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序章─狐の嫁入り─(進行中)
玉藻前
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玉藻前。二十年前、僕を救ってくれた妖。──とは言っても、彼女を『玉藻前』だと認識したのは、つい最近のことだったりする。
それまでの僕は、彼女と交わした約束を果たすため、鍛錬に勤しみ、その傍らに、彼女のことを調べていた。若輩者ではあるが、一応安倍家の陰陽師だ。妖のことを調べるのは、なにもおかしなことはない。寧ろ傍から見たら、勉強熱心な若者くらいには見えていたかもしれない。
しかし、どれだけ資料を読み漁っても、現地に赴いても、彼女のことは──なに一つわからなかった。
「あの時名前くらい聞いておけば」と、このまま一句詠んでしまいそうな、そんな感傷的な気分のまま、イタズラに時間だけが過ぎていった。
余談だが、僕に詩の才能は皆無である。
また、彼女に会いたい──
そして、その機会は──意図せず、突然訪れた。
那須野にある、広大な森。
二十年前僕たちが、百鬼夜行に遭遇した、あの森。
昼間だというのに、大きな木々が陽光を遮り、まるで夜のような暗がりを作り出している。
ここに来るのは、これで五度目になるだろうか。
今回、目的こそ違えど、地理には明るい場所──のはずだったのだが……。
「しかし、このような場所に神社など、本当にあるのでしょうか」
訝しげな表情で、一護は言う。
「伊吹堂って名前の茶屋があっただろう?あそこの店主から聞いたんだ」
「あの──次から次へと団子を運んできたお店ですか……」
樋口一護。僕の家来の一人で、彼とは小さい頃からの付き合いになる。そしてこれは、本人に直接言うと、彼は決まって首を縦には降らないのだが、僕としては、幼馴染のような関係だと思っている。正義感が強く、真面目で努力家という、僕には勿体ないくらい人間のできた家来だ。
「そうそう。流石にあの量はちょっと大変だったね」
「しばらく団子は見たくありませぬな……」
僕たちは、陰陽寮から『とある妖』の討伐を依頼された。
かなりお偉いさんからの、僕への直々の依頼であるらしく、陰陽師としては、冥利に尽きるというものなのだが──
この依頼が、どうにもきな臭いのである。
概要としては、美女に化けた妖に篭絡された依頼主が、お抱えの陰陽師の活躍により、すんでのところでその正体に気づき、その妖は尻尾を巻いて逃げた。と、よく聞くような話なのだが……。
この話には、続きがある──
間もなくして、その陰陽師が神隠しにあったという。
神隠し──人間が、何の前触れもなく、忽然と姿を消す現象で、各地で逸話などが残っている。
そんなこともあり、依頼主としては、明日は我が身だと、気が気でないようで、僕のところに依頼がやってきたということだ。
そういうことで、早速その妖の痕跡を調べようと、現地に赴いたわけだが──
結論から言うと、その妖の痕跡は、一切見当たらなかった。
普通、こんなことはあり得ない。見かけ上、どれだけ巧妙に隠そうと、僕たち陰陽師は『氣』を頼りに妖を探している。この氣というものは、その性質上あらゆる場所に、その痕跡を残す。そして何より、知識のないものでは、それを隠蔽することはできない──
そもそも今回の場合、件の妖は逃げた後のはずで、物体としての痕跡すら残っていないのもおかしいのだが、依頼主本人が、不吉だからとその妖が、人に化けていた時に使っていた物を全て処分したようだ。僕たちとしては、まったく迷惑な話であるが、所謂『一般の人間』である彼からしてみれば、当然の行いなのかもしれない。
そういった諸々の事情で、行き詰っていた矢先、宮中でとある噂が広がる。
件の妖が『那須野』に現れたという、どこから広がったのかもわからない信憑性の薄い噂。
しかし、躍起になっていた依頼主は、この噂を聞きつけると、すぐ僕らに、現地に向かうよう命令を下した。
こうして、那須野の地で、その妖の名前と、少ない情報だけを頼りに探し回っているわけである。
「店主である甘斎殿の話だと、ここら辺のはずなんだけど……」
しかし、僕はこの森には何度も訪れているが、その神社は、一度たりとも見たことがない。
この森が、いかに視認性が悪いと言っても、そう簡単に見逃すようなものでもないだろう。と、そう考えていた。
が。
──あった。
いや、僕たちの認識としては、現れたと表現したほうが正しいかもしれない。
大きな、朱色の鳥居が目と鼻の先に、急に現れた。
勿論そんなわけはないのだが、事実、僕らは二人とも、この巨大な建造物に、ここまで一切気づいてはいなかった。
「『人除けの札』が貼られています。簡単には見つけられないはずです」
一護は、僕が指示を出すまでもなく、周囲の観察を始めていた。
本当に抜け目のない男だ。
人除けの札。端的に言うと、貼った物を、強制的に人の認識から外すものであり、一種の『結界術』にあたる。
今回のそれは、それほど効果の強いものではないらしく、よく見れば気づく程度の効果ではあるが、なぜこんなものが神社についているのか……。
本来神社というものは、寧ろ人が集まるほうが望ましいはずだ。祀られている側としてもそのはずなのに、一体どうして──?
