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3話
冷たい水が顔にかけられた。
「っ!」
都は飛び起きた。
息が荒い。心臓が早鐘を打っている。
ここは——
薄暗い部屋。窓はあるが、厚いカーテンで閉ざされている。高級そうな革張りのソファ、重厚な木製の机。そして、壁には日本刀が飾られている。
ヤクザの事務所。
都の脳が、現実を理解した。
「気がついたか」
声のする方を見る。
先ほどの男が、机の前に座っていた。
黒髪をオールバックにした、美丈夫。整った顔立ちだが、その表情は氷のように冷たい。
机の上には、何か書類が広げられている。
「あ、あんた、誰だよ……」
都は震える声で尋ねた。
「俺の名前は劉音場京。劉音場組の若頭だ」
劉音場組。
都は聞いたことがある。東京でも有数の暴力団。違法賭博、売春、麻薬——あらゆる裏社会のビジネスに手を染めている組織。
「り、劉音場組……なんで、俺が……」
「お前の父親…佐野誠」
父の名前。
都の表情が強ばった。
「……死んだよ、四年前に」
「ああ、知っている。交通事故だったな」
京は書類を一枚取り上げた。
「お前の父親は、うちから金を借りていた」
「……は?」
「総額、三千万円だ」
都の思考が停止した。
「さ、三千万……?」
「そうだ。お前の父親が経営していた工場が倒産寸前だった時、うちが融資した。もちろん、法外な利息付きでな」
京は書類を都の前に投げた。
そこには、父親の署名と拇印が押された契約書が記されていた。
確かに、父の筆跡だ。
「嘘だ……父さんが、ヤクザから金を……」
「信じられないか?だが、これが現実だ。お前の父親は、この金を返済する前に死んだ。つまり、借金はお前に相続された」
「そんな……俺、……」
都は必死に記憶を辿る。
四年前、弁護士に相談して、言われるがままに相続放棄の手続きをした。だから、父親の借金は背負わなくて済むはずだった。
「銀行や消費者金融の借金はな。だが、うちからの借金は別だ」
京の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「契約書をよく読め。『債務者が死亡した場合、その直系の家族が債務を継承する』と明記されている」
「そんなの、無効だろ!法的に認められるわけが——」
「法律?」
京は鼻で笑った。
「お前、ここがどこだか分かっているのか?ここは法律の届かない場所だ。俺たちのルールが、全てだ」
都は言葉を失った。
三千万円。
そんな金額、一生かかっても返せるわけがない。
「返せるわけ、ない……そんな金……」
「そうだろうな。だから、お前にはいくつか選択肢を用意してある」
京は立ち上がり、都の前まで歩いてきた。
都を見下ろす。
その視線は、まるで商品を品定めするかのようだった。
「一つ目。三千万円、一括で返済する」
「無理だ……」
「だろうな。二つ目。月々百万円ずつ返済する。三十ヶ月で完済だ」
「百万円なんて、稼げるわけ……」
「三つ目」
京の手が、都の顎を掴んだ。
冷たい指。
都は身体を強ばらせた。
「お前を、風俗に売る」
「……っ!」
「お前みたいな容姿なら、高く売れる。Ωならなおさらだ」
京の鼻が、都の首筋に近づいた。
嗅いでいる。
都の体臭を。
「やっぱりな。お前、Ωだろ」
「……」
都は何も言えなかった。
隠しても無駄だ。アルファは、Ωの匂いを嗅ぎ分けることができる。
「違法な抑制剤を使っているようだが、完全には隠せていない。お前からは、甘い匂いがする」
京の声が、都の耳元で囁く。
「専門の風俗に売れば、一晩で百万は稼げるだろう。三十日働けば、借金は返せる」
「ふざけんな!」
都は京の手を振り払おうとした。
だが、京の握力は強く、都の顎は離されなかった。
「ふざけてなどいない。これは、ビジネスだ」
「離せ!俺は、そんなこと……」
「じゃあ、どうする?三千万円、払えるのか?」
「……っ」
都は歯を食いしばった。
払えるわけがない。
でも、風俗で働くなんて、絶対に嫌だ。
それに——
「弟がいるんだ……弟は、どうなる……」
「弟?ああ、佐野勉か」
京はスマートフォンを取り出し、画面を都に見せた。
そこには、小学校の校門前で笑っている勉の写真が映っていた。
「っ!勉に、何をした!」
「何もしていない。まだな」
京の声が、一層冷たくなった。
「だが、お前が従わなければ、弟にも借金を負ってもらうことになる」
「やめろ!勉は関係ない!」
「いや、大いに関係がある。契約書には『直系の家族』と書いてある。お前が払えなければ、弟が払う。それだけだ」
「そんな……勉はまだ十歳だぞ!子供だ!」
「俺たちには関係ない」
京の表情に、一片の慈悲もない。
都は理解した。
この男は、本気だ。
弟を平気で借金取りに差し出す。
いや、もっと酷いことをするかもしれない。
