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第2章 Dynamism in New Life
第40話 波動
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ハジメは自身を苛む痛みを無視して声を荒げる。
「れ、レスカ、嘘だろ!? し、しっかりしろ……!」
ハジメの腕の中でぐったりとしているレスカは頻回に浅い呼吸を繰り返している。 その様子から彼女が危機的な状況にあるのは間違いなく、両目もほとんど開いていないため、ハジメは泣きそうになりながら必死で呼びかけて死なないことを祈る。
ハジメが食らった魔弾は直撃というより掠るような形で抜けていったが、それでも骨折を引き起こす程度の勢いがあった。 またハジメを大きく吹き飛ばす威力も秘められていたため、ハジメは顔面や腕に深い擦り傷を作りながら地面を転がされた。
一方でレスカに関してだが、彼女は威力が殺せない形で背中へモロに魔弾が突き刺さったため、逃しきれなかった威力は彼女の腹部内臓を傷つけ、いくつかの臓器がひどいダメージを負ってしまっていた。 特に肝臓や脾臓の損傷が深刻で、出血性ショックによる代償機構によって手足は冷たく、心臓だけが必死に全身へ血液を回そうと鼓動を早めている。
「ダスクさん、回復ポーション……を──」
ハジメは全てを言い切る前に状況が把握できてしまった。
重症なのは目の前のレスカだけでなく、フリックもそうだ。 ダスクだって無傷ではいられないだろう。 そしてハジメも肋骨のいくつかをへし折られてしまっており、呼吸のたびに脇腹が悲鳴を上げている。
ハジメがこの場で助けを求められる人物はダスクだけだが、彼は次々と迫り来る魔弾を捌くのに精一杯で、それ以上の労を他人に割くのは難しそうだった。 彼はハジメやレスカ、そしてフリックを守るために全身をフルに稼働させており、それなのに彼一人が無事でいられるのが不思議なほどの状態だ。 そんな奇跡的な状況が長く続くはずがないのはハジメでも分かる。
ダスクに対して魔弾を吐き続けるゼラだが、彼があまり攻撃方面に強くないことが功を奏して、ダスクは未だ大きな損傷なく攻撃を受けられている。 しかしそこから攻勢に転じる余裕はなく、彼の剣捌きが少しでも狂えば戦況は一気にまずい方向へ流れてしまうだろう。
最も致命傷に近い攻撃を受けてしまったフリックは死んだようにピクリとも動かず、ただただその足元に血溜まりを広げている。 またレスカも体表にはダメージが見えにくいだけで、その体内では生命を維持すべく代償機構が高回転を強いられている。
「ど、どうすればッ……」
ハジメは周囲を見渡すが、この状況を打破できるだけの実力者などいるはずがない。 いたとしても無力な町人だけで、そんなものはゼラの攻撃一つで容易に命を散らしてしまう存在だ。 それでもハジメはここから脱出できるなら誰かを犠牲にしても構わないと思うほどの切迫した状況であり、ハジメは焦りで回らない思考を無理矢理に捻って打開策を見出そうとしている。
(あ、あれしか……ないのか……?)
ハジメは自身の武器が転がっているのを見つけた。
ゼラとオリガがやってくるまで、ハジメはレスカとフリックに見守られながら武器を使ったトレーニングをしていたのだ。 そこに乱入してきた敵によって悲劇が始まり、トレーニングが中断されてしまっていた。 武器はそれまで握っていたものであり、未だ完全には使いこなせていない有効性不確定のシロモノだ。
ハジメ一人なら逃げることができるかもしれない。 しかしそれも可能性の話で確実性には欠けるし、そのためにはフリックもレスカも諦めて逃げることだけに特化して動かなければならない。
(……だが、どこに逃げる!? 逃げる場所なんて俺には……!)
攻撃に参加しているのはゼラだけだ。 ここからオリガまでもが魔法を使い始めれば、逃げられる可能性すら失われてしまうだろう。 ハジメがそんな思考に傾きかけていたその時、オリガがいかにも鬱陶しそうに言葉を投げてきた。
「あんたら、さっきから必死で醜すぎ。 流石にそれは目障りだし、罪深いよ?」
「何のつもりだテメェら! 何の理由があって攻撃しやがる!?」
ダスクはゼラの攻撃を捌きながら叫ぶ。 叫びながらも冷静さは失わず、紙一重の剣使いで魔弾を弾き、なおかつそれが後方のハジメたちに触れないようにしている。 それはまさに薄氷の上を進むような精緻さで以て行われ、しかしダスクはそんな様子を全く感じさせずに完璧にこなし続けている。 これにはゼラとオリガはあまり面白くなく、予想外にダスクが出来ることにフラストレーションが溜まる。
「《闇弾》、《闇弾》……喧嘩を売ってきたのはそっちだよね? 《闇弾》、《闇弾》──」
「ホントそれ。 あーしらの邪魔してる時点で極刑ものだっての」
「テメェらの行動を棚に上げてそれか……!? 救えねぇゴミだなァ!」
「うっざ。 有象無象のくせに、あーしらの進む道に立つなっての」
「それなら──テメェらが路傍の石と思う俺程度、さっさと処理したらどうだ?」
「きっしょ。 雑魚のくせに必死になってバッカじゃないの? あ゛ー、これはもう予定変更。 ベルナルダンの人間はは一人も残さず駆逐するわ。 あんたのせいで全員死ぬんだからね。 あんたは最後まで残してやるから、せいぜい最後まで町民が蹂躙される様を眺めてなよ。 ま、とりあえずあんたを半殺しにするわ」
ハジメはオリガから放出されるマナを全身で感じ取った。 他人から放出されるマナをこうも感じられたのは今日が初めてだが、そんなことは今はどうでも良い思考だ。
(く、来る……! さっきのが……フリックを沈めたあの光の十字架が……!)