「泰成様?」
「いや……ただの考え事さ。先に進もう」
悪い癖だな。
この札がどういう意図で貼られたかなんて、今はさほど重要じゃない。
大事なのは、この先に、その妖がいるのかどうか。
鳥居をくぐり、参道を進む。
砂利道を踏みしめるたび、少しずつではあるが、確かに感じる。
人ならざる者の世界へと足を踏み入れる──そんな感覚。
しばらく歩くと、終着点と言わんばかりに、もう一つの鳥居が備え付けられており、その奥に、拝殿と思わしき建物が見受けられる。
一護は懐から一枚の霊符を取り出し、自らの『氣』をそれに込める。
すると、忽ちその姿は一本の刀へと変化した。
名刀──切月下。
性質的には、寧ろ妖刀と呼ぶべき代物で、彼の扱う数多の刀の中で、最も妖を切るのに適した一振りだそうだ(知っている風だが、前に一護から聞きかじった程度の知識しかない)。
「珍しいね」
そんな──まるで陰陽師のために存在しているかのような性能の割に、彼がこの刀を振るう姿を、僕はあまり見ていない。
僕は剣術がからっきしで、それに関する知識も乏しい。刀の種類なんて──正直何が違うのかもよくわかない。
「じゃじゃ馬故、できれば使いたくはないのですが……」
じゃじゃ馬って。刀に使う言葉なのか?
「相手が神ともなれば、そうも言ってられませんので」
「神だから強いってわけでもないだろう。上振れたときに大変ってだけさ」
神と言っても、その在り方は千差万別。低級の神であれば、そこらの大妖怪より弱いこともある。
ただ逆に──強い神にあたった場合は、他の妖とは比較にならないほどの力を有していることがある。
そこまでの妖だと、正直お手上げで、会わないようお祈りするしかない。まぁ──そのお祈りする神さまが相手なのだが……。
「私がしているのは、その上振れした時の話です。それに、低級のものであれば、そもそも私が出る幕などありますまい」
人任せかよ!と、内心ツッコミを入れそうになったが、僕の性格を考慮に入れてのことだろう。
実際、もし戦闘になることがあれば、最初に動き出すのは、僕になると思う。
それが、一番被害が出ない方法だ。
「それじゃ──行こうか」
二の鳥居をくぐり、一歩、足を踏み入れる。
少し進み、拝殿の手前に差し掛かった時、僕たちは歩みを止めた。
──居る。
それは──ここにいる。
その者の氣を感じる。
気配を隠しているのか、出どころははっきりせず、周囲を見渡しても、一向にその姿は見えない。
「一護、警戒を──」
その音は突如、背後から聞こえた。
思いもよらぬそれに、僕たちの視線は一瞬で奪われる。
思いもよらなかったのは、音か、それとも、そこに居たものか。
恐らくは両方──
僕たちがさっきくぐり抜けた鳥居、その上で、狐の耳と尻尾の生えた、小さな女の子が、足をぶらぶらとさせながら、こちらをじっと見つめている。
風が吹く度、結んだ髪が揺れ、そこに括りつけてある『鈴の音』だけが、この静寂の空間でただ一つ、自由気ままに鳴り響いていた。
鳥居の上に座るなんて、罰当たりなもんだが──恐らく、その罰を与える本人こそが彼女なのだろう。
僕は、彼女に見覚えがあった。
──というより彼女は、僕が長年探し続けてきた、僕を助けてくれた、あの妖に他ならなかった。
驚きと喜びが同時に押し寄せ、僕の情緒は混沌を極めていた。
「こんな童女が……」
一護が呟く。
どうやら彼も、この状況を理解したらしい。
「もしや──」
僕らの視線に反応し、彼女が口を開く。
見た目通りの、幼い声。
「お主ら、わしが見えておるのか?」
まさかそのセリフを、小説以外で聞くことになるとは。
普通、妖が見つかってない状態なら、こちらに奇襲を仕掛けるか、そのまま逃げるからな……あんなものは、妖がどういうものかを理解していない人間の、創作の中だけのモノだと思っていた。
