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第1章 Life in Lacra Village
第11話 特訓
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特訓が始まった。 急に、それも意味が分からないうちに。
カーン、カーン──……。
ハジメはひたすらに斧を振り乱して木に傷を刻んでいる。
「ハジメさんは手始めに木を100本切り倒してきてください」
なぜなら、リバーがそんなことを言い出したから。
(ふざけてるなぁ……)
それがハジメに与えられた使命。 要約すると、お前は貧弱だから体を鍛えろということ。 その最短ルートがこれらしい。
「ああああ! 終わりが見えん!」
ハジメは今まで木をひとりで切り倒した試しがない。 そのためまずは効率的な伐採方法から知らなければならない。 そしてその前提として斧を余裕で振るうだけの体力づくり。
「ハジメ、頑張ってるねー」
定期的に訪れるレスカがハジメを癒してくれる。 彼女がいなければ、とっくにハジメはサボっている。
現在ハジメの仕事は木を切ることだけ。 それ以外はするなと言われている。 永遠に一つのことをやり続けろというのは、なんと忍耐力の必要なことか。 もし切り倒した後に全てをもう一度生やし直されなどしたら──賽の河原のようなことが起これば、おそらく心がポッキリと折れてしまうだろう。
(リバーならやりかねん! にしても、なんで俺まで特訓なんだよ……!)
カーンッ──!
怒りはそのまま斧のスイングに。 今日一番の切れ込みが刻まれている。
「はァッ……はァッ……」
森の中で動いているだけだというのに、まるで炎天下の中にいるように汗が滴り落ちる。 こんな時にエスナがいてくれたら、魔法で冷やしてくれるのに。 しかし彼女はリバーやフエンという子供と絶賛特訓中だ。 なにやら全ての仕事をほっぽり出して魔法育成に専念するのだとか。 それをリバーが村長に直談判して、なんと受け入れられたらしい。
(エスナが魔法を鍛えれば最終的には村にも恩恵が大きい、ってことだよな? そうでもなきゃエスナが村の縛りから逃れられるとも思えないしな……)
リバーの行動力には驚くばかりだ。 これこそ彼とハジメの差だろう。
ハジメはこの村に来てから自分のことしか余裕がなかったのに、リバーはサッとやってきてエスナに笑顔を齎している。 これが力ある者と、そうでない者の違いなのだ。
ハジメは生活能力すらなく、行き当たりばったりの行動ばかりだ。 誰かがいて、そこでようやく生きることができるような弱者。 それでは誰も笑顔にできない。 ハジメは自分の無力さをつくづく痛感させられ、やる気を失いそうになってしまう。
(レスカはリバーを怖がってるけど、いつか彼女もリバーに靡くのかな……)
だからだろうか、こんなことすら考えてしまう。
「ッ冷てっ!?」
息を整えながらぼんやりショックを受けていると、頭から水をぶっかけられた。 犯人はレスカだ。 さっき桶を抱えているのが見えたし、そこに入っていた水をぶつけてきたのだろう。
「あはは! 暑そうだったからかけてあげたよー」
「怒る!」
「あたしは親切にしてあげたの!」
「許す」
「ならよろしいー」
未だにハジメは言葉が苦手だ。 でも少しずつ上達してきているのは自分でもわかるようだ。 エスナが魔法特訓に専念していることもあって、ハジメはレスカと二人でいる時間が増えた。 というより、一日の大半を彼女と過ごしている。
ハジメは今やレスカと本当の兄と妹のような関係になったと思えているが、まだまだ彼女の身体には慣れない。 最近では一緒に水浴びをしようと言ってくる始末だし、そろそろ限界が来てもおかしくないのだ。
エスナとリバーの密会から、ハジメはレスカを妹として守っていこうと思えた。 しかし元々は他人で、本当に家族になったというわけではない。 だからハジメはなるべく劣情を催さないようにと自分に言い聞かせて家族として振る舞おうとしているのだが、それを超えてくる勢いでレスカは身体を擦り寄せてきている。 エスナと会えない分をハジメで補おうとしているのだろうが、それではハジメの覚悟も揺らいでしまうというもの。
「ハジメ、身体頑丈になってきたね?」
気づけばレスカがそんなことを言いながらハジメに抱きついている。 最近は忍のように近づいてきて背後を奪ってくるから困る。
「汚い」
「別に汗は汚くないよ? だって頑張った結果なんだから」
「……ふん!」
「わ、ちょ、ちょっとー!」
ハジメは恥ずかしさを紛らわせようと頭を振り乱した。 髪に付着していた水分が飛沫となりレスカに襲い掛かる。
一旦彼女の身体が離れてくれた。
「仕事する」
「えー、もうちょっとくっついとこうよー」
(まずい、これは非常にまずい! スキンシップが激しすぎる!)