ハジメに何ができるかなんて分からない。 しかしこのままオリガの魔法を受けるのだけは間違いだと分かる。 なにせ彼女のマナはハジメだけではなく、ダスクやレスカ、そしてフリックにまで及んでいるのだから。
(……え?)
ダスクの剣が宙を舞っている。
「ぐ……ッ……!」
ダスクが魔弾を弾き損ね、大きくその身体が揺らいでいる。 そして続く魔弾が彼を叩き、ハジメの目の前を転がり、走馬灯のようにゆっくりと通り過ぎていく。
ハジメには一瞬何が起きたか分からなかった。 信じたくない事態を前に、彼の脳が現状認識を放棄したのだ。 しかし無情にも現実は彼に状況を飲み込ませ、その窮地をすぐに理解させ始める。
(やば、い……)
なぜ、今なのか。 よりによってオリガが絶死の一撃を叩き込まんとしている、ちょうどこの時。 ハジメらにとっては絶対に放してはならない、ゼラやオリガにとっては絶好のタイミングでダスクに限界が訪れ、唯一の守りが決壊してしまった。 それが意味するところは、先ほどフリックに訪れた絶望が降り注ぐ未来。
そもそも、ダスクが生身で魔法に立ち向かえていたのが尋常ならざる状態だったのだ。 ダスクはそこそこ鍛えられてはいるが魔法使いにとってはただの人間であり、フリックより魔法耐性の低い彼に対する魔法は覿面に効果を発揮する。 だからこそダスクは一切の攻撃を受けぬよう立ち回ってたわけだが、たった一発処理し損なうだけで戦線は崩壊し、敵の全てを受け入れる準備が整ってしまった。
(やめ──)
堤防が決壊した。 ダスクという壁を失ったことで、自由を得たゼラの魔弾が無作為に乱発され始めた。 それによってここはまるで銃弾飛び交う紛争地の様相を呈し始め、無防備なレスカやフリックは蹂躙されるだけの的に早変わりする。
ハジメはオリガを見た。 ニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべる彼女は手を振り上げ、今まさに魔法名を唱える瞬間だった。
「《断──」
気づけばハジメは武器を握っていた。 黒く重いそれはハジメから一瞬でマナを吸い上げ、刻まれた魔導刻印がその刀身に魔法効果を息付かせる。
「やめろぉおおおッッッ!」
「──罪》!」
ハジメの叫びとオリガの引導は同時だった。
オリガが魔法名を告げると同時に出現する光の十字架。 それは魔弾のように相手に狙いを定めて打ち出されるものではなく選択された人間の心臓座標を起点に生成・射出されるため、一度発動されれば、基本的にはどこに隠れていようと回避不能なものだ。 たとえ相手が必死に防御しようとも、速度が威力を大幅に増大させているために完全な阻止は困難であり、また心臓を貫くことを魔法完了の条件としていることから逃げることすら厳しい。 もし《断罪》を止める術があるとすれば、庇護的な性格かつ光属性の魔法使いが発動できる防御魔法くらいなものだろう。 そんな絶死の一撃が引き起こす壮絶な未来と断末魔の狂宴を想像し、オリガの口角が最大まで吊り上がる──。
「……はぁ!?」
──が、そんな未来は訪れなかった。
どうしてか、拡散されていたはずのオリガのマナが雲散霧消してしまっている。
魔法を発動するための土台であるマナやそこに込められた意思が無ければ、そもそも超常たる魔法など成立しない。 そんな当たり前が、オリガにとっては信じられない現実が、なぜか生じてしまっていた。
ザン──……!
空間を断ち切る斬撃音によって、オリガは思考を現実へ戻した。
ハジメの叫びと同時に、彼によって黒刀と名付けられたそれが内蔵した機能を最大限に解放し始める。
「ッ……こいつ……!」
オリガは驚きもそのままに、自らの元へ走り来るハジメの姿を見て表情を苦々しく歪めた。 ゼラも同様に驚いた様子を示しているが、それでも魔弾による攻撃を止めることなく続けている。
ハジメの黒刀に刻まれた刻印による効果は三つ。 一つ目の“減軽”が武器のよる重さを無視した動作を可能にし、ハジメは魔弾に倍する速度で黒刀を斬り上げた。 続く“強化”が単純にその強度を上げるとともに切断力を増強させ、迫る魔弾を切り裂いた。 真っ二つにされたそれはハジメの両頬を掠める形で彼の側を通り抜け、やや後方で弾けた。
(こいつが何かした……? なぜだか分からないけど、こいつをここで殺さなければならないって、あーしの勘が言ってる……!)
