恐れ慄く亜氣羽に、湊が音叉に付着した亜氣羽のエナジーを振って払いながら、目を合わさずに述べた。


「それでもやっぱり、さっきの亜氣羽さんの話を聞いて、俺は〝羨ましい〟って思ったよ」


「………ッッッ!」
 驚く亜氣羽だが、息つく暇がない。

「俺の周りには、助けてくれる大人なんていなかった」
 
 次に、〝火の亜氣羽〟が消された。

「俺には、気を落ち着けて休める家なんてなかった」

 そして次に、〝水の亜氣羽〟が消された。


「………亜氣羽さんと同じで、何度も思ったよ。……………〝死にたい〟って」

 
 最後に、〝雷の亜氣羽〟が消された。

 分身の亜氣羽が次々と消され、顔を右往左往させる本物オリジナルの亜氣羽は、張り裂けそうな心臓をぐっと半月刀シャムシールを持っていない方の手で押さえつけた。
 湊の異常な強さと、紡がれる言葉の覇気に、亜氣羽が竦んでしまっているのだ。
 心が『源貴片オリハルコン』に侵食されながらも、残る理性が叫んでいる。

 亜氣羽が言った「死にたい」と、湊が言った「死にたい」の重さは、雲泥の差だと。

 亜氣羽は湊に共感は、できない。

「これ、没収するね」
「ッッ!?」
 そして亜氣羽は当然の気付けないまま、左手に括りつけていた『源貴片オリハルコン』の水晶が湊に盗られてしまった。
 凶悪な鬼獣の心臓が結晶化したという緑と赤の水晶の『源貴片オリハルコン』。
 亜氣羽は『慟魔の大森林』を出歩く際に他の鬼獣を寄せ付けない虫除けスプレーとして扱っていたらしいが、S級フォーサーでないと扱い辛い代物だ。
 特に今は亜氣羽の精神を侵食すべく『源貴片オリハルコン』そのものが暴走しているので、触れるのも危険である。
 正に心臓の如く、発光を繰り返すその『源貴片オリハルコン』は赤黒い『洸血気オーブ・エナジー』を垂れ流して湊を吞み込もうとする。

 ………しかし、湊は『鎮静』と『歪曲』のエナジーで過負荷をかけ、その暴走を一気に止めてみせた。

源貴片オリハルコン』の発光が止まると同時に。
「んぐッッ!!」
 亜氣羽と『源貴片オリハルコン』を繋いでいた見えない糸のようなものが切れ、同時に亜氣羽の顔に理性の色が完全に戻った。
 支えを失ったように亜氣羽がぐらつき、その場に膝を突く。
 ……亜氣羽の『修羅士ラクシャーサ』も、切れた。
 湊達は今空中にエナジーを固定する歩空法フロート・アーツで佇んでいる状態であり、亜氣羽はその歩空法フロート・アーツも乱れてしまっている。
「ハァ…ハァ……ハァ…ッ」
 息を切らしながらも、理性が蘇った亜氣羽が、自然と、必然と、先程自分が言い放った言葉がフラッシュバックした。

『……いいなぁ』

『表では普通の学生で、裏ではとある組織の構成員。しかも頭も良くて滅茶苦茶強い。しかも顔も良い』

『……ボクがよく想像する〝カッコいい自分〟そのものだ…』

『ボクは物心ついた五歳の頃には森の中を散策して『洸血気オーブ・エナジー』に慣れるっていう地獄の特訓をしたんだよ!?』

『体の中に〝歪み〟の塊がどろどろと皮膚や血管や臓器を内側から引っ掻く感覚がわかる!?』

『もちろん全部家族のみんなが支えて寄り添ってくれたけど、…………それでも何度も死にたいって思った……ッッ!』

『聞きたいよ。……ボク以外の不幸話』

『確かにボクは物心ついた頃から『翠晶館すいしょうかん』にいて、鬼獣と戦う時も大人達と同伴だったよ!? だからボクは不幸じゃなかったって!? そんなこと言うんだったら許さないよッ!!?』

 
 全部、湊へ言っていい言葉ではなかった。
 
 亜氣羽だからこそわかる。
『慟魔の大森林』と同レベルの指定破狂区域ハザード・エリアは人が住んでいい場所ではない。
 亜氣羽は『翠晶館』という安息の地と、頼れる大人達が周りにいたから心配はなかったけど……、湊にはそれがなかった。
 死んでいてもおかしくない。
 いや、普通なら死んでいる。
 亜氣羽は湊と出会ったばかりの間柄だが、それでもわかる。
 湊の類稀なる頭脳とフォーサーとしての才能を命懸けで駆使して一日一日を必死に生き抜いてきたのだと。