ハジメは焦っていた。 せっかく休憩と水分で身体が冷えてきたというのに、身体の一部分だけは常に熱を持ったままだから。
(これはまさか……。 さ、誘っているのか……!?)
そう思うと、レスカの身体がすごく艶かしく見えてしまう。 痩せた身体に不釣り合いな果実をぶら下げた少女。 この世界では成人は15歳かららしいし、問題が無いといえば問題はない。
これまでの生活で彼女の肌はほぼ全て見てしまっているし、彼女もそれを隠そうともしない。 天然なのか、それともわざとなのか。
(落ち着けぇ、落ち着け俺ぇ……。 エスナが特訓してるのにそれはまずいだろ冷静に考えて……)
「ふぅ……」
(言っておくが、今俺は別に何もやってない。 これは気を落ち着けるために息を吐いただけだ)
「ハジメどうしたの?」
「続きやる」
「もー、真面目だなぁ」
そっとレスカを引き剥がして、ハジメは再び斧を振るった。
1本切り倒すのに4時間超。 それがその日の限界だった。
まず斧が悪い。
(リンカーンも言ってただろ、『木を切るために6時間もらったら、斧を研ぐのに4時間、切るのに2時間使う』って)
いつもの倍以上の疲労を抱えつつ、ハジメは家に戻った。
もはや腕が上がらないし、一発目に入れた切り口の高さが悪かったのか腰も異常に痛い。 ぼーっとする頭で食事を流し込みつつ、食後は水浴びをして寝床に入った。
流石に今日は晩に特訓する元気はなく、レスカが忍び込んでくる前に眠ることすらできた。 翌日にレスカから謎に怒られたが、ハジメは訳がわからなかった。
▽
ハジメが木を切り付けている頃──。
「本当にいいんでしょうか……?」
「お仕事ですか? 大丈夫ですよ、村長の痛いところを突きまくったら余裕でしたから」
「えぇっ……」
「お気になさらず。 とにかく魔法です! 一に魔法、二に魔法、三四に魔法、五に魔法の生活を始めますよ」
「えっと、何をすれば……?」
「まずは使える魔法を見せてください」
「は、はい」
現在リバーとエスナは魔法の特訓を開始している。 フエンがここに居ないのは、彼女が怪我で動きづらいということもあるが、彼女は彼女で別の場所に赴いているからだ。
対魔人戦においてはフエンの風魔法による攻撃が要であり、魔人の魔法防御を貫いて確実にダメージを与えるには現状彼女の攻撃力は不足している。 そしてマナの総量も。 だからフエンは傷ついた身体を押して人の近づかない山奥へ出向き、環境を終わらせない程度に魔法をぶっ放している。
「《風刃》、《風刃》、《風刃》──」
これまで必要な場面でしか使わなかった魔法を、一日中マナの続く限り使用する。 それによって魔法それぞれの使用感が増すばかりか、マナ総量も増えるという寸法だ。
しかしまだまだ魔法には謎が多い。 この世界で魔法使いが希少な存在であるということと、そんな中で研究に携わりたいと考える人間が少ないからだ。 あとは魔法使いが基本的に短命だということも大きな理由だろう。 彼らの仕事は危険地帯の探索だったり魔物や魔人の退治だったり、しまいには戦争にまで駆り出される始末。 これでは魔法の発展は難しいし、魔法が個人技能の枠に収まってしまうのも頷ける。
数発の風刃によって、ようやく一本の木が倒れた。
「はぁ……はぁ……攻撃力が、足りないのです……」
魔人により振るわれた《水刃》。 フエンはあれと同等もしくはあれ以上の威力を期待しているが、どうにもあの域に達せられる気がしない。 何かが足りない、などというそんな問題ではない。 そもそもあの場所まで至れないという感じだ。 それでも水属性に対して風属性が有効なのは確か。 有効打を確実な有効打として昇華させるための何かを、フエンは見つけ出さなければならない。
「これでは……フエンの性格では、どうにも攻撃的にはなれないのです」
フエンの魔法は、風属性の中でも探査系に寄っている。 それは彼女の──鬱屈とした狭い世界から逃げ出して広い世界に飛び出したいという願いから生じたものだ。 最初に発現した魔法も《浮遊》であり、基本的には発現した順に魔法は伸びやすいとされている。
「《魔弾》も《魔刃》も《爆発》も、誰でも使えるタイプの魔法は成長しなさすぎておこなのです」
それらは各属性の基本魔法というべきか。 しばらく魔法を使っていれば自然に身につくものであり、見ることによっても覚えられるタイプのものなので、本来はあまり差の出ない部門である。 そこで何故魔人と差が生まれているかというと、それは使用者本人の技量に依るところが大きい。 使用者の基礎値が高ければ、基本魔法だろうともそちらに引っ張られるという仕組みだ。
魔人という存在はそもそもが魔法の使用に長けた種族。 だからこそ、単なる基本魔法であれほどの差が生まれたというわけだ。
「下位の水属性のくせに、リバーさんの闇属性と同等以上の威力の《魔弾》を撃てる時点で強すぎ、です」