「見えてるよ──僕たちは陰陽師だからね」
「陰陽師?」
今──聞き間違いじゃなければ、最後に疑問符が付かなかったか?
いや流石に……。
如何に彼女が百鬼夜行すら一人で退けるほどの妖であれ、天敵であるはずの陰陽師を忘れるなんてこと、あるはずがないか。
「むう……」
偉く真剣な表情。
ああ……。
これ、完全にわかってないやつだ。彼女のために陰陽師を極めようとした僕としては、とても切ない。
「で、その陰陽師とやらが、わしに何の用じゃ?」
諦めてしまった……。
きっとこの子にとっては、あの夜、僕に向けてくれた優しさは、何も特別なものではなかったのだろう。
この子にとっては、そうすることが当たり前で、だから、助けてもらった僕のほうが、強く印象に残っているのかもしれない。
少し寂しいけど、あれから二十年も経ってるんだ。
覚悟はしていた。
だからこそ、どうしてもこの依頼は解決しなくてはならない。
彼女の──玉藻前の疑いを晴らすために。
「確認だが、この神社で祀られている神というのは、君かい?」
「如何にも。わしこそが、この社の主であり、この土地の神である白面金毛九尾の狐──玉藻前じゃ!」
彼女は胸を張ってそう答えた──それも、かなりの決め顔で。
とても誇らしげだ。
僕たちが、その『玉藻前』という妖を、討伐するために来たとも知らずに……。
その他の印象が強すぎて忘れていたが、この子はなんというか──どこか抜けてるというか、所々、言動がよくわからないときがあるんだった。
「お主、今なにか失礼なこと考えておるじゃろ」
「……気のせいだよ」
意外と察しがいいな……。気を付けよう。
「──話を戻そう」
僕は、ここへ来た経緯を話し、彼女の反応を伺った。
「そんな男は知らん。そもそも、何故このわしが、そのような得体の知れぬ男なんぞに媚びへつらわねばならんのじゃ」
確かに。それにお世辞にも、『そういうの』が得意には、とてもじゃないが見えない。
「それともなにか?──その主というのは、このような幼子の身体に劣情を抱くような変態なのかのう?」
「彼の好みについては知らないけど──」
そもそも、依頼主ってだけで、主君のような存在でもないし。
「何にせよ──対象の妖については、もう一度彼に確認を取ってみる必要がありそうだね」
僕は一護に視線へ送る。
「かしこまりました」と、刀を札の形に戻す。
そういえば、せっかく準備してもらったのに、使うことはなかったな。
一護は保険のつもりだったみたいだけど──
僕としても、彼女と事を構えることは、できるだけ避けたい。
個人的な理由もあるが、それ以外に、こんな性格だから、うっかり忘れそうになるけど、この妖の強さは、二十年前に、この目で見て知っている──
誇張抜きに、僕が知る中では、最強の妖と言っていい。
それ故に、陰陽寮の資料に、一切情報がなかったのが、不思議でならない。
やはり、彼女の情報は集めておくに越したことはないな。
決して、彼女とずっと一緒に居たいとか、そういう気持ちではないのだけれど。
仕方がない。これも仕事の内だ。
「僕はこっちに残るから、何かあれば文を出してくれ」
「一人でですか?」
「もし仮に、彼女が例の妖だった場合、僕らが離れた途端に逃げ出す可能性があるだろ?」
その可能性はほとんどないと思うが、なぜと聞かれた場合、僕が過去に助けてもらったから。と、なんとも頼りにならない根拠しか上げることができないのが現状のため、表向きはこう言っておいたほうが良いだろう。
「わかりました──しかしくれぐれも、無茶だけはせぬよう、お願いいたします」
そう言って、彼は神社を後にした。
「お主も、そろそろ家へ帰れ」
