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看病
しおりを挟むあの地獄のような祭壇から救い出されてから、一週間。
僕の体は、激しい熱と氷のような寒気の波に翻弄され続けていた。他人の魔力を無理やり注ぎ込まれた拒絶反応は、想像を絶する苦痛だったけれど、心は不思議と穏やかだった。
「……お兄様、お加減はいかがですか?」
扉が静かに開き、イルが顔を出した。
以前の僕なら、彼が来ると悪役らしく接しなきゃと身構えていたけれど、今は違う。イルは献身的に僕の看病をしてくれた。時には本を読んでくれ、時には僕が眠るまで手を握っていてくれた。
「大丈夫だよ、イル。……いつも、ありがとう」
僕が微笑むと、イルはパッと顔を明るくした。
「良かったです! お兄様が笑ってくれると、僕、なんだか元気が出ます!」
イルは原作では完璧すぎて兄を追い詰める弟だったはずだけど、今の彼はただの心優しい、少しお兄ちゃんっ子な可愛い弟だ。彼が側にいるだけで、体内の熱が少しだけ引いていくような気がする。
驚いたのは、イルだけじゃなかった。
「ヴァレリウス様、お粥をお持ちしました……。今まで、お側に行けず、本当に申し訳ございませんでした」
部屋に入ってくる使用人たちの多くが、涙ながらに僕に頭を下げた。
彼らもまた、お父様と同じ理由――僕の魔力爆発を恐れるお父様の命令で、僕に近づくことを禁じられていたのだという。
「ずっと、お話ししたかったんです」「黒髪だって、お父様にそっくりで素敵だと思っていました」
そんな言葉をかけられるたび、僕が今まで積み上げてきた孤独な悪役像が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
(……悪役って、こんなに愛されるものだっけ?)
戸惑いはあるけれど、悪くない気分だった。
---
数日後、ようやく起き上がれるようになった僕は、お父様を部屋に呼んでもらった。
「ヴァレリウス、呼び立てて済まない。気分はどうだ?」
「はい、お父様。……少し、お話ししたいことがあって」
お父様は僕の枕元に座り、真剣な眼差しで僕を見つめた。
僕は一つ、覚悟を決めた。自分の「力」について、少しだけ明かすことにしたんだ。
「お父様。……実は僕、少しだけなら、魔法を扱えます」
「――っ!? 何だと、それは本当か?」
お父様が目を見開く。
無理もない。闇属性は独学で覚えられるような代物ではないし、僕には教師もいなかったはずだ。
「……以前、お屋敷をこっそり抜け出したことがあったんです。その時に、親切な闇属性の……方に出会って。その人が、少しだけ使い方を教えてくれたんです」
これは嘘だ。本当は前世の兄であり、今は魂の師であるルーダさんに教わったのだけれど、それを話せば説明がつかなくなる。
「そうだったのか……。医師が、魔法を扱えない割には回復が早いと言っていたのは、お前が自分で魔力を調整していたからなのか……」
「はい。ごめんなさい、隠していて」
「いや、いいんだ。……! そうか、では、その者に引き続き学べば、体内の魔力を体外へ逃がす術も見つかるかもしれん! その者は今どこにいる?」
お父様の瞳に希望の光が宿る。……けれど、僕は首を振った。
「その人は……もう、いないんです。病気で、亡くなってしまいました」
「……そうか。それは、残念だ……」
お父様は肩を落とした。
でも、これでいい。魔法が使えることを公認してもらえれば、これからは隠れて修行する必要がなくなる。そして、魔力を少しずつ体外に放出することで、5年のタイムリミットを少しでも延ばせるかもしれない。
「ヴァレリウス。……隠し事をしないと約束したから、伝えておく」
お父様の表情が、公爵の顔に戻る。
「お前を攫った『ラクヴェレ』の連中だが……痕跡が見つかった。全滅だ。それも、見るも無惨に、全身を正体不明の紫色の炎で焼き尽くされていたそうだ」
「……紫の、炎……」
脳裏に、あの銀髪の男――ルターの冷徹な微笑が浮かぶ。
『あいつらはもう、いない』
夢じゃなかったんだ。ルターが、僕のために怒ってくれたんだ。
---
「ヴァレリウス。お前がもし、その魔法をさらに極めたいと思うなら……道はある」
「道……?」
「『ユーストラルク王立魔導学園』。そこには、国内で唯一、闇魔法の研究を許可されている特別講師がいる。……どうだ、行ってみるか?」
ユーストラルク。
その名前を聞いた瞬間、僕の体中に電流が走った。
(……そこだ! 小説のメインステージ!)
