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第1章 Life in Lacra Village

第10話 未来のない村

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「んん……?」

 ハジメは違和感を禁じ得ない。

(今朝からエスナの様子が変だな……。 明らかにおかしい)

 急に話し始めたり、かと思えば急に黙り込んだり。 エスナは頑張って気丈に振る舞っているようだが、精神的な動揺を隠すように取り繕っているのが見え見えだ。

 レスカも馬鹿ではないので、姉の不調を具に感じ取っていた。 しかし当のエスナが大丈夫と言い張っている以上、そこから踏み込むことはできない。

(どう考えても昨晩の密会が原因だろ……。 リバーは何やってんだよ!)

 ハジメは内心怒りを噴出させている。 昨晩あのあと良い雰囲気になったと思いきや、どうやらエスナは爆散したらしい。

(初恋……でもなさそうだけど、どうなんだ? くっそ、俺ならエスナを泣かせたりしないのに!)

 自身が好意を向けられるとでも思っているのだろうか。 ハジメは童貞にありがちな妄想を膨らませつつ、昨夜何があったのかを考察する。

 少なくとも、ハジメが目撃した時点では悪い雰囲気じゃなかった。

 エスナは恋する少女のように駆けていたし、そのつもりで彼女はリバーの元を訪れたはずだ。 どちらから誘ったのだろうか。 もしリバーが誘った上でこの仕打ちなら、ひどいなんてものじゃない。

「今日は朝食をいただきに参りました」
「げっ……!?」
「あ、リバーさん……」

 現れる闖入者──リバー。 サイズが大きいため、彼は身体を横にしながら姉妹宅の扉を潜った。

(なんで来るんだよ! てかなんで昨日の今日で来れるんだよ! 精神いかれてんのか?)

「ハジメさん、その反応はなんですか? 昨日会えなかったから寂しすぎました?」

 煽るような表情だけで言っている内容は分かる。 だからハジメは心の中でケッと吐き捨ててリバーを睨みつける。 エスナを傷つけやがって、という具合に。

「おやおや、悲しい反応ですねぇ。 ま、これからいくらでも仲良くなれますから、ゆっくり行きましょう。 ねぇ、皆さん?」
「ひぇえ……」

 レスカがリバーの言葉の意味を察して小さく悲鳴を上げた。 そして泣き出さんばかりにハジメに抱きついてくる。

「……ん?」
「お食事、用意しますね……っ」

(ほらぁ、余所余所しい。 これじゃまたレスカの相手してあげないとダメじゃん。 リバーが何て言ったかは後でレスカに教えてもらおう)

 エスナは顔を引き攣らせながら朝食の準備に入った。

 リバーはまるでここが自宅のように寛いでおり、でかい体で椅子をギシギシと揺らしている。 たった一日で異空間と化してしまった我が家に、ハジメは戸惑いを隠せない。

 それから朝食が出来上がると、リバー以外はほぼ無言で黙々と食べているだけだった。 リバーはそんな様子を無視しているのか、本当に理解できないのか、ご機嫌に話し続けていた。

「じゃあレスカ、ハジメ。 私はリバーさんとお話があるから、今日は一緒にいられないわ」
「お姉ちゃん、大丈夫なの……?」
「えっと、何が大丈夫って? 私は元気よ?」
「ううん、違くて……」

 レスカすらも姉に気を遣ってしまい、思うように話が進まない。

「そんなに私って心配な感じ?」
「なんか変だから……」
「昨日ちょっとびっくりすることがあっただけだから……。 気にしないで大丈夫よ。 ほら、お仕事に行ってらっしゃい」
「うん……」

 レスカがどうにも調子が悪そうなので、ハジメは強引に彼女の手を引いて家を出た。 恐らくハジメとレスカが居ない方がエスナも楽だろうから。

「ハジメー、お姉ちゃん大丈夫かなぁ?」
「大丈夫。 すぐ元気」
「それならいいんだけど……」
「心配、何?」
「リバーさんに変なことさせられてないといいけど……」

(エスナが妹のレスカをずっと心配させ続けておくわけがないだろ。 すぐにいつもの姉に戻るさ)

 ハジメはそう言いたかったが言葉に変換できなかったので、ガシガシとレスカの頭を撫でてやった。 日本の路上でこれをやったら犯罪だが、レスカは家族なのでこれくらいは許されるだろう。