そう思い明確な敵を定めたオリガと、魔弾を切り裂き続けるハジメの視線が交差した。
「ゼラ、あいつを殺す!」
「お前ら絶対に許さねぇ……!」
敵意がぶつかり、争いは激化する。
「おい、フ──くそッ!」
ハジメが善戦する後ろでフリックの救助に走ろうとしたダスクに魔弾が飛ぶ。 それは闇属性だけでなく光属性も含まれており、ゼラとオリガが完全にハジメを殺りにきていることがわかる。 その過程で彼らはハジメ以外にも攻撃を仕掛けているわけだが、これは恐らくハジメに隙を作らせる手段であり、またダスクたちな邪魔な因子を排除する狙いもあるだろう。 それは十全に作用しており、ダスクは危機的状況にあるフリックに近づけずにいるし、かと言ってハジメのフォローに入ろうとも思えない。 なぜなら、ハジメが鬼気迫る勢いで絶妙に魔弾を切り裂き続け、それでも傷を負うことなくそれらを処理し続けられているからだ。
(あいつ、どこからあんな力を……? さっきまでの様子とはまるで違うが……いや、今俺ができることは悠長に考えることじゃあない。 せめてフリックの側まで近づければ……)
ダスクはハジメの変化に驚いていた。 その動きは到底素人に可能なものではなかったし、それにまさか自分が守られるような状況に陥るとも思っていなかったからだ。 しかしハジメが動けているとはいえ、それがプロのものかと言えば違うと言える。 ハジメが縦横無尽に動き続けて魔弾を捌いているのはいいが、それがあまりにも粗雑というか乱暴な動きなので、敵の魔弾が分散してダスクはフリックに近づくことができていない。 その間にダスクは離れた位置から自分の持つ唯一の回復ポーションを遠投するのも考えたが、それを撃ち落とされたら一巻の終わりだ。
(とにかくハジメの様子は奇妙だな……。 まさかあいつ、俺に後衛を任せたつもりなのか? お前が動いたせいで、俺がレスカまでも守らなきゃならねぇじゃねぇかよ……)
ハジメは敵に集中しており、敵もまた同じだ。 しかし敵はダスクの躍動を許してくれるほど甘くない。 敵の攻撃を捌き切るハジメはすごいが、そこから敵に攻撃を仕掛けるまでには至っていないし、これではダスクが前衛をやっていた少し前の状況とはあまり変わらない。 敵が二人に増えた上で先程と同じ状況というのは明確にハジメの処理能力がダスクよりも高くなっているわけだが、経時的に命の危機が増しているフリックやレスカの状況を加えれば、やはり状況は良くなっているとは言えないのだ。
(カミラもハンスも何してやがる……。 ハジメなんていう不確定要素に任せちまってる俺も俺だが、もっと明確に戦況を変える何かがなけりゃあ……)
そんなものがないと分かっているダスクは、考えている時間は無駄と考えてタイミングを見計らいながらレスカを抱き上げた。 そのまま勢いを止めずにフリックの元まで駆けると、敵に背を向けたまま飛び出す。 当然ダスクは背中に魔弾を受けてしまうことになるのだが、身体の正面でレスカを抱えて守りつつ、ポーションをフリックに浴びせかけた。 直後、数発の重い衝撃がダスクを襲い、レスカと一緒に激しく地面を転がった。 そこに意味があるかどうかなんて分からないし、フリックが今なお生存しているのかも分からない。 それでもダスクは一縷の望みに掛けてそんな行動を強行した。
「鬱陶しいね……」
「ほんとそれ。 フリックもどうせ死んでんのに、なんで無駄なことばっかりするんだろーね」
ゼラとオリガは魔弾を織り交ぜつつ、第一にはハジメを、次いでダスクや生い先短い連中を狙う。
ハジメが攻めあぐねているのは、敵が二人だということと、彼自身が戦闘に向いた身体能力を有していないということが理由だ。 それなのに敵の攻撃に対応できてしまっているのは、何かしらの奇跡が彼に舞い降りているからとしか考えられない。 それはオリガが《断罪》を使えないからであり、ゼラが攻撃面に乏しいからである。 結果、ハジメが得た武器が予想以上に厄介な頑丈さを誇っていることによって、彼らの魔弾は容易に切り裂かれ、防御され、ハジメに大きなダメージを与えることができていないのだ。 しかしそれも、たった今ここまでのこと。
「《負力徴収》。 オリガ、接続するから手を出して」
ゼラが一旦魔弾による攻撃をやめた。 かと思えば、別の魔法を唱えている。
オリガはゼラから差し出された手を取ると、魔弾を連発させたまま目を閉じた。 それは戦闘中において自殺行為にも等しいが、それでも彼女はハジメを正確に狙って魔弾を放っている。
「見えたかい?」
「こいつら以外の敵意は二つ……後方ね。 あーしが処理するわ」
「じゃあ、発動と同時にお願いするよ」
ゼラの《負力徴収》は周囲に存在する負の感情を集めると同時に、感情ごとにそれらがどこから向けられているかすらも知覚することができる。
現在ベルナルダンにおいて渦巻く感情は負に偏ったものばかりであり、その大半は痛みや恐怖などが主なものだ。 その中でゼラやオリガに向けられる感情の一つに敵意がある。 それこそ彼らを害そうとする連中の意思であり、いくら気配を消そうとも偽るこのできないものだ。 それら敵意は発生位置から真っ直ぐゼラに向けて引き寄せられるため、そこを辿れば敵の位置を把握できるという仕組みである。 また《負力徴収》にはそれ以外の用途があり、それこそこの魔法を象徴づけるものだと言える。
