偏執の枷〜わたしの幸せはわたしが決める〜

咲木乃律

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第四章

饗宴 1

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 どうしてこんなことになっているのだろう。
 
 ヨハンナは今、曲がりくねった大理石の廊下を走っていた。

 後ろからは黒のテーラードに立派な髭を生やした白髪の紳士が追ってくる。何度も廊下を曲がり、階段を上り下りし、ヨハンナは自分がどこをどう走っているのか、もはや全くわからなくなっていた。

 ドレスの裾が足にまとわりつき、何度も転びそうになる。あまり早く走れている自覚はないが、それでも追ってくるコンパスの長い男がヨハンナに追いつかないのは、男がこの追いかけっこを愉しんでいるからだ。

「ほらほら、もっと早く逃げないと追いつくぞ」

 男はわざと距離をつめるとヨハンナの腕を掴み、すぐにまた離して子兎を逃す。

 下卑た笑いを浮かべながら獲物が怯えながら逃げるのを愉しんでいる。

 夜は部屋を出てはいけないとセヴェリに忠告は受けていた。

 カルデラ湖に面した部屋と、食卓の置かれたその続きの間の一画が今のヨハンナの檻だった。

 外へと出る扉は、はじめ鍵がかけられていたのだが、緑龍の束縛が強く、ヨハンナの逃亡の恐れがないとわかると、セヴェリは外へと通じる鍵を開けた。

 外と言っても、扉を出た先も建物の中だ。湖畔に立つ巨大な建物で、ここに内陸部で集められた神子達、セヴェリ、ラッセ、ヘリ、それにテンドウ族の一部の人達が暮らしている。

 セヴェリが鍵を常時開けたことによって、閉じ込められていた部屋から自由に出られるとヨハンナは嬉しかったが、この建物自体、巨大な要塞のようであり、建物の外、本当の外界へと出る扉は厳重に監視されている。

 本当の自由を得られたわけではない。

 それでも一つところに閉じ込められているよりはいい。
 どこかに抜け道はないかと建物内を歩き回るのが、今のヨハンナの日課だった。

 この建物はまた、緑龍を奉じる神殿としての役割も担っており、巨大な講堂も兼ね備えているらしい。講堂は直接外へと通じているため、ヨハンナはまだ足を踏み入れたことはない。

 日に三度の食事は以前のように食堂で、セヴェリを中心に神子達ととる。

 カールは相変わらず最年少のステラにいたずらしては泣かせ、ヘリに怒られる。

 ダニエラは「やんなっちゃう」といつもの口癖で賑やかな子供達のことを見、レイモンは泣いているステラを慰める。

 誰一人、ヨハンナがしばらく姿を消していたことには触れない。

 小さなステラでさえ、そのことを口にしない。

 けれど誰も彼もが、ヨハンナがレイモンと白龍によって、再び捕らえられ、ここへ連れてこられたことを承知しているようだった。

 セヴェリから口止めされているのだろう。

 誰もそのことには触れないが、以前よりもみんなの視線が痛い。誰もがヨハンナのことを監視している。息がつまりそうだった。

 それでも表面的には以前と何も変わらない、一見穏やかにも見える日常が繰り広げられている。場所だけがテンドウの里に変わっただけだ。

 でも、アマンダは少し変わった。

 少女らしい幼い雰囲気が抜けて、あまり子供達にも干渉しなくなった。時折セヴェリに送る視線が、ヨハンナから見てもドキッとするほど艶っぽい。それを見るとなぜかヨハンナの方が恥ずかしくなる。

「色気づいてやんなっちゃう」

 そんなアマンダを見るたび、ダニエラのいつもの口癖が飛び出す。アマンダはダニエラにそう言われても、気にした様子もなく平然としている。

 淡々と過ぎていく日常。

 でもヨハンナは諦めたわけではなかった。

 相変わらずセキとコクは緑龍の牽制でヨハンナを連れ帰ることはできないようで、近況を伝えるため、首都にいるアランの元と、ヨハンナの元とを行き来し、アランのことを教えてくれる。

