堅物辺境伯の溺愛〜虐げられた王宮奴隷は逃げ出した先で愛を知る〜

咲木乃律

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第七章

ユリウスの何を見てきたのか

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 ハルムの声が頭の中で反響し、ルカはぎゅっと目を閉じてユリウスの太い首にしがみついた。ハルムの足音だろうか。ひたひたと浅い水の中を遠ざかっていく足音がする。

「さて。邪魔者は消えた。ここから先どう進む?」

 シミオンの、どこかおもしろそうな響きを含んだ声が問いかけ、ルカは顔を上げた。
 ユリウスが、

「とりあえず前に進むしかあるまい」と答え、空いた右手で胸元を探り、ナイフを取り出した。

「一つずつ潰していくぞ」

 ユリウスは一番右手前の通路に入ると目線の高さにナイフで壁に傷をつけた。

「こんな記しが役に立つかわからんが、ないよりはましだろう」

 先頭をユリウスが歩き、曲がり角が来るたびナイフで傷をつけていく。そうやってひたすら水路を進んでいたが、ユリウスの足が止まった。

「ここはさきほど通ったところだ」

 ユリウスの見つめる壁には、ナイフでつけた傷がある。前へ前へと進んでいたと思ったけれど右へ左へと曲がるうちに、元の場所へ戻ってきたのだろうか。

「おい。シミオン。次はこの先の水路を行くぞ」

 ユリウスが振り返って言う。が、シミオンからは返事がない。ルカも不思議に思って後ろを見た。
 そこには誰もいなかった。ついさきほどまですぐ後ろを歩いていたはずなのに。
 それにシミオンどころかラウとミヒルの姿もいつの間にか消えている。明かりも、ラウの放つ明かりがなくなり、排水溝から差し込む陽光だけになっている。足元の薄く張った水が、陽の光にきらきらときらめく。

「ユリウス……。みんなどこ?」

「わからん。はぐれるほど速く歩いていたわけではないからな。これもフロールの体の仕業ということかもな」

 ユリウスはそう言うと、ルカを抱く腕に力を込めた。

「ルカ。手を離すなよ。こうしていても何が起きるかわからんからな」

「……うん」

 ルカがそう答えた時だ。光の射す排水溝を覆うようにもやのような暗い影が立ち込め、あっという間に辺りを包み込んだ。しがみついているユリウスの顔さえ見えない。

「ユリウス、ユリウス。どこ?」

「大丈夫だ。ここにいる。もっとちゃんと抱きついていろ。こうも暗いと手探りで進むしかない。ひとまず明かりのある場所を探すぞ」

 ユリウスが移動を始め、ルカの体もふわりと動く。目を開けていると、何も見えないのに何かを見ようと目をこらしてしまう。それでも何も見えない暗闇に耐えきれず、ルカは目をつむった。

「ユリウス。離さないでね」

 ルカはしがみついたユリウスの首に顔を埋めた。いつもの馴染んだ金糸の髪の感触が頬を撫でる。

「ああ、もちろんだ」

 ユリウスがそう答える声が聞こえた。ふわりふわりとユリウスの歩調にあわせて体が揺れる。一定のリズムで動くその揺れに身を任せていると、自分の意識が深く深くへと吸い込まれていくような感覚がした。











「あら。また来ちゃったのね」

 弾んだ声がすぐ側で聞こえ、ルカは目を開けた。瞬間、目を射る陽光にルカは再び目を閉じた。眩しい。ピチチチチチと鳥の囀る声と小川を流れる水の音がする。
 再び恐る恐る目を開くと、明かりに慣れた瞳がフロールの姿をとらえた。
 王宮の林の中だ。
 
「フロール。こんにちは」

 フロールは体が見つかるまで、ルカの意識の奥に残ると言った。小川を伝って外へと戻ったルカだが、再び同じ場所に戻ってきてしまったようだ。
 ここはルカがかつて暮らし、逃げ出した場所であり、ルカの心の奥底を構成している場所でもある。

「地上で何かあった?」

 フロールに聞かれ、ルカは水路に入ったところからここまでに至る経緯を話した。

「私の体も厄介なものね。それで? ルカはどうしてここに戻ってきたの?」

「……わからない」

「そんなわけないでしょ。来て」

 フロールはやれやれというようにルカの手を引くと、以前ここでフロールと出会った時に行った湖の畔へとルカを導いた。湖面は前に見た時と同じに陽光を受けて金色に輝いている。フロールは湖水に膝下をつけると、ルカにも隣に座るようにと促した。