「……わかった」
都は震える声で言った。
「わかったよ……俺が、働く。何でも働く。だから、弟には手を出さないでくれ……」
「いい返事だ」
京は都の顎を離した。
都は床に崩れ落ちそうになったが、なんとか踏みとどまった。
「しかし、俺も鬼ではない。一週間だけ、猶予をやる」
京は都を見下ろした。
「一週間以内に、三千万円を用意しろ。できなければ、お前を風俗に売る。そして、弟も引き取る」
「一週間で三千万なんて、無理だ!」
「それはお前の問題だ。どうにかしろ」
「できるわけ……」
「できないなら、覚悟を決めろ」
京は都に背を向けた。
「砺波、こいつを外に放り出せ」
「了解です」
メガネをかけた男——砺波が都の腕を掴んだ。
「待て!待ってくれ!」
都は叫んだ。
でも、無情にも都は部屋の外に引きずり出された。
廊下、エレベーター、そして建物の外。
都は路上に投げ出された。
「一週間後、また迎えに来る。逃げようとしても無駄だ。お前の弟は、常に監視している」
砺波の冷たい声が、都の耳に突き刺さった。
そして、黒い車は走り去った。
都は、夜の路上に一人残された。
体が震える。
恐怖と、絶望で。
「三千万……一週間で……」
できるわけがない。
パパ活詐欺で稼げるのは、せいぜい一日五万円程度。一週間で三十五万円。三千万には、遥かに及ばない。
銀行から借りる?無理だ。都には信用も担保もない。
友人に頼る?都には、友人なんていない。
どうすればいい。
どうすれば、弟を守れる。
都の目から、涙が溢れた。
「くそ……くそっ!」
都は地面を拳で叩いた。
痛みが走るが、それすらも些細なことに思えた。
空を見上げる。
星は見えない。東京の空は、いつも曇っている。
「父さん……母さん……」
都は小さく呟いた。
「なんで、こんなことに……」
答えは返ってこない。
両親はもういない。
都と勉を、残して。
そして、莫大な借金まで残して。
都は立ち上がった。
足がふらつく。
でも、家に帰らなければならない。
弟が待っている。
弟には、何も言えない。
この借金のことも、ヤクザに脅されたことも。
何も。
都は夜の街を歩き始めた。
一週間。
一週間後には、全てが終わる。
都の人生は、完全に壊される。
でも、せめて弟だけは守りたい。
どんな手を使っても。
たとえ、自分が地獄に堕ちても。
都は、暗い夜道を歩き続けた。
絶望の底で、それでも都は歩き続けた。
「っ!」
都は飛び起きた。
息が荒い。心臓が早鐘を打っている。
ここは——
薄暗い部屋。窓はあるが、厚いカーテンで閉ざされている。高級そうな革張りのソファ、重厚な木製の机。そして、壁には日本刀が飾られている。
ヤクザの事務所。
都の脳が、現実を理解した。
「気がついたか」
声のする方を見る。
先ほどの男が、机の前に座っていた。
黒髪をオールバックにした、美丈夫。整った顔立ちだが、その表情は氷のように冷たい。
机の上には、何か書類が広げられている。
「あ、あんた、誰だよ……」
都は震える声で尋ねた。
「俺の名前は劉音場京。劉音場組の若頭だ」
劉音場組。
都は聞いたことがある。東京でも有数の暴力団。違法賭博、売春、麻薬——あらゆる裏社会のビジネスに手を染めている組織。
「り、劉音場組……なんで、俺が……」
「お前の父親…佐野誠」
父の名前。
都の表情が強ばった。
「……死んだよ、四年前に」
「ああ、知っている。交通事故だったな」
京は書類を一枚取り上げた。
「お前の父親は、うちから金を借りていた」
「……は?」
「総額、三千万円だ」
都の思考が停止した。
「さ、三千万……?」
「そうだ。お前の父親が経営していた工場が倒産寸前だった時、うちが融資した。もちろん、法外な利息付きでな」
京は書類を都の前に投げた。
そこには、父親の署名と拇印が押された契約書が記されていた。
確かに、父の筆跡だ。
「嘘だ……父さんが、ヤクザから金を……」
「信じられないか?だが、これが現実だ。お前の父親は、この金を返済する前に死んだ。つまり、借金はお前に相続された」
「そんな……俺、……」
都は必死に記憶を辿る。
四年前、弁護士に相談して、言われるがままに相続放棄の手続きをした。だから、父親の借金は背負わなくて済むはずだった。
「銀行や消費者金融の借金はな。だが、うちからの借金は別だ」
京の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「契約書をよく読め。『債務者が死亡した場合、その直系の家族が債務を継承する』と明記されている」
「そんなの、無効だろ!法的に認められるわけが——」
「法律?」
京は鼻で笑った。
「お前、ここがどこだか分かっているのか?ここは法律の届かない場所だ。俺たちのルールが、全てだ」
都は言葉を失った。
三千万円。