なんてつれないことを言うんだ。
「まだ君に、聞きたいことがあるんだけど……」
「また今度にせい。わしは疲れた。もう寝る」
あくびしてる……。
妖も──眠気とか感じるんだ。
寝てる間に誰か来たらどうするんだろう。よく今ままで存在が公にならなかったものだ。
「わかった。明日また来るよ」
「──ああそうじゃ」
帰路についた瞬間、声をかけられる。
「来るものは拒まぬ。しかし、人間が神に会いに来るのであれば──手土産の一つくらい持ってくるのが礼儀というものではないのかのう?」
要は、次来るときは貢物を準備してこいってことか。
こういうところは、ちゃんと神だな。
「わかったよ──食べ物とかでいいかい?」
着物でもいいかと思ったが、特に女性は、そういうの自分で選びたいだろうしな。
「それでよい。ちなみに、わしの好物は団子じゃ」
ちゃっかりしてるな。
っていうか、団子が好物の神って……初めて聞いた。
生娘だとか、そういうのを要求されたらどうしようかと、一瞬考えた僕が馬鹿みたいじゃないか。
まぁ、人間の生贄を用意してくるわけにもいかないし、団子なら、丁度いい店を知ってるから助かる。
「それじゃ、またね『玉藻前』」
こうして──僕たちは再会した。
二十年という長い時を越えて。
それまでの僕は、彼女と交わした約束を果たすため、鍛錬に勤しみ、その傍らに、彼女のことを調べていた。若輩者ではあるが、一応安倍家の陰陽師だ。妖のことを調べるのは、なにもおかしなことはない。寧ろ傍から見たら、勉強熱心な若者くらいには見えていたかもしれない。
しかし、どれだけ資料を読み漁っても、現地に赴いても、彼女のことは──なに一つわからなかった。
「あの時名前くらい聞いておけば」と、このまま一句詠んでしまいそうな、そんな感傷的な気分のまま、イタズラに時間だけが過ぎていった。
余談だが、僕に詩の才能は皆無である。
また、彼女に会いたい──
そして、その機会は──意図せず、突然訪れた。
那須野にある、広大な森。
二十年前僕たちが、百鬼夜行に遭遇した、あの森。
昼間だというのに、大きな木々が陽光を遮り、まるで夜のような暗がりを作り出している。
ここに来るのは、これで五度目になるだろうか。
今回、目的こそ違えど、地理には明るい場所──のはずだったのだが……。
「しかし、このような場所に神社など、本当にあるのでしょうか」
訝しげな表情で、一護は言う。
「伊吹堂って名前の茶屋があっただろう?あそこの店主から聞いたんだ」
「あの──次から次へと団子を運んできたお店ですか……」
樋口一護。僕の家来の一人で、彼とは小さい頃からの付き合いになる。そしてこれは、本人に直接言うと、彼は決まって首を縦には降らないのだが、僕としては、幼馴染のような関係だと思っている。正義感が強く、真面目で努力家という、僕には勿体ないくらい人間のできた家来だ。
「そうそう。流石にあの量はちょっと大変だったね」
「しばらく団子は見たくありませぬな……」
僕たちは、陰陽寮から『とある妖』の討伐を依頼された。
かなりお偉いさんからの、僕への直々の依頼であるらしく、陰陽師としては、冥利に尽きるというものなのだが──
この依頼が、どうにもきな臭いのである。
概要としては、美女に化けた妖に篭絡された依頼主が、お抱えの陰陽師の活躍により、すんでのところでその正体に気づき、その妖は尻尾を巻いて逃げた。と、よく聞くような話なのだが……。
この話には、続きがある──
間もなくして、その陰陽師が神隠しにあったという。
神隠し──人間が、何の前触れもなく、忽然と姿を消す現象で、各地で逸話などが残っている。
そんなこともあり、依頼主としては、明日は我が身だと、気が気でないようで、僕のところに依頼がやってきたということだ。