魔法にはそれぞれ階級が存在する。 下位属性と呼ばれるものには、火、水、風、土の四属性が入る。 次に中位属性には、光と闇の二属性。 そして上位属性としての空間属性がある。 その他にもこれらから派生した特殊属性など様々あるが、基本的にはこの七種類の属性に収まるようになっている。
フエンが言っているのは、カーストとして下位にいる水属性が中位属性に匹敵しているという事実についてである。 これならフエンが戦うよりもリバーが戦った方が良いのでは、と考えなくもない。 とはいえ、攻撃力が底上げされているからといって防御力も高いという話にはなり得ない。 そこが有利属性と弱点属性を規定する要因にもなっており、普通に考えれば風属性は水属性に特効である。 あとはどのように有効打を叩き込むか、だ。
少なくとも手数としてのマナ総量は重要だし、なんとか練度を上げて攻撃力を上げることも重要だ。
いずれにせよ最低限やるべきなのは、ひたすら魔法を使い続けること。 その上で新しい魔法の可能性を見出していかなければならない。
「やっぱり癖になる味わい、です」
フエンはマナポーションを呷ると、再び魔法を連打し始めるのだった。
一方、リバーの現場では──。
「えっと、使ったことがない?」
「水を供給する以上の価値を魔法に見出せなかったので……」
リバーは驚いていた。 なにせエスナが基本魔法すら使ったことがなかったのだから。
「でも一度くらいは……」
「先生の目の前で何度かはありますけど、実生活で使う機会がないですよ。 そんなことに使っていたら、供給に回すマナが足りなくなりますから……」
「でも最近調子が良いとおっしゃってませんでした?」
「それは、はい。 最近になってようやくマナの量が増えてきたようなので、一日のうちに各家を回って水を供給しても余るくらいにはなってきましたね」
「それはちなみにいつ頃から?」
「本当に最近です。 ここ1、2週間ほどでしょうか」
「きっかけなどは思い当たらないです?」
「いえ、特には……」
うーん、とリバーは頭を悩ます。
エスナは予想以上だった。 予想以上に、使えなかった。
「で、ではひとまず実践で確かめてみましょう」
「は、はい」
「私が《魔弾》を木に打ち込みますので、同じようにやってみてください」
「わかりました」
エスナが右手の甲にマナを込めると、青く燻んだ魔道書が姿を現す。
「では……《闇弾》」
リバーが魔法を唱えると、高速で魔弾が射出された。 それは幅30センチほどの細い木の幹に触れて、簡単にその幹をへし折った。
「わっ……!? す、すごいですね……」
「ではエスナさんもどうぞ」
「は、はい……! 《水弾》」
それはギリギリ真っ直ぐ、なおかつヒョロヒョロと魔弾が木に至ると、木を軽く揺らしただけで水滴を弾けさせた。
「これは……」
「ど、どうでしょう……?」
「……駄目ですね」
「え、えぇ……」
魔人を倒す、と勢いでスタートした魔法特訓。 前途多難な始まりに、リバーは頭を抱えるしかなかった。
その日の夜──。
「お姉ちゃん!」
「ど、どうしたの……?」
レスカが急にすごい剣幕で怒りをぶつけてきたことに、エスナは狼狽してしまう。
「ハジメが先に寝てた!」
「ま、まぁ……そんな日もあるんじゃない?」
「約束してたのにー!」
「……約束してたの?」
「あ、約束はしてなかった! けど、今日はおやすみも言ってないからやだー!」
「やだって言ったって、ハジメも疲れてるのよ。 今日はずっと木を切ってたんでしょ?」
「うんー……でも、おやすみないのは悲しい……」
「あー、ほら泣かないの。 こっちおいで?」
「うん……」
エスナはレスカをそっと抱き締める。 レスカは大泣きほどではないが、時折こうして感情が形として噴出する。 こうしていると、そういえば最近こう触れ合っていない気がする、ということにエスナは思い至った。
「落ち着いた?」
「うん……」
「なんかこうするのも久しぶりね。 最近はずっとハジメにレスカを取られてたから」
「悲しい?」
「ちょっと悲しい、かな?」
「えー、ちょっとだけー……?」
「うそうそ、とっても悲しい! えーん、えーん」
「お姉ちゃん泣くの下手ー」
「だってお姉ちゃんだもん、泣かないわよ」
「あたしすぐ泣いちゃうけど、お姉ちゃん強いねー」
「えっへん」
久しぶりの姉妹の会話。 今までは当たり前だったのに、こうして命の危機を感じながら生活し始めると、エスナはそれがとても大切なものに思い始めてきた。
(あ、そう……か。 そうだったんだ……。 私てっきり、自分がずっと不幸だと思ってた。 けど……)
当たり前を特別なものと認識できた時、人はそれを幸福と感じるのだ。 エスナは目頭が熱くなるのをレスカに見られないように、より一層彼女を抱きしめた。
「お姉、ちゃん……苦しいよ?」
「お姉ちゃん、レスカが大好きだから抱きしめちゃった」
「それなら許すぅー」
「良い子ね。 レスカもお姉ちゃんのこと好き?」
「うん、大好き! だからずっと一緒にいるもん!」
「じゃあずっと一緒ね?」
「やったー! ハジメも入れて三人家族ー」