「私、実は時々ルカが眠っている間に外に出てたのよね。気づいてた?」

 ルカは首を振った。では、フロールはルカの知らない間に外に出て、ルカの体を使って行動していたということなのか。そこでルカは「そういえば」と湖水に足をつけながらフロールを振り返った。

「朝起きたらお腹がいっぱいのときがあったかも」

「そう。それよそれ。私」

 フロールはくすくすと笑いを漏らすと、ルカの黒髪に触れた。

「ユリウスだっけ? 食事をとらないルカのこと、とっても心配しているから。それって私のせいでしょ? なんとかしなきゃってね。もともと食べるのは好きなのよ」

 道理で途中からユリウスが食べろと言わなくなったわけだ。でもおかげで体はエネルギーが補給され、動きやすくなっていた。

「ありがと」

「お礼を言われるほどのことでもないわ。元はと言えば、ラウが勝手なことしなければ、こんなことにはならなかったんだから。思い出したらまた腹が立ってきたわ」

 フロールは足で蹴って水をはねさせた。しずくはルカの顔にもはねた。
 けれど前のように水の掛け合いには発展しなかった。ルカはそんな気分ではなかった。ぴしゃりとはねた頬の水滴をすくい取り、見るともなしに濡れた手のひらを見た。そんなルカの様子を見て、フロールはにこりと笑った。

「私しばらくここにいて、ルカのことがとってもよくわかったわ。何か悩み事やつらいことがあると、ルカは全部この林の中に、見えないように隠してきたのね。でもね、そんなことしてたら、いつかこの林はルカの不安や恐れで枯れちゃうわよ。ほら、話してごらんなさいな。私が聞いてあげる」

「聞いても、フロールはわたしのこと嫌いにならない?」

「ならないわよ。人ってつまらないことで真剣に悩んだり、つらくていろんなことから目を背けたりする生き物でしょ? 何を聞いてもルカのこと、嫌いになったりしないわよ」

 ルカは足を動かしてちゃぽんと水音をたてた。どこまでも澄んだ湖面が輝いている様は、やっぱりユリウスの髪のようで心が落ち着く。
 ルカはぽつりぽつりと口を開いた。

 ラウがフロールを守るためにルカを危険に晒したように、ルカもユリウスのためならば他人を陥れるかもしれないと考えたこと。そんな恐ろしいことを考えるルカを、いつかユリウスが嫌いになるのではないかという恐怖を抱いたこと。
 それに、ハルムがルカの不安を煽り、ユリウスから離れる未来を予言したこと。捨てられるかもしれないという恐怖を抱いたすぐあとに言われたので、ルカはあの時怖くて仕方なかった。同時に、そんなことを言うハルムが許せなかった。
 憎悪の感情は人を醜くする。わかっていながら考えることを止められなかった。王宮の林にいた頃は、他人と交わることがほとんどなかったので、こんな感情抱かなかった。それがひとたび自由を得ると、本当の自分が頭をもたげる。利己的で怖がりで、ユリウスがいなければたちまち行き場を失う弱い自分だ。そんな自分の正体がいつかユリウスに露呈し、ユリウスはルカを嫌いになるかもしれない。最も恐れるのはそのことだった。ユリウスには嫌われたくない。ユリウスの側にずっといたい。

 最後まで話し終え、恐る恐るフロールを見ると、フロールは「なんだ、そんなことでまた落ちてきたの?」と呆れたような声を上げた。

「わたしにとっては深刻なんだけど…」

 あまりにあっけらかんと言われたので、ルカは口をとがらせた。フロールは「ごめんごめん」と苦笑しながらルカの髪を撫で、頬にそっと手のひらを添えた。

「ルカは本当にユリウスのこと、愛してるのね。好きな相手に嫌われたくないと思うのは当然のことよ。自分をよく見せたいと思うのも自然なことだわ」

 ほら、見て。

 フロールは湖面に手をかざした。陽光を反射していた湖面が鏡のように静止し、何かの像が浮かび上がった。
 ユリウスだ。目を閉じて首に腕を回したルカを抱きかかえている。片腕でしっかりとルカを抱いたユリウスは空いた片手で水路の壁面を触りながら、一歩一歩足元を確かめるようにして進んでいる。

「ルカの体に入って、私がユリウスと直接話したのは数えるほどだけれど、それでもユリウスがルカのことを何より大事に思っていることはわかったわよ。ルカは、もっとたくさんずっとユリウスの側にいたんでしょう? 一体ユリウスの何を見てきたの? ユリウスは、きっとルカの全部を受け止めてくれる。そうじゃなくって?」

(……ルカ…)

 湖面に映ったユリウスが自分を呼ぶ声が聞こえた。
 ルカはじっとそんなユリウスの姿に目を凝らした。







 
 

 
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