帰りたいワタシの帰れない噺

Rentyth

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四つ目の命

10日目

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「………どこだ、ここ…」

 黄昏時の空の下、なんの変哲もないアスファルトの上に独り。目が覚める度に違う場所にいるのはいい加減慣れたが、いかんせん地図も何もないのは辛い。目的地も拠点もないため、『迷子』とも言えないのだが、せめて全容と現在地くらいは教えてもらいたいものだ。
 溜息をつきながら足を踏み出そうとしてたたらを踏む。足元に何か散らばっていたからだ。しゃがみこんでよく見れば、トランプ程の透明なカードに一文字ずつひらがなが書いてある。

「…う、う、ゅ、の、し、よ……?」

 さっぱり意味が分からない。取り敢えず拾い上げて並び替えてみる。

(『ゅ』ってことは…多分『しゅ』…それから…)

 なんとなく気になって地面に並べてみる。すると、ある言葉であろうことが推測できた。

「……のうしゅよう……?」

 『脳腫瘍』が恐らく答えだろう。…だからなんだと言う話だが。並べたカードを跨ぎ、今度こそ足を踏み出す。見覚えのない場所だが、『黄昏街』なのは確かだろう。根拠はないが、確信はある。
 さて、今度は鬼が出るか蛇が出るか。適当に進もうとしたところで、長く伸びた自分の影に違和感を覚えた。頭の横辺りから何かが突き出している。そっと手をやって納得した。

(……角だ。)

 あの男とは比べ物にならない大きさだが、少し湾曲した角が側頭部から生えている。鏡がないため確認はできないが、先端は相当鋭利なようだ。なぞっていた指先から生暖かい血液が滑り落ちる。傷口はすぐ塞がるが、地面に滴る液体がやけに赤く光った。…まだ、まだ自分は『ヒト』なのだろうか…?
 強く拳を握れば『棘』が突き出て、また眉を顰める。怖いという感覚すら麻痺してきている。傷つくのも、死ぬのも、殺されるのも…。先程とは違う意味で溜息をついた時、何かが近づいて来るのに気づいた。すぐそこの曲がり角の先。規則的な足音に混じって、硬いものを引き摺るような音がする。隠れる場所は、ない。だんだん近づく足音に身構える。怪物か、人間か、…あるいは…

「…おや、はじめまして?かな?」

 現れたのは、疲れた顔をした細身の男だった。だらりと力なく下ろされた両手の先からは細いナニカが伸び、アスファルトに白い線を残していた。

「…えぇ、はじめまして…」

 まだ警戒は解かずに返答を返せば、男は困ったように眉尻を下げる。

「えっとねぇ、僕は君と争う気はこれっぽっちもないんだ。信じてもらえ…ない、よねぇ…。」

 どうしようかとばかりに苦笑し、腕を上げかけた彼は、またすぐに苦い顔に代わる。指先から伸びる細長いモノが、足に引っかかったせいだろう。

「…これ…邪魔なんだよねぇ…。爪なんだけどさぁ、おちおち頭もかけやしない」

 ほら、とばかりに広げた指の先には通常の爪の代わりに刃物のように鋭利な細長いモノがついていた。その『爪』同士が当たるたびに高い金属音が空気を揺らす。

「…一つお願いがあるんだけどさ…」

 もう癖になっているのか、しゃりしゃりと爪を擦り合わせながら申し訳なさそうに男が告げる。

「僕のこと、…殺してくれないかな。」

 耳を疑った。今この人はなんて言った…?

「もう、疲れたんだ。」

 俯いてしまったその表情は伺えないが、切実な本心が吐息とともに漏れた。

「もう…、楽になりたい…。」

 ポタポタと透明な雫が男の頬を伝い地面に丸い染みを作る。

「…でも、死んだって、また繰り返すだけじゃ…」

「…君、知らないのかい…?」

 驚いたように男が涙に濡れた顔を上げる。

「死ぬ度に人間から離れてくんだ。そうすれば…自我を失える…。」

 半分狂気にも近い嗤いで男の表情が歪んだ。

「でも…自我を失うってことは…」

「『怪物』になるね。でも、いいんだ。」

 言葉を被せるように男は続けた。

「脱出か、怪物か…。楽になるのは二択なんだ。脱出なんて夢のまた夢…。足掻けば足掻くだけ、僕は化物になっていく。なら、いっそ…」

殺してくれ。

 掠れ声が鼓膜を揺らした。

「頼む…頼むよ…」
 
 弱々しく呟く男に歩み寄る。できるだけ苦しまないやり方を…、と頭を絞って考え、決めた。拳を握りしめ、腕から棘を出す。

「……ちょっと痛いですよ。」

「……慣れたとも。」

 薄く笑う彼の首にそっと腕をあて、一気に引いた。鮮やかな血が迸り、体と地面を濡らす。

『ありがとう。』

 声もなく礼を言って、男が事切れる、と同時に男の体が崩れ始める。例の爪の先からサラサラと黄昏色の粒子に変わり、やがて小さな砂の山になった。それもすぐに風で散らされ何もなくなった。
 全身に浴びたはずの液体はいつの間にか消えていて、たった今の出来事なのになんだが夢心地だ。

「…人、殺したのか…」

 今、この場で。今はイボ状になっている棘をスルリと撫ぜる。理由もわからない涙が一粒、頬を伝った。
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