「もっと優しく撫でて!」

 怒られてしまった。 しかし、少しはレスカの気も紛れたようだ。

 ハジメは後ろ髪を引かれるような思いを抱えながら、本日も労働に勤しむのだった。

「落ち着かれましたか?」
「いえ……あ、はい……」
「どっちですか?」

 エスナとリバーは東の山に分け入っていた。 昨日の話の続きをするためだ。 なぜなら、エスナが魔人の正体を実父だと知ったあたりで話は頓挫してしまったから。
 
『──彼の名前が、ヤエスというらしいのですよ』
『……え……』
『ここからは私の想像になりますが……おや?』
『え……ちょ……っと、でも、そんな……』

 エスナはリバーの言葉を咀嚼しきれず、それでも飲み込もうとし続けたので半ばパニックに陥ってしまっていた。

『大丈夫ですか?』
『お父さん……え、嘘……だって死ん……ぅッ』

 そうしてようやく言葉の意味が脳に届いた時、エスナは吐いた。 涙と鼻水と吐瀉物を撒き散らしながら、全身を痙攣させて意識を放り投げた。 それは、抱えきれない事実を忘れるための反応だったのかもしれない。 しかし彼女がしばらくして目覚めた時、そこにはまだリバーが居たため、先程のやりとりが夢ではなかったことを思い知った。

 エスナは泣きに泣いて、嘆き散らかした。 そのような醜い存在になってまで生き続けている父を想像して、世界を呪った。 そこからはエスナが話すらできない状態だったので、では明日ということになって今に至っている。

「お聞きしたいんですが……リバーさんは、どうしてそれを私に教えたんですか……?」

 知らなければ幸せだったかもしれないのに。 暗にエスナはそう言っている。

「ここで生き続けるのであれば、いずれ知ることになった事実かもしれませんので」
「そんなに事実を知ることが大切なんですか……?」
「すいません、これは私の意見の押し付けでした。 ですが、知らないで後悔するよりは知って後悔する方が良いのではないかと」
「それは本当に、余計なお節介ですよ……」
「そうですか? これまでエスナさんは何も知らずに生きてきた。 だからこそ現実を不条理だと感じていたのではありませんか?」
「そんなこと、分からないです……」

 エスナは何も分からないまま生きてきた。 何かを分ろうとする機会すら奪われてきたのだ。

「確かに、知らないでいることは一般的には幸せかもしれません。 誰だって難しいことを考えたくはないし、できることなら自分の知らないところで全てが穏便に解決してくれれば良いと思うはずです。 しかし、私はそれを幸せとは考えません。 だってそれは、見なかったことに対して喜ぶことや悲しむ機会すら捨てているということなんですから」
「私は、父のことなど知ることなく……できれば穏便に暮らしたかったです……」
「今までの生活が穏便だとでも? 自分を押し殺して他人の幸せを願うことを、穏便などとは決して思いませんよ?」
「でもそうしないと駄目なんです……。 そうでもしないと、幸せの分量は限られているから……」
「姉の不幸で得た幸せを、レスカさんは本当に喜ぶでしょうか?」
「あの子は何も知りません! 私が我慢すればレスカは幸せになれるはずなんです!」

 世界の幸福の量は限られているが、不幸の分量は計り知れない。 エスナはそれを知っていて、いくらでも自分が不幸を浴びるから代わりに少量の幸せをくれと願い続けている。 その不幸にエスナがどこまで耐えられるかまでは分からないのに。

「しかしいずれはレスカさんにも気付かれますよ? その時に何て説明するんですか?」
「レスカの幸せを眺めることが私の幸せですから、知られないようにします……」
「昨夜、エスナさんはご自身の幸せを願っておられたようですが?」
「意地悪言わないでください……。 あれは気の迷いでした……」

 少し空白の時間が流れ、間を埋めるようにリバーがポツリと溢した。

「エスナさんの発言について、あの後少し考えてみたんですよ」
「えっと……?」
「私なんかのことを好きって言ってくれたじゃないですか?」
「え、ちょ、ちょっと! もういいですから……! 忘れて……忘れてください!」
「忘れないですよ。 あの言葉は心地の良いものでした。 だからそれに対しては真摯に応えたいと思っています」
「そう言ったら、私が協力すると思っているんですか……?」
「いえいえ。 ただ、エスナさんには幸せになっていただきたいな、と」
「私の幸せは、レスカが幸せになることです。 私のリバーさんへの想いはその次くらいで……」