ゼラはオリガのように直接的な攻撃を持っていない。 それは彼が精神系統の魔法に厚く、そもそも精神に作用する魔法には攻撃力が必要ないからである。 必要なのは精神的な安定性であり、どんな状況においても揺るがない信念の強さが必須なのだ。 たとえそれが殺人などに向けられるものであっても、安定感という点では何も変わらない。 だから彼は普段から何事にも動じず、平然と殺人までやってのける。
何度も言うが、ゼラは攻撃性に富んでいない。 だからと言って攻撃魔法を持たないわけではない。 魔弾など基本的な魔法はもちろん、それ以外にも習得できている攻撃魔法はいくつか存在する。 それらの威力は攻撃方面に強い魔法使いと比べれば半分にも満たないものに成り下がるのだが、唯一ゼラが攻撃性を最大限に発揮できる魔法がある。
負の感情がゼラの中に蓄積されていく。 彼が何かをしようとしているのはハジメもダスクも理解できているが、まさか攻撃魔法を準備しているなんて思わないだろう。 これまでゼラが用いてきたのは魔弾のみであり、爆発や魔刃ですら使用できていない。 だから彼がその魔法名を唱えるまで──それが発動されてもなお、ハジメは何が起こったかが分からなかった。
「《負力解放》」
衝撃がベルナルダンを貫いた。
目の前で爆弾が爆ぜたような感覚だけが残り、気づけばハジメは激しく吹き飛ばされて荒野を転がっていた。 彼が幸運だったのは、勢いで壁に叩きつけられて即死しなかったことくらいなものだろう。 今やハジメの全身には凄惨に打撲痕と切り傷擦り傷が刻まれており、おかしな方向に曲がった左脚や、バキバキにへし折れて感覚すら無くなった両手を見れば生きているのが不思議なほどだ。
「ぁ……がァ……ッ……!?」
意識がはっきりするごとに痛みが産声を上げ始めた。 あまりの痛みに意識が飛び、また痛みによって意識を無理矢理に覚醒させられ、理不尽な苦しみがハジメを苛み続ける。
(痛い、痛い、痛い、痛い、痛いィいいいいあああああああ──)
痛み以外の感情はハジメの中には無い。
正直ハジメは、どうして自分がこうして転がっているかすらも分かっていない。 ゼラとオリガに怒りを覚えて叫んで以降の記憶がほとんどないからだ。 にもかかわらずハジメがああやって彼らと渡り合えていたのは、ほぼほぼ本能によるものだ。 動物的な直感で敵を殺さなければならないという使命感と、レスカを守らなければならないという責任感が彼を突き動かしていた。
(やばい……痛すぎて死ぬ……痛い痛い痛い……誰か、どうにか……して……。 魔法、か……ポーションで……)
朦朧とする意識の中、ハジメは必死に痛みが治まることを切望した。 しかし誰が助けてくれるわけもなく、また自己治癒力などというまやかしなども存在しない今、超常的な効果を発揮する魔法やポーションの存在に頼るほかない。
そうしてどれだけの時間が経過しただろうか。 痛みによって徐々にかつ確実に体力が削られる一方で、なぜかハジメの意識はハッキリし始めていた。
「な……ん、だ……?」
ようやくハジメの朧げな視界が世界の彩りを取り戻した時、彼の身体は様相を異にしていた。 へし折れていたはずの左脚はやや角度を正常なものに戻しつつあり、ぐちゃぐちゃに変形していたはずの両手も何とか手の形状を保っている。 もちろん出血などはあるが、その下にあるはずの細かい傷などは概ね消失しており、未だ残っているのは大きな損傷くらいだった。
(誰か、俺に、ポーションでも……──、ぇ……?)
思考を遮るほどの光景に、ハジメは絶句した。
「ここは──」
──何処だ? そんな疑問が出てしまうほどの衝撃がハジメを襲う。
まずハジメのいる場所だが、見慣れたベルナルダンの東門が見えることから、ここが元いた場所から百メートルほど東に位置していることが分かる。 ハジメはゼラの攻撃によってそれほどまでに吹き飛ばされていたのだ。 それだけの距離を浮かされ、そして転がったのだから、彼の受けた損傷は当然のものだと言える。
次にハジメが東門から西へ外壁を辿っていくと、なぜかその南側が大きく失われていた。 なおかつフリックの居宅周辺の建物が軒並み倒壊して失われており、そこには相当な被害が広がっていることがわかる。 また陽が落ちていることから分かりづらいが、町中の光源が見えているのが何よりの証拠だ。
ベルナルダンの南西門と東門の間の外壁がすっぽりと抜け落ちるほどの攻撃とその余波。 まるで爆弾でも落ちたような被害状況を前に、ハジメは言葉を失い続けた。
(レス、カ……)
「……そうだ、レスカ……!? レスカをさ、探さないと……!」
程なくしてレスカの存在に考えが至ったハジメ。
えも知れぬ不安からハジメの鼓動は最大限に脈打ち、脳に回される血液によって漸く彼の意識が完全に覚醒してきた。 それによって、今までマスクされていた環境音が彼の鼓膜を叩く。
聞こえるのは悲鳴、絶叫、そして未だに続く破壊音。 それらはベルナルダンの内部から響いている。
(町中でまだ続いて……いや、町の人間なんてどうでもいいんだ……。 早くレスカを見つけて逃げないと……!)
ハジメは町に近付くのはマズいとは思いつつも、それでもレスカへの心配が勝った。 だから痛みを我慢し恐怖を押し殺しつつ、脚を引き摺りながら町を目指す。
「はぁ……はぁ……」
(レスカ、どこだ……。 どこにいる……?)