「レスカはさ、ハジメのことも好きなの?」
「うん! あ、でも……」
「どうしたの?」
「うーん……お姉ちゃんの好きとはちょっと違うかも。 よくわかんないけどー」
「そう、なんだ?」
「うんー。 じゃあお姉ちゃんはリバーさんのこと好きなの?」
「え……!? え、えっとー……そんなこと──」
無い、と言いかけてエスナは言葉を飲み込んだ。 何を恥ずかしがって大好きな妹に嘘をつこうとしているのだろうか。 先日は本心からリバーに告白したはずだ。 それに対してリバーも真摯に考えてくれると言っている。 それなのに、自分は何を──。
「そんなこと、あるかな……」
「やっぱりー」
「……あれ? レスカには分かっちゃった?」
「ずっと一緒なんだから分かるよーだ! 何年お姉ちゃんの妹してると思ってるの!?」
「そっ、か……。 そうね、レスカにはお見通しね……」
「どこが好きなのー? あんなにお顔が怖いのにー」
「お顔は別に嫌いじゃないけど……なんていうか、内面……?」
「そうなんだー」
「レスカはハジメのどこが好きなの?」
話の流れに合わせてエスナも聞いてみた。 レスカははっきりとした恋愛感情を実感していないようだが、姉のエスナにはわかる。 レスカのそれは、恋だ。 と言っても、それはまだほんの淡いもの。
レスカが本当にハジメを好きになるのはもっと先のことかもしれない。 しかし、確実にレスカの恋は始まっている。 まだ歩き始めたばかりのそれをずっと眺めていたいと考えると同時に、もしかしたらそれを見届けられないかもしれないという不安もエスナの中に湧いてきた。
「えっとねー、お姉ちゃんみたいに優しいところとー、たまに撫でてくれるところとー、抱きしめてくれるところとー、あとはー……」
エスナの知らない間に事態は進行していたらしい。
(撫でるって何? 抱き締めるって何なの……?)
エスナは知らない。 レスカがハジメに肌を晒しながら着替えていることを。 もう全身ほぼ全てハジメに見られてしまって──いや、見せてしまっていることを。
(あとは……? あとはなに……!?)
「頑張ってるところ!」
「が……ん?」
求めていた答えと違い者がやってきて、エスナはずっこけそうになった。 求めていたといえば語弊はあるが、まぁ、そういうことだ。
「ハジメは真面目になんでもやるから好きー」
「そう、ね。 とっても良いことだと思うわ」
「ほんと?」
「うん、本当よ」
「じゃあ明日ハジメに、お姉ちゃんが褒めてたって教えてあげよーっと」
「うん、そうしてあげて」
「そうするー」
「じゃあそろそろ寝よっか? 今日はお姉ちゃんと寝る?」
「うん!」
二人して同じベッドに入った。 エスナが久しぶりに感じる妹の体温は新鮮で、その寝顔も寝息も全て、今までよりも一層愛おしいものに思えた。 こうやって環境を無理矢理にでも変えられなければ、幸せを幸せと理解することもなかったのだろう。 そう思えるようになったのは魔人のせいなのだが、それ以前にリバーがやってきたことによるものが大きい。
(リバーさんが来てくれなかったら、リバーさんが私の話を聞いてくれなかったら、今のこの気持ちも無いのよね )
環境の変化が人を変える。 そしてその逆も然り。
エスナは虐げられるという現状を受け入れ、変化を避けてきたからこそ、生活が一向に変わらなかった。 そこに色を垂らし、変化を呼んだリバー。 彼がずけずけとエスナの内面に乗り込んできてくれなければ、今のような思考には至れていないだろう。
たった数日でエスナを変えてしまったリバーはやはり、彼女の中ではとても大きな存在。
(やっぱり私、リバーさんのことを好きになってよかった。 自分の気持ちを伝えてみてよかった)
エスナは知らず知らずのうちに、表情の中に笑顔を思い出していくのだった。
カーン、カーン──……。
ハジメはひたすらに斧を振り乱して木に傷を刻んでいる。
「ハジメさんは手始めに木を100本切り倒してきてください」
なぜなら、リバーがそんなことを言い出したから。
(ふざけてるなぁ……)
それがハジメに与えられた使命。 要約すると、お前は貧弱だから体を鍛えろということ。 その最短ルートがこれらしい。
「ああああ! 終わりが見えん!」
ハジメは今まで木をひとりで切り倒した試しがない。 そのためまずは効率的な伐採方法から知らなければならない。 そしてその前提として斧を余裕で振るうだけの体力づくり。
「ハジメ、頑張ってるねー」
定期的に訪れるレスカがハジメを癒してくれる。 彼女がいなければ、とっくにハジメはサボっている。
現在ハジメの仕事は木を切ることだけ。 それ以外はするなと言われている。 永遠に一つのことをやり続けろというのは、なんと忍耐力の必要なことか。 もし切り倒した後に全てをもう一度生やし直されなどしたら──賽の河原のようなことが起これば、おそらく心がポッキリと折れてしまうだろう。
(リバーならやりかねん! にしても、なんで俺まで特訓なんだよ……!)