 うーん、とリバーは首を傾げ、続けた。

「軽い気持ちで告白されました、私?」
「そ、そんな、決して軽くは……! でも一番はレスカの幸せですから……」
「エスナさんが幸せになったら、レスカさんも幸せなんじゃないですか?」

 リバーは唐突にそんなことを言う。

「えっと……リバーさんが私の気持ちを受け止めたら、私が幸せになれる。リバーさんは本当にそう思っているんですか?」
「はい。 昨夜のエスナさんはそれを望んでいましたし」
「すごい自信家ですね……。 でも、他人に好意を向けられることは幸せなことだと思います。 それを受け取ってもらえることも……」
「エスナさん自身は幸せになりたくないんですか?」
「それは……なれるならなりたいですけど……」
「じゃあこの村から一緒に逃げますか?」
「え……?」

 突飛な提案にエスナは驚く。 そんなこと、考えたことはあっても実行できるものだとは思っていなかったからだ。

「この村にいてはなかなか幸せはやってこないでしょう。でも逃げ出せば皆幸せになれるかもしれませんよ? エスナさんとレスカさんのお二人であれば私だけでも養っていくこともできますし」
「そんなこと、できるんですか……?」
「難しいでしょうね。 この村が貴重な魔法使いを手放すとは思えませんから。 それでも、無理矢理にであれば逃げ出すことは可能だと思います。 そうすればエスナさんは今までのことを全て忘れて新天地で新しい人生を歩むことができますね」
「そんなおいしい話……」
「過去の全てに目を瞑り続ければ可能でしょう。 ただその場合、ここに残された人々はいずれ魔人の餌食になるでしょうね」
「リバーさんはそれを言いたくて、私に父の件を伝えたんですか……?」

 ようやく色恋話を経て本題に戻る。

 ややこしい話になる、と前置きしてリバーは話し始める。

「まず現状、魔人を倒すためにはエスナさんの力が必須です。 ですがエスナさんが魔人の正体を知らずに戦いに挑んでその最中に事実を知った場合、恐らく精神的動揺から作戦は失敗します。 それを避けるために事実の伝達は必須でした」
「事実を知れば私は協力する、と……? 協力しない可能性も十分にありますよ?」
「エスナさんの協力を得られないのであれば、私たちはその危険度からこの案件に手を出しません。 勝てる見込みのない戦いに赴くほど私たちは命知らずではありませんから。 その場合、私たちはこの村を一旦見捨てることになり、エスナさんたちはご自身で対処せねばならなくなります」
「対処とは……」
「私たちは魔人の存在を村に伝えて去り、その後は村の裁量に任せる形になるでしょうか。 村ごと移住するなど難しい話ですし、魔人の存在を国に訴えてたとしても辺境の村の話など誰も相手にしてくれないでしょうね。 この場合は、魔人が活性化して襲ってこないことを祈りながら怯えて暮らすくらいが関の山ですね。 もしかしたら勇者などが派遣されてくるかも知れませんが、こんな場所までやってくるほど彼らも暇ではありません」
「そんな……」
「ですが、もし私たちが本国の勇者などを連れて戻ってこられるのであれば、生きられる未来はあるかもしれません。 それでも様々な手続きや移動期間などから、3年から5年は確実に掛かります。 その間に魔人が暴れない保証はあるでしょうか?」
「……」
「最後に私が魔人の件も何もかも伝えずにここを去った場合、これがもっとも魔人に怯える心配はありませんでした。 ただその場合でも、いずれは魔人が人を襲い始めるでしょうから、近いうちに死ぬことには変わりありませんね」

 あらゆる未来の可能性に、絶望しか見えない。 エスナは言葉が出なかった。

「エスナさんが不幸にならない道筋は二つ。 全てを捨ててここから逃げ出すか、魔人を倒すか、それだけです」
「でも、逃げ出すなど……」
「先程も言ったように、これから全てを振り返らずに生きられるのであれば可能かもしれません。 ですが、何も知らなかった状態で私が一緒に逃げようと言ってもエスナさんは付いてきたでしょうか?」
「それは……分かりません」