 アランはヨハンナを助け出すためにとても忙しく過ごしているとセキとコクが言っていた。

 ならば自分も手をこまねいているわけにはいかない。
 自力でここを抜け出せる手はないものかと建物内を探索しては、紙にこの建物の見取り図を作っていた。

 今夜は昼間見た建物の廊下を、記憶を辿って紙に写していた。
 湖に張り出した階段には緑龍がいて、熱心に何かを書き付けているヨハンナへ、とろんとした目を向けていた。

 半分まどろんでいるのだろう。今はセキとコクはアランの元へ行っている。静かな夜だった。

 ヨハンナは紙に図を描きながら、どうしても一箇所思い出せない箇所があり、そこで筆を止めた。

 その箇所がわからなければ、この先の見取り図が進められない。

 迷った末少しだけ、と部屋を出たのがついさきほどのことだ。

 廊下でばったり行き会った紳士が、「今夜はおまえがいい」と言うなり抱きついてきたので、ヨハンナは男を突き飛ばして逃げた。

 男は執拗にヨハンナを追ってきた。
 狩りを愉しむように、つかず離れず。

 何が起こっているのか、状況もわからぬままにヨハンナはとうとう行き止まりに追い詰められた。

 男は怖がるヨハンナに抱きつくとその首筋に顔を寄せ、匂いをかいできた。髭が首に当たり、ぞわっとした感覚が全身を駆け抜ける。

 早く逃げなければと思うのに、足は竦んで一歩も動けない。

「お待ちください」

 背後からかけられた声に、男は顔を上げた。
 同時にヨハンナを掴む腕の力が弱まり、ヨハンナは男の手から抜け出した。
 
 ラッセだった。

 ラッセは腰の根付を揺らしながら近づき、慇懃に男に頭を下げた。

 男はラッセの姿を認めると、不機嫌に眉をしかめた。

「なんだラッセ。やっと追い詰めたところだったのだ。邪魔をするな」
 
「今夜は別の神子をご紹介していたはずです。そちらへお願いいたします」

「話のわからん奴だな。今夜はこの神子がいいと言っているんだ。お前では話にならん。セヴェリはどこだ?」

「お呼びでしょうか」

 廊下の先からセヴェリが姿を見せた。セヴェリは男から離れたヨハンナの腕を取ると自分の方へ引き寄せ、エメラルドの髪を梳いた。

「お話が聞こえてきましたよ。ですがこれはまだ子供であなたさまのお役にはたてませんよ。今夜はご紹介した神子がお相手いたします。あなたさまの趣向にも、きちんとお付き合いできますよ」

「そうか」

 男は少しばつが悪そうに横を向く。

「部屋に行こうとしていたら、途中でその子に出会ってね。見事なエメラルドの髪と瞳だったので、つい欲しくなったのだ」

「今夜ご紹介した神子も、あなたさま好みのきれいなエメラルドの髪と瞳でしたでしょう? お気に召しませんでしたか」

「いや、その……」

 その時、行き止まりかと思っていた奥の壁が開き、アマンダが姿を現した。

 アマンダは足首まで隠れる長い夜着を着ていたが生地は透けており、体の線はもちろん、胸の突起や下生えまで薄っすらと見えている。

 アマンダはついっと男に寄っていくと、その頬に両手を伸ばした。

「あまりに遅いので待ちくたびれました。私ではご不満でしたか?」

 アマンダが自身のエメラルドの髪に指を絡ませ、上目遣いに男を見れば、男は咳払いをしてセヴェリに詫びた。

「セヴェリ殿。悪かった。今夜はおまえの紹介してくれたこの子にしよう」

 そう言い、アマンダと共に奥の部屋へと消えた。

 情欲を湛えた目をした男が、アマンダに何をするつもりなのか。ヨハンナにもわかった。

 内陸部の屋敷でレイモンがザカリーに差し出されていたように、ここでも同じことが行われている。

 客は生気を養うために神子と交わる。そしてセヴェリは多額の対価を手に入れる――。

 
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