歩くたびに激痛がハジメを苛むが、それを上回る気掛かりが彼を突き動かす。 そうやって遅々とした歩行を続けていると、幸運にもハジメは自分の武器を見つけた。 吹き飛ばされている最中まで握っていたようで、それがこうして地面に転がっているわけだ。 ハジメは徐にそれを握ると杖代わりに地面に突き刺し、這う這うの体で歩みを続ける。
「レスカ、どうか無事でいてくれ……」
そんなたった一つの願いだけがハジメを突き動かし、再び戦地へと足を運ばせていた。 その先にどんな絶望の未来が待ち受けているのかも知らずに……。
「れ、レスカ、嘘だろ!? し、しっかりしろ……!」
ハジメの腕の中でぐったりとしているレスカは頻回に浅い呼吸を繰り返している。 その様子から彼女が危機的な状況にあるのは間違いなく、両目もほとんど開いていないため、ハジメは泣きそうになりながら必死で呼びかけて死なないことを祈る。
ハジメが食らった魔弾は直撃というより掠るような形で抜けていったが、それでも骨折を引き起こす程度の勢いがあった。 またハジメを大きく吹き飛ばす威力も秘められていたため、ハジメは顔面や腕に深い擦り傷を作りながら地面を転がされた。
一方でレスカに関してだが、彼女は威力が殺せない形で背中へモロに魔弾が突き刺さったため、逃しきれなかった威力は彼女の腹部内臓を傷つけ、いくつかの臓器がひどいダメージを負ってしまっていた。 特に肝臓や脾臓の損傷が深刻で、出血性ショックによる代償機構によって手足は冷たく、心臓だけが必死に全身へ血液を回そうと鼓動を早めている。
「ダスクさん、回復ポーション……を──」
ハジメは全てを言い切る前に状況が把握できてしまった。
重症なのは目の前のレスカだけでなく、フリックもそうだ。 ダスクだって無傷ではいられないだろう。 そしてハジメも肋骨のいくつかをへし折られてしまっており、呼吸のたびに脇腹が悲鳴を上げている。
ハジメがこの場で助けを求められる人物はダスクだけだが、彼は次々と迫り来る魔弾を捌くのに精一杯で、それ以上の労を他人に割くのは難しそうだった。 彼はハジメやレスカ、そしてフリックを守るために全身をフルに稼働させており、それなのに彼一人が無事でいられるのが不思議なほどの状態だ。 そんな奇跡的な状況が長く続くはずがないのはハジメでも分かる。
ダスクに対して魔弾を吐き続けるゼラだが、彼があまり攻撃方面に強くないことが功を奏して、ダスクは未だ大きな損傷なく攻撃を受けられている。 しかしそこから攻勢に転じる余裕はなく、彼の剣捌きが少しでも狂えば戦況は一気にまずい方向へ流れてしまうだろう。
最も致命傷に近い攻撃を受けてしまったフリックは死んだようにピクリとも動かず、ただただその足元に血溜まりを広げている。 またレスカも体表にはダメージが見えにくいだけで、その体内では生命を維持すべく代償機構が高回転を強いられている。
「ど、どうすればッ……」
ハジメは周囲を見渡すが、この状況を打破できるだけの実力者などいるはずがない。 いたとしても無力な町人だけで、そんなものはゼラの攻撃一つで容易に命を散らしてしまう存在だ。 それでもハジメはここから脱出できるなら誰かを犠牲にしても構わないと思うほどの切迫した状況であり、ハジメは焦りで回らない思考を無理矢理に捻って打開策を見出そうとしている。
(あ、あれしか……ないのか……?)
ハジメは自身の武器が転がっているのを見つけた。
ゼラとオリガがやってくるまで、ハジメはレスカとフリックに見守られながら武器を使ったトレーニングをしていたのだ。 そこに乱入してきた敵によって悲劇が始まり、トレーニングが中断されてしまっていた。 武器はそれまで握っていたものであり、未だ完全には使いこなせていない有効性不確定のシロモノだ。
ハジメ一人なら逃げることができるかもしれない。 しかしそれも可能性の話で確実性には欠けるし、そのためにはフリックもレスカも諦めて逃げることだけに特化して動かなければならない。
(……だが、どこに逃げる!? 逃げる場所なんて俺には……!)
攻撃に参加しているのはゼラだけだ。 ここからオリガまでもが魔法を使い始めれば、逃げられる可能性すら失われてしまうだろう。 ハジメがそんな思考に傾きかけていたその時、オリガがいかにも鬱陶しそうに言葉を投げてきた。
「あんたら、さっきから必死で醜すぎ。 流石にそれは目障りだし、罪深いよ?」
「何のつもりだテメェら! 何の理由があって攻撃しやがる!?」
ダスクはゼラの攻撃を捌きながら叫ぶ。 叫びながらも冷静さは失わず、紙一重の剣使いで魔弾を弾き、なおかつそれが後方のハジメたちに触れないようにしている。 それはまさに薄氷の上を進むような精緻さで以て行われ、しかしダスクはそんな様子を全く感じさせずに完璧にこなし続けている。 これにはゼラとオリガはあまり面白くなく、予想外にダスクが出来ることにフラストレーションが溜まる。
「《闇弾》、《闇弾》……喧嘩を売ってきたのはそっちだよね? 《闇弾》、《闇弾》──」
「ホントそれ。 あーしらの邪魔してる時点で極刑ものだっての」
「テメェらの行動を棚に上げてそれか……!? 救えねぇゴミだなァ!」
「うっざ。 有象無象のくせに、あーしらの進む道に立つなっての」
「それなら──テメェらが路傍の石と思う俺程度、さっさと処理したらどうだ?」
「きっしょ。 雑魚のくせに必死になってバッカじゃないの? あ゛ー、これはもう予定変更。 ベルナルダンの人間はは一人も残さず駆逐するわ。 あんたのせいで全員死ぬんだからね。 あんたは最後まで残してやるから、せいぜい最後まで町民が蹂躙される様を眺めてなよ。 ま、とりあえずあんたを半殺しにするわ」
ハジメはオリガから放出されるマナを全身で感じ取った。 他人から放出されるマナをこうも感じられたのは今日が初めてだが、そんなことは今はどうでも良い思考だ。
(く、来る……! さっきのが……フリックを沈めたあの光の十字架が……!)
