卒業まであと七日。静かな図書室で,触れてはいけない彼の秘密を知ってしまった。

雨宮 あい

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【残り5日:木曜日・空っぽの机,賑やかな図書室】

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朝,教室に入ると,景色が少しだけ「軽く」なっていた。 誰が号令をかけたわけでもない。けれど,卒業まであと数日となった今日,クラスメイトたちは示し合わせたように私物を持ち帰り始めていた。

放課後の教室を見渡すと,机の横にかかっていた使い古しのサブバッグや,棚を埋めていた分厚い参考書が消えている。主を失い始めた机の群れは,どことなく空虚で,私たちがここで過ごした三年間が,もうすぐただの「記録」に変わることを突きつけていた。

私は自分のリュックを持ち上げ,その底に沈んだノートの角を指先で確かめる。 「彼の秘密」を閉じ込めたこの一冊だけが,今の私にとって,この学校で唯一の確かな重みだった。

移動教室の廊下で彼から告げられた「まだ返してもらってないよ」という言葉が,呪文のように頭の中で反芻される。何を,いつ,どこで。彼はその答えを口にしなかったけれど,私は吸い寄せられるように図書室へと向かった。
放課後の図書室は,昨日までとは打って変わって,3年生たちの喧騒に包まれていた。 「これ,返却期限ギリギリじゃん!」「卒業したら延滞金取られるのかな」 そんな冗談を言い合いながら,カウンターに列を作るクラスメイトたち。私は図書委員として,無心に返却スタンプを押し,本を仕分け続けていた。

「次の方,どうぞ」

淡々と声を上げ,差し出された本を受け取ろうとして,私の指が止まった。 カウンターの向こう側。賑やかな生徒たちの波が,そこだけふっと途切れたかのように,彼が立っていた。

七海結。 手には一冊の,背表紙が白く擦り切れた古い小説。三年前,彼がノートに綴っていた,私と同じページで栞を挟んだというサガンの小説だった。

「返却,お願いします」

彼は,周囲にいる誰にでも向けるような,穏やかで柔和な微笑みを浮かべていた。 けれど,カウンターの下。周囲の視線から遮られた死角で,彼は私が本を受け取ろうと伸ばした指を,逃がさないように上からそっと,けれど力強く抑え込んだ。

「…………っん」

喉の奥で,小さな音が鳴った。 声を出すのが憚られるこの場所で,不意に,けれど確信犯的に触れられた熱。 彼はスタンプを押されるのを待つふりをして,私の人差し指の付け根から指先までを,慈しむように,それでいて執拗になぞっていく。

「…………っ,……」

音にならない,熱い呼吸が唇の間からこぼれ落ちた。 周囲の喧騒が,急に遠ざかる。 何人もの生徒がすぐ後ろに並んでいるのに。誰かに見られるかもしれないという恐怖が,かえって私の感覚を鋭敏に研ぎ澄ませていく。
彼の指が,私の指の隙間に,昨日の通路でそうしたように深く,滑り込むように割り込んできた。 カウンター越しに,視線だけがぶつかる。 彼の瞳は,いつもの穏やかな光の奥に,昨日よりもずっと深く,どろりとした執着を湛えていた。

「これ。……明日には,返してね」

彼は私の指を一度だけ強く握りしめ,それから何事もなかったかのように手を離した。 差し出された小説の,あるページ。そこには昨日私がリュックに隠したあのノートと,全く同じ質調の,古い栞が挟まっていた。

「……はい。お預かりします」

震える声でそれだけを答え,私は彼の手が触れていた場所を隠すようにして,本を強く抱きしめた。
卒業まで,あと,五日。 旧校舎の廊下で見せた「牙」を,彼は日常の喧騒の中に,鮮やかに,残酷に隠してみせる。 リュックの底のノートと,目の前の一冊。 重なり合う二つの秘密が,私を逃げ場のない場所へと追い詰めていく。
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