「……………………ごめん…っ」

 消え入りそうな掠れ声で、亜氣羽が捻り出すように謝る。
「……………うぅっ…ぼく………ぼくっ…っっっ……」
「……謝る必要はないよ」
 完全に戦意喪失した亜氣羽を前に、湊はエナジーによる威圧と音叉の構えを解き、口調を柔らかくする。
「なんか、源貴片オリハルコンに呑まれてない時よりしおらしくなったね」
 初めての外界で常に興奮状態だった亜氣羽だったが、自分なんて比べ物にならない絶望を味わった湊を前にして冷や水を浴びせられたように一気に冷静になったようだ。
 自由奔放だが自分の非はしっかり認める。
 本来はそういう性格なのだろう。
「………っ」
 既に戦う気力のない亜氣羽は頭が真っ白になっているようで、湊に対してどう接すればいいのか、この後どうすべきなのかがわからず混乱しているようだ。
 罪悪感と羞恥心から湊と目を合わせることもできず俯いている。
「亜氣羽さん。とりあえず俺と一緒に来てよ。……悪いけど、このまま君を『慟魔の大森林』へと帰すわけにはいかないんだ」
「……っ、そ、それは……」
 亜氣羽のわかりやすく狼狽えた。
「ババ様って人は外界と繋がりを持つつもりはない?」
「…………うん…」
 的を射た湊の言葉に、亜氣羽はこくっと頷いた。
「みたいだね。………それでも、もう一度同じことを言うけど、このまま君を帰すわけにはいかない。……もし逃げるなら、また俺と戦うことになるよ?」
 少し語気を強めると、亜氣羽が「っ!」とこれまたわかりやすく動揺した。
「……わ、わかった…」
 格付けが済んでいることで亜氣羽は無駄な抵抗はしようとしなかった。
 大人しく連れていかれることを認めた。
「………み、あ、えっと……一つだけ、聞いてもいい?」
 ミナトくん、そう呼ぼうとして亜氣羽は言葉を区切ったことに湊は(別に呼んでもいいのに)と苦笑しつつ「どうぞ」と質問を受け入れた。
「『屍闇の怪洞窟』で家も無しに一人で生活してたって言ってたけど……一体何歳の時から……何年いたの…?」
 湊は(一人でとは言ってないけどな)と思いつつ、そこは正直に答えた。


「五歳の時から、二年半」


「ッッ! に…ねん…ッッ」
 亜氣羽が衝撃で打ち震えた。
 ……亜氣羽だったら、耐えられない。そもそも、耐える前に死んでいる。
「………………ははっ……」
 乾いた自嘲の笑い声を上げ、亜氣羽はがっくり項垂れた。
 湊も『修羅士ラクシャーサ』を解いて、亜氣羽を『聖』アジトへ送る手筈を整えようとした、




 その瞬間だった。




「全く、本当に亜氣羽は人騒がせね」



「ッッッ!!」
 湊が瞬時にその場から背後に距離を取った。
 
 ………次の瞬間、滝のように苛烈な勢いで降り注ぐ水が、湊と亜氣羽の間を仕切った。

 ……そして、その滝が収まり、視界が開ける。

 そこには、亜氣羽を庇うように立つ、一人の女性が優雅に佇んでいた。

 年齢は20前後。
 流麗なロングヘアと物腰柔らかい慈しみのある笑みを浮かべた、聖母のような女性だ。

 聖母のような女性が、敵意を感じさせない表情で湊を見据える。

「初めまして。雛菊ひなぎくと言います。………無礼は承知だけれど、このまま亜氣羽は連れていくわね」


 ■ ■ ■


『聖』アジト。
 トレーニング中のデンファレ(ジスト)が、フリージアにもう一つ気になったことを問うた。
「そう言えば、クロッカス隊長の元へ人員はどれくらい送り込んでいるんですか? 子供と言えど『慟魔の大森林』の攻略の鍵となる存在であり、S級格のフォーサー。こういう時、『聖』では万が一を考えてしっかり人員を割くを聞きましたが」
 聞かれたフリージアが、端的に答えた。
「ゼロだよ」
「え…?」
 デンファレが目を丸くする。
 フリージアはタオルで汗を拭きながら。
「総隊長は送るべきだと言ったんだけどな。クローが現場の判断でそれを却下したんだ」
「……な、なぜ…」
「とある組織が、獅童学園付近で動きを活発化しているらしい」
「……その、組織とは…」

「『北斗』だよ」

「ッ!」
 デンファレもある程度湊の現在の人間関係などは聞いている。
『陽天十二神座・第八席』強行秘匿探偵事務所『北斗』。
 速水愛衣が所属する組織だ。
「獅童学園に潜入してるカキツバタの正体が完全に割れたらしいからな。それ関連で『北斗』の人間が徐々に集結しているらしい。……おそらく今回の『宝争戦』っていうのにも『北斗』の人間が配置されてる可能性が高いとかでな。取り敢えず数人隊員を待機させといて、クローが連絡したら転移士器アイテムで呼ぶっていう形にしたらしいぜ」
「……なるほど…」
 デンファレは速水愛衣という頭脳面でも身体面でも湊に匹敵する存在を思い浮かべ、その才覚の強大さに慄きつつ、ある疑問を浮かべた。