ハジメに何ができるかなんて分からない。 しかしこのままオリガの魔法を受けるのだけは間違いだと分かる。 なにせ彼女のマナはハジメだけではなく、ダスクやレスカ、そしてフリックにまで及んでいるのだから。
(……え?)
ダスクの剣が宙を舞っている。
「ぐ……ッ……!」
ダスクが魔弾を弾き損ね、大きくその身体が揺らいでいる。 そして続く魔弾が彼を叩き、ハジメの目の前を転がり、走馬灯のようにゆっくりと通り過ぎていく。
ハジメには一瞬何が起きたか分からなかった。 信じたくない事態を前に、彼の脳が現状認識を放棄したのだ。 しかし無情にも現実は彼に状況を飲み込ませ、その窮地をすぐに理解させ始める。
(やば、い……)
なぜ、今なのか。 よりによってオリガが絶死の一撃を叩き込まんとしている、ちょうどこの時。 ハジメらにとっては絶対に放してはならない、ゼラやオリガにとっては絶好のタイミングでダスクに限界が訪れ、唯一の守りが決壊してしまった。 それが意味するところは、先ほどフリックに訪れた絶望が降り注ぐ未来。
そもそも、ダスクが生身で魔法に立ち向かえていたのが尋常ならざる状態だったのだ。 ダスクはそこそこ鍛えられてはいるが魔法使いにとってはただの人間であり、フリックより魔法耐性の低い彼に対する魔法は覿面に効果を発揮する。 だからこそダスクは一切の攻撃を受けぬよう立ち回ってたわけだが、たった一発処理し損なうだけで戦線は崩壊し、敵の全てを受け入れる準備が整ってしまった。
(やめ──)
堤防が決壊した。 ダスクという壁を失ったことで、自由を得たゼラの魔弾が無作為に乱発され始めた。 それによってここはまるで銃弾飛び交う紛争地の様相を呈し始め、無防備なレスカやフリックは蹂躙されるだけの的に早変わりする。
ハジメはオリガを見た。 ニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべる彼女は手を振り上げ、今まさに魔法名を唱える瞬間だった。
「《断──」
気づけばハジメは武器を握っていた。 黒く重いそれはハジメから一瞬でマナを吸い上げ、刻まれた魔導刻印がその刀身に魔法効果を息付かせる。
「やめろぉおおおッッッ!」
「──罪》!」
ハジメの叫びとオリガの引導は同時だった。
オリガが魔法名を告げると同時に出現する光の十字架。 それは魔弾のように相手に狙いを定めて打ち出されるものではなく選択された人間の心臓座標を起点に生成・射出されるため、一度発動されれば、基本的にはどこに隠れていようと回避不能なものだ。 たとえ相手が必死に防御しようとも、速度が威力を大幅に増大させているために完全な阻止は困難であり、また心臓を貫くことを魔法完了の条件としていることから逃げることすら厳しい。 もし《断罪》を止める術があるとすれば、庇護的な性格かつ光属性の魔法使いが発動できる防御魔法くらいなものだろう。 そんな絶死の一撃が引き起こす壮絶な未来と断末魔の狂宴を想像し、オリガの口角が最大まで吊り上がる──。
「……はぁ!?」
──が、そんな未来は訪れなかった。
どうしてか、拡散されていたはずのオリガのマナが雲散霧消してしまっている。
魔法を発動するための土台であるマナやそこに込められた意思が無ければ、そもそも超常たる魔法など成立しない。 そんな当たり前が、オリガにとっては信じられない現実が、なぜか生じてしまっていた。
ザン──……!
空間を断ち切る斬撃音によって、オリガは思考を現実へ戻した。
ハジメの叫びと同時に、彼によって黒刀と名付けられたそれが内蔵した機能を最大限に解放し始める。
「ッ……こいつ……!」
オリガは驚きもそのままに、自らの元へ走り来るハジメの姿を見て表情を苦々しく歪めた。 ゼラも同様に驚いた様子を示しているが、それでも魔弾による攻撃を止めることなく続けている。
ハジメの黒刀に刻まれた刻印による効果は三つ。 一つ目の“減軽”が武器のよる重さを無視した動作を可能にし、ハジメは魔弾に倍する速度で黒刀を斬り上げた。 続く“強化”が単純にその強度を上げるとともに切断力を増強させ、迫る魔弾を切り裂いた。 真っ二つにされたそれはハジメの両頬を掠める形で彼の側を通り抜け、やや後方で弾けた。
(こいつが何かした……? なぜだか分からないけど、こいつをここで殺さなければならないって、あーしの勘が言ってる……!)