 エスナに待っていた可能性は4つ。 何も知らずに死ぬか、魔人の存在を知って村ごと逃げ出すか、魔人が討伐されるのを待つか、魔人と戦うか、だ。

 村ごと逃げたとしても今以上にエスナの生活が良くなる可能性は限りなくゼロに近い。 どこかへ移動する以上、生活基盤を固めるための時間も労力も必要だし、村ごと移動するのだから、村の中の関係性はそのままだ。

「逃げる可能性を提示したのは、エスナさんが私に好意を持つという事象が生じたから。そしてエスナさんが魔法使いだからです。 ただの村娘のあなただったら、この可能性は生じていません」
「魔法使いというのは、そんなに……大事なことなんですか?」
「ええ、エスナさんが思っている以上に。 だから村はあなたを文句も言えない状態に追いやってまで飼育しているのです。 村長がエスナさんをどのような目的で用いようとしているかは分かりませんが、このまま同じ生活を続けていてもこれ以上生活が良くなるはずはありません」
「私が魔法使いとして大成すれば……?」
「魔法使いとは謂わば暴力装置です。 エスナさんが目に見えて村長たちを力で脅せるようになった場合、彼らはエスナさんを処刑しようと動くでしょうし、それが無理ならレスカさんを盾にして言うことを聞くように強要してくるかもしれません。 そしたらエスナさんは仕方なく村人を虐殺するという事象が生じるでしょうから、どうあっても良い未来にはならないですよ?」

 まるでエスナの未来を見てきたかのような言い草だが、そう言われるとエスナにも想像できてしまう。

「力を持つ者はいずれそれを発揮する場面が訪れます。 その矛先が人間ではないと言い切れますか?」
「だから今ここで逃げるか、戦うかの二択なんですね……。 ここに残り続けても、魔人に殺されるか村人に殺されるか、もしくは私が殺すかしかないんですから」
「そうです。 逃げる場合は、ここの住民には死んでもらう覚悟で。 でも戦うことを選択して勝つことができれば……村人は死なず、なおかつ恩赦を勝ち取って良い生活につながるかもしれません」
「明るい未来のためには、戦うしかないということですか……」
「その通り」

 エスナはそれでも迷う。

 戦うことが幸せにつながるとはいえ、魔人との戦いで命を落とさないという確証はない。 もしエスナが死んでしまえば魔人の脅威は去ることなく、それはレスカの死にもつながる。 そうしたら誰がレスカを守るのか。 エスナがいなければ当然レスカは路頭に迷うだろうし、今のレスカ以上に酷使させられることは間違いない。

 もし今後レスカが魔法技能を得たとしても、やはり村に飼育される未来しか見えない。

 どうしてこうも未来は暗いのか。 唯一の明るい未来が、命懸けというのが正直まだ理解できないのだ。

「私が死んでも、レスカが幸せになれる未来はありますか……?」
「うーん、そうですねぇ……手配しておきましょう」
「具体的に安心できないと……リバーさんのお誘いに乗ることはできません……」
「ま、それもそうですね。 レスカさんのことは私が組織にお願いしておきます。 もし私たちが死んでしまった場合には、ハジメさんごと回収しておくように伝えておきますよ」
「……えっと、なんでハジメが?」

 ハジメの急な出現に、エスナは意味がわからない。 ただ決して、彼に助かってほしくなくてそう言ったわけではない。 単に彼の登場が理解できなかっただけだ。

「私たちの本来の目的はハジメさんでした。 私は物質的な何かかと思っていたのですが、まさかトンプソン様の言う通り人間が落ちてきてるなんて考えられないじゃないですか。 いやー、びっくりでしたよホント」

 理解させる気がハナからないようにリバーは述べ立てる。 エスナもポカーン、だ。

「え、えっと……?」
「私たちの組織のトップが探していた人物がハジメさんだったので。 彼と一緒であれば恐らく、遺伝的に魔法技能がいずれ発現するであろうレスカさんはどうにかなるはずです。 レスカさんがここで死んでいくという未来にはならないと思いますよ」
「それなら、えっと……約束、してくれますか……?」
「ええ、約束しましょう。 魔法使いにとって契約は大切なものですからね。 エスナさんもやはりしっかりと魔法使いだったようだ」
「いえ、そういう意味は……」
「ただ、そんな約束をするよりも、死なない約束ができるようにしようじゃありませんか」
「それは、そうですけど……」
「とりあえず私の案には賛成ということでよろしいですか?」
「……はい。 できる限りのことはお手伝いします」
「頑張りましょう、明るい未来のために」

