母さん、僕はこんな風に生まれ変わりたくなかった

解場繭砥

文字の大きさ
4 / 32

4 恋はせつない だがまだ何もない

しおりを挟む
「あ、西沢さんが来るんだ」
 幸視の父親の子供の頃からの友達で――割と照れずに、親友、という言葉を父親は使っていて――幸視のこともかわいがってくれる人物だった。

 親友、というのは、幸視にとって、ある種恥ずかしさもあり、憧れもあるような言葉だ。
 たぶん広田はそう呼んでもいいのかもと思ってはいるが、実際呼んだことはない。


 西沢が手を合わせる指先がぴんと伸びている。
 線香の匂いがすう、流れて、ああこの人は幸視の母親のことも知っているのだ、と知れる。来るときの通過儀礼みたいに、何度も手を合わせているのだからとうの昔にわかっていても良さそうなのに、何やら今までは実感を持っていなかった。だが恋というものを知り始めてようやく、もしかして父親と西沢は母親を取り合ったりしたのではないか、などと、三角関係とか漫画で覚えた言葉が幸視の頭に浮かぶようになった。もちろん、おいそれと訊けるような話ではない。

「もう二十年か」

 誰に向けられた言葉でもなかった。もちろん幸視にでもなく、幸視の父親にでもない。ほんのかすかな声だった。それがたまたま幸視に聞こえてしまった。仏壇に向けられた声だったのか。

 二十年という数字はよくわからなかった。幸視の母親が死んでからの年数を数えるのはたやすい。幸視の年齢と全く同じだからだ。それより前ということは、結婚のタイミング? とか? さすがに、息子である幸視は、出産の何年前に結婚したかなど把握していなかった。

 たとえば結婚のタイミングであるとすれば、ついさっき幸視が想像した、母親を取り合ったという光景が生々しくなってくる。二十年……。

「この前幸視が歌を口ずさんでいて笑ってしまった」
 ビールをひと口通らせた口で幸視の父親は言った。ついであの歌を口ずさむ。まるで自分の下手なところまで物真似をされたかのように感じて幸視は少し気を悪くした。
「懐かしい。あの頃、どこへ言ってもかかっていたな。どこで覚えたの幸視くん」

 これは父親が訊かなかった質問で、どう答えるかの用意はなかった。
「え、」と一瞬口ごもり誤魔化そうとして「どこかで、聞いた」
 とかそんな風に答えた。
「TVとかの懐メロ特集とかかな。今はネットもあるか」西沢は勝手に想像してくれた。「いい歌だよな。切なくて」
「うん」
「恋ってのはさ、だいたい切ないんだ。若い頃は特に」西沢はお酒が入って口が軽くなっているようだった。「幸視くん、好きな人いないの?」
「おいおい、人の息子捕まえて……」父親が割って入った。「親とか、大人とかは、子供にそういうこと訊いちゃいかんと思うのよ。俺たちだって……」
 俺たち? 想像した三角関係に意識が行ってしまう。父親のほうも口が軽くなったのか。
「ああ、そうだな。すまん、圭輔」

 恋は切ない。と言えるところまで、幸視の恋はまだ行っていない。まだ想うだけで何も起こっていない。TVなどで見る、恋愛ドラマなどのてんやわんやの先に、〝せつない〟があるのかどうかも幸視にはまだわかっていない。
 今の幸視の興味は、恋よりも二十年前というキーワードだった。

 幸視の父親がトイレに立った隙に、
「ねぇ。西沢さん。今度、二人だけで相談したいことがあるんだ」
 恋の悩みだと想われる展開だ、と幸視にも気がついた。
 だが幸視の父親に釘を刺されたばかりの西沢は、わかった、とだけ言った。


「二十年前なんだけどね」
「二十年前?」
「その前に夢の話を」
「なんだかよくわからないな」
 西沢の家に押しかけて最初の問答から、そりゃあわけがわからないのも無理はない。幸視にしても、どこから切り出していいか迷っていた。
「夢を……夢を見るんだ。そしてあの歌が流れていて」
「どこかで聴いたのを覚えていたんだね」
「知らない歌なのに?」
「人間の脳は不思議なもんだ。自覚をしていないものを覚えてしまうことがある」
「女の子が、けいちゃんを、けいちゃんっていう人を、好きで。そんな夢を繰り返し見る。それが二十年前の誰かの出来事なんじゃないかって」
 西沢の眉がぴくりと動いた。
「……どうして俺に?」
「父さんなら僕を病院に連れて行くでしょう」
「俺なら連れて行かないと思った?」
「だって他人だから」
「賢いな。そのとおりだ。他人以外の何物でもない」
「他人で二十年前をよく知っている人」
「そんな人はたくさんいる。学校の先生とか」
「学校の先生なら親に通報する」
「君がよく考えていることはわかった。だがそれだけじゃまだ雲を掴むような話だ。情報が足りない。その女の子についてもう少し」
「その女の子が、僕なんじゃないかって」
「え?」
「その……生まれ変わりとか、そういうの」
「そうじゃなくって、特徴とか」
 生まれ変わり、という言葉を出すのも勇気が要った。やっぱり病院に連れて行く、と言われるかもしれないところ、すっと流してくれた西沢を幸視は信頼した。
「髪は……肩ぐらいまで。髪にリボン型のアクセサリーが……リボンじゃないときもあった。花の形。ひまわりだったり朝顔だったりした。流れ星だったこともあった。格好は制服のこともあったし私服のことも。赤いセーターとか、あとピンクの靴がお気に入り」
「結構観察してるな。けいちゃん、のほうは」
「……よくわからない……制服だけだったかな……」
 幸視は、自分ながら何て違いだ、と苦笑した。もし本当に幸視がその女の子なら、好きな相手のことにやたら詳しくなりそうなものだが、自分自身への関心に敵わないということだろうか。

「若干、心当たりはある」西沢の言葉に幸視の心臓が鳴った。「けいちゃん、という名前、君も心当たりがないか」
 幸視は頭をひねった。ひねろうにも、二十年前のことなんか知るはずがない。ひねろうにもひねれず、ただぼんやりしただけだった。
「圭輔だよ。君の父親だ」

 幸視はえっ、と声をあげた。そして浅い呼吸をした。
 どうして気がつかなかったんだろう。こんな身近に〝けい〟の名のつく、二十年前にも存在した人がいるのに。

「だとすると、その女の子は郁ちゃんかもしれない。そんなアクセサリーを持っていた覚えがある。君の母親だよ」

 さらに心臓が追って打った。
 もしそうなら。

 さらに幸視がその女の子の生まれ変わりだとしたら。

 幸視は、自分の母親の生まれ変わりということになる。そんなことが、あり得るのだろうか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月るるな
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件

表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。 病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。 この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。 しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。 ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。 強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。 これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。 甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。 本編完結しました。 続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

処理中です...