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悪役の相棒
しおりを挟むダンジョンでの「伝説のドラゴン」との契約。それは、僕がこの世界で手に入れた最大級の収穫だった。
けれど、問題が一つ。
「ねぇ、ルター。流石にその姿のまま屋敷に連れて帰るわけにはいかないよ」
暗い森の中、僕の隣を歩くルターは、膝下サイズに縮小したとはいえ、どこからどう見ても未知の魔獣だ。禍々しい角、紫に輝く鱗、鋭い爪。公爵家で見つかれば、即座に騎士団が動員されるだろう。
【ふむ。では、お主の望む姿に変じよう。どのような形が良い? お主の言う『悪役の相棒』らしい、威圧感のある猛獣か?】
「うーん……。最初はそう思ったんだけど、やっぱり目立たないのが一番だよね。……そうだ、猫。猫になってよ」
【猫……? 随分と可愛らしいものを選ぶのだな。お主の美学に反するのではないか?】
ルターが意外そうに首を傾げる。
僕が猫を選んだのには、理由があった。
前世で、翔にいちゃんに連れて行ってもらった近所の公園。そこには一匹の、人懐っこい黒猫がいた。兄ちゃんはその猫が大好きで、部活帰りによく二人で会いに行ったものだ。
「翔にいちゃんも、猫が好きだったから……」
【……黒猫か。あの日、お主たちが公園で撫でていた、あの細い生き物だな】
「えっ……? ルター、今、僕の考えていること……」
【ああ。魂の契約を結んだのだ、お主の記憶の断片は、川の流れのようになだれ込んでくる。お主が『ゆう』と呼ばれていたことも、悪役を目指している滑稽な決意も、すべて筒抜けだぞ】
「……っ!!」
心臓が跳ね上がり、顔が一気に熱くなった。
僕が転生者であること、そして「かっこいい悪役」になりたいと四苦八苦している、一番恥ずかしい部分まで見られているなんて!
「わ、わかった! もういい、喋らなくていいから! 早く、猫になって!」
【くかっ、照れることはなかろう。お主のその不器用な魂、嫌いではないぞ】
ルターが紫の光に包まれ、そのシルエットが急速に小さく、柔らかくなっていく。
光が収まった後にいたのは、艶やかな毛並みを持つ、金色の瞳の黒猫だった。
その姿は、僕の記憶にあるあの日の猫と、驚くほどよく似ていた。
「……うん、完璧。これなら、ただの迷い猫だって言い張れる」
僕は照れ隠しにルターを抱き上げ、慣れた手つきで瞬間移動の魔法を唱えた。
---
屋敷の自室に戻ると、僕の「身代わり人形」は真面目に本を読んでいるふりをしていた。魔法を解いて消滅させ、僕はベッドに腰を下ろす。
「おぼっちゃま、お着替えをお持ち……あら? その猫は?」
部屋に入ってきた乳母が、僕の膝の上で丸まっている黒猫を見て目を丸くした。
「……庭にいたんだ。怪我をしていたから、僕が拾った。ここで飼ってもいいよね?」
実際には無傷だが、僕は少しだけ寂しげな表情を作ってみせた。
乳母は、最近まで自閉的だった僕が動物に興味を示したことに感動したのか、目元を潤ませて頷いた。
「もちろんでございます、ヴァレリウス様! お寂しかったのですね……。すぐにミルクと毛布を用意させましょう」
【ミルクか……。わしは数百年ぶりの食事を期待していたのだがな】
(我慢して、ルター。今はただの可愛い猫なんだから!)
頭の中に響く皮肉を無視して、僕はルターの顎の下を撫でる。
そんな平和な時間を破るように、廊下から足音が聞こえてきた。
「ヴァレリウス様。公爵様がお呼びです。執務室までお越しください」
呼び出し? お父様から呼ばれるなんて、以前の「捜索騒ぎ」以来だ。
僕はルターをベッドに残し、居住まいを正して父の部屋へと向かった。
---
執務室の重厚な扉を開けると、そこには冷徹な美貌を湛えた父、エドワードが座っていた。
そして、その傍らには……僕よりもさらに小さな男の子が立っていた。
「ヴァレリウスか。入れ」
「はい、お父様」
僕は優雅に一礼し、父の前に立った。
父は、自分の後ろに隠れるようにしている子供の肩を叩いた。
「紹介しておこう。この子はイルだ。親戚の家筋から引き取った。今日から、お前の弟となる」
「…………。左様でございますか。承知いたしました」
僕は努めて冷静に返答した。
けれど、内心ではパニックだった。
(……イル!? 小説に出てきた、あの『完璧な弟』か!)
