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二つ目の命
5日目
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「 」
誰かに呼ばれたような気がして、パチリと目を覚ます。黄昏時の独特な斜陽が、ガラリとしたバスの車内を照らしていた。どうやら、すっかり寝てしまっていたようだ。ぐっと伸びをして、バスから降りようと立ち上がる。
そこで、ある違和感に気付いた。
(…誰もいない…?)
乗客がいないだけならまたわかる。しかし、運転手までいないのはいかがなものか。幸いバスの扉は開きっぱなしだが、無賃乗車というのも些か気が咎める。バス内の表示がすべて消えているため、幾らするか正確には分からないが、まぁ、三百円ほど置いていこうかと財布を探し、ふと疑問に思う。鞄が無いのだ。いや、正確には、『このバスに乗った記憶』がない。
自分の顔が青褪めていくのを自覚しながら、バス停に飛び降りる。バス停の名前さえ見れば、何かわかるかもしれないという淡い希望にかけた。
『黄昏街』
消えかけた文字は、それでも確かにそう読めた。しかし、聞き覚えはない。首を傾げた時、この場では有り得ない音が鼓膜を震わせた。
『バスが発車します。ご注意ください。』
無機質な機械音声と共に、扉が閉まる。あ、と思う間もなく、運転手のいないバスはその場を走り去っていった。…呆気にとられる自分を置き去りにして。
中途半端に上げていた右腕を力なくおろす。これから一体どうしろというのだろうか。荷物もない。土地勘もない。挙句、記憶まで曖昧だ。見渡せば一見普通の町並みが並ぶが、如何せん人の気配がしない。
(…気味が悪いな…)
取り敢えずこの場から離れようかと一歩踏み出そうとした途端、後ろから声がかけられた。
「おい、君!大丈夫か!」
驚いて振り返ると、妙に疲れた顔の壮年の男が焦ったように近づいてくるのが見えた。
「バスの音がしたから、もしかしてと、思ったんだ。間に、あって、良かった…!」
少し肩で息をする彼は、安堵したように笑う。此方が戸惑っているのを見ると、慌てたように顔の前で手を振った。
「あっ、怪しい者じゃない!此処に住んでる一般市民だ!少なくとも、君の味方だ!それは間違いない!」
…その言動で怪しさが二割増しになった。逃げようかと踵を返しかけたところで、勢い良く物陰に引き摺り込まれる。ほら見ろ、とばかりに声を上げようとしたら、強い力で口を抑えられた。
「しーーーっ!静かに!」
そう言いながら『味方』を名乗るおじさんは緊迫した表情で通りを見つめている。もう一度、大声を出そうと試みようとした時、ソレが視界に現れた。
様々な生物を滅茶苦茶に繋ぎ合わせて、人の形をかたどったかのような、ソレ。かろうじて二足歩行をしているものの、ズルズルと引き摺る長い尾が地面に跡を残していく。乱杭歯と言うにも酷すぎるほど好き勝手に生えた鋭い牙のせいか、垂れ流す涎が地面を汚していた。
尾を引き摺る音が聞こえなくなるまで、見知らぬ男と二人で息を潜める。よく耳を澄ましても何も聞こえなくなってから、更に数十秒。漸く口を塞いでいた手が離れた。無意識に止めていた呼吸を再開し、噎せる。目の前の男も、ホッとしたように長く息を吐いた。
「…今のは…?」
噎せながらも男に問うと、予想外の答えが帰ってきた。
「…自我を失った、元『人間』だ。」
唖然として返す言葉もない。あれが元『人間』?ただの怪物じゃないか…!
「とにかく、安全な場所へ行こう。話はそれからだ。」
半ば引き摺られるように男に手を引かれて歩く。時折、元人間だという怪物をやり過ごし、漸く辿り着いたのは、なんの変哲もない民家のガレージだった。周囲を確認してから素早く身体を滑り込ませる。
意外と広いガレージの中には大勢の住人が身を潜めていた。が、よく見れば、ところどころ『異形』なものがついているように見える。
「怖かったろう、ここなら安全だ。」
そう言いながら、ここの長と見受けられる人物が自然に右手を差し出してくるが、その手は明らかに『異形』のものだった。条件反射で握手しようとした手を慌てて引っ込めると、彼は困ったように笑う。
「…あー…、すまない、出す『手』を間違えた。」
そう告げて改めて差し出された左手はごく普通の腕だったが、警戒心が拭えない。それを見透かしたように、ここまで連れてきた男が横から割って入る。
「すまない、驚いただろ。ただ、言った通り『アレ』は元人間が自我を失ったものだ。『異形』があるから危険なわけじゃない。問題は『中身』だよ。」
「や、でも、それって見て分からないんじゃ…」
「そうだな。分からない。」
堂々と頷いた男を一瞬殴ってやろうかと思ったが、その後に続く言葉で溜飲を下げる。
「だけど、推測はできる。異形が三つ以下で自我を失った者は見たことがない。だから、念には念を入れて、このグループには異形が二つ以下の奴しか入れないようにしてるんだ。」
苦々しい顔の裏には、断ってきた人々の顔でも浮かんでいるのだろうか。ガレージの中が少々重い空気になったところで、長らしき例の男性が空気を変えるように声を上げた。
「でも、ほら!この腕、結構力持ちでね!意外と役に立つんだなー、これが!」
「それでさっきマグカップ壊したの誰だっけー?」
「ご、ごめんって!」
住人の中から冗談めかした野次が飛び、慌てる長に暖かい笑いが起きる。
「…ま、取り敢えず休んでいきな。」
そう、笑顔で肩を叩かれ、釣られたように笑顔になった。幸先はいいようだ。この先何が起こるか分からないが、ともかく、色々な話を聞きながら暫しの休息に身を委ねた。
誰かに呼ばれたような気がして、パチリと目を覚ます。黄昏時の独特な斜陽が、ガラリとしたバスの車内を照らしていた。どうやら、すっかり寝てしまっていたようだ。ぐっと伸びをして、バスから降りようと立ち上がる。
そこで、ある違和感に気付いた。
(…誰もいない…?)