 やけに元気なリバー。 エスナはそれを見ても苦笑いしかできなかった。 だってその過程には命懸けの試練が待っているのだから。

「リバーさん、もうお身体はよろしいのですか?」

 エスナと約束を取り付けたのち、リバーは村長宅を訪れていた。

「ええ、貴重なポーションを頂きましたから。 フエンさんの方はまだ掛かりますが」
「そうですか、やはり魔物とは恐ろしい……」

 そんな日常会話を投げ合うためにやってきたのではない。 明確な目的があってリバーはここにいる。

「今日やってきたのはですね、大事なお話があるからなんですよ」
「実は儂どももお話がありまして……」

 リバーが切り出すと、村長メレドも話題を抱えていたようだ。

「おや、そうでしたか。 ではそちらからお話ししていただいても?」
「分かりました。えー、先にポーション代のことをお話しておこうと思うのですが、よろしいですか?」
「なるほど、あれは村の財産でしたか。 確かに得体の知れぬ私などに使ったとなれば、村人から不満が噴出するのも頷けますね」
「あ、いえ……儂どもはそのような……」

 見透かされたような発言にメレドは視線を下げる。 その仕草はそれが事実だと白状しているようなものだ。

「あいにく私は回復ポーションを持ち合わせておりませんので、お代は現金でよろしいですか?」
「それは大変ありがたいのですが、購入のための移動費なども考えると……」
「ではそれも含めて請求してください。 金銭であればある程度の持ち合わせがありますので」
「そ、そうですか……。 では金額がはっきりしましたらお仕えいたします」
「了解しました」

 確かに治癒──回復ポーションは高価だ。 これはマナポーションとは違って全ての人間に恩恵があるシロモノだし、生産数もそれほど多くないことからそれ相応の価値がついてくるのは当然。 実際にその恩恵を受けているリバーが言えた立場じゃないが、小銭程度でいちいち喧しい連中だなと思ってしまう。

 リバーはこんなくだらないことに掛けている時間も暇もなかったので、言い値で払うと約束してやった。 すると途端に顔を綻ばせるメレド。 リバーは辟易としながら自分の用事を済ませる。

「それではリバーさんのお話をお聞きしましょう」
「ありがとうございます。 ……実はですね、5年前に多くの方が亡くなった時のことを詳しくお聞きしたいのですよ。 エスナさんの父──ヤエスが引き起こしたという、その事件のことを」
「え、なッ……そ、それはその……」
「どうして狼狽されているのですか? 私が知っていては不思議ですか?」
「な、なぜその名前を……?」

 やけに小声で聞いてくるではないか。 それほどまでに知られたくない事態なのだろうか。

「本人が自分で名乗ってましたからね」
「……え?」
「先日魔物にやられたと言ったんですが、あれは実はヤエスという名の魔人にやられたんですよ。 西の山向こうで元気に活動されていたみたいですが、ご存じでしたか?」
「え……っと……」

 驚きで声が出ないメレド。

「話せないなら私が話しましょうか? 5年前、ヤエスは西の山向こうに異変を訴えた。 あなたたちはそれを諌め切れず現場に向かい、そして事件は起こった。 そしてあの巨大な木のあたりでヤエスが村人を惨殺した、というところですかね」

 これはリバーが得た情報で組み立てた、単にそれっぽい話だ。 それでもあの老木の周辺には多数の人骨が転がっていたし、それらは人間の手では不可能な傷を叩き込まれていた。 リバーはヤエスが狂って村人を殺し回ったという線で見ているが、どうだろうか。

「唯一逃げ延びた者と儂以外には、それを知る方法はないはず……。 一体どうやって……?」
「魔法使いは何でも分かるんですよ」
「そう、ですか……。 ヤエスが魔人に……」

 今回は単に情報が噛み合っただけのことだ。 しかし案外リバーの予想は的を射ていたらしい。 ただ、ヤエスが魔人だということは知らなかったようだ。 後々狂って魔人になったということだろう。