そういうことで、早速その妖の痕跡を調べようと、現地に赴いたわけだが──
結論から言うと、その妖の痕跡は、一切見当たらなかった。
普通、こんなことはあり得ない。見かけ上、どれだけ巧妙に隠そうと、僕たち陰陽師は『氣』を頼りに妖を探している。この氣というものは、その性質上あらゆる場所に、その痕跡を残す。そして何より、知識のないものでは、それを隠蔽することはできない──
そもそも今回の場合、件の妖は逃げた後のはずで、物体としての痕跡すら残っていないのもおかしいのだが、依頼主本人が、不吉だからとその妖が、人に化けていた時に使っていた物を全て処分したようだ。僕たちとしては、まったく迷惑な話であるが、所謂『一般の人間』である彼からしてみれば、当然の行いなのかもしれない。
そういった諸々の事情で、行き詰っていた矢先、宮中でとある噂が広がる。
件の妖が『那須野』に現れたという、どこから広がったのかもわからない信憑性の薄い噂。
しかし、躍起になっていた依頼主は、この噂を聞きつけると、すぐ僕らに、現地に向かうよう命令を下した。
こうして、那須野の地で、その妖の名前と、少ない情報だけを頼りに探し回っているわけである。
「店主である甘斎殿の話だと、ここら辺のはずなんだけど……」
しかし、僕はこの森には何度も訪れているが、その神社は、一度たりとも見たことがない。
この森が、いかに視認性が悪いと言っても、そう簡単に見逃すようなものでもないだろう。と、そう考えていた。
が。
──あった。
いや、僕たちの認識としては、現れたと表現したほうが正しいかもしれない。
大きな、朱色の鳥居が目と鼻の先に、急に現れた。
勿論そんなわけはないのだが、事実、僕らは二人とも、この巨大な建造物に、ここまで一切気づいてはいなかった。
「『人除けの札』が貼られています。簡単には見つけられないはずです」
一護は、僕が指示を出すまでもなく、周囲の観察を始めていた。
本当に抜け目のない男だ。
人除けの札。端的に言うと、貼った物を、強制的に人の認識から外すものであり、一種の『結界術』にあたる。
今回のそれは、それほど効果の強いものではないらしく、よく見れば気づく程度の効果ではあるが、なぜこんなものが神社についているのか……。
本来神社というものは、寧ろ人が集まるほうが望ましいはずだ。祀られている側としてもそのはずなのに、一体どうして──?
「泰成様?」
「いや……ただの考え事さ。先に進もう」
悪い癖だな。
この札がどういう意図で貼られたかなんて、今はさほど重要じゃない。
大事なのは、この先に、その妖がいるのかどうか。
鳥居をくぐり、参道を進む。
砂利道を踏みしめるたび、少しずつではあるが、確かに感じる。
人ならざる者の世界へと足を踏み入れる──そんな感覚。
しばらく歩くと、終着点と言わんばかりに、もう一つの鳥居が備え付けられており、その奥に、拝殿と思わしき建物が見受けられる。
一護は懐から一枚の霊符を取り出し、自らの『氣』をそれに込める。
すると、忽ちその姿は一本の刀へと変化した。
名刀──切月下。
性質的には、寧ろ妖刀と呼ぶべき代物で、彼の扱う数多の刀の中で、最も妖を切るのに適した一振りだそうだ(知っている風だが、前に一護から聞きかじった程度の知識しかない)。
「珍しいね」
そんな──まるで陰陽師のために存在しているかのような性能の割に、彼がこの刀を振るう姿を、僕はあまり見ていない。
僕は剣術がからっきしで、それに関する知識も乏しい。刀の種類なんて──正直何が違うのかもよくわかない。
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じゃじゃ馬って。刀に使う言葉なのか?