カーンッ──!
怒りはそのまま斧のスイングに。 今日一番の切れ込みが刻まれている。
「はァッ……はァッ……」
森の中で動いているだけだというのに、まるで炎天下の中にいるように汗が滴り落ちる。 こんな時にエスナがいてくれたら、魔法で冷やしてくれるのに。 しかし彼女はリバーやフエンという子供と絶賛特訓中だ。 なにやら全ての仕事をほっぽり出して魔法育成に専念するのだとか。 それをリバーが村長に直談判して、なんと受け入れられたらしい。
(エスナが魔法を鍛えれば最終的には村にも恩恵が大きい、ってことだよな? そうでもなきゃエスナが村の縛りから逃れられるとも思えないしな……)
リバーの行動力には驚くばかりだ。 これこそ彼とハジメの差だろう。
ハジメはこの村に来てから自分のことしか余裕がなかったのに、リバーはサッとやってきてエスナに笑顔を齎している。 これが力ある者と、そうでない者の違いなのだ。
ハジメは生活能力すらなく、行き当たりばったりの行動ばかりだ。 誰かがいて、そこでようやく生きることができるような弱者。 それでは誰も笑顔にできない。 ハジメは自分の無力さをつくづく痛感させられ、やる気を失いそうになってしまう。
(レスカはリバーを怖がってるけど、いつか彼女もリバーに靡くのかな……)
だからだろうか、こんなことすら考えてしまう。
「ッ冷てっ!?」
息を整えながらぼんやりショックを受けていると、頭から水をぶっかけられた。 犯人はレスカだ。 さっき桶を抱えているのが見えたし、そこに入っていた水をぶつけてきたのだろう。
「あはは! 暑そうだったからかけてあげたよー」
「怒る!」
「あたしは親切にしてあげたの!」
「許す」
「ならよろしいー」
未だにハジメは言葉が苦手だ。 でも少しずつ上達してきているのは自分でもわかるようだ。 エスナが魔法特訓に専念していることもあって、ハジメはレスカと二人でいる時間が増えた。 というより、一日の大半を彼女と過ごしている。
ハジメは今やレスカと本当の兄と妹のような関係になったと思えているが、まだまだ彼女の身体には慣れない。 最近では一緒に水浴びをしようと言ってくる始末だし、そろそろ限界が来てもおかしくないのだ。
エスナとリバーの密会から、ハジメはレスカを妹として守っていこうと思えた。 しかし元々は他人で、本当に家族になったというわけではない。 だからハジメはなるべく劣情を催さないようにと自分に言い聞かせて家族として振る舞おうとしているのだが、それを超えてくる勢いでレスカは身体を擦り寄せてきている。 エスナと会えない分をハジメで補おうとしているのだろうが、それではハジメの覚悟も揺らいでしまうというもの。
「ハジメ、身体頑丈になってきたね?」
気づけばレスカがそんなことを言いながらハジメに抱きついている。 最近は忍のように近づいてきて背後を奪ってくるから困る。
「汚い」
「別に汗は汚くないよ? だって頑張った結果なんだから」
「……ふん!」
「わ、ちょ、ちょっとー!」
ハジメは恥ずかしさを紛らわせようと頭を振り乱した。 髪に付着していた水分が飛沫となりレスカに襲い掛かる。
一旦彼女の身体が離れてくれた。
「仕事する」
「えー、もうちょっとくっついとこうよー」
(まずい、これは非常にまずい! スキンシップが激しすぎる!)