乗客がいないだけならまたわかる。しかし、運転手までいないのはいかがなものか。幸いバスの扉は開きっぱなしだが、無賃乗車というのも些か気が咎める。バス内の表示がすべて消えているため、幾らするか正確には分からないが、まぁ、三百円ほど置いていこうかと財布を探し、ふと疑問に思う。鞄が無いのだ。いや、正確には、『このバスに乗った記憶』がない。
自分の顔が青褪めていくのを自覚しながら、バス停に飛び降りる。バス停の名前さえ見れば、何かわかるかもしれないという淡い希望にかけた。
『黄昏街』
消えかけた文字は、それでも確かにそう読めた。しかし、聞き覚えはない。首を傾げた時、この場では有り得ない音が鼓膜を震わせた。
『バスが発車します。ご注意ください。』
無機質な機械音声と共に、扉が閉まる。あ、と思う間もなく、運転手のいないバスはその場を走り去っていった。…呆気にとられる自分を置き去りにして。
中途半端に上げていた右腕を力なくおろす。これから一体どうしろというのだろうか。荷物もない。土地勘もない。挙句、記憶まで曖昧だ。見渡せば一見普通の町並みが並ぶが、如何せん人の気配がしない。
(…気味が悪いな…)
取り敢えずこの場から離れようかと一歩踏み出そうとした途端、後ろから声がかけられた。
「おい、君!大丈夫か!」
驚いて振り返ると、妙に疲れた顔の壮年の男が焦ったように近づいてくるのが見えた。
「バスの音がしたから、もしかしてと、思ったんだ。間に、あって、良かった…!」
少し肩で息をする彼は、安堵したように笑う。此方が戸惑っているのを見ると、慌てたように顔の前で手を振った。
「あっ、怪しい者じゃない!此処に住んでる一般市民だ!少なくとも、君の味方だ!それは間違いない!」
…その言動で怪しさが二割増しになった。逃げようかと踵を返しかけたところで、勢い良く物陰に引き摺り込まれる。ほら見ろ、とばかりに声を上げようとしたら、強い力で口を抑えられた。
「しーーーっ!静かに!」
そう言いながら『味方』を名乗るおじさんは緊迫した表情で通りを見つめている。もう一度、大声を出そうと試みようとした時、ソレが視界に現れた。
様々な生物を滅茶苦茶に繋ぎ合わせて、人の形をかたどったかのような、ソレ。かろうじて二足歩行をしているものの、ズルズルと引き摺る長い尾が地面に跡を残していく。乱杭歯と言うにも酷すぎるほど好き勝手に生えた鋭い牙のせいか、垂れ流す涎が地面を汚していた。
尾を引き摺る音が聞こえなくなるまで、見知らぬ男と二人で息を潜める。よく耳を澄ましても何も聞こえなくなってから、更に数十秒。漸く口を塞いでいた手が離れた。無意識に止めていた呼吸を再開し、噎せる。目の前の男も、ホッとしたように長く息を吐いた。
「…今のは…?」
噎せながらも男に問うと、予想外の答えが帰ってきた。
「…自我を失った、元『人間』だ。」
唖然として返す言葉もない。あれが元『人間』?ただの怪物じゃないか…!
「とにかく、安全な場所へ行こう。話はそれからだ。」
半ば引き摺られるように男に手を引かれて歩く。時折、元人間だという怪物をやり過ごし、漸く辿り着いたのは、なんの変哲もない民家のガレージだった。周囲を確認してから素早く身体を滑り込ませる。
意外と広いガレージの中には大勢の住人が身を潜めていた。が、よく見れば、ところどころ『異形』なものがついているように見える。
「怖かったろう、ここなら安全だ。」
そう言いながら、ここの長と見受けられる人物が自然に右手を差し出してくるが、その手は明らかに『異形』のものだった。条件反射で握手しようとした手を慌てて引っ込めると、彼は困ったように笑う。
「…あー…、すまない、出す『手』を間違えた。」
そう告げて改めて差し出された左手はごく普通の腕だったが、警戒心が拭えない。それを見透かしたように、ここまで連れてきた男が横から割って入る。
「すまない、驚いただろ。ただ、言った通り『アレ』は元人間が自我を失ったものだ。『異形』があるから危険なわけじゃない。問題は『中身』だよ。」
「や、でも、それって見て分からないんじゃ…」
「そうだな。分からない。」
堂々と頷いた男を一瞬殴ってやろうかと思ったが、その後に続く言葉で溜飲を下げる。
「だけど、推測はできる。異形が三つ以下で自我を失った者は見たことがない。だから、念には念を入れて、このグループには異形が二つ以下の奴しか入れないようにしてるんだ。」
苦々しい顔の裏には、断ってきた人々の顔でも浮かんでいるのだろうか。ガレージの中が少々重い空気になったところで、長らしき例の男性が空気を変えるように声を上げた。
「でも、ほら!この腕、結構力持ちでね!意外と役に立つんだなー、これが!」
「それでさっきマグカップ壊したの誰だっけー?」
「ご、ごめんって!」
住人の中から冗談めかした野次が飛び、慌てる長に暖かい笑いが起きる。
「…ま、取り敢えず休んでいきな。」
そう、笑顔で肩を叩かれ、釣られたように笑顔になった。幸先はいいようだ。この先何が起こるか分からないが、ともかく、色々な話を聞きながら暫しの休息に身を委ねた。
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