そんな金額、一生かかっても返せるわけがない。
「返せるわけ、ない……そんな金……」
「そうだろうな。だから、お前にはいくつか選択肢を用意してある」
京は立ち上がり、都の前まで歩いてきた。
都を見下ろす。
その視線は、まるで商品を品定めするかのようだった。
「一つ目。三千万円、一括で返済する」
「無理だ……」
「だろうな。二つ目。月々百万円ずつ返済する。三十ヶ月で完済だ」
「百万円なんて、稼げるわけ……」
「三つ目」
京の手が、都の顎を掴んだ。
冷たい指。
都は身体を強ばらせた。
「お前を、風俗に売る」
「……っ!」
「お前みたいな容姿なら、高く売れる。Ωならなおさらだ」
京の鼻が、都の首筋に近づいた。
嗅いでいる。
都の体臭を。
「やっぱりな。お前、Ωだろ」
「……」
都は何も言えなかった。
隠しても無駄だ。アルファは、Ωの匂いを嗅ぎ分けることができる。
「違法な抑制剤を使っているようだが、完全には隠せていない。お前からは、甘い匂いがする」
京の声が、都の耳元で囁く。
「専門の風俗に売れば、一晩で百万は稼げるだろう。三十日働けば、借金は返せる」
「ふざけんな!」
都は京の手を振り払おうとした。
だが、京の握力は強く、都の顎は離されなかった。
「ふざけてなどいない。これは、ビジネスだ」
「離せ!俺は、そんなこと……」
「じゃあ、どうする?三千万円、払えるのか?」
「……っ」
都は歯を食いしばった。
払えるわけがない。
でも、風俗で働くなんて、絶対に嫌だ。
それに——
「弟がいるんだ……弟は、どうなる……」
「弟?ああ、佐野勉か」
京はスマートフォンを取り出し、画面を都に見せた。
そこには、小学校の校門前で笑っている勉の写真が映っていた。
「っ!勉に、何をした!」
「何もしていない。まだな」
京の声が、一層冷たくなった。
「だが、お前が従わなければ、弟にも借金を負ってもらうことになる」
「やめろ!勉は関係ない!」
「いや、大いに関係がある。契約書には『直系の家族』と書いてある。お前が払えなければ、弟が払う。それだけだ」
「そんな……勉はまだ十歳だぞ!子供だ!」
「俺たちには関係ない」
京の表情に、一片の慈悲もない。
都は理解した。
この男は、本気だ。
弟を平気で借金取りに差し出す。
いや、もっと酷いことをするかもしれない。
「……わかった」
都は震える声で言った。
「わかったよ……俺が、働く。何でも働く。だから、弟には手を出さないでくれ……」
「いい返事だ」
京は都の顎を離した。
都は床に崩れ落ちそうになったが、なんとか踏みとどまった。
「しかし、俺も鬼ではない。一週間だけ、猶予をやる」
京は都を見下ろした。
「一週間以内に、三千万円を用意しろ。できなければ、お前を風俗に売る。そして、弟も引き取る」
「一週間で三千万なんて、無理だ!」
「それはお前の問題だ。どうにかしろ」
「できるわけ……」
「できないなら、覚悟を決めろ」
京は都に背を向けた。
「砺波、こいつを外に放り出せ」
「了解です」
メガネをかけた男——砺波が都の腕を掴んだ。
「待て!待ってくれ!」
都は叫んだ。
でも、無情にも都は部屋の外に引きずり出された。
廊下、エレベーター、そして建物の外。
都は路上に投げ出された。
「一週間後、また迎えに来る。逃げようとしても無駄だ。お前の弟は、常に監視している」
砺波の冷たい声が、都の耳に突き刺さった。
そして、黒い車は走り去った。
都は、夜の路上に一人残された。
体が震える。
恐怖と、絶望で。
「三千万……一週間で……」
できるわけがない。
パパ活詐欺で稼げるのは、せいぜい一日五万円程度。一週間で三十五万円。三千万には、遥かに及ばない。
銀行から借りる?無理だ。都には信用も担保もない。
友人に頼る?都には、友人なんていない。
どうすればいい。
どうすれば、弟を守れる。
都の目から、涙が溢れた。
「くそ……くそっ!」
都は地面を拳で叩いた。
痛みが走るが、それすらも些細なことに思えた。
空を見上げる。
星は見えない。東京の空は、いつも曇っている。
「父さん……母さん……」
都は小さく呟いた。
「なんで、こんなことに……」
答えは返ってこない。
両親はもういない。
都と勉を、残して。
そして、莫大な借金まで残して。
都は立ち上がった。
足がふらつく。
でも、家に帰らなければならない。
弟が待っている。
弟には、何も言えない。
この借金のことも、ヤクザに脅されたことも。
何も。
都は夜の街を歩き始めた。
一週間。
一週間後には、全てが終わる。
都の人生は、完全に壊される。
でも、せめて弟だけは守りたい。
どんな手を使っても。
たとえ、自分が地獄に堕ちても。
都は、暗い夜道を歩き続けた。
絶望の底で、それでも都は歩き続けた。
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