消えかけている小説の記憶を必死に手繰り寄せる。
原作のヴァレリウスには、養子として迎えられた優秀な弟がいた。弟のイルは強力な「火属性」の才能を持ち、誰からも愛される太陽のような存在。一方、闇属性で根暗なヴァレリウスは、弟への激しい嫉妬に狂い、彼を陥れようとして自滅する……というのが、テンプレの悪役ムーブだったはずだ。
「ヴァレリウス。イルはまだこの屋敷に慣れていない。兄として、教育にも配慮してやるのだぞ」
「……畏まりました」
僕は短く答えると、父の部屋を辞した。
弟、か。
どうせ僕は闇魔法の修行で忙しいし、関わることもないだろう。適当に距離を置いて、彼が順調に次期当主の座へ進むのを見送るのが、僕にとってのスマートな悪役の去り際だ。
そう思って廊下を歩いていると、背後からトタトタと小さな足音が追いかけてきた。
「あの……! お兄様!!」
振り返ると、そこにはイルがいた。
父と同じ鮮やかな紫の髪に、キラキラと輝く紫の瞳。お父様にそっくりな、美形予備軍の美少年だ。
彼は顔を真っ赤にしながら、僕を真っ直ぐに見つめていた。
「……何か用かな、イル」
「よろしくお願いします! 僕、一生懸命頑張りますから! 仲良くしてください、お兄様!」
満面の笑み。
眩しい。直視できないほどの純粋な「光」がそこにはあった。
「……ああ。よろしくね、イル」
僕はそれだけ言うと、背を向けた。
仲良くするつもりはない。嫉妬もしない。ただ、僕は僕の道を歩むだけだ。
そう思っていたのに。
---
それからというもの、僕の生活は一変した。
「おーにーさーま! 遊びに来ました!」
「……イル。僕は今、本を読んでいるんだけど」
【かっかっか! 今日も来たな、お主のストーカーが】
ルターがベッドの上で欠伸をしながらテレパシーで笑う。
あれから毎日、イルは僕の地下の部屋を訪ねてくるようになった。
公爵家の誰もが近づきたがらない呪われた髪を持つ僕の部屋。それなのに、この弟は恐怖という言葉を知らないのか。
「お兄様! 庭のバラが咲いたんです! 一緒に見に行きましょう!」
「……興味がない」
「じゃあ、僕が摘んできます! お部屋に飾りましょう!」
「勝手にすればいい」
突き放しても、冷たくしても、イルはめげなかった。むしろ、僕が短く返事をするだけで「お兄様が喋ってくれた!」と目を輝かせて喜ぶ始末だ。
【おい、ヴェル。いいのか? このままでは今日のダンジョン探索に行けぬぞ】
(わかってるよ! でも、このキラキラした顔で迫られると、魔法で吹き飛ばすわけにもいかないでしょ!)
僕は頭の中でルターと口論する。
悪役は、弟に優しくしてはいけない。嫉妬し、憎み、嫌がらせをするのが正しい在り方だ。
それなのに……。
「……お兄様。お勉強、教えてください。僕、まだ文字が難しくて」
小さな手が、僕の袖をぎゅっと掴む。
震えるような、不安そうな瞳。
前世で、翔にいちゃんが僕に向けていたあの眼差しが、一瞬だけ重なった。
「…………。貸して。一回だけだよ」
「わぁ! ありがとうございます、お兄様!」
【……ヴェル。お主、やはり悪役には向いておらんのではないか?】
(うるさい、ルター! これは……そう、教育という名の『洗脳』だよ! 僕に逆らえないように、今のうちに恩を売っておくだけなんだから!)
【くかっ、苦しい言い訳だな】
結局、僕はその日もダンジョンへ行くのを諦め、イルの隣でペンを握ることになった。
窓から差し込む夕陽が、僕の黒い髪と、イルの紫の髪を照らし出す。
悪役になりたい僕と、僕を慕う天使のような弟。
そして、その様子をニヤニヤと眺める最強の猫の姿をしたドラゴン
僕の平穏で冷酷なはずの悪役ライフは、予想外の方向へ、大きく足を踏み出し始めていた。
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