「………底知れない能力を秘めた速水愛衣…。そんな彼女と、をするんですね」

「底知れない者同士、変に気が合うんだろ」


 ■ ■ ■



 湊の前には、亜氣羽と、亜氣羽を庇うように雛菊と名乗った聖母のような女性がいる。
 武器などは構えていないが、不用意には近付いていけないと湊が判断する。
(……また厄介そうな人が来たな…。……探知した感じ、ジェネリックは協調系水属性で、転移法ワープ・アーツの使い手。実力は申し分なくS級。まあ、亜氣羽さんを探しに来たんだろうな…)
 そこまではいい。
 ただ一つ気になることがある。
 湊は雛菊から視線を外さないようにしながら、自分が張った七重の結界に意識を向ける。
(俺の結界法サークル・アーツ七重セブン・ホールドは破られてないのに、結界内に彼女はいる。……結界と断絶されてても転移ワープはできるが、その場合は結界内に自分のエナジーを持つ士器アイテムなどがないと転移ワープできないのに、だ。
 ………どうやったのかわからなかったけど、今わかった。………俺の結界に、極小の穴を開けたみたいだね)
 湊が己の結界に集中し、その一角に目視もできないほどミクロレベルに小さな穴を感じ取った。
(……おそらく、『洸血気オーブ・エナジー』を極限まで細め、『歪曲』の力で静かに穴を開けてそこからエナジーを流し込み、転移法ワープ・アーツを使ったのか…。この雛菊って人、まだ20前後だよな? エナジーの操作精度が尋常じゃない……)
 湊がほんの数秒の間に雛菊の司力フォースについてどんどん分析を進めていくと、湊と向かい合う、雛菊が亜氣羽をちらっと見やった
「……まさか亜氣羽がここまで完敗しているとは。このエナジーの残滓からすると、『修羅士ラクシャーサ』も『五鬼陣来ハンターズ・ヴェイフ』も使ったみたいね。………どうやら、貴方相手だと私でも勝てなそう」
 亜氣羽の「ひな姉…」という掠れ声を聞きながら、雛菊が湊との実力差をしっかり見極める。
「だから悪いけど、このまま逃げさせてもらうわね。あ、もちろん貴方のことを口外するつもりはないわ」
「……亜氣羽さんにも言ったけど、このまま連れていかれるわけにもいかないんだよね」
 湊がエナジーを漲らせる。
 しかし、雛菊の表情に慌てる様子は一切ない。
「勇ましいわね。でもごめんなさい。………もう行くわ」
 その瞬間、雛菊が転移法ワープ・アーツを行使した。
 湊がどれだけ速く動こうとも攻撃は届かず、亜氣羽と雛菊はその場から姿を消す。










 そのはずだった。










 理界踏破オーバー・ロジック             『誘靡イザナミ










 
「……………………………………………え…………?」
 雛菊の視界が揺れた。
 ………倒れている。
 先程まで優雅な佇まいでいたのに、体が傾いて倒れ込んでいる。
 揺れ回る視界の中、背後にいる漣湊の足が見えた。
 ……何をされたのか、正確にはわからないが、転移法ワープ・アーツができず、湊の攻撃を喰らって自分が気絶寸前なのだと瞬時に悟った。

(なんなの……? この子……っ)

 湊の恐ろしさを痛感し…………………………雛菊は気を失った。

 ※ ※ ※


 未来を消す湊の切り札の一つ、理界踏破オーバー・ロジック誘靡イザナミ』によって〝転移する〟という未来を消し、湊が音叉で軽く雛菊の後ろ首を叩いたことで、雛菊は気絶した。

「ひな姉っ!!」
 亜氣羽が気絶して倒れた雛菊を受け止める。
(ひな姉が……こんなにあっさり!? ボクより強いのに……っ!)
(なんてことを考えてるみたいだけど、この雛菊って人、論理的過ぎて思考が読みやすい。正直亜氣羽さんより全然やりやすかったよ。………まあ、とはいえ転移以外の可能性を消す為にギリギリまで待って『誘靡イザナミ』を使ったから、少し冷や冷やしたけどね)
 湊も湊なりに綱渡りをしてのこの結果である。
「……軽く脳震盪を起こしただけだよ。怪我や後遺症はないから安心して」
 亜氣羽が「良かった…」と安堵の息を漏らす。










「ッッッッッッッッッ!?」


 瞬間、湊は背筋が凍りつくほどの寒気を覚え、すぐさま亜氣羽から離れた。





 
「おや。気付かれるとは。………亜氣羽と雛菊が敵わないのも頷けるね」

 上空からゆっくりと降りるその人物がしゃがれた声で言う。




(……………あぁ、今回は予想通りにいかないことばかりだ…)




「雛菊もここまで遠出は初めてだから、ひっそり後を付けていたんだが………それが功を奏してくれたようだね」



 魔女のような黒いローブ。
 魔女のような木製の杖。
 厳かに刻まれた皺と、年齢を感じさせない鋭利で聡明な瞳が、湊の警戒心を引き立てる。


 亜氣羽が、ぽつりとその老婆を呼んだ。


「ババ様…」



 眩い光も深い闇も喰らってしまうような微笑みを浮かべる〝ババ様〟と、湊は初邂逅を果たした。
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