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54 予期せぬ再会

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「ウオン、ウオオン」
「わかった」

 実際は何を言っているのかわからない。多分スピードを上げると言いたいのだろう。
 周囲の景色が急速に動き出す。
 俺も車の運転をしていたから高速道路を走る速度くらいでも十分驚かされただろうが、これは新幹線並みだ。心配された尻の痛みも特に感じない。
 こちらでの主な移動手段になる馬は、時速六十キロくらいだと聞いたことがあるけれど、延々とその速度は維持できない。ドラゴンやグリフォンにも乗れるのかもしれないが、俺の知る限りではポン吉の異常さが際立っている。
 これならスーでも大丈夫だと思える。さっきから何処へ向かっているのだろう。
 また速度が上がった。
 方角が合っていて夜通し走れたとしたら、明日の朝にはフレアの村くらいに行ける気がする。

「ポン吉、一度止まってくれ!」
「ウオウオウオン」

 やっぱり全然わからない。だけど止まる気配がまったくない。どころかさっきからグングン加速を続けている。
 これは困った。飛び降りたら間違いなく大ケガでも済まない。
 エルフの森に向かっているのではないと思いたいけど、ありえそうで怖い。

「ポン吉! 本当に頼む。もういいから止まってくれ!」
「ワオーン!」

 あまりの速さに目も開けていられなくなった。体が唐突に重くなったような激しい重圧が背後から襲い掛かる。
 スーでは耐えられないってこれのことか⁉ 俺も無理だぞ!
 馬に乗るような座った姿勢は早々にあきらめて、ポン吉の背中へ必死にしがみついた。
 艶々の毛並が徒になった。俺がしがみつき握った毛並がするりと滑る。圧迫感がいきなりなくなり、浮遊感だけを感じる。
 驚いて目を開けたら夜空へ浮かぶポン吉との距離があり、思ったよりも遠くになっている。
 これは本気の本気でマズい‼
 俺は両腕を体に回し無我夢中で身を固くしたが意識は別物らしく、一瞬の後に気を失ってしまった。

「アン、アンアン(主、ごめんごめん)」

 耳のあたりが生温くてこそばゆい。
 この声は豆柴ポン吉が舐めているのか?
 ……そうだった!

「キャンっ(痛い)」
「悪い! いやそんなことよりどうなったんだ⁉」

 俺がいきなり体を起こす。ポン吉がポテンと綺麗な芝生に転がった。
 慌てて首を回した視界へ入ったのは、どこか既視感のある、不思議と懐かしい庭だった。

「アンアンアアン、アンアアン(主が気を失ったから、途中で止まった)」
「俺は墜ちただろう⁉」
「アン(大丈夫)」
「そ、そうなのか」

 気を失った俺をポン吉が背中で受け止めてくれたのだろう。

「ここは何処だ?」
「アンアン(主の家)」
「……スーの家?」
「アン(違う)」
「――プリか?」
「アン(そう)」

 体を確かめながら立ち上がる。どこも痛くはないし大丈夫そうだ。ゆっくりと見回した感じでは、小学校のグラウンドくらいはありそうな庭に思える。
 きれいに手入れをされた花壇。低い木の植栽とは似つかわしくない大きな切株。何となく見慣れた気がする噴水。

「俺が立っていたのはここか――」
「プリさん?」

 茫然と自分の過去を見るように立ち尽くしていたところ、背後から聞き覚えのある声がした。

「……ミレー? いや、ミレーネ様、いったいどうして?」
「それはわたくしのセリフですわ。あなた達はダレーガンへ向かわれたのでは?」
「マットから聞かれたのですか?」
「ええ」

 久しぶりに再会をしたフォレスト伯爵令嬢ミレーネは、白を基調とした令嬢らしい華やかな装いをしている。少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔になった。

「申し訳ありませんが、ここは何処か教えてもらえますか」
「仰る意味がわかりませんよ。知らずに来られたのでしょうか?」

 整った顔に笑みを浮かべたミレーネが小さく首を傾げる。
 信じてもらえないとは思いながらも俺は素直に打ち明けた。

「うっかり気を失ってしまい、このポン吉がここに連れて来てくれたらしいのです」
「――このワンちゃんが?」
「何となく見たような気はするので、知人の家だとは思うのですが」

 場所については微妙な表現になる。俺はプリ本人ではないが、ここに生えていたのは間違いない。でも自分の家なんて言えるはずもない。
 ミレーネは少し考えるような顔をして、大きく頷いた。

「今はわたくしの屋敷ですから、知人でも間違いではないですわ」
「そうでしたか」

 ミレーネが勘違いをして受け取ってくれた。俺は話を聴きやすくなったと思ったのだが、とんでもない大間違いだった。

「でもプリさんのお父様が、ダマスカスを去られる時に私の父が預かったものですから、知人の家はおかしいでしょう?」
「そ、そうなのですが、自分の家って言いうのは何となく憚られて」

 いきなりダマスカスとかプリの父親とか聞かされても困る!
 これはポン吉の背中から落とされた時より遥かにマズい。
 何とも言えずに悶える俺を見かねたように、ミレーネがいきなり片膝を着いて頭を下げた。

「お父様のことは本当に残念でした。フォレスト伯爵家としても力が及ばず、申し訳なかったと思っています」

 どうしたらいいのかわからず動きが止まってしまう。ミレーネはなおも顔を伏せたまま話を続けた。

「ミランの町で偶然にお見掛けをして間違いないとは思ったのですが、スーさん、いえスザンヌさんに口止めをされてお詫びもできずにいました。今さらだと思われても仕方ありませんが、この屋敷をダマスカス伯爵へ渡さないことがせめてもの償いと思い、わたくしが管理のために来ております」
「――ああ、わかったから、い、いい加減立ってくれないか」
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