ハジメは焦っていた。 せっかく休憩と水分で身体が冷えてきたというのに、身体の一部分だけは常に熱を持ったままだから。
(これはまさか……。 さ、誘っているのか……!?)
そう思うと、レスカの身体がすごく艶かしく見えてしまう。 痩せた身体に不釣り合いな果実をぶら下げた少女。 この世界では成人は15歳かららしいし、問題が無いといえば問題はない。
これまでの生活で彼女の肌はほぼ全て見てしまっているし、彼女もそれを隠そうともしない。 天然なのか、それともわざとなのか。
(落ち着けぇ、落ち着け俺ぇ……。 エスナが特訓してるのにそれはまずいだろ冷静に考えて……)
「ふぅ……」
(言っておくが、今俺は別に何もやってない。 これは気を落ち着けるために息を吐いただけだ)
「ハジメどうしたの?」
「続きやる」
「もー、真面目だなぁ」
そっとレスカを引き剥がして、ハジメは再び斧を振るった。
1本切り倒すのに4時間超。 それがその日の限界だった。
まず斧が悪い。
(リンカーンも言ってただろ、『木を切るために6時間もらったら、斧を研ぐのに4時間、切るのに2時間使う』って)
いつもの倍以上の疲労を抱えつつ、ハジメは家に戻った。
もはや腕が上がらないし、一発目に入れた切り口の高さが悪かったのか腰も異常に痛い。 ぼーっとする頭で食事を流し込みつつ、食後は水浴びをして寝床に入った。
流石に今日は晩に特訓する元気はなく、レスカが忍び込んでくる前に眠ることすらできた。 翌日にレスカから謎に怒られたが、ハジメは訳がわからなかった。
▽
ハジメが木を切り付けている頃──。
「本当にいいんでしょうか……?」
「お仕事ですか? 大丈夫ですよ、村長の痛いところを突きまくったら余裕でしたから」
「えぇっ……」
「お気になさらず。 とにかく魔法です! 一に魔法、二に魔法、三四に魔法、五に魔法の生活を始めますよ」
「えっと、何をすれば……?」
「まずは使える魔法を見せてください」
「は、はい」
現在リバーとエスナは魔法の特訓を開始している。 フエンがここに居ないのは、彼女が怪我で動きづらいということもあるが、彼女は彼女で別の場所に赴いているからだ。
対魔人戦においてはフエンの風魔法による攻撃が要であり、魔人の魔法防御を貫いて確実にダメージを与えるには現状彼女の攻撃力は不足している。 そしてマナの総量も。 だからフエンは傷ついた身体を押して人の近づかない山奥へ出向き、環境を終わらせない程度に魔法をぶっ放している。
「《風刃》、《風刃》、《風刃》──」
これまで必要な場面でしか使わなかった魔法を、一日中マナの続く限り使用する。 それによって魔法それぞれの使用感が増すばかりか、マナ総量も増えるという寸法だ。
しかしまだまだ魔法には謎が多い。 この世界で魔法使いが希少な存在であるということと、そんな中で研究に携わりたいと考える人間が少ないからだ。 あとは魔法使いが基本的に短命だということも大きな理由だろう。 彼らの仕事は危険地帯の探索だったり魔物や魔人の退治だったり、しまいには戦争にまで駆り出される始末。 これでは魔法の発展は難しいし、魔法が個人技能の枠に収まってしまうのも頷ける。
数発の風刃によって、ようやく一本の木が倒れた。
「はぁ……はぁ……攻撃力が、足りないのです……」
魔人により振るわれた《水刃》。 フエンはあれと同等もしくはあれ以上の威力を期待しているが、どうにもあの域に達せられる気がしない。 何かが足りない、などというそんな問題ではない。 そもそもあの場所まで至れないという感じだ。 それでも水属性に対して風属性が有効なのは確か。 有効打を確実な有効打として昇華させるための何かを、フエンは見つけ出さなければならない。
「これでは……フエンの性格では、どうにも攻撃的にはなれないのです」
フエンの魔法は、風属性の中でも探査系に寄っている。 それは彼女の──鬱屈とした狭い世界から逃げ出して広い世界に飛び出したいという願いから生じたものだ。 最初に発現した魔法も《浮遊》であり、基本的には発現した順に魔法は伸びやすいとされている。
「《魔弾》も《魔刃》も《爆発》も、誰でも使えるタイプの魔法は成長しなさすぎておこなのです」
それらは各属性の基本魔法というべきか。 しばらく魔法を使っていれば自然に身につくものであり、見ることによっても覚えられるタイプのものなので、本来はあまり差の出ない部門である。 そこで何故魔人と差が生まれているかというと、それは使用者本人の技量に依るところが大きい。 使用者の基礎値が高ければ、基本魔法だろうともそちらに引っ張られるという仕組みだ。
