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三十九、水底
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浴室を白い湯気が満たしている。
身体と頭を洗ってから、湯船にそっと浸かると、先程のシャワーより少しぬるめのお湯が身体を包み込んだ。
長く息を吐きながら肩まで浸かると、一日の疲れが溶け出していくようだ。
ちょっとの間、そのままの体制でぽんやりと宙を見つめる。なんの変哲もない風呂の内壁と天井は、小さな水滴が漏らした音でさえ律儀に響かせていた。
湿度の高い空気をゆっくり大きく吸い込む。深呼吸のように、長く、長く吐き出す。
それを何度か繰り返し、最後に、息を吐くのに合わせて徐々に身体を沈めていった。
肺から空気が抜けるにつれて静かに目線が水面に近づく。目を閉じ、そのまま頭まで湯に沈めた。後頭部が底につくまで沈み、改めて目を開けると、たゆたうお湯のせいで距離感の曖昧になった視界の先に波紋の残る水面が見えた。
口を開くと、逃げそびれた空気がコポリと小さな泡になって浮かんでいく。くるくると揺れる銀色のソレを右手で追って、捕まえる。指の隙間からより細かく潰された泡が再び水面向かった。
何気なく目で追いかけ、小さな違和感に気づく。
泡が水面に到達しない。
まさかと思いながらも手を伸ばす。
当然のように腕が伸びきった。手は、まだ、お湯の中だ。
湯の中にいるのに、全身を寒気に似た何かが駆け抜ける。肺の中の酸素はほとんどと言っていいほどなくなっている。焦るほどに口の端から気泡が漏れ、藻掻く腕をすり抜け上へと向かっていく。
湯船の壁には触れられる。背中には確かに風呂の底がある。
水面も見えている。ただただ、届かない。
必死に藻掻くが、空気を出し切ってしまった身体は異様に重く、持ち上がらない。視界に映る水面の波一つない静かさだけが、自分と水面との途方もない距離を物語っていた。
くぐもった音を水中に響かせながら、ひときわ大きな気泡が口から溢れた。
身体の感覚がぼやけていくようだ。
意識が朦朧としてきた、その時だった。
上へ向かって、強く背中を押された。
力なく水面へ伸ばしていた腕が空気を掴む。とびそうになる意識を掻き集め、風呂の縁を探り当てる。しびれた手足をばたつかせ、ようやく顔が水面から出た。
多少の水滴とともに酸素を目一杯吸い込み、咳き込む。力の抜けそうになる身体を風呂から引きずり出し、濡れて冷えた床に転がった。
呼吸を落ち着かせてから、恐る恐る風呂をのぞくが、なんの変哲もない湯があるだけだった。
後日、友人に話したところ、散々笑われ、からかわれた。結局、あの時風呂底から押してくれたのは何だったのか、もう一度確かめる勇気は、今のところない。
身体と頭を洗ってから、湯船にそっと浸かると、先程のシャワーより少しぬるめのお湯が身体を包み込んだ。
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湿度の高い空気をゆっくり大きく吸い込む。深呼吸のように、長く、長く吐き出す。
それを何度か繰り返し、最後に、息を吐くのに合わせて徐々に身体を沈めていった。
肺から空気が抜けるにつれて静かに目線が水面に近づく。目を閉じ、そのまま頭まで湯に沈めた。後頭部が底につくまで沈み、改めて目を開けると、たゆたうお湯のせいで距離感の曖昧になった視界の先に波紋の残る水面が見えた。
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何気なく目で追いかけ、小さな違和感に気づく。
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当然のように腕が伸びきった。手は、まだ、お湯の中だ。
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湯船の壁には触れられる。背中には確かに風呂の底がある。
水面も見えている。ただただ、届かない。
必死に藻掻くが、空気を出し切ってしまった身体は異様に重く、持ち上がらない。視界に映る水面の波一つない静かさだけが、自分と水面との途方もない距離を物語っていた。
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身体の感覚がぼやけていくようだ。
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上へ向かって、強く背中を押された。
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呼吸を落ち着かせてから、恐る恐る風呂をのぞくが、なんの変哲もない湯があるだけだった。
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