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ただ逆に──強い神にあたった場合は、他の妖とは比較にならないほどの力を有していることがある。
そこまでの妖だと、正直お手上げで、会わないようお祈りするしかない。まぁ──そのお祈りする神さまが相手なのだが……。
「私がしているのは、その上振れした時の話です。それに、低級のものであれば、そもそも私が出る幕などありますまい」
人任せかよ!と、内心ツッコミを入れそうになったが、僕の性格を考慮に入れてのことだろう。
実際、もし戦闘になることがあれば、最初に動き出すのは、僕になると思う。
それが、一番被害が出ない方法だ。
「それじゃ──行こうか」
二の鳥居をくぐり、一歩、足を踏み入れる。
少し進み、拝殿の手前に差し掛かった時、僕たちは歩みを止めた。
──居る。
それは──ここにいる。
その者の氣を感じる。
気配を隠しているのか、出どころははっきりせず、周囲を見渡しても、一向にその姿は見えない。
「一護、警戒を──」
その音は突如、背後から聞こえた。
思いもよらぬそれに、僕たちの視線は一瞬で奪われる。
思いもよらなかったのは、音か、それとも、そこに居たものか。
恐らくは両方──
僕たちがさっきくぐり抜けた鳥居、その上で、狐の耳と尻尾の生えた、小さな女の子が、足をぶらぶらとさせながら、こちらをじっと見つめている。
風が吹く度、結んだ髪が揺れ、そこに括りつけてある『鈴の音』だけが、この静寂の空間でただ一つ、自由気ままに鳴り響いていた。
鳥居の上に座るなんて、罰当たりなもんだが──恐らく、その罰を与える本人こそが彼女なのだろう。
僕は、彼女に見覚えがあった。
──というより彼女は、僕が長年探し続けてきた、僕を助けてくれた、あの妖に他ならなかった。
驚きと喜びが同時に押し寄せ、僕の情緒は混沌を極めていた。
「こんな童女が……」
一護が呟く。
どうやら彼も、この状況を理解したらしい。
「もしや──」
僕らの視線に反応し、彼女が口を開く。
見た目通りの、幼い声。
「お主ら、わしが見えておるのか?」
まさかそのセリフを、小説以外で聞くことになるとは。
普通、妖が見つかってない状態なら、こちらに奇襲を仕掛けるか、そのまま逃げるからな……あんなものは、妖がどういうものかを理解していない人間の、創作の中だけのモノだと思っていた。
「見えてるよ──僕たちは陰陽師だからね」
「陰陽師?」
今──聞き間違いじゃなければ、最後に疑問符が付かなかったか?