「とにかく、魔人ヤエスは未だにあの場所にいます。 どうされますか?」
「どうするもなにも……」

 駄目だ、とリバーは頭を抱える。 この村は村長がこれだから危機感がない。

「いずれあれは手当たり次第に人間を殺し回りますよ。 そこで一番に犠牲になるのはこの村です」
「そ、そんな……。 どうにかできないのですか?」
「お国の勇者様にお願いしたらどうですか? もしくは血気盛んな魔法使いでも見つかればどうにかできるかも知れませんよ?」
「儂の村にそれらを雇うお金など……」

 やはり駄目だ。

(この方たちをこのまま放っておけば、何もせず何もできず、手をこまねいている間に滅ぼされますねぇ……)

 確かにヤエスを刺激してしまったのはリバーだが、そうしなくてもいずれ彼はここへ至る。 それが遅いか早いかだけの問題だ。 しかしそれを伝えるつもりはない。 お前らのせいで、などと言い出したら面倒だからだ。

「ここから村人全員で逃げれば良いのでは?」
「儂らを受け入れる余裕のある街や村などあろうはずがありません。 近隣の村ですら合併などの案を一切取り合ってくれませんから」
「ではどうされるおつもりで?」
「それを今から村全体で考えて……あ、リバーさんたちならどうにかできないのですか?」

 ようやくそこに思い至ったようだ。 だが、すでに一回負けている。 メレドはリバーたちが本当に勝てると思って言っているのだろうか。

「まぁ、場合によっては可能ですが」
「それでは是非お願いできないでしょうか?」
「金銭はどうされるおつもりで? 金を出すくらいならここから離れると言い出す者も多いのではないですか? 魔人の駆除など並大抵の仕事ではありませんよ?」
「ではどうすれば……」

 やはりメレドは村人全員をコントロールするのはできないらしい。 むしろこのことを話せば、村が一気に離散してしまう可能性もある。 リバーはそれならそれで構わないのだが、エスナを連れていかれると困る。

「ではこうしましょう。 私たちも現時点で魔人に勝てる確証はありません。 ですので、しばらくここで準備をさせてもらい、その上で成功したら報酬を要求します。 私たちが失敗した場合は金銭を要求しません」
「それなら……魔人を討伐していただいた後でしたら、なんとか村の者も納得させられるでしょう」

 この案なら、たとえリバーたちが失敗しても村に大したリスクはない。 それに、魔法使いが討伐できない魔人がいるということであれば、村人全員で逃げ出すという流れになるはずだ。

 「まぁ、失敗した時点でもうどうしようもありませんので、その時は逃げ出すくらいのことは考えてください」
「そうさせてもらいます」
「それでですね、魔人を倒すためにはエスナさんの力が必要です。 魔人討伐まではエスナさんを私たちで鍛えるので、それまで彼女をあらゆる制限から解放してもらいますね」
「な、なぜエスナが……?」
「参加する魔法使いは多い方が良いですから。 それに、エスナさんの許可もすでにとってあります」
「しかし、それでは村の労働が……」
「村娘一人程度の労働力などたかが知れているでしょう?」
「いやしかし、エスナの魔法がなければ──」

 メレドの言葉に被せるようにリバーは言う。

「先日空から確認しましたが、河川も近くにありましたし、山頂あたりは湧水も確認できました。 あれなら誰の足でも問題なく向かうことができる距離だと思います。 川から水を引くのが難しいにしても、誰かが汲みに向かえばよろしいかと」
「しかしですな……」

 なおも渋るメレド。 どれだけエスナに依存しているのか、という話だ。

「それなら村には暇そうな子供がそこそこ居たので、彼らにやらせれば良いでしょう。 レスカさんが働いてるのに、同年代の子供が楽しているのはおかしいのでは?」

 リバーは意地悪く攻め続け、最終的にメレドは陥落した。 結果として魔人討伐までという期限付きでエスナを重荷から解放できた。 しかしそれは彼女を慮ってということではなく、戦力として鍛えるためだ。 それはもしかしたら単純な労働よりも辛いかも知れないが、選択したのはエスナだ。 すでに魔人討伐に対する動きが始まってしまったわけで、今更撤回することなどできないのだから。
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