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強化
しおりを挟む翔にいちゃん――師匠であったルーダさんが光の中に消えてから、僕の心にはぽっかりと穴が開いたような感覚が残っていた。
けれど、立ち止まっている暇はない。僕はこの世界の悪役であり、破滅の未来を回避するためには、誰よりも、何よりも強くならなければならないのだ。
「師匠がいなくなったからって、強くなれないなんてことはない。ここはファンタジー小説の世界なんだから」
僕は自室の鏡の前で、自分の瞳を見つめた。アメジストのように深い紫色の瞳。
この世界の人々は、魔力や才能は生まれ持った器で決まり、後から増やすことはできないと信じている。けれど、僕は知っている。原作小説の中で、主人公たちがダンジョンに潜り、魔物を倒すたびにその魂を研磨し、魔力量を底上げしていった描写を。
「レベルアップ……その概念がある限り、僕は限界を超えられる」
早速、僕は行動を開始することにした。目指すは、公爵領の端にひっそりと口を開けている、古の魔窟だ。
「おぼっちゃま。今日はなんだか、とても嬉しそうですね」
準備を整えていると、乳母が部屋に入ってきた。
「……うん。少し、やりたいことがあって」
実を言うと、乳母とはまだ完全に打ち解けたわけではない。公爵家の人間としての壁、そして不吉な黒髪を持つ僕への、彼女の無意識な忌避感を感じてしまうからだ。それでも、礼儀正しく、かつ適度な距離感を保つのが、僕なりの洗練された悪役としての振る舞いだ。
「ねぇ。フードのついた、厚手のコートを用意してほしいんだ。色は、なるべく目立たない濃紺か黒がいい」
「左様でございますか? 承知いたしました。すぐに手配いたします」
乳母が部屋を出ていくのを見送りながら、僕は密かにほくそ笑んだ。
悪役といえば、正体を隠して暗躍するのがセオリーだ。顔を深く隠すフード、翻る裾。そのシルエットこそが、強者の証。
いくら僕が公爵家の嫡男とはいえ、4歳の子供が一人でダンジョンを徘徊しているのがバレたら、今度こそ幽閉されてしまうだろう。
数刻後、手に入れた特注のコートを羽織り、僕は身代わりの準備を始めた。
ルーダさんから教わった闇魔法の応用。影を練り上げ、自分とそっくりの質感を持たせた「影人形」を生成する。
「……よし。完璧だ」
ベッドの上で本を開く僕の影人形。もともと無口な僕だ、これなら数時間は誤魔化せるだろう。
僕は窓から音もなく飛び出し、影に紛れて屋敷を脱出した。
---
辿り着いたのは、鬱蒼とした森の奥にある「嘆きの地下通路」と呼ばれるダンジョンだ。
入り口からは、冷ややかで湿った魔力の風が吹き抜けてくる。
「行くか……」
僕はフードを深く被り、闇の中に足を踏み入れた。
少し歩くと、前方の影が揺れ、プニプニとした半透明の塊――スライムが現れた。
ファンタジーの定番、スライム。けれど、この世界の魔物はどれも凶暴だ。
「まずは基礎から……『影弾』!」
指先に集めた魔力を、一気に撃ち出す。
黒い弾丸がスライムの中核を貫き、魔物は一瞬で霧散した。その瞬間、温かい何かが僕の体内に流れ込んでくるのを感じた。
「これだ……。間違いない。魔石を取り込むのと同じ、いや、それ以上に純度の高い魔力が僕の『器』に溶け込んでいく」
モンスターを倒すと魔力が上がる。この知識は、原作でヴァレリウスが使役していた魔物を主人公が倒して強くなったエピソードから得たものだ。
この世界の人間が気づいていない「成長の法則」を、僕だけが独占している。
(ふふっ、これぞ悪役の特権……!)
僕はさらに奥へと進んだ。
次に現れたのは、巨大なトカゲのような魔物。岩のように硬い鱗を持ち、毒を吐く難敵だ。
「名前は知らないけど、かっこいい見た目だね。でも、僕の経験値になってもらうよ」
僕は時空間魔法の初歩を織り混ぜ、相手の動きを遅延させた。スローモーションになったトカゲの眉間に、全力の闇魔法を叩き込む。
爆発音と共に、魔物が沈む。
心地よい疲労感と、それ以上に溢れ出す魔力の奔流。
一歩進むごとに、僕の体内の回路が太くなっていくのが分かった。
---
ダンジョンの最深部。そこは、巨大な水晶の柱が乱立する、幻想的なドーム状の空間だった。
これ以上魔物の気配はしない。
「ここがゴールかな……?」
【おい。そこの小童】
脳内に直接響く、地を這うような重低音。
僕は全身の毛が逆立つのを感じ、瞬時に防御魔法を展開した。
「……誰だ。どこにいる」
【目の前だ。お主の目は節穴か?】
見ると、そこには不自然なほど巨大な岩の塊があった。いや、それは岩ではない。何千年もかけて石化したかのような、巨大な「何か」の甲殻だった。
【わたしは龍だ。かつてこの世界の均衡を崩しかけ、古の聖女によってこの地に封印された】
「ド……ドラゴン……!!」
本物のドラゴン! ファンタジーの醍醐味、最強の象徴!