そう思い明確な敵を定めたオリガと、魔弾を切り裂き続けるハジメの視線が交差した。
「ゼラ、あいつを殺す!」
「お前ら絶対に許さねぇ……!」
敵意がぶつかり、争いは激化する。
「おい、フ──くそッ!」
ハジメが善戦する後ろでフリックの救助に走ろうとしたダスクに魔弾が飛ぶ。 それは闇属性だけでなく光属性も含まれており、ゼラとオリガが完全にハジメを殺りにきていることがわかる。 その過程で彼らはハジメ以外にも攻撃を仕掛けているわけだが、これは恐らくハジメに隙を作らせる手段であり、またダスクたちな邪魔な因子を排除する狙いもあるだろう。 それは十全に作用しており、ダスクは危機的状況にあるフリックに近づけずにいるし、かと言ってハジメのフォローに入ろうとも思えない。 なぜなら、ハジメが鬼気迫る勢いで絶妙に魔弾を切り裂き続け、それでも傷を負うことなくそれらを処理し続けられているからだ。
(あいつ、どこからあんな力を……? さっきまでの様子とはまるで違うが……いや、今俺ができることは悠長に考えることじゃあない。 せめてフリックの側まで近づければ……)
ダスクはハジメの変化に驚いていた。 その動きは到底素人に可能なものではなかったし、それにまさか自分が守られるような状況に陥るとも思っていなかったからだ。 しかしハジメが動けているとはいえ、それがプロのものかと言えば違うと言える。 ハジメが縦横無尽に動き続けて魔弾を捌いているのはいいが、それがあまりにも粗雑というか乱暴な動きなので、敵の魔弾が分散してダスクはフリックに近づくことができていない。 その間にダスクは離れた位置から自分の持つ唯一の回復ポーションを遠投するのも考えたが、それを撃ち落とされたら一巻の終わりだ。
(とにかくハジメの様子は奇妙だな……。 まさかあいつ、俺に後衛を任せたつもりなのか? お前が動いたせいで、俺がレスカまでも守らなきゃならねぇじゃねぇかよ……)
ハジメは敵に集中しており、敵もまた同じだ。 しかし敵はダスクの躍動を許してくれるほど甘くない。 敵の攻撃を捌き切るハジメはすごいが、そこから敵に攻撃を仕掛けるまでには至っていないし、これではダスクが前衛をやっていた少し前の状況とはあまり変わらない。 敵が二人に増えた上で先程と同じ状況というのは明確にハジメの処理能力がダスクよりも高くなっているわけだが、経時的に命の危機が増しているフリックやレスカの状況を加えれば、やはり状況は良くなっているとは言えないのだ。
(カミラもハンスも何してやがる……。 ハジメなんていう不確定要素に任せちまってる俺も俺だが、もっと明確に戦況を変える何かがなけりゃあ……)
そんなものがないと分かっているダスクは、考えている時間は無駄と考えてタイミングを見計らいながらレスカを抱き上げた。 そのまま勢いを止めずにフリックの元まで駆けると、敵に背を向けたまま飛び出す。 当然ダスクは背中に魔弾を受けてしまうことになるのだが、身体の正面でレスカを抱えて守りつつ、ポーションをフリックに浴びせかけた。 直後、数発の重い衝撃がダスクを襲い、レスカと一緒に激しく地面を転がった。 そこに意味があるかどうかなんて分からないし、フリックが今なお生存しているのかも分からない。 それでもダスクは一縷の望みに掛けてそんな行動を強行した。
「鬱陶しいね……」
「ほんとそれ。 フリックもどうせ死んでんのに、なんで無駄なことばっかりするんだろーね」
ゼラとオリガは魔弾を織り交ぜつつ、第一にはハジメを、次いでダスクや生い先短い連中を狙う。
ハジメが攻めあぐねているのは、敵が二人だということと、彼自身が戦闘に向いた身体能力を有していないということが理由だ。 それなのに敵の攻撃に対応できてしまっているのは、何かしらの奇跡が彼に舞い降りているからとしか考えられない。 それはオリガが《断罪》を使えないからであり、ゼラが攻撃面に乏しいからである。 結果、ハジメが得た武器が予想以上に厄介な頑丈さを誇っていることによって、彼らの魔弾は容易に切り裂かれ、防御され、ハジメに大きなダメージを与えることができていないのだ。 しかしそれも、たった今ここまでのこと。
「《負力徴収》。 オリガ、接続するから手を出して」
ゼラが一旦魔弾による攻撃をやめた。 かと思えば、別の魔法を唱えている。
オリガはゼラから差し出された手を取ると、魔弾を連発させたまま目を閉じた。 それは戦闘中において自殺行為にも等しいが、それでも彼女はハジメを正確に狙って魔弾を放っている。
「見えたかい?」
「こいつら以外の敵意は二つ……後方ね。 あーしが処理するわ」
「じゃあ、発動と同時にお願いするよ」
ゼラの《負力徴収》は周囲に存在する負の感情を集めると同時に、感情ごとにそれらがどこから向けられているかすらも知覚することができる。
現在ベルナルダンにおいて渦巻く感情は負に偏ったものばかりであり、その大半は痛みや恐怖などが主なものだ。 その中でゼラやオリガに向けられる感情の一つに敵意がある。 それこそ彼らを害そうとする連中の意思であり、いくら気配を消そうとも偽るこのできないものだ。 それら敵意は発生位置から真っ直ぐゼラに向けて引き寄せられるため、そこを辿れば敵の位置を把握できるという仕組みである。 また《負力徴収》にはそれ以外の用途があり、それこそこの魔法を象徴づけるものだと言える。
ゼラはオリガのように直接的な攻撃を持っていない。 それは彼が精神系統の魔法に厚く、そもそも精神に作用する魔法には攻撃力が必要ないからである。 必要なのは精神的な安定性であり、どんな状況においても揺るがない信念の強さが必須なのだ。 たとえそれが殺人などに向けられるものであっても、安定感という点では何も変わらない。 だから彼は普段から何事にも動じず、平然と殺人までやってのける。