魔人という存在はそもそもが魔法の使用に長けた種族。 だからこそ、単なる基本魔法であれほどの差が生まれたというわけだ。
「下位の水属性のくせに、リバーさんの闇属性と同等以上の威力の《魔弾》を撃てる時点で強すぎ、です」
魔法にはそれぞれ階級が存在する。 下位属性と呼ばれるものには、火、水、風、土の四属性が入る。 次に中位属性には、光と闇の二属性。 そして上位属性としての空間属性がある。 その他にもこれらから派生した特殊属性など様々あるが、基本的にはこの七種類の属性に収まるようになっている。
フエンが言っているのは、カーストとして下位にいる水属性が中位属性に匹敵しているという事実についてである。 これならフエンが戦うよりもリバーが戦った方が良いのでは、と考えなくもない。 とはいえ、攻撃力が底上げされているからといって防御力も高いという話にはなり得ない。 そこが有利属性と弱点属性を規定する要因にもなっており、普通に考えれば風属性は水属性に特効である。 あとはどのように有効打を叩き込むか、だ。
少なくとも手数としてのマナ総量は重要だし、なんとか練度を上げて攻撃力を上げることも重要だ。
いずれにせよ最低限やるべきなのは、ひたすら魔法を使い続けること。 その上で新しい魔法の可能性を見出していかなければならない。
「やっぱり癖になる味わい、です」
フエンはマナポーションを呷ると、再び魔法を連打し始めるのだった。
一方、リバーの現場では──。
「えっと、使ったことがない?」
「水を供給する以上の価値を魔法に見出せなかったので……」
リバーは驚いていた。 なにせエスナが基本魔法すら使ったことがなかったのだから。
「でも一度くらいは……」
「先生の目の前で何度かはありますけど、実生活で使う機会がないですよ。 そんなことに使っていたら、供給に回すマナが足りなくなりますから……」
「でも最近調子が良いとおっしゃってませんでした?」
「それは、はい。 最近になってようやくマナの量が増えてきたようなので、一日のうちに各家を回って水を供給しても余るくらいにはなってきましたね」
「それはちなみにいつ頃から?」
「本当に最近です。 ここ1、2週間ほどでしょうか」
「きっかけなどは思い当たらないです?」
「いえ、特には……」
うーん、とリバーは頭を悩ます。
エスナは予想以上だった。 予想以上に、使えなかった。
「で、ではひとまず実践で確かめてみましょう」
「は、はい」
「私が《魔弾》を木に打ち込みますので、同じようにやってみてください」
「わかりました」
エスナが右手の甲にマナを込めると、青く燻んだ魔道書が姿を現す。
「では……《闇弾》」
リバーが魔法を唱えると、高速で魔弾が射出された。 それは幅30センチほどの細い木の幹に触れて、簡単にその幹をへし折った。
「わっ……!? す、すごいですね……」
「ではエスナさんもどうぞ」
「は、はい……! 《水弾》」
それはギリギリ真っ直ぐ、なおかつヒョロヒョロと魔弾が木に至ると、木を軽く揺らしただけで水滴を弾けさせた。
「これは……」
「ど、どうでしょう……?」
「……駄目ですね」
「え、えぇ……」
魔人を倒す、と勢いでスタートした魔法特訓。 前途多難な始まりに、リバーは頭を抱えるしかなかった。
その日の夜──。
「お姉ちゃん!」
「ど、どうしたの……?」
レスカが急にすごい剣幕で怒りをぶつけてきたことに、エスナは狼狽してしまう。
「ハジメが先に寝てた!」
「ま、まぁ……そんな日もあるんじゃない?」
「約束してたのにー!」
「……約束してたの?」
「あ、約束はしてなかった! けど、今日はおやすみも言ってないからやだー!」
「やだって言ったって、ハジメも疲れてるのよ。 今日はずっと木を切ってたんでしょ?」
「うんー……でも、おやすみないのは悲しい……」
「あー、ほら泣かないの。 こっちおいで?」
「うん……」
エスナはレスカをそっと抱き締める。 レスカは大泣きほどではないが、時折こうして感情が形として噴出する。 こうしていると、そういえば最近こう触れ合っていない気がする、ということにエスナは思い至った。
「落ち着いた?」
「うん……」
「なんかこうするのも久しぶりね。 最近はずっとハジメにレスカを取られてたから」
「悲しい?」
「ちょっと悲しい、かな?」
「えー、ちょっとだけー……?」
「うそうそ、とっても悲しい! えーん、えーん」
「お姉ちゃん泣くの下手ー」
「だってお姉ちゃんだもん、泣かないわよ」
「あたしすぐ泣いちゃうけど、お姉ちゃん強いねー」
「えっへん」