いや流石に……。
如何に彼女が百鬼夜行すら一人で退けるほどの妖であれ、天敵であるはずの陰陽師を忘れるなんてこと、あるはずがないか。
「むう……」
偉く真剣な表情。
ああ……。
これ、完全にわかってないやつだ。彼女のために陰陽師を極めようとした僕としては、とても切ない。
「で、その陰陽師とやらが、わしに何の用じゃ?」
諦めてしまった……。
きっとこの子にとっては、あの夜、僕に向けてくれた優しさは、何も特別なものではなかったのだろう。
この子にとっては、そうすることが当たり前で、だから、助けてもらった僕のほうが、強く印象に残っているのかもしれない。
少し寂しいけど、あれから二十年も経ってるんだ。
覚悟はしていた。
だからこそ、どうしてもこの依頼は解決しなくてはならない。
彼女の──玉藻前の疑いを晴らすために。
「確認だが、この神社で祀られている神というのは、君かい?」
「如何にも。わしこそが、この社の主であり、この土地の神である白面金毛九尾の狐──玉藻前じゃ!」
彼女は胸を張ってそう答えた──それも、かなりの決め顔で。
とても誇らしげだ。
僕たちが、その『玉藻前』という妖を、討伐するために来たとも知らずに……。
その他の印象が強すぎて忘れていたが、この子はなんというか──どこか抜けてるというか、所々、言動がよくわからないときがあるんだった。
「お主、今なにか失礼なこと考えておるじゃろ」
「……気のせいだよ」
意外と察しがいいな……。気を付けよう。
「──話を戻そう」
僕は、ここへ来た経緯を話し、彼女の反応を伺った。
「そんな男は知らん。そもそも、何故このわしが、そのような得体の知れぬ男なんぞに媚びへつらわねばならんのじゃ」
確かに。それにお世辞にも、『そういうの』が得意には、とてもじゃないが見えない。
「それともなにか?──その主というのは、このような幼子の身体に劣情を抱くような変態なのかのう?」
「彼の好みについては知らないけど──」
そもそも、依頼主ってだけで、主君のような存在でもないし。
「何にせよ──対象の妖については、もう一度彼に確認を取ってみる必要がありそうだね」
僕は一護に視線へ送る。
「かしこまりました」と、刀を札の形に戻す。
そういえば、せっかく準備してもらったのに、使うことはなかったな。
一護は保険のつもりだったみたいだけど──
僕としても、彼女と事を構えることは、できるだけ避けたい。
個人的な理由もあるが、それ以外に、こんな性格だから、うっかり忘れそうになるけど、この妖の強さは、二十年前に、この目で見て知っている──
誇張抜きに、僕が知る中では、最強の妖と言っていい。
それ故に、陰陽寮の資料に、一切情報がなかったのが、不思議でならない。
やはり、彼女の情報は集めておくに越したことはないな。
決して、彼女とずっと一緒に居たいとか、そういう気持ちではないのだけれど。
仕方がない。これも仕事の内だ。
「僕はこっちに残るから、何かあれば文を出してくれ」
「一人でですか?」
「もし仮に、彼女が例の妖だった場合、僕らが離れた途端に逃げ出す可能性があるだろ?」
その可能性はほとんどないと思うが、なぜと聞かれた場合、僕が過去に助けてもらったから。と、なんとも頼りにならない根拠しか上げることができないのが現状のため、表向きはこう言っておいたほうが良いだろう。
「わかりました──しかしくれぐれも、無茶だけはせぬよう、お願いいたします」
そう言って、彼は神社を後にした。
「お主も、そろそろ家へ帰れ」
なんてつれないことを言うんだ。
「まだ君に、聞きたいことがあるんだけど……」
「また今度にせい。わしは疲れた。もう寝る」
あくびしてる……。
妖も──眠気とか感じるんだ。
寝てる間に誰か来たらどうするんだろう。よく今ままで存在が公にならなかったものだ。
「わかった。明日また来るよ」
「──ああそうじゃ」
帰路についた瞬間、声をかけられる。
「来るものは拒まぬ。しかし、人間が神に会いに来るのであれば──手土産の一つくらい持ってくるのが礼儀というものではないのかのう?」
要は、次来るときは貢物を準備してこいってことか。
こういうところは、ちゃんと神だな。
「わかったよ──食べ物とかでいいかい?」
着物でもいいかと思ったが、特に女性は、そういうの自分で選びたいだろうしな。
「それでよい。ちなみに、わしの好物は団子じゃ」
ちゃっかりしてるな。
っていうか、団子が好物の神って……初めて聞いた。
生娘だとか、そういうのを要求されたらどうしようかと、一瞬考えた僕が馬鹿みたいじゃないか。
まぁ、人間の生贄を用意してくるわけにもいかないし、団子なら、丁度いい店を知ってるから助かる。
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こうして──僕たちは再会した。
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