何度も言うが、ゼラは攻撃性に富んでいない。 だからと言って攻撃魔法を持たないわけではない。 魔弾など基本的な魔法はもちろん、それ以外にも習得できている攻撃魔法はいくつか存在する。 それらの威力は攻撃方面に強い魔法使いと比べれば半分にも満たないものに成り下がるのだが、唯一ゼラが攻撃性を最大限に発揮できる魔法がある。
負の感情がゼラの中に蓄積されていく。 彼が何かをしようとしているのはハジメもダスクも理解できているが、まさか攻撃魔法を準備しているなんて思わないだろう。 これまでゼラが用いてきたのは魔弾のみであり、爆発や魔刃ですら使用できていない。 だから彼がその魔法名を唱えるまで──それが発動されてもなお、ハジメは何が起こったかが分からなかった。
「《負力解放》」
衝撃がベルナルダンを貫いた。
目の前で爆弾が爆ぜたような感覚だけが残り、気づけばハジメは激しく吹き飛ばされて荒野を転がっていた。 彼が幸運だったのは、勢いで壁に叩きつけられて即死しなかったことくらいなものだろう。 今やハジメの全身には凄惨に打撲痕と切り傷擦り傷が刻まれており、おかしな方向に曲がった左脚や、バキバキにへし折れて感覚すら無くなった両手を見れば生きているのが不思議なほどだ。
「ぁ……がァ……ッ……!?」
意識がはっきりするごとに痛みが産声を上げ始めた。 あまりの痛みに意識が飛び、また痛みによって意識を無理矢理に覚醒させられ、理不尽な苦しみがハジメを苛み続ける。
(痛い、痛い、痛い、痛い、痛いィいいいいあああああああ──)
痛み以外の感情はハジメの中には無い。
正直ハジメは、どうして自分がこうして転がっているかすらも分かっていない。 ゼラとオリガに怒りを覚えて叫んで以降の記憶がほとんどないからだ。 にもかかわらずハジメがああやって彼らと渡り合えていたのは、ほぼほぼ本能によるものだ。 動物的な直感で敵を殺さなければならないという使命感と、レスカを守らなければならないという責任感が彼を突き動かしていた。
(やばい……痛すぎて死ぬ……痛い痛い痛い……誰か、どうにか……して……。 魔法、か……ポーションで……)
朦朧とする意識の中、ハジメは必死に痛みが治まることを切望した。 しかし誰が助けてくれるわけもなく、また自己治癒力などというまやかしなども存在しない今、超常的な効果を発揮する魔法やポーションの存在に頼るほかない。
そうしてどれだけの時間が経過しただろうか。 痛みによって徐々にかつ確実に体力が削られる一方で、なぜかハジメの意識はハッキリし始めていた。
「な……ん、だ……?」
ようやくハジメの朧げな視界が世界の彩りを取り戻した時、彼の身体は様相を異にしていた。 へし折れていたはずの左脚はやや角度を正常なものに戻しつつあり、ぐちゃぐちゃに変形していたはずの両手も何とか手の形状を保っている。 もちろん出血などはあるが、その下にあるはずの細かい傷などは概ね消失しており、未だ残っているのは大きな損傷くらいだった。
(誰か、俺に、ポーションでも……──、ぇ……?)
思考を遮るほどの光景に、ハジメは絶句した。
「ここは──」
──何処だ? そんな疑問が出てしまうほどの衝撃がハジメを襲う。
まずハジメのいる場所だが、見慣れたベルナルダンの東門が見えることから、ここが元いた場所から百メートルほど東に位置していることが分かる。 ハジメはゼラの攻撃によってそれほどまでに吹き飛ばされていたのだ。 それだけの距離を浮かされ、そして転がったのだから、彼の受けた損傷は当然のものだと言える。
次にハジメが東門から西へ外壁を辿っていくと、なぜかその南側が大きく失われていた。 なおかつフリックの居宅周辺の建物が軒並み倒壊して失われており、そこには相当な被害が広がっていることがわかる。 また陽が落ちていることから分かりづらいが、町中の光源が見えているのが何よりの証拠だ。
ベルナルダンの南西門と東門の間の外壁がすっぽりと抜け落ちるほどの攻撃とその余波。 まるで爆弾でも落ちたような被害状況を前に、ハジメは言葉を失い続けた。
(レス、カ……)
「……そうだ、レスカ……!? レスカをさ、探さないと……!」
程なくしてレスカの存在に考えが至ったハジメ。
えも知れぬ不安からハジメの鼓動は最大限に脈打ち、脳に回される血液によって漸く彼の意識が完全に覚醒してきた。 それによって、今までマスクされていた環境音が彼の鼓膜を叩く。
聞こえるのは悲鳴、絶叫、そして未だに続く破壊音。 それらはベルナルダンの内部から響いている。
(町中でまだ続いて……いや、町の人間なんてどうでもいいんだ……。 早くレスカを見つけて逃げないと……!)
ハジメは町に近付くのはマズいとは思いつつも、それでもレスカへの心配が勝った。 だから痛みを我慢し恐怖を押し殺しつつ、脚を引き摺りながら町を目指す。
「はぁ……はぁ……」
(レスカ、どこだ……。 どこにいる……?)
歩くたびに激痛がハジメを苛むが、それを上回る気掛かりが彼を突き動かす。 そうやって遅々とした歩行を続けていると、幸運にもハジメは自分の武器を見つけた。 吹き飛ばされている最中まで握っていたようで、それがこうして地面に転がっているわけだ。 ハジメは徐にそれを握ると杖代わりに地面に突き刺し、這う這うの体で歩みを続ける。
「レスカ、どうか無事でいてくれ……」
そんなたった一つの願いだけがハジメを突き動かし、再び戦地へと足を運ばせていた。 その先にどんな絶望の未来が待ち受けているのかも知らずに……。
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