久しぶりの姉妹の会話。 今までは当たり前だったのに、こうして命の危機を感じながら生活し始めると、エスナはそれがとても大切なものに思い始めてきた。
(あ、そう……か。 そうだったんだ……。 私てっきり、自分がずっと不幸だと思ってた。 けど……)
当たり前を特別なものと認識できた時、人はそれを幸福と感じるのだ。 エスナは目頭が熱くなるのをレスカに見られないように、より一層彼女を抱きしめた。
「お姉、ちゃん……苦しいよ?」
「お姉ちゃん、レスカが大好きだから抱きしめちゃった」
「それなら許すぅー」
「良い子ね。 レスカもお姉ちゃんのこと好き?」
「うん、大好き! だからずっと一緒にいるもん!」
「じゃあずっと一緒ね?」
「やったー! ハジメも入れて三人家族ー」
「レスカはさ、ハジメのことも好きなの?」
「うん! あ、でも……」
「どうしたの?」
「うーん……お姉ちゃんの好きとはちょっと違うかも。 よくわかんないけどー」
「そう、なんだ?」
「うんー。 じゃあお姉ちゃんはリバーさんのこと好きなの?」
「え……!? え、えっとー……そんなこと──」
無い、と言いかけてエスナは言葉を飲み込んだ。 何を恥ずかしがって大好きな妹に嘘をつこうとしているのだろうか。 先日は本心からリバーに告白したはずだ。 それに対してリバーも真摯に考えてくれると言っている。 それなのに、自分は何を──。
「そんなこと、あるかな……」
「やっぱりー」
「……あれ? レスカには分かっちゃった?」
「ずっと一緒なんだから分かるよーだ! 何年お姉ちゃんの妹してると思ってるの!?」
「そっ、か……。 そうね、レスカにはお見通しね……」
「どこが好きなのー? あんなにお顔が怖いのにー」
「お顔は別に嫌いじゃないけど……なんていうか、内面……?」
「そうなんだー」
「レスカはハジメのどこが好きなの?」
話の流れに合わせてエスナも聞いてみた。 レスカははっきりとした恋愛感情を実感していないようだが、姉のエスナにはわかる。 レスカのそれは、恋だ。 と言っても、それはまだほんの淡いもの。
レスカが本当にハジメを好きになるのはもっと先のことかもしれない。 しかし、確実にレスカの恋は始まっている。 まだ歩き始めたばかりのそれをずっと眺めていたいと考えると同時に、もしかしたらそれを見届けられないかもしれないという不安もエスナの中に湧いてきた。
「えっとねー、お姉ちゃんみたいに優しいところとー、たまに撫でてくれるところとー、抱きしめてくれるところとー、あとはー……」
エスナの知らない間に事態は進行していたらしい。
(撫でるって何? 抱き締めるって何なの……?)
エスナは知らない。 レスカがハジメに肌を晒しながら着替えていることを。 もう全身ほぼ全てハジメに見られてしまって──いや、見せてしまっていることを。
(あとは……? あとはなに……!?)
「頑張ってるところ!」
「が……ん?」
求めていた答えと違い者がやってきて、エスナはずっこけそうになった。 求めていたといえば語弊はあるが、まぁ、そういうことだ。
「ハジメは真面目になんでもやるから好きー」
「そう、ね。 とっても良いことだと思うわ」
「ほんと?」
「うん、本当よ」
「じゃあ明日ハジメに、お姉ちゃんが褒めてたって教えてあげよーっと」
「うん、そうしてあげて」
「そうするー」
「じゃあそろそろ寝よっか? 今日はお姉ちゃんと寝る?」
「うん!」
二人して同じベッドに入った。 エスナが久しぶりに感じる妹の体温は新鮮で、その寝顔も寝息も全て、今までよりも一層愛おしいものに思えた。 こうやって環境を無理矢理にでも変えられなければ、幸せを幸せと理解することもなかったのだろう。 そう思えるようになったのは魔人のせいなのだが、それ以前にリバーがやってきたことによるものが大きい。
(リバーさんが来てくれなかったら、リバーさんが私の話を聞いてくれなかったら、今のこの気持ちも無いのよね )
環境の変化が人を変える。 そしてその逆も然り。
エスナは虐げられるという現状を受け入れ、変化を避けてきたからこそ、生活が一向に変わらなかった。 そこに色を垂らし、変化を呼んだリバー。 彼がずけずけとエスナの内面に乗り込んできてくれなければ、今のような思考には至れていないだろう。
たった数日でエスナを変えてしまったリバーはやはり、彼女の中ではとても大きな存在。
(やっぱり私、リバーさんのことを好きになってよかった。 自分の気持ちを伝えてみてよかった)
エスナは知らず知らずのうちに、表情の中に笑顔を思い出していくのだった。
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