僕は恐怖よりも先に、純粋な興奮で瞳を輝かせた。
【……ほう。普通なら腰を抜かして逃げ出すところだが、お主、面白い気配をしているな。闇を纏いながらも、その魂はどこか異質だ】
「ドラゴンさん……どうして、封印なんてされてしまったんですか?」
【昔は少々、血気盛んでな。空を飛び回り、山を一つ二つ焼き払っただけで大騒ぎされたのだ。だが、この暗い穴蔵で数百年も独りで過ごしていると、流石に反省もする。……暇すぎて、岩の数を数えるのにも飽き果てたわ】
その意外なほど親しみやすい語り口に、僕は少しだけ肩の力を抜いた。
「……それは、大変でしたね」
【ああ、退屈で死にそうだった。お主のような話し相手に出会えたのは、数百年ぶりの幸運だ。……どうだ、小童。お主、なかなか見込みがある。わしと『契約』を結ばないか?】
「契約?」
【そうだ。わしとお主の間で、真の名とは別の『魂の名』を交換するのだ。契約が成立すれば、お主の魔力を媒体に、わしの封印は解かれる。わしはお主の影に潜み、退屈しのぎにお主の旅に付き合ってやろう】
ドラゴンを相棒にする悪役。
これ以上ないほど、完璧な舞台装置じゃないか!
「契約する! ぜひ、僕の力になってください」
【くかっ、即答か! よい。気に入ったぞ。これ以上ここにいたら、退屈のあまり封印ごとこの大陸を粉砕するところだったからな】
さらりと恐ろしいことを言うドラゴンに苦笑いしつつ、僕たちは契約の儀式を始めた。
---
【お主の新たな名は、わしが授けよう。……『ヴェル』。それがわしとお主の繋がりの名だ】
「ヴェル……。かっこいい、気に入ったよ!」
どこか高貴で、けれど響きに鋭さがある。まさに悪役令息にふさわしいニックネームだ。
「じゃあ、僕からは……君の名前は、『ルター』。これでどうかな?」
僕の魔法の師匠であり、翔にいちゃんの面影を宿した「ルーダ」さんの名から一文字取った。これからもずっと、大切な人の教えと共に歩んでいけるように。
【ルター、か。悪くない響きだ。……よし、契約完了だ。これよりわが封印を解き、お主に付き従おう!】
轟音と共に、巨大な石の塊が砕け散った。
煙の中から現れたのは、息を呑むほど美しい、紫色の鱗を持つ龍だった。
その色は、ちょうど僕の瞳と同じ、深いアメジストの輝き。
しなやかで力強い四肢、宝石のような眼球。圧倒的な存在感に、僕はただ圧倒された。
「綺麗だ……」
【そうだろう。わしの鱗は、月明かりよりも美しいと謳われたものだ】
ルターは誇らしげに翼を広げたが、次の瞬間、彼はフンと鼻を鳴らした。
【だが、この姿ではお主の屋敷には入れんな。……これくらいでどうだ?】
紫色の光が収まると、そこには僕の膝下ほどまでサイズダウンした、小さなドラゴンが座っていた。これなら、大きなトカゲだと言い張れば、なんとか隠せそうだ。
「ルター、よろしくね。……あ、そうだ。このダンジョンの奥に、もっと強いボスがいると思ってたんだけど……」
【くかっ、お主は欲張りだな。このダンジョンのボスは、このわしだ。わしを倒すか、契約するかしない限り、ここから先へは行けんよ】
「そっか……。じゃあ、もうこのダンジョンはクリアだね」
【ああ。ヴェルと一緒なら、しばらくは退屈せずに済みそうだ】
僕は小さなルターを抱き上げた。見た目よりもずっしりと重く、体温は驚くほど温かい。
最強の魔法、最強の相棒。
原作のヴァレリウスが持ち得なかった「力」が、今、僕の手の中に揃いつつあった。
---
その頃、僕がのんびりとルターを抱えてダンジョンを後にしていた頃。
王都の魔導省では、異常事態が発生していた。
「報告します! 北の果て、古の封印区画にて、伝説の『紫電龍』の魔力反応が消失しました!」
「なんだと!? 封印が破られたというのか! それとも、消滅したというのか!?」
「判明しておりません! しかし、周辺の魔力濃度が一気に低下……何者かが龍の力を奪ったか、あるいは解き放った可能性があります!」
王都中の賢者や騎士たちが、この未曾有の事態に騒然となっていた。
伝説のドラゴンの復活。それが、一人の4歳の少年による「暇つぶしの契約」の結果だとは、誰も夢にも思っていなかった。
「……ヴェル、何か言ったか?」
歩きながらルターが僕に問いかける。
「ううん。ただ、これから忙しくなりそうだなって思っただけ」
僕はフードの下で、不敵な笑みを浮かべた。
悪役の道は、これからさらに加速していく。
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