記憶が断片的に繋がっていく。
そこは、聖女志願のヒロイン・ミアと、騎士リオン、そしてアル王子たちが集う場所。
原作のヴァレリウスが、その醜悪な嫉妬心を爆発させ、最期へと突き進んでいく舞台だ。
「行きたいです、お父様! 行かせてください!」
僕は食い気味に返答した。
お父様は少し驚いたように眉を上げたけれど、すぐに優しく微笑んだ。
「そうか。お前がそれほど前向きなら、すぐに手続きをしよう。……本来なら、もう少し手元に置いておきたいのだがな。私はお前と、ずっと一緒にいたいと思ってしまう」
「……お父様」
お父様が目に涙を浮かべて、僕をぎゅっと抱きしめる。
「頻繁に帰ってきます! それに、僕、頑張って生きる道を探してきます。お父様を悲しませたくないから」
「あぁ……。ヴァレリウス、お前はなんて強い子なんだ……」
お父様が本格的に泣き始めてしまい、僕は少し困ってしまった。
お父様って、実はめちゃくちゃ涙もろい……。
小説のストーリーはもうメチャクチャかもしれない。
でも、僕は愛される悪役として、あるいは運命を捻じ曲げる悪役」 として、その学園で答えを見つけてみせる。
---
イルside
「お兄様が……学園に行く?」
僕は自室の扉の陰で、その会話を聞いていた。
お兄様がいなくなってしまう。
あの優しい笑顔も、僕を呼ぶ涼やかな声も、全てがあの遠い学園へ持っていかれてしまう。
悔しかった。
お兄様が誘拐された時、僕は何もできなかった。
お兄様が熱にうなされている間、僕は祈ることしかできなかった。
そして、あの日。僕は聞いてしまったんだ。
お父様と医師の、密やかな会話を。
『ヴァレリウス様のお命は……解決策が見つからなければ、あと5年です』
……5年。
そんなの、絶対に認めない。
お兄様はあんなに綺麗で、あんなに優しいのに。
どうして、世界はお兄様にばかり酷いことをするんだろう。
「……だったら、僕が変えてやる」
僕は拳を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込み、血が滲む。
お兄様を守るために。お兄様の「5年」を、無限の未来に変えるために。
僕は誰よりも強くなる。
魔法も、剣術も、知識も。必要なら、もっと暗くてドロドロした、禁忌の力だって手に入れてやる。
「待っていてくださいね、お兄様。……僕が、お兄様の絶対的な盾になりますから」
鏡に映った自分の瞳が、昏い紫色の光を放っていることに、僕はまだ気づいていなかった。
---
ヴァレリウスside
一週間後。
体調が安定した僕の枕元に、一匹の黒猫が飛び乗ってきた。
【……行くのか、ヴェル。あの騒がしい学園とやらに】
「ルター。……うん。そこに、僕を治すヒントがあるかもしれないんだ」
【ふん。わしもついていくぞ。お主のような危なっかしい小童を一人にできるか】
「ありがとう、ルター。心強いよ」
僕はルターを抱き上げ、窓の外に広がる広大な空を見上げた。
そこには、僕がまだ知らない世界が広がっている。
悪役令息ヴァレリウス。
死へのカウントダウン、5年。
けれど、僕の隣には最強の龍がいて、後ろには僕を愛する家族がいる。
「……やってやろうじゃないか。最高に格好いい、誰も死なない悪役の物語を!」
僕は不敵な笑みを浮かべ、新しい旅路へと